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鬱オヤジのストレス苦闘日誌

鬱オヤジといいます(他のブログでは違うHNですが・・・)
主にストレスやうつ病について書きます。
くらいですよ~~

悪夢で目覚め悪し(泣

2014-01-07 09:30:45 | Weblog
どうしてこういう夢みるかな・・・。

昨日は殴られる夢ばかり見ました。

また、辛い旅でヘロヘロになる夢とか・・・。


死んでしまう夢も見ました。刺される夢(汗



悪夢は典型的な心理障害や精神障害でしょう。


幼いころから恐怖夢はみるものの、特に酷くなったのは7年前の鬱で何も出来なくなった頃からですね。


それまでは綺麗な夢もあったものです。


若い頃に掛かった鬱の時も、悪夢ばかりで苦しみました。


ある、男性雑誌に、鬱の時の精神集中法があり、「綺麗な情景を思い浮かべる」とか「楽しかったことを思い出す」などのことが書かれていたのを想いだします。

しかし、そういうことが思い出せないほど辛い時はそうするだけでもキツかった。


夢見もそうならないかと、寝る前に音楽を流し、海の風景を思い浮かべながら床についたものですが、改善されませんでした。


悪夢は、昨年くらいから少なくはなったものの、昨日のように、刺される夢とか死んでしまう夢などは、いくらそのような願望があるにせよ、辛い夢であり、睡眠時間を摂っても、その分多く、悪夢を見れば、目覚めは良いわけではありません。


日中の生活改善や、少しリラックスできる環境を作ることが大事なのかもしれませんね。


また、これは思い込みですが、アモバン服用しない時はどうも悪夢が多い。

それで、常薬にしたわけですが、これを依存しすぎるのもということで、頓服に変えて・・。


今は回復期には違いありません。

日中のだるさはホント改善され、夜の引き篭もりも少なくなりました。

だからこそ、まだ起きる悪い状態とのギャップが辛く思うのでしょうね。




昨日は、叔父の通夜でした。


これから告別式に向かいます。


闘病で必死に生きる望みを持ち病気と闘ってる人を思うと、私のように変な願望があったり、死んでしまう夢とか見るのは、ホント頂けない人間だななんて思うものです(苦笑


しかしながら、そういう病気だからこそ、いつも書くように、それは隠すのではなく正面から向き合い、で、気分で何かできるときに改善策を考える。


そんなんでいいいのかな・・・?


初仕事だが、ノリが悪い

2014-01-06 09:20:42 | Weblog
今日から仕事。

今日は、叔父の通夜もあり、なので、早く閉めたいのですが、年末に待った待ち人が今日になりそうなので、それが終わらないと落着かない。


仕事ということで、憂鬱でした。でも、憂鬱になる材料はあまりなく、少々忙しいかな?程度のはずなので、ノリが悪いというのも正月ボケでしょうか?

正月はゆっくり休めた方だと思いますが、でも雑用や叔父が他界など慌しい日もありました。


毎年、正月明けに、「ゆっくり休めた?」とか聞かれることあります。

これ、凄い負担に思えるんですね。


相手は挨拶のつもりでも、やはり、自分としてはイマイチ感がいつもあるし、何かと用件が入る、それにその言ってくる人達より休みは少ないなど、それぞれの事情ってあるので、時には嫌味にも聞えるし・

以前いた事務所ではムカツクオバさんが近くにいて、用も無いのに、「ゆっくり休めていいね」と嫌味に取れるような挨拶が耳障りでした。


まだ、「正月はどこか行ったの?」とかの方が気持ち的には楽。



そうなんですよね。これ鬱に掛かってると、何ともないことがとても気持に影響が出てくるもので、それが歩いている時とかに声を掛けられるには気にしないけど、わざわざ、それを言いに来る人が何人かいるので、なんか、この街、違うような?気がいつもするものです。


