かなり前にも書きました。
精神疾患などで、アップアップ、仕事、家庭、友人関係金銭関係など抱えている問題をコンサルし、場合によっては法的なことまで手伝ってくれるとか。
会社再生の個人版みたいな。
お金があれば、是非とも飛びつきたい話だが、普通に数十万かかる。
これに法的な手続き、たとえば、借金のある場合は債務整理、自営なら廃業。
勤め人ならば、会社への代理業務、任意代理人として、本人に代わり、問題を解決するところまでできる。
会社で言う事業計画のようなもの作成だけでも行う。それだけでもそこそこするのだが、いわゆる、本人がダメになった時の任意代理人ですね。
ここまで行かなくても、似たような事は、普通は配偶者がやるとか、親族がやることが多いですね。
よく取れば、動けない自分の再生とは読めるが、業者によってはつけ込むこともあるでしょう。
弱者へのスキを狙うのもいないとも限らない。
だが、こうしたコンサルの需要が高まっていることは確かで、フリーランスなんかは使う方も多いのかな?なんて思います。
人の力で人生がうまく行くなんて思いません。
しかしながら、多くの問題を抱えて場合、誰にも相談できない、相談出来てもいろんな人に相談しなければならないなんていう時は、すがりたくなるものだが、会社のコンサルもそうだが、卓上の計算でしか行わないケースも多く、解決に結びつかないことも多いでしょう。
まず、自分の能力で解決が困難に思えたら、話せる人に話すのは当然に良いこととは思いますが、もう少し身近なもの、たとえば、心理カンファレンスくらいから入るのが良いのでしょうね。
ここのところ仕事についての限界を書いてます。
実は、まだまだ見込みはあるにはあるし、今日明日に閉めなければならない状態でもありません。危ないことは事実だが。
この状態を12年改善できず、まあ、実際は赤字計上にはSTOP掛けているのは事実にしても、収入はとんでもなく低い、継いだ負債が片付かない、トラブルやクレームが多い。
で、一人でやらなければならない。そこにきて、今年の目標だった、一番の取引が危うくなる。
重なって、正直、士気低下だけではなく、迷いに突入してますね。
高くならなければ、人生のコンサルを付けたい位に苦悩してます。
仕事につけている会計士は大学時代の友人。なので、何でも話せるのだが、2,3不満がある。
それは、話を最後まで聞かないこと。とても客観的なことなど。
数字に強い反面、数字にとらわれ過ぎてしまうこと。そこを説明しても、最後まで聞いてくれない。
何度か、心を割って話してはいるが、完全に飲み込んではもらえない。
彼は、かなり、楽観的に見ているが、具体的な指導はエリア拡大とか顧客拡大とか、あたりまえのことが中心になる。
鬱であることを話しているがあまりそこは重視されていない。考えすぎとか気が小さいとか・・・
それでも、自分のコンサルだから、今後のことは、まずは彼に相談してから動くしかないと思う。
時間を作ってくれるかどうか分からないが、まずそれをしないとね・・・というところ。
今の仕事は自分が決めて家業を継ぎました。
何度も書きましたが、人生のうち3回ほど、家業継承で両親とトラブってます。
家業を継ぐと話し合い、会社を辞めたら、お前なんか雇えるかと、突き放されたり。
1年悩んで、今一度話したが、受け入れられなかったり。
それでいて、15年前は、問題無く務めていた会社を辞める気はなかったが、父自身の体調不良と、このときは、反対していた母親、義兄、叔父、そして、カミさんにまで、父は頭を下げ、私が家業継ぐように頼みこんできた。
今までのことがあるので、無視はしていたが、あまりにも本気だったのと、年齢的にそろそろ整理するのもいいかな?と安易でしたね。
家に入るものの、実際は非常に厳しい売り上げだった。それでも、今よりはマシなので、やり方ではどうにかなるのかな?と思うものでした。
なかなか資格が取れず、それと、母が痴呆になり、更に、400万近い赤字も母が痴呆になった年に生じ、父は私を追いだすようにがなりたて、追放された感じだ。
数日経って、とりあえず、話はしたものの、勘当だ!と言われ、カミさんは妊娠中だったが、また無職に。
