高校以降、仲良しだった友人Kの夢をよく見る。
とても仲良しだったが、25年前、彼が引っ越した時、転居先電話を書いたものが紛失し、連絡できなかった。
104などで調べると、同じ姓名のお宅が1軒でてくるんだが、違う感じなので、間違えとしていたが、珍しい名前なので、20年前、そのお宅に思いきって電話したら、親戚で、連絡先を教えていただいた。
その後1回電話をかけて、こちらに顔出すような話も、来ないで、そのうち、私は鬱になり、それどころでなくなった。
人とも接したくないような毎日だから、とてもだけど、彼に電話するなんてかんがえられなかったし、いつも、私がダメになるときは彼の助けもあっただけに、みじめな姿をさらしたくなかったこともある。
あまりにも、夢を見るので、今日、思い切って電話してみた、
夢は、彼が既に亡くなってる夢や、彼のところに行ったら、様子がおかしく、出てきた彼は、障害があったとか・・・
なんでそんな夢見るのかわからないが、嫌な予感は数年前からしていた。
お母さんが出られ、元気そうな声に安堵したのもつかの間、実は7年前亡くなったと。話の中から、察せるのは自殺だ。
お線香をあげるのはご迷惑だよね?とお聞きしたら、誰にもそうしてないんですと。
大変失礼なお電話で、お母さん、ごめんねと伝えたが、常に前向きな素敵なお母さんだから、、あなたも、頑張ってよ!と明るく言ってくれた。こちらから、話を変えて、弟さんの話に変えたら、元気で、家族も家も持ち、幸せな生活を送ってると。だから、一人じゃないから、頑張れるのよとね。
7年前・・・飲み仲間の女性が、自殺した歳だ。
あの歳は、良いことなく、1年、ダメだった。
彼も、私のところ、来るなどできなかったのかな?
彼は、とても変わった人でした。ヒトラーを崇拝していて、しかし、虐殺についてhいろんなことを知っていて、そこの部分は非常に熱く、非難していたね。
まだ、東西冷戦の頃、東側が威勢が良かったころ、ベルリンの壁は崩壊すると、やたら叫んでいた。
学校の先生が、崩壊し、どちらのドイツが残るんだ?と尋ねると、西ドイツに決まってるだろう!とね。
ソ連が強く、東欧のきずなはまだ強かったから、もし、争いがおきたら、東に統合される。そういう考えが強かったころだ。
彼は夢があり、ビートルズが好きだったから、まず、イギリスに行き、そこから、ヨーロッパを東に進み、
モスクワから、シベリア鉄道レッドアロー号で、ウラジオストックまで行き、そこから、ナホトカへ向かう。
で、当時あった、ナホトカー横浜航路で、横浜大さん橋に戻る。
それを、東欧がほころび始める、1年前に、計画したんだが、残念ながら、市民運動の影響で、全部の東欧は無理。しかも、シベリア鉄道は走っていない。なぜならば、エネルギー不足で・・・
本当に彼が言う、社会主義崩壊は現実なんだな。そう思った。
彼の夢、ベルリンの壁があるうち、東ベルリンから壁を眺めるんだと。
ヨーロッパ旅行と言えば、ロンドンーパリーローマみたいなのが多いい時代。
彼は、ロンドンへ行き、そこから、東ベルリンーブカレスト、ブタペストーソフィアーベオグラードと旅をした。
本当はワルシャワから入りたいものの、市民運動で入れず、アルバニアにも立ち寄りたいが、どう頑張っても、鎖国中で入れない。かろうじて、ベオグラードには行けたが、すごく、警戒が厳しかったようだ。
チトー広場で写真を撮っていたら、ユーゴ当局に連行され、日本大使館がないから、東ドイツの大使館経由で、ドイツ語で会話し、東ドイツ大使館から、日本の外務省に連絡が取れ、7時間拘束で釈放されたようだ。
最後はモスクワだったが、降りることが出ず、1日、飛行機の中。
外は見るなとの指示に、外を見たら、東京行き飛行機に、戦車が囲っていたとか。
しょっちゅう、クーデター未遂があったころのようで、下手すれば、飛行機ごとすっ飛んでたかもね?と。
まあ、こういう旅行を夢見て、現実にしちゃう奴だ。タダモノではないね。
あまり、友人はいなかったが、付き合いある友人とは、うまくいくタイプで、彼に1回会社を紹介され、入社したら、彼のことは、みんなが崇めていたように、人気があったようだ。
カリスマもあり近寄りがたい面もあったが、高校から社会人の時代まで、とても仲が良かった。
ちょっとした空白で、疎遠になり、連絡取れても、疎遠のまま。彼の状態はそのころから、宜しくなったんでしょうね。
今日はやっと何年もの想いで、電話をすることができたのに、嫌な予感が当たっていて、とてもショックを感じている。
7年前か~~自分も酷く辛かったころだな。自殺願望が強かったころだ。