鬱オヤジのストレス苦闘日誌

鬱オヤジといいます(他のブログでは違うHNですが・・・)
主にストレスやうつ病について書きます。
くらいですよ~~

鬱を感じる人へ

2013-12-30 11:04:33 | Weblog
今日で今年の日誌は最後になります。

今年は、前半、よくなり、気持も前向きになれましたが、秋の色々な仕事のトラブルで、再び沈没し、そして、どうにか年は越せるようになったので、気持ちも再び安定しつつあります。


来年で7年目の通院になります。


正直、ここまで掛かるとは思っていませんでした。

また、仕事の重圧によるものが主因なので、もし、例えば、大きな取引があって、どうにか父から引き継いだ不足の金員が落着けば、恐らく、相当気持は向上すると思います。


つまり、きっかけや要因は、ワンチャンスで回復できるようなものでもあるのですね。
仕事、恋愛、金欠、夫婦関係。


もちろんそれだけでなく複合し、ギブアップすることが多いこととも思います。


原因を解決することは大切ですが、それが出来ず、鬱と戦うことって多いでしょう。


何から解決すればいいかわからなくなります。


気持は沈み、死にたくなったり、引き篭もりをおこしたり。


でも、そういう病気なんですね。


まずは病気と向き合う。


人が何と言おうとまずは鬱である自覚をもう一度持つことです。


どこかで、その感覚を忘れていることってあると思います。

仕事やっている時だけ頑張ってしまい「普通」を装うようなムリをしていたり。


病気、自分は鬱病なんだ!と威張るまでもないとは思いますが、まずはその自覚を持つこと。



病院に通っていない人、必ず行きましょう。いろいろ諸説ありますが、病院行かないと治らない。

私のように7年も掛かる場合もある。それでも行かなければもっと辛いかもしれません。


行くことで多少は辛さから回避できます。


友人でも重症になる人は、行くことをためらった人です。


行くことが突破口となるでしょう。



私も、いい加減に鬱には飽きました(笑


でも、どうにもならないので、医者に行き、気持が向上してるときは自分を褒め、ダメなときは責めない。なかなかできないですが、そういう「気持」を持つことが大切と思います。



鬱で苦しんでいる人へ、

他人のブログやメンタルHPなどを見ることで落着くこともあります。

医者も取りあえずは信じてください。


利用できるもや人は利用してください。


そして、辛さを軽減する「気持」だけでいいから持ちましょう。



ほんの瞬間でも、辛さから開放される時は雲から太陽が覗くような感じに思えます。


それが多くなれば、晴れてくるはず。そういう気持を持って臨みましょう。



今年1年ありがとうございました。


ここ数ヶ月200~300のHITもあります。


こんな愚痴のブログでも、観覧いただいていること、光栄に思います。


来年もどうぞ、宜しく!
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飲みすぎた

2013-12-29 09:55:50 | Weblog
昨日は予期しない忘年会があり、

午前2時まで飲んでました。

飲めないんですが、結構飲みました。


こんなことも出来るようになったのはありがたいものです。

なかなか、腰重く出れないことがあったから。


凄く眠いですが、でも目覚めは良かったです。


夢見もありませんでした。。



お酒は自分からは飲みません。

で、昨年くらいまでは、どうも誘いに憂鬱になる感じでしたが、

今は、呼ばれることが光栄に感じ、そんなせいか、旧友とのつながりが増えています。



なんでも、「やりすぎ」は注意でしょうが、もし、心身が許すのであれば、時にはこういうのも良いのでしょう。


その「心身が許す」までに至らないためになかなかそういう機会に出なかったものです。


それは幼いころからあり、内向的或いは面倒だというのが先行していたのでしょうね。


それもある種、精神的な要因だと思います。



今日の仕事は、待ち人1人だけ。

もし、早めに片付いたら、早めに閉めます。


だけど、その待ち人、来るのは夕方が多いから、それまでは辛抱ですね。

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睡眠薬に依存すべきか?