いい加減な歳になっていたので、再就職ができず、カミさんは、里帰りしている時に、白アリ駆除の会社を、紹介所から頂き、入社したものの、スパルタ式の研修に挫折し、両足負傷しまともに歩けない状態で、入社断念。
紹介所からは労災の申請などサポートあったが、断った。
里帰りのカミさんは、戻っても、無職、歩けない自分を見て、ご立腹でまた田舎に帰る。
でも、どうにか、前職に復職でき、態勢も整い、カミさんを呼ぶものの、過疎地での生活、収入は低いことで、またご立腹。
このときは、離婚届を突き出された。
死にたいくらい辛かった。だって、どうにも改善できない状態だから。
生い立ちなども言葉のはずみで、責められ、さすがに、怒らない自分も、好きにしたらと、突き放したものだ。
生い立ち、家族関係などを今更責められても、それはどにもできないから・・。
もっと辛かったのは、食事を作らないこと。仕方なく1ヶ月は知人に食事をわけてもらったものだ。
こんなことあっても、でも、カミサンも段々落ち着き、はついてきてくれたもの、前職が、会社の危機に直面し、その間、資格が取れ、その資格には父の印鑑が必要なので、勘当中だが、印鑑をもらいにゆき、そこで、和解しちゃた。
当時勤務の会社が存続があやしい時だった。父は再び家業継承を言う。
私自身は、ちょいと、引きぬき的な話はあったので、家業継承は頭になかったが、その時は妙に受け入れたくなってね。
家業継承はだれも賛成しなかったが、今までの再三のこともあるので、父と1日じっくり話し、最低限の生活するだけの収入、手取り20万は確保できるというので、そっれを鵜飲みにし、了承したのが間違えだった。いや、間違えではなかったと信じたいがもう少し、経理のことを突っ込むべきだった。
前年の決算書はみたが、たまたま、そんな悪くはわかxったこともあったがこれは父の作戦だったのかも。
累積1600万円の赤字、年商はわずか600万円、毎年の赤字は150~200万を3期続けている。
これは読み取れなかった。まあ、累積はもともとあったのは知っていたが、私が辞めた年から3期、とんでもない赤字であることを父は伏せていたのだ。
当時の税理士は、そのあたり、父から聞いていないことに驚き、すべて説明し、このままだとまずいということを説明される。
乗った船だ、3年必死にやりました。
だが、年間の赤字も減らすのがやっと。
お金も、父は銀行から借りたことないから銀行は貸さない。セーフティーネットもだめ。
ノンバンクから借り、一時は膨れ上がり始めたものの、どうにか減る状態にだったものの、そこで、今度は自分が完全に動けないほど憂鬱になりそこから鬱の闘病が始まる。
弁護士も入れ、個人で借り入れたお金の整理と、ある、倒産した銀行にこれは法人で借りていたのだが、実質過払いがあり、それを調整してもらったり。
一方で、私は産業振興センターや商工会議所に出向き、経営相談。
その前には、会社清算のために弁護士にも相談した。
債務整理の弁護士も、民事再生か清算を相談に行って、やったのは個人の再生からだった。
事務所の移転、母の解雇、不要な所属会員は脱会などし、自分の年収もさらにさげ、どうにか、年間150万ねん出dきるようになり、赤字はストップした。
個人で整理したものは、過去に完済した借金が時効になっておらず、過払いが生じたが、しかし、あまりにも窮屈な経営では、わずかな課払いは焼け石に水。
だが、専門家にいろいろあたり、公庫や、今なら銀行も貸すということで、融資が受けれるようになった。
会社としての借金は、年商の1/3以下だし、更に借りることで、命は延びる。
でも、今は、それをやるべきかどうかが判断できない。
・・・とこんな状態でありまs。
最大の辛さは、一人でやらなければならないことですね。
人を雇える収入はないし。動きが出てくれば当然に雇用だけど、いまのところ、どにもならないくらい動かない。
どこが、景気回復なのか、泣きたくなるくらい、辛いものだ。
だらだら書きましたが、この状態で、前向きに考えるといっても、前は向いているつもりだし、ひところよりは前進しているが、さすがに、ここにきて、壁にぶち当たってる感じ。
友人の会計士がちゃんと話を聞いてくれるか。まずはここからなのかな?と思うものです。
生きるって難しいね?(トホホッ
