鬱オヤジのストレス苦闘日誌

鬱オヤジといいます(他のブログでは違うHNですが・・・)
主にストレスやうつ病について書きます。
くらいですよ~~

憂鬱感がとれないが・・・

2010-04-27 12:03:23 | Weblog
原因不明の憂鬱感はまだあります。

心が重い、ガス欠のような・・・

でも、自分を乗せてしまうと乗れているので仕事はこなせている。
しかし、間違いや忘れも乗じて多くなり、そんな時、もとの重さが蘇る。

本調子ではないのでしょう。

苦しんで、どうしてよいかわからない状態から考えれば、光はでてきたように思えます。


それでも3年もウダウダやっているのは、甘く考えれば、そこまで落ちていたんだな~と思う。


原因があるからこそ、不調はあるもので、なければ単なるグータラでしょう。

グータラと自分を責めていたけど、陥った環境を先生や知人に話すと、それでまともに3食食って生活はムリだよ。といわれる。それに甘えるわけではないが、確かに原因があってのガス欠なわけだ。


今年も先週くらいまでは忙しく、休養もままならない。
GW明けにいつも、油断からガス欠になるが、今年もガス欠になるかな?

ただ、良い仕事や案件などもあり、そういうのに対し意欲が沸いてきているから、そういう自分を大切にした。

ちょい前までは、お金になる仕事を成就すること自体が憂鬱だったが、それがなくなって来たのは、やはり、自分は正常体ではなかったんだな~と気付く。


今日は、セールスや間違い電話が多い。
特に間違いは某デパートあての物でここ数日やたら多いので先ほど、受付に電話で相談した。


少し前の自分ならイライイラするでしょうが、それも無くなった。

イライラするのは自分の性格と思っていたが、最近は極めて温和なのは、病気がそうさせていたものなのか・・・


心の風邪という表現は色んな意味でうまい例えだとは思うのだが、風邪というより、環境がそうさせていることが多いんでしょうね。


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今日できることは明日に伸ばせ?

2010-04-25 10:02:49 | Weblog
大学受験中に覚えた英語のセンテンス。

Never put off till tomorrow what we can do today!

今日出来ることは明日に伸ばすな!

生きている以上、或いはサラリーマンでは実につけなければならない習慣?でせすて。

やらなければならない理由があるためには勿論やらなきゃいけないし、やらなきゃ溜まってゆく。

でも、溜まってもいいもので、そうしても、手がつかない場合は「明日にのばせ!」なんですね。

こういうことが、以前サラリーマン時代に「完璧主義」と上司に言われて事の意味が解ってくる。

メリハリつけて、回せるものは後。全部をやるのが偉いわけではない。
当時の所長は私に、そういって、出来ない、失敗、やり忘れなんかは怒らないで励ましてくれた。


今は、自営で1人でやるなか、計画通りいかないと、後々、ずし~~んとくる。

しかし、気が乗らない、いまいち、薬のせいか、ぼーーっとしている。

そういうときの心身でやったらば、失敗し、一人相撲を取るものだ。



調子がいい、余裕があるときに「明日に伸ばす」のはサボリかもしれないが、自分のスケジュールがいっぱい、自分の心がいっぱいの時は、「明日に伸ばす」のは作戦と考えてもよいのでしょうね。


真田幸村のように軍を引き上げ上田で抗戦という戦術も当時の戦術では消極的に捉われる中、慣習に〈笑)捉えず、作戦とすることで戦いを勝ちに結ぶつけることもある。

攻めだけが戦いでは無いですからね。


今日は、焦ってやることは無いのだが、遣り残しの仕事をしなければならないが、どうも朝の目覚めが悪く、気乗りがしない。

まだ、週に1~2回はこういうスタートの朝がありますね。


こういう時は結果OKのことが多いのですが・・・。
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薬の飲み忘れ

2010-04-24 09:45:23 | Weblog
不思議なもので、体調が悪い時は飲み忘れって少ないものですね。

どの病気でも言えることでしょう。


ただ、飲みすぎや飲む間隔が不規則というのがあり、そういう時はやはりなんとなく頭も