今日から仕事ですが、どうもエンジンが掛かりません。


気持も憂鬱です。


今年はネタらしいネタがないことも憂鬱の原因ですが、やはり仕事の調子が悪いことが気持を良くさせていませんね。

ここをどうにか改善すべく、色々うやってますが、なかなか思うようには行きませんが、でも考えつくだけマシになったと思い、諦めずやり続けるつもりです。



正月は睡眠を10時間とか摂りました。

長時間睡眠に掛かるのが「金縛り」



この金縛りが多かった。無呼吸の機械つけてると、金縛りには掛かりにくいのですが、今回は結構掛かりました。


そして、この金縛りに掛かると、背中、背筋が重く痛みも出ます。


どうも、呼吸に負担が掛かる為に、ここが「凝る」ようになるみたいです。


金縛りにのあとに、ここを押さえてもらったり、ほぐしてもらうと、楽になります。


こういうことが以前は毎日あり、そんなことも今の不調に繋がってるんでしょう。



鬱や不安が少し良くなって、それではっきり分かって来たのが睡眠障害。


自覚はもちろんありましたが、やはり睡眠の質も悪いし、朝、とにかく疲れてるのは、睡眠が良くないからですね。


正月は、アモバンをあまり飲まないようにしましが、気のせいなのかもしれませんが、飲まないと、夢見がとても多いような気がします。

昨日も夢見ばかりで、朝はとても不快感が強かったです。


常薬から頓服に変えたのも、「依存」が怖いせいもあるのですが、やはり睡眠障害はm、おっと向き合わないとと思います。


これも今年の課題ですね。



新年最初の更新

2014-01-05 09:12:24 | Weblog
遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。


正月は元旦から叔父が他界したりなどで、バタバタしてましたが、ゆっくりもできました。


娘が嫁方の実家に行っていて、嫁と2人でのんびりと過ごしました。


大分、面倒なことや、出かけもできるようになったな~~という実感はあるものの、悪夢や仕事のことなどがよぎると、少し憂鬱にもなります。



今年で鬱治療7年。

2~3年の頃は、まあ、ゆっくりとという気持がありました。

7年もやってると、少し焦りも出てきますね。


しかしながら、原因に対し段々と目が行くようになり、それだけでも進歩はしてるな~と思うものです。


今年は、行動療法などもトライしてみようかな?と思うことと、昨年に続き、根本的な問題=仕事の改善を真剣にやりたいものです。



今年も、暗い内容が多いと思いますが、どうぞ宜しくお願い致します。

辛い時は無理しない。でもムリできる時はちょっとだけでも頑張る。こんな感じでまないいのかな?なんて思う新年であります。


鬱を感じる人へ

2013-12-30 11:04:33 | Weblog
今日で今年の日誌は最後になります。

今年は、前半、よくなり、気持も前向きになれましたが、秋の色々な仕事のトラブルで、再び沈没し、そして、どうにか年は越せるようになったので、気持ちも再び安定しつつあります。


来年で7年目の通院になります。


正直、ここまで掛かるとは思っていませんでした。

また、仕事の重圧によるものが主因なので、もし、例えば、大きな取引があって、どうにか父から引き継いだ不足の金員が落着けば、恐らく、相当気持は向上すると思います。


つまり、きっかけや要因は、ワンチャンスで回復できるようなものでもあるのですね。
仕事、恋愛、金欠、夫婦関係。


もちろんそれだけでなく複合し、ギブアップすることが多いこととも思います。


原因を解決することは大切ですが、それが出来ず、鬱と戦うことって多いでしょう。


何から解決すればいいかわからなくなります。


気持は沈み、死にたくなったり、引き篭もりをおこしたり。


でも、そういう病気なんですね。


まずは病気と向き合う。


人が何と言おうとまずは鬱である自覚をもう一度持つことです。


どこかで、その感覚を忘れていることってあると思います。

仕事やっている時だけ頑張ってしまい「普通」を装うようなムリをしていたり。


病気、自分は鬱病なんだ!と威張るまでもないとは思いますが、まずはその自覚を持つこと。



病院に通っていない人、必ず行きましょう。いろいろ諸説ありますが、病院行かないと治らない。

私のように7年も掛かる場合もある。それでも行かなければもっと辛いかもしれません。


行くことで多少は辛さから回避できます。


友人でも重症になる人は、行くことをためらった人です。


行くことが突破口となるでしょう。



私も、いい加減に鬱には飽きました(笑


でも、どうにもならないので、医者に行き、気持が向上してるときは自分を褒め、ダメなときは責めない。なかなかできないですが、そういう「気持」を持つことが大切と思います。