精神疾患などで、アップアップ、仕事、家庭、友人関係金銭関係など抱えている問題をコンサルし、場合によっては法的なことまで手伝ってくれるとか。
会社再生の個人版みたいな。
お金があれば、是非とも飛びつきたい話だが、普通に数十万かかる。
これに法的な手続き、たとえば、借金のある場合は債務整理、自営なら廃業。
勤め人ならば、会社への代理業務、任意代理人として、本人に代わり、問題を解決するところまでできる。
会社で言う事業計画のようなもの作成だけでも行う。それだけでもそこそこするのだが、いわゆる、本人がダメになった時の任意代理人ですね。
ここまで行かなくても、似たような事は、普通は配偶者がやるとか、親族がやることが多いですね。
よく取れば、動けない自分の再生とは読めるが、業者によってはつけ込むこともあるでしょう。
弱者へのスキを狙うのもいないとも限らない。
だが、こうしたコンサルの需要が高まっていることは確かで、フリーランスなんかは使う方も多いのかな?なんて思います。
人の力で人生がうまく行くなんて思いません。
しかしながら、多くの問題を抱えて場合、誰にも相談できない、相談出来てもいろんな人に相談しなければならないなんていう時は、すがりたくなるものだが、会社のコンサルもそうだが、卓上の計算でしか行わないケースも多く、解決に結びつかないことも多いでしょう。
まず、自分の能力で解決が困難に思えたら、話せる人に話すのは当然に良いこととは思いますが、もう少し身近なもの、たとえば、心理カンファレンスくらいから入るのが良いのでしょうね。
ここのところ仕事についての限界を書いてます。
実は、まだまだ見込みはあるにはあるし、今日明日に閉めなければならない状態でもありません。危ないことは事実だが。
この状態を12年改善できず、まあ、実際は赤字計上にはSTOP掛けているのは事実にしても、収入はとんでもなく低い、継いだ負債が片付かない、トラブルやクレームが多い。
で、一人でやらなければならない。そこにきて、今年の目標だった、一番の取引が危うくなる。
重なって、正直、士気低下だけではなく、迷いに突入してますね。
高くならなければ、人生のコンサルを付けたい位に苦悩してます。
仕事につけている会計士は大学時代の友人。なので、何でも話せるのだが、2,3不満がある。
それは、話を最後まで聞かないこと。とても客観的なことなど。
数字に強い反面、数字にとらわれ過ぎてしまうこと。そこを説明しても、最後まで聞いてくれない。
何度か、心を割って話してはいるが、完全に飲み込んではもらえない。
彼は、かなり、楽観的に見ているが、具体的な指導はエリア拡大とか顧客拡大とか、あたりまえのことが中心になる。
鬱であることを話しているがあまりそこは重視されていない。考えすぎとか気が小さいとか・・・
それでも、自分のコンサルだから、今後のことは、まずは彼に相談してから動くしかないと思う。
時間を作ってくれるかどうか分からないが、まずそれをしないとね・・・というところ。
今の仕事は自分が決めて家業を継ぎました。
何度も書きましたが、人生のうち3回ほど、家業継承で両親とトラブってます。
家業を継ぐと話し合い、会社を辞めたら、お前なんか雇えるかと、突き放されたり。
1年悩んで、今一度話したが、受け入れられなかったり。
それでいて、15年前は、問題無く務めていた会社を辞める気はなかったが、父自身の体調不良と、このときは、反対していた母親、義兄、叔父、そして、カミさんにまで、父は頭を下げ、私が家業継ぐように頼みこんできた。
今までのことがあるので、無視はしていたが、あまりにも本気だったのと、年齢的にそろそろ整理するのもいいかな?と安易でしたね。
家に入るものの、実際は非常に厳しい売り上げだった。それでも、今よりはマシなので、やり方ではどうにかなるのかな?と思うものでした。
なかなか資格が取れず、それと、母が痴呆になり、更に、400万近い赤字も母が痴呆になった年に生じ、父は私を追いだすようにがなりたて、追放された感じだ。
数日経って、とりあえず、話はしたものの、勘当だ!と言われ、カミさんは妊娠中だったが、また無職に。
いい加減な歳になっていたので、再就職ができず、カミさんは、里帰りしている時に、白アリ駆除の会社を、紹介所から頂き、入社したものの、スパルタ式の研修に挫折し、両足負傷しまともに歩けない状態で、入社断念。
紹介所からは労災の申請などサポートあったが、断った。
里帰りのカミさんは、戻っても、無職、歩けない自分を見て、ご立腹でまた田舎に帰る。
でも、どうにか、前職に復職でき、態勢も整い、カミさんを呼ぶものの、過疎地での生活、収入は低いことで、またご立腹。
このときは、離婚届を突き出された。
死にたいくらい辛かった。だって、どうにも改善できない状態だから。
生い立ちなども言葉のはずみで、責められ、さすがに、怒らない自分も、好きにしたらと、突き放したものだ。
生い立ち、家族関係などを今更責められても、それはどにもできないから・・。
もっと辛かったのは、食事を作らないこと。仕方なく1ヶ月は知人に食事をわけてもらったものだ。
こんなことあっても、でも、カミサンも段々落ち着き、はついてきてくれたもの、前職が、会社の危機に直面し、その間、資格が取れ、その資格には父の印鑑が必要なので、勘当中だが、印鑑をもらいにゆき、そこで、和解しちゃた。
当時勤務の会社が存続があやしい時だった。父は再び家業継承を言う。
私自身は、ちょいと、引きぬき的な話はあったので、家業継承は頭になかったが、その時は妙に受け入れたくなってね。
家業継承はだれも賛成しなかったが、今までの再三のこともあるので、父と1日じっくり話し、最低限の生活するだけの収入、手取り20万は確保できるというので、そっれを鵜飲みにし、了承したのが間違えだった。いや、間違えではなかったと信じたいがもう少し、経理のことを突っ込むべきだった。
前年の決算書はみたが、たまたま、そんな悪くはわかxったこともあったがこれは父の作戦だったのかも。
累積1600万円の赤字、年商はわずか600万円、毎年の赤字は150~200万を3期続けている。
これは読み取れなかった。まあ、累積はもともとあったのは知っていたが、私が辞めた年から3期、とんでもない赤字であることを父は伏せていたのだ。
当時の税理士は、そのあたり、父から聞いていないことに驚き、すべて説明し、このままだとまずいということを説明される。
乗った船だ、3年必死にやりました。
だが、年間の赤字も減らすのがやっと。
お金も、父は銀行から借りたことないから銀行は貸さない。セーフティーネットもだめ。
ノンバンクから借り、一時は膨れ上がり始めたものの、どうにか減る状態にだったものの、そこで、今度は自分が完全に動けないほど憂鬱になりそこから鬱の闘病が始まる。
弁護士も入れ、個人で借り入れたお金の整理と、ある、倒産した銀行にこれは法人で借りていたのだが、実質過払いがあり、それを調整してもらったり。
一方で、私は産業振興センターや商工会議所に出向き、経営相談。
その前には、会社清算のために弁護士にも相談した。
債務整理の弁護士も、民事再生か清算を相談に行って、やったのは個人の再生からだった。
事務所の移転、母の解雇、不要な所属会員は脱会などし、自分の年収もさらにさげ、どうにか、年間150万ねん出dきるようになり、赤字はストップした。
個人で整理したものは、過去に完済した借金が時効になっておらず、過払いが生じたが、しかし、あまりにも窮屈な経営では、わずかな課払いは焼け石に水。
だが、専門家にいろいろあたり、公庫や、今なら銀行も貸すということで、融資が受けれるようになった。
会社としての借金は、年商の1/3以下だし、更に借りることで、命は延びる。
でも、今は、それをやるべきかどうかが判断できない。
・・・とこんな状態でありまs。
最大の辛さは、一人でやらなければならないことですね。
人を雇える収入はないし。動きが出てくれば当然に雇用だけど、いまのところ、どにもならないくらい動かない。
どこが、景気回復なのか、泣きたくなるくらい、辛いものだ。
だらだら書きましたが、この状態で、前向きに考えるといっても、前は向いているつもりだし、ひところよりは前進しているが、さすがに、ここにきて、壁にぶち当たってる感じ。
友人の会計士がちゃんと話を聞いてくれるか。まずはここからなのかな?と思うものです。
生きるって難しいね?(トホホッ