私が『うつ』になったのは約20年前。
バブル絶頂期にあって、そのバブルを斜めに落下するような生き方をしていました。
あるカード会社系の代理業をしていたのですが、フルコミッションに変更になったりして、安定しない生活になります。
そのうち、その事業の活動費やツールなどにお金がかさみ、借金をするようになります。
もう、そうなったら、軽症のうちに身の振りどころを考えねば。
20代半ばでしたし、まだまだ職はある・・・
なので、その代理業をヤメ就職活動をします。
しかし・・・・・
ウチは不動産業を自営でしており、私は長男。
父は私に継がせたいが母は乗る気ではない・・・
私が仕事をやめた事を知れば、当然自営をすることになる。
私自身も、不動産には抵抗があり、家業継承にはどうも考えが進みません。
そんななか、仕事をやめていることを、母は父に隠せといいます。
大反論しましたが、気が人一倍強い母は、ならば辞めた仕事をもう一度ヤレというメチャクチャな意見。
結局、就職活動も、内定は採れるものの、いまいち、仕事に不安を持ち、出した答えは、暫くはアルバイトで様子を…。
コレが自分を更なる不調に追いこむことになります。
この頃から『フリーター』なる言葉が流行し、私もアルバイト中心の生活をします。
友人と、某運送会社の夜勤バイトを申込み暫く続けます。
日給12000円は魅力で、月収25万程度は行きます。
だが・・・・
母は、その仕事を絶対に父に知らせるな、今までどおりの事をやっているように装えというのです。
父は大正生まれの元軍人。ハンパでない気性の激しさに、ヘタすれば母も父に怒鳴られます。
情けない事に、私は母の言う通りに夜勤をしていることを伏せます。
勤務時間は19時30分~6時30分まで、実動は8時間くらい
父が家に戻る18時半までに家を出て、外食をしてから、勤務。
6時30分に終わりますので、一旦帰り、スーツに着替え家を8時に出る。
父が家を出る8時半を見計らい、家に戻り寝る。
こんなこと半年続けたら、頭が変になり、ついには労働もできない状態に。
何度も父に事実を話そうとしても、母は認めない。
ついに外出するもできなくなり、この時、友人が精神病院に連れて行ってくれます。
病院に着くと物々しい。
全裸の男性が奇声?雄たけびをあげ走っているのを、医者と看護師が追いかけている。
友人に『オレ、やっぱいいや・・・・』と告げるも、とにかく変なんだから診てもらえ。
そうやってその病院にお世話になることに。
これが初めて『うつ』と診断された時でした。
今のように、心療内科など無く、『うつ病』は本格的な精神科などで診てもらうものでした。
バブルゆえ、過労による精神病、自殺などがクローズアップされ、うつ病についてもかなり記事になることが多くなったのもこの頃。
時代は平成という名前に変わるものの、なんだか一転しない自分に腹が立つ思いでした。
しかし、この時は生活のリズムなど、理由が判っているから、死にたいとか、逃げたいとかはあまり思いませんでしたが、辛さは今私が掛っている症状より辛かったと今でもおもうのだから、当時は相当辛かったものです。
この思いは、掛かった事ないと分かりませんね(笑)
次回は、この時の治療や生活などを書いてみます。
段々くら^~~~暗くなりますが、ヨロピコww
バブル絶頂期にあって、そのバブルを斜めに落下するような生き方をしていました。
あるカード会社系の代理業をしていたのですが、フルコミッションに変更になったりして、安定しない生活になります。
そのうち、その事業の活動費やツールなどにお金がかさみ、借金をするようになります。
もう、そうなったら、軽症のうちに身の振りどころを考えねば。
20代半ばでしたし、まだまだ職はある・・・
なので、その代理業をヤメ就職活動をします。
しかし・・・・・
ウチは不動産業を自営でしており、私は長男。
父は私に継がせたいが母は乗る気ではない・・・
私が仕事をやめた事を知れば、当然自営をすることになる。
私自身も、不動産には抵抗があり、家業継承にはどうも考えが進みません。
そんななか、仕事をやめていることを、母は父に隠せといいます。
大反論しましたが、気が人一倍強い母は、ならば辞めた仕事をもう一度ヤレというメチャクチャな意見。
結局、就職活動も、内定は採れるものの、いまいち、仕事に不安を持ち、出した答えは、暫くはアルバイトで様子を…。
コレが自分を更なる不調に追いこむことになります。
この頃から『フリーター』なる言葉が流行し、私もアルバイト中心の生活をします。
友人と、某運送会社の夜勤バイトを申込み暫く続けます。
日給12000円は魅力で、月収25万程度は行きます。
だが・・・・
母は、その仕事を絶対に父に知らせるな、今までどおりの事をやっているように装えというのです。
父は大正生まれの元軍人。ハンパでない気性の激しさに、ヘタすれば母も父に怒鳴られます。
情けない事に、私は母の言う通りに夜勤をしていることを伏せます。
勤務時間は19時30分~6時30分まで、実動は8時間くらい
父が家に戻る18時半までに家を出て、外食をしてから、勤務。
6時30分に終わりますので、一旦帰り、スーツに着替え家を8時に出る。
父が家を出る8時半を見計らい、家に戻り寝る。
こんなこと半年続けたら、頭が変になり、ついには労働もできない状態に。
何度も父に事実を話そうとしても、母は認めない。
ついに外出するもできなくなり、この時、友人が精神病院に連れて行ってくれます。
病院に着くと物々しい。
全裸の男性が奇声?雄たけびをあげ走っているのを、医者と看護師が追いかけている。
友人に『オレ、やっぱいいや・・・・』と告げるも、とにかく変なんだから診てもらえ。
そうやってその病院にお世話になることに。
これが初めて『うつ』と診断された時でした。
今のように、心療内科など無く、『うつ病』は本格的な精神科などで診てもらうものでした。
バブルゆえ、過労による精神病、自殺などがクローズアップされ、うつ病についてもかなり記事になることが多くなったのもこの頃。
時代は平成という名前に変わるものの、なんだか一転しない自分に腹が立つ思いでした。
しかし、この時は生活のリズムなど、理由が判っているから、死にたいとか、逃げたいとかはあまり思いませんでしたが、辛さは今私が掛っている症状より辛かったと今でもおもうのだから、当時は相当辛かったものです。
この思いは、掛かった事ないと分かりませんね(笑)
次回は、この時の治療や生活などを書いてみます。
段々くら^~~~暗くなりますが、ヨロピコww