鬱で苦しんでいる人へ、

他人のブログやメンタルHPなどを見ることで落着くこともあります。

医者も取りあえずは信じてください。


利用できるもや人は利用してください。


そして、辛さを軽減する「気持」だけでいいから持ちましょう。



ほんの瞬間でも、辛さから開放される時は雲から太陽が覗くような感じに思えます。


それが多くなれば、晴れてくるはず。そういう気持を持って臨みましょう。



今年1年ありがとうございました。


ここ数ヶ月200~300のHITもあります。


こんな愚痴のブログでも、観覧いただいていること、光栄に思います。


来年もどうぞ、宜しく!

飲みすぎた

2013-12-29 09:55:50 | Weblog
昨日は予期しない忘年会があり、

午前2時まで飲んでました。

飲めないんですが、結構飲みました。


こんなことも出来るようになったのはありがたいものです。

なかなか、腰重く出れないことがあったから。


凄く眠いですが、でも目覚めは良かったです。


夢見もありませんでした。。



お酒は自分からは飲みません。

で、昨年くらいまでは、どうも誘いに憂鬱になる感じでしたが、

今は、呼ばれることが光栄に感じ、そんなせいか、旧友とのつながりが増えています。



なんでも、「やりすぎ」は注意でしょうが、もし、心身が許すのであれば、時にはこういうのも良いのでしょう。


その「心身が許す」までに至らないためになかなかそういう機会に出なかったものです。


それは幼いころからあり、内向的或いは面倒だというのが先行していたのでしょうね。


それもある種、精神的な要因だと思います。



今日の仕事は、待ち人1人だけ。

もし、早めに片付いたら、早めに閉めます。


だけど、その待ち人、来るのは夕方が多いから、それまでは辛抱ですね。


睡眠薬に依存すべきか?

2013-12-28 09:18:31 | Weblog
いつも書くように、睡眠は最悪です。

まだ、金縛りや無呼吸が改善されただけ、夜の格闘はなくなりましたが、寝が浅い、夢見が多いなど、朝は爽快なことはありません。

朝の気分はいつも疲れた~~という感覚です。


しかし、アモバン、テトラミドの服用で、そのあたりはかなり改善はされましたが・・・。

今度はアモバンに依存気味で、これは睡眠障害と割り切って飲み続けるのがいいのかが今考え中のことです。


昨日は、飲みませんでした。睡眠導入なので、寝入りすることが目的です。

これはどうやら飲まなくても大丈夫でしょう。


でも、たまたまでしょうが、やはり夢見が多い。


まだ、昨日は、珍しく楽しい夢だからいいものの、楽しい夢でも朝は疲れてるもので、これは改善の余地がないのかな?などと思います。


若い頃から睡眠不足であっても睡眠薬を飲むのは抵抗ありました。


あまりにも寝入りが悪く、ハルシオンを若い頃飲んだところ、起きれず、その後も何度かハルシオン飲むものの、効きすぎてしまう感じです。


マイスリーが一番合ってますが、今の薬との相性で、アモバンになってます。


年齢時なものもあるのでしょうが、睡眠の質は良くなく、鬱や不安と同様に、この睡眠障害は悩みの一つです。


今回からアモバンは「頓服」に戻しましたが、飲む飲まないでは飲んだ方が調子は良いので、飲みたいものの依存すべきかどうかにも迷うところです。


睡眠の改善には環境や習慣も変えるべきでしょう。


それをも併用しながら、薬を飲み、焦らず減らすのがいいのかな?とも思います。


夜見る夢


核戦争、彗星衝突、なぜか学徒動員、刺される夢、殺される夢、溺れる夢、自殺する夢、追われる夢。


幼いころから同じ夢を見ること多く内容はこんなところ。


こんな夢を毎日見て、朝が爽快なんてあり得ませんよね?


幼いころに虐待に近いことをされていたことや、全治1年の交通事故を起こしたりとか、どうもその辺に要因はありそうですが・・・。



常にあるソワソワ感

2013-12-27 09:38:28 | Weblog
ソワソワ感、イライラ感、そして不安に憂鬱。

これだけでご馳走様です(汗


ソワソワやイライラ、ある程度の不安は、ソラナックスを服用することで、改善されてますが、それでも、結構あります。いま、結構あるのだから、以前はどうかというと、何してもこれらの感覚が付きまとい、時には出来るものまでが出来ない、瞬時の物忘れをするなどと言った現象が強くありました。


アガリ、赤面、パニックなど、考えてみると幼少の頃からあり、でも人前に出れないかというとそうでは無く、だけど、土壇場で出来なくなるという感じ。

これが、今回の鬱により、改善されたものです。


今、心理テストとかやると、パニック症、強迫概念などは当てはまりませんが、以前の自分を見てみると、大いに該当するわけで、もしや、ソラナックスなどの薬で改善されたのかな?なんて思います。


さて、良くはなるものの、ソワソワ感はいつもあるもので、これは強い不安からくるものでしょう。


無い日は無いですね。必ず心に不安、ソワソワはあります。

ただ、酷かった頃に比べ、全然いいので、これは成り行き任せです。



あまりにも酷い時は、仕事をサボったり、違うことに目を向けるようにしてますが、酷かったころはそれもできませんでした。



ヨガやリラクゼーションが良さそうですね。


若い頃に掛かった鬱の時はヨガを考えましたが当時、某カルト教団のことがクローズアップされて、今ひとつ、それには行く気にはなれなかったものです。



よく、呼吸で精神疾患を治すなどと聞きます。


う~んと若い頃、不安や鬱の改善で、姿勢と呼吸を整えることで楽になる記事を読んで鬱では 無かったと思うのですが、憂鬱な気分だったのでそれをやったことあります。


呼吸を整えることで、少しの間ですが、ソワソワや憂鬱感は取れることもあります。


深呼吸を少し長くやるとか、短い時間の黙祷とか。


そんなんでいいと思います。

それを実行する時間を作る「心のゆとり」も大切ですね。




今週から、アモバンを1/2にしてます。

寝れますが、中途醒覚がありますね。

それでも寝れますが。


深い眠りには入れるものの、夢見が相変らずで、そのために朝に倦怠感があります。


この倦怠感が鬱の辛いことの代表です。


先日、若い女性の薬剤師から、「日中はだるいですか?」と聞かれた。


そう、その日中のダルさは確かに半減してますが、何が辛いって、その日中のダルさで心療内科通院を選択したことも事実で、それが当時と比べて良くなっている実感を、その薬剤師の言葉で感じました。


しかしながら、とてもよいわけではなく、まだまだ続きそうな感じです。


今日もなんとなくソワソワと重苦しさがありますが、仕事が結構あるので、まずはそれをこなし、今日が、忙しさのピークだと思うのでまあ、それがソワソワを生んでるのかもしれませんが、休み休みやってみます。

生きがいって何だろう?