2013-12-28 09:18:31 | Weblog
いつも書くように、睡眠は最悪です。

まだ、金縛りや無呼吸が改善されただけ、夜の格闘はなくなりましたが、寝が浅い、夢見が多いなど、朝は爽快なことはありません。

朝の気分はいつも疲れた~~という感覚です。


しかし、アモバン、テトラミドの服用で、そのあたりはかなり改善はされましたが・・・。

今度はアモバンに依存気味で、これは睡眠障害と割り切って飲み続けるのがいいのかが今考え中のことです。


昨日は、飲みませんでした。睡眠導入なので、寝入りすることが目的です。

これはどうやら飲まなくても大丈夫でしょう。


でも、たまたまでしょうが、やはり夢見が多い。


まだ、昨日は、珍しく楽しい夢だからいいものの、楽しい夢でも朝は疲れてるもので、これは改善の余地がないのかな?などと思います。


若い頃から睡眠不足であっても睡眠薬を飲むのは抵抗ありました。


あまりにも寝入りが悪く、ハルシオンを若い頃飲んだところ、起きれず、その後も何度かハルシオン飲むものの、効きすぎてしまう感じです。


マイスリーが一番合ってますが、今の薬との相性で、アモバンになってます。


年齢時なものもあるのでしょうが、睡眠の質は良くなく、鬱や不安と同様に、この睡眠障害は悩みの一つです。


今回からアモバンは「頓服」に戻しましたが、飲む飲まないでは飲んだ方が調子は良いので、飲みたいものの依存すべきかどうかにも迷うところです。


睡眠の改善には環境や習慣も変えるべきでしょう。


それをも併用しながら、薬を飲み、焦らず減らすのがいいのかな?とも思います。


夜見る夢


核戦争、彗星衝突、なぜか学徒動員、刺される夢、殺される夢、溺れる夢、自殺する夢、追われる夢。


幼いころから同じ夢を見ること多く内容はこんなところ。


こんな夢を毎日見て、朝が爽快なんてあり得ませんよね?


幼いころに虐待に近いことをされていたことや、全治1年の交通事故を起こしたりとか、どうもその辺に要因はありそうですが・・・。


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常にあるソワソワ感

2013-12-27 09:38:28 | Weblog
ソワソワ感、イライラ感、そして不安に憂鬱。

これだけでご馳走様です(汗


ソワソワやイライラ、ある程度の不安は、ソラナックスを服用することで、改善されてますが、それでも、結構あります。いま、結構あるのだから、以前はどうかというと、何してもこれらの感覚が付きまとい、時には出来るものまでが出来ない、瞬時の物忘れをするなどと言った現象が強くありました。


アガリ、赤面、パニックなど、考えてみると幼少の頃からあり、でも人前に出れないかというとそうでは無く、だけど、土壇場で出来なくなるという感じ。

これが、今回の鬱により、改善されたものです。


今、心理テストとかやると、パニック症、強迫概念などは当てはまりませんが、以前の自分を見てみると、大いに該当するわけで、もしや、ソラナックスなどの薬で改善されたのかな?なんて思います。