2013-12-26 09:55:24 | Weblog
よく、学生の頃とか受験の小論文などで、「生きがい」について書きなさいというのがありました。


幼いころから、ちょっと、その生きがいというのが理解できず、そのまま大人になってしまいました。


何かすることによって生きていて良かったと思うようなことでしょうが、それは酒を飲む、月1回贅沢する、好きなことに没頭する、仕事をするなどさまざまでしょう。


生きがいと聞かれた場合、いつも、なんだろう?と考え、強引に結びつけるものです。


趣味に没頭している時が楽しい、でも生きがいか?と思うとそうでもない。


仕事も打ち込めない、まあ、今は、家族と一緒に居るのが安心する一時かと思うのですが・・・。



元気な場合、或いは、精神的に良好の場合、何かあるでしょう。


しかし、あった人が無くなる場合もあり、そうなると、精神的にガタ~ンと来ることを耳にします。


また、元々無くて、なんとなく暗くなってしまう人もいるでしょう。


これらは性格というより、精神状態、環境で左右されるもので、その生きがいが無い場合、辛い方面にベクトルが向いてしまうものです。



生きがいどころか、生きてゆくことが辛い場合などは、生きがいなど、言葉にすら出てきません。


鬱病特有の「死んでしまいたい」「消えたい」「毎日が辛い」、その状態で生きがいは出てきにくいもの。


自分はまさにその状態ですね。


本当に酷い時は自殺願望はありました。まあ、怖くて実際やろうとは思いませんですが、独り言で「死にたい」「辛い」は良く出ることばであることは以前書きました。


心療内科に行くと、そこは聞かれましたね。まだそういう言葉出ますか?と


以前のドロンドロンの時よりは気持が楽になりましたが、それでも、毎日が辛いと思うもので、まだ「死にたい」という独り言は出てしまうものです。


言葉に出る、感情に顕れるは、生きがいの逆が心を支配しているものと思います。


その不安や辛さを取り除かないと、きっかけが無いとなかなかそれが取れません。


生きがいの反対が強いから当然に生きがいは無い或いは、少ないものです。



毎日が辛いだるい、生きてゆくのがイヤ、でも自殺は怖い。


こんな気持の人、自分だけではないと思うんですね。


何甘ったれてるんだ!そういう気持もあるし、健康体の人からはそう言われる。


でも辛いのは事実であって、その辛さと向き合わなければなりません。


あまりにも酷い時は寝逃げやサボリもいいでしょう。

迷惑を掛けないような現実逃避もいいでしょう。でも根本的な解決にはなりませんね。


その、幹となるものはどうやったら崩せるのだろうか、何が自分をそうさせてるのか。


当然に考えても結論は出ませんが、まず何が一番辛いかを捜すところから始めるのが懸命なんでしょう。


私の場合捜せてはいますが、その次のステップで苦戦してます。




睡眠薬アモバンを常用にして、今週からは半錠にしてます。

少し依存気味。


寝れるから使う。でも残るのも問題。


これもちょっと辛い問題でもあります。



とにかく夢見ですね。悪夢は少なくなっても、疲れる夢ばかりみる。


いかに精神が安定していないかの顕れ。


このあたりは精神統一する何かをするのがいいのか、リラクゼーションに没頭すればいいのか、
そんなことしか頭にはありませんね。

とにかく、まだまだ精神状態が良くないということなんでしょう。


自らできる解決策は、できる範囲でやって行くようにしないとね。


来年で7年目の鬱との闘いになります。長いですね。


どうにか午前中をこなした

2013-12-24 12:55:46 | Weblog
目覚めは悪くなかったが、眠気がとれず、もうろうとしながら午前中はそれでもこなす。

あとは午後をあまり負担掛けないようにやればいいでしょう。こういう日は。


叔父が末期がんで、エンドステージを迎えている。辛そうだが、手を握ると強く握り返す。


一時は奇跡的に元気になり、大丈夫じゃないの?とも思ってのですが、2ヶ月前より急激に体力が落ち、昨日は酸素マスクをするような感じだった。


その前日までは会話できたのだが、こういう時期の1日というのは体力の衰えは想像以上に速いのでしょう。


叔父の姿を見るからということでもないのですが、1日を大切に生きるというのは重要なこと。


でも、その大切が、たとえ「サボリ」でも有意義であれば良いこととも思う。


1日を平穏に暮らす。元気な時は普通のことだが、これが結構難しい。



精神疾患にかかるとと特にね。


たとえ、その場では取り乱したり、不調な1日であっても、やれることが出来たり、他の面で、良いことがあれば良い日と位置づけるのも重要だとここんところ思うものです。



今日は眠気との戦いになりそうなので、無理なく掃除でもしながら的な過ごし方で行ってみたいです。

クリスマスは鬱には良くない?

2013-12-23 09:24:26 | Weblog
タイトルのこと、耳にします。

たしかに。


なんとなく世間が賑やかになりそのムードになることが、なんてことないんですが、耳障りというか不快というか辛いというか・・・。


あまりそれは感じなくなってきましたが、昨日は家族で出かけ、クリスマスムードになんとなく憂鬱になりました。



明るく見えるのが辛いんですね。



暗くなっているところに、いくら勇気付けても気持は上がらないものです。


それでまた自分を責めてしまう。それはしょうがないことなんですね。


なかなか自力でそういう世界との分離をするのは難しいかもしれないけど、必要以上に物事を考えず、世間はいいな~なんて思わないようにすることが良いのでしょう。



辛いな~と思いながらも出かけられたので、それは良かったんだが、そんなところから思ったんだけど、何か物事が進められないこととか、やらなきゃいけないことができないとか・・。

もちろん、怠けもあるでしょうが、それが酷いのって、病んでることですよね?



例えば、勉強をしなければならないけどしない。ここまでは怠けでしょう。
でも、しようと思っても手がつけられない・・・この域に来ると、少し病んでるのかな?



セールスの仕事をしたとしましょう。
それが自分に合っていれば、進めます。


しかし、元来、そういうのが苦手な場合、苦手意識が先行してやらないのは、少々怠けかもしれません。


でも、やりました。、いくらやってもお客さんと話せない。そしてそれが「苦」になる。


その「苦」になった時はやんでるんですよね。


合わないものをやってできることもあるでしょうが、できなければ、適正ではありません。
頑張って克服する人もいるでしょうが、そうでない人の方が多い。


勤務している以上やらなきゃという重圧もある。そしてその重圧が出社拒否などになる。


甘いという考えもあるでしょうしそれも正論でしょうが、もうそうなった時は、いくらそこで栄養剤を注いでもむりなんですよね?

そこで、重要なことと直面する。会社を辞めたいという。


会社によっては適正に合わない場合、部署の変えもみてくれる所もあるでしょうが、多くは進退を考えなければならなくなる。


そういう社会構成になってるんですね。


自分は営業を中心にやってましたが、ある時期に全く手付かずになりました。
そして、報酬体型も完全歩合に変わり、収入が酷い時は月5000円なんてなり、出した結論は
辞め。


適材でないと自分で判断したもので、その後、色々重なり鬱になりました。



バブルの頃は200時間のサービス残業や、数日帰れないなどは良くあった話。

過労死も社会問題になっていたころですが、世間が忙しく、なかなか社会性鬱は取り沙汰されなかったが、結構、病んでいって、そのまま会社に来ないなんていうのはいました。


今でこそ、鬱と言うものは認知されていますが、社会の水に合わないと怠けとレッテルを貼られていた事も事実ですね。


鬱などの精神疾患は、ストレスから来る。それは何か?と分析した時、いまのように、会社の仕事が手がつかないとか、会社にいけなくなったとか、そういうことから起因することは実際に多いことは事実で、そうなった時、自分に厳しくは勿論悪いことではなかったんですが、そのことで日常生活ができなくなるんだったら、それはもう病んでいる証拠でしょう。


最近、回想します。


飛び込みセールスをやっていた時の頃。


成績はまあまあでも、気が進まないことが多多出てくる。

そして、説明することすらできない。


訪問は出来て、仕事は取れても、そのことが、「憂鬱」。強い鬱ではないが、営業は憂鬱。


実は、ずっとそいうだった。


でも、若さ、多少の自信、経験などでカバーできたが、実際は、自分はそういうのには向かず、とてもその時は神経を使っていた。


ルートセールスであっても足が進まないこともあった。


それは、怠けもあるのかもしれないけど、既にその時点で病んでいたんでしょうね。



精神疾患はそういうところから来ることもあります。


仕事が出来ないことを「苦」にして自殺なんていうことも聞きますが、その「苦」でいかに止めるかが重要ですね。


若い頃の自分を振り返ると、決して懸命ではなかったけど、怠けでもなかった。
背伸びしていたんだな~と。


今になって社会現象のように捉えるけど、そういう取り沙汰されない時に、散って行った人達もや挫折して復帰できなかった人も、病んでいたことは事実なんでしょうね。