さて、良くはなるものの、ソワソワ感はいつもあるもので、これは強い不安からくるものでしょう。


無い日は無いですね。必ず心に不安、ソワソワはあります。

ただ、酷かった頃に比べ、全然いいので、これは成り行き任せです。



あまりにも酷い時は、仕事をサボったり、違うことに目を向けるようにしてますが、酷かったころはそれもできませんでした。



ヨガやリラクゼーションが良さそうですね。


若い頃に掛かった鬱の時はヨガを考えましたが当時、某カルト教団のことがクローズアップされて、今ひとつ、それには行く気にはなれなかったものです。



よく、呼吸で精神疾患を治すなどと聞きます。


う~んと若い頃、不安や鬱の改善で、姿勢と呼吸を整えることで楽になる記事を読んで鬱では 無かったと思うのですが、憂鬱な気分だったのでそれをやったことあります。


呼吸を整えることで、少しの間ですが、ソワソワや憂鬱感は取れることもあります。


深呼吸を少し長くやるとか、短い時間の黙祷とか。


そんなんでいいと思います。

それを実行する時間を作る「心のゆとり」も大切ですね。




今週から、アモバンを1/2にしてます。

寝れますが、中途醒覚がありますね。

それでも寝れますが。


深い眠りには入れるものの、夢見が相変らずで、そのために朝に倦怠感があります。


この倦怠感が鬱の辛いことの代表です。


先日、若い女性の薬剤師から、「日中はだるいですか?」と聞かれた。


そう、その日中のダルさは確かに半減してますが、何が辛いって、その日中のダルさで心療内科通院を選択したことも事実で、それが当時と比べて良くなっている実感を、その薬剤師の言葉で感じました。


しかしながら、とてもよいわけではなく、まだまだ続きそうな感じです。


今日もなんとなくソワソワと重苦しさがありますが、仕事が結構あるので、まずはそれをこなし、今日が、忙しさのピークだと思うのでまあ、それがソワソワを生んでるのかもしれませんが、休み休みやってみます。
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生きがいって何だろう?

2013-12-26 09:55:24 | Weblog
よく、学生の頃とか受験の小論文などで、「生きがい」について書きなさいというのがありました。


幼いころから、ちょっと、その生きがいというのが理解できず、そのまま大人になってしまいました。


何かすることによって生きていて良かったと思うようなことでしょうが、それは酒を飲む、月1回贅沢する、好きなことに没頭する、仕事をするなどさまざまでしょう。


生きがいと聞かれた場合、いつも、なんだろう?と考え、強引に結びつけるものです。


趣味に没頭している時が楽しい、でも生きがいか?と思うとそうでもない。


仕事も打ち込めない、まあ、今は、家族と一緒に居るのが安心する一時かと思うのですが・・・。



元気な場合、或いは、精神的に良好の場合、何かあるでしょう。


しかし、あった人が無くなる場合もあり、そうなると、精神的にガタ~ンと来ることを耳にします。


また、元々無くて、なんとなく暗くなってしまう人もいるでしょう。


これらは性格というより、精神状態、環境で左右されるもので、その生きがいが無い場合、辛い方面にベクトルが向いてしまうものです。



生きがいどころか、生きてゆくことが辛い場合などは、生きがいなど、言葉にすら出てきません。


鬱病特有の「死んでしまいたい」「消えたい」「毎日が辛い」、その状態で生きがいは出てきにくいもの。


自分はまさにその状態ですね。


本当に酷い時は自殺願望はありました。まあ、怖くて実際やろうとは思いませんですが、独り言で「死にたい」「辛い」は良く出ることばであることは以前書きました。


心療内科に行くと、そこは聞かれましたね。まだそういう言葉出ますか?と


以前のドロンドロンの時よりは気持が楽になりましたが、それでも、毎日が辛いと思うもので、まだ「死にたい」という独り言は出てしまうものです。


言葉に出る、感情に顕れるは、生きがいの逆が心を支配しているものと思います。


その不安や辛さを取り除かないと、きっかけが無いとなかなかそれが取れません。


生きがいの反対が強いから当然に生きがいは無い或いは、少ないものです。



毎日が辛いだるい、生きてゆくのがイヤ、でも自殺は怖い。


こんな気持の人、自分だけではないと思うんですね。


何甘ったれてるんだ!そういう気持もあるし、健康体の人からはそう言われる。


でも辛いのは事実であって、その辛さと向き合わなければなりません。


あまりにも酷い時は寝逃げやサボリもいいでしょう。

迷惑を掛けないような現実逃避もいいでしょう。でも根本的な解決にはなりませんね。


その、幹となるものはどうやったら崩せるのだろうか、何が自分をそうさせてるのか。


当然に考えても結論は出ませんが、まず何が一番辛いかを捜すところから始めるのが懸命なんでしょう。


私の場合捜せてはいますが、その次のステップで苦戦してます。




睡眠薬アモバンを常用にして、今週からは半錠にしてます。

少し依存気味。


寝れるから使う。でも残るのも問題。


これもちょっと辛い問題でもあります。



とにかく夢見ですね。悪夢は少なくなっても、疲れる夢ばかりみる。


いかに精神が安定していないかの顕れ。


このあたりは精神統一する何かをするのがいいのか、リラクゼーションに没頭すればいいのか、
そんなことしか頭にはありませんね。

とにかく、まだまだ精神状態が良くないということなんでしょう。


自らできる解決策は、できる範囲でやって行くようにしないとね。


来年で7年目の鬱との闘いになります。長いですね。

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どうにか午前中をこなした

2013-12-24 12:55:46 | Weblog
目覚めは悪くなかったが、眠気がとれず、もうろうとしながら午前中はそれでもこなす。

あとは午後をあまり負担掛けないようにやればいいでしょう。こういう日は。


叔父が末期がんで、エンドステージを迎えている。辛そうだが、手を握ると強く握り返す。


一時は奇跡的に元気になり、大丈夫じゃないの?とも思ってのですが、2ヶ月前より急激に体力が落ち、昨日は酸素マスクをするような感じだった。


その前日までは会話できたのだが、こういう時期の1日というのは体力の衰えは想像以上に速いのでしょう。


叔父の姿を見るからということでもないのですが、1日を大切に生きるというのは重要なこと。


でも、その大切が、たとえ「サボリ」でも有意義であれば良いこととも思う。


1日を平穏に暮らす。元気な時は普通のことだが、これが結構難しい。



精神疾患にかかるとと特にね。


たとえ、その場では取り乱したり、不調な1日であっても、やれることが出来たり、他の面で、良いことがあれば良い日と位置づけるのも重要だとここんところ思うものです。



今日は眠気との戦いになりそうなので、無理なく掃除でもしながら的な過ごし方で行ってみたいです。
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クリスマスは鬱には良くない?

2013-12-23 09:24:26 | Weblog
タイトルのこと、耳にします。

たしかに。


なんとなく世間が賑やかになりそのムードになることが、なんてことないんですが、耳障りというか不快というか辛いというか・・・。


あまりそれは感じなくなってきましたが、昨日は家族で出かけ、クリスマスムードになんとなく憂鬱になりました。



明るく見えるのが辛いんですね。



暗くなっているところに、いくら勇気付けても気持は上がらないものです。


それでまた自分を責めてしまう。それはしょうがないことなんですね。


なかなか自力でそういう世界との分離をするのは難しいかもしれないけど、必要以上に物事を考えず、世間はいいな~なんて思わないようにすることが良いのでしょう。



辛いな~と思いながらも出かけられたので、それは良かったんだが、そんなところから思ったんだけど、何か物事が進められないこととか、やらなきゃいけないことができないとか・・。

もちろん、怠けもあるでしょうが、それが酷いのって、病んでることですよね?



例えば、勉強をしなければならないけどしない。ここまでは怠けでしょう。
でも、しようと思っても手がつけられない・・・この域に来ると、少し病んでるのかな?



セールスの仕事をしたとしましょう。
それが自分に合っていれば、進めます。


しかし、元来、そういうのが苦手な場合、苦手意識が先行してやらないのは、少々怠けかもしれません。


でも、やりました。、いくらやってもお客さんと話せない。そしてそれが「苦」になる。


その「苦」になった時はやんでるんですよね。


合わないものをやってできることもあるでしょうが、できなければ、適正ではありません。
頑張って克服する人もいるでしょうが、そうでない人の方が多い。


勤務している以上やらなきゃという重圧もある。そしてその重圧が出社拒否などになる。


甘いという考えもあるでしょうしそれも正論でしょうが、もうそうなった時は、いくらそこで栄養剤を注いでもむりなんですよね?

そこで、重要なことと直面する。会社を辞めたいという。


会社によっては適正に合わない場合、部署の変えもみてくれる所もあるでしょうが、多くは進退を考えなければならなくなる。


そういう社会構成になってるんですね。


自分は営業を中心にやってましたが、ある時期に全く手付かずになりました。
そして、報酬体型も完全歩合に変わり、収入が酷い時は月5000円なんてなり、出した結論は
辞め。


適材でないと自分で判断したもので、その後、色々重なり鬱になりました。



バブルの頃は200時間のサービス残業や、数日帰れないなどは良くあった話。

過労死も社会問題になっていたころですが、世間が忙しく、なかなか社会性鬱は取り沙汰されなかったが、結構、病んでいって、そのまま会社に来ないなんていうのはいました。


今でこそ、鬱と言うものは認知されていますが、社会の水に合わないと怠けとレッテルを貼られていた事も事実ですね。


鬱などの精神疾患は、ストレスから来る。それは何か?と分析した時、いまのように、会社の仕事が手がつかないとか、会社にいけなくなったとか、そういうことから起因することは実際に多いことは事実で、そうなった時、自分に厳しくは勿論悪いことではなかったんですが、そのことで日常生活ができなくなるんだったら、それはもう病んでいる証拠でしょう。


最近、回想します。


飛び込みセールスをやっていた時の頃。


成績はまあまあでも、気が進まないことが多多出てくる。

そして、説明することすらできない。


訪問は出来て、仕事は取れても、そのことが、「憂鬱」。強い鬱ではないが、営業は憂鬱。


実は、ずっとそいうだった。


でも、若さ、多少の自信、経験などでカバーできたが、実際は、自分はそういうのには向かず、とてもその時は神経を使っていた。


ルートセールスであっても足が進まないこともあった。


それは、怠けもあるのかもしれないけど、既にその時点で病んでいたんでしょうね。



精神疾患はそういうところから来ることもあります。


仕事が出来ないことを「苦」にして自殺なんていうことも聞きますが、その「苦」でいかに止めるかが重要ですね。


若い頃の自分を振り返ると、決して懸命ではなかったけど、怠けでもなかった。
背伸びしていたんだな~と。


今になって社会現象のように捉えるけど、そういう取り沙汰されない時に、散って行った人達もや挫折して復帰できなかった人も、病んでいたことは事実なんでしょうね。


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完璧は求めちゃだめ

2013-12-22 09:48:17 | Weblog
寝つきは良かったのですが、中途醒覚が多く、夢見も。

アモバンを飲んで寝ましたが、朝、寝起きがキツかった。

フラツキもあるし、とてもよくない。


完璧は求めちゃいけません。こういう日もあるでえしょうから。



昨日は通院日。


アモバンは頓服に変更。


それ以外は変わりなし。


すこしずつ、アモバンの依存を減らしていかないとと思います。




9月頃からよくなく、やっこここに来て落着いてはきましたが、仕事、生活、環境、これは知らずウチにストレスとなるのでしょう。


疲れからか、久しくなかった腰痛にも悩まされ、心身ともによくないここ3ヶ月でした。


しかしながら、何年も重く感じていたこと、例えば人と電話で話すことや、時間の待ち合わせ、
書類の投函など、普通の生活には普通にあることが、知らずウチに「憂鬱感」がなくなってます。


伝言だけでも憂鬱で出来なかったことあります。


回覧板を回すのも憂鬱だったことあります。


そんなことが普通にできるようになっえtるのはありがたいのですが、そのような些細なことも、鬱病ではできなくなります。


周囲の人は「そんなこともできないのか」といいますが、そういわれたときは、「それができないくらい、今、ダメなんです」とはっきり言うことも大切です。


アンケートの回収が憂鬱でできなく、そう言われたときに、あからさまに話したら、呆れ顔はされたものの、助けてくれたことあります。


ダメなときはそんな構えでいいのでは?と思いますね。



今日は、ダメだ(笑)


ちょっと重い要件もあるので、その重いのだけはやるくらいの気持で行きます。

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ここのところ精神が安定してきた

2013-12-21 09:22:42 | Weblog
睡眠がいかに大切か・・・

アモバン毎日飲んでから、よく寝れます。

悪夢も見なくなりました。


そして、朝、残ることもあるものの、精神的には落着いてきました。


夏ごろの落ち着きほどではありませんが、まあまあでしょうか。


ちょっと前に書きましたが、不器用さや少し集中力が無くなってることにいらだつこともあります。

こういう時は要注意なんですが、でも精神は穏やかかもしれません。



仕事柄、年間休日は少ないです。

サラリーマン時代なら100日はあっても、今は80日くらいでしょうか?


ここ数年は体調不良で休むこともありますが、やはりそれなりの休暇は必要でしょう。



精神的に落ち着かない時は当然ながらストレスや疲れだと思います。


それは私の人生を見るとまさにそのとおりと思います。


また、いくら改善を試みてもうまく行かないこともあります。

年齢的なものもあります。


そういう時は少々あきらめも肝心かも。



今日は心療内科の通院日。

それと、今気付いたのですが無呼吸の月1問診に行っていない。


これから行きます。仕事中ですが。

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周りの目

2013-12-20 09:37:15 | Weblog
以前から書いていますが、周りの目が気になります。

ウチの場合、GSが近いので、オイル交換や洗車の時間つぶしに来たり、水槽をメンテとかしてると、必ずと言っていいほど冷やかしが来ます。


ここ半年は無くなりましたが、仲のよい同業者が、毎朝声を掛け、帰りも声を掛けて帰る。


私を励ますつもりでのことなんでしょうが、これが毎日だと、とても辛いものがありました。


一人でやっているので、常に何かをしてますから、少しの時間途切れも辛い。


それと、毎日だと何か監視されているような錯覚すら生みます。


ヒマなときはいいのですが、電話中や接客中に来られても焦るだけで。



それが無くなってから、失礼ながらプレッシャーが無くなりました。


これはある程度は話したのですが、本人とすれば友達気分でしょうあkら不自然には思わないでしょう。


でも、毎日でただ、声を掛けるだけなら気にしませんが少し時間を潰す感じでしたから、気持に負担があったものです。


水槽のメンテ、パソコンに集中も、ヒマと見られるのは仕方ないけど、何か作業中に入ってくるのは、正直負担になることもあるし、何かバカにされてるのかな?なんて思うこともあります。


そう感じるならば、それらの作業をやらなきゃいいのでしょうが。



周りの目が異常なくらい気になる時、それは性格ももちろんありますが、心が病んでることの方が多いでしょうね。


そういうことに気になりだしたらキリがありません。


でもなかなか理解を求めるのも難しいでしょう。


それでも、ある程度理解をしてもらうことも大切です。



いま、書いた以外に、毎週来る営業や、ヒマつぶしの友人など。

ここ3年、両親の他界、仕事のトラブル、体調の不安定で、正直、ヒマつぶしがとても負担。


毎週来る建売業者、こんな状態をわかっていて、「どうよ!社長!!」と入ってくると、それが毎週だと、以前はそう思わなくても、とても不快感がありました。

特に昨年の父が他界した頃は、さすがに、暫く仕事はできそうもないのでと事情を話し、少し控えてもらうように言いました。


その中で、「ごめんなさい、今、仕事の話がとても辛いんです。とてもだけど、お家の事情で店すら開けられないことも多多あるところで、仕事の話をできる余裕がないので、わかってください」といいました。


それでも来る人には少々荒く言いましたが、周りの目やつきあいで気になる時、ダメでも理解を求めることは大切ですね。




昨日、一昨日と連休を取りました。

そういえば、連休あととかに、。わざわざ「ゆっくり休めた?」を言いに来る人もいました。

結構休みでも仕事に充てることあるから、いやみにしか聞えなくてね。
というか、そんなことをわざわざ言いに来るって、単なる挨拶とは思いませんが・・・。


連休を取り、少し体は休めました。


アモバンの常薬は今のところ良いです。


どこでこれを減らすかは、焦らず考えたいです。

本来4週に1回の通院が、年末なので、2週にして、明日が通院日です。

前回より、気持も身体も楽になったので、そんな話をしてみます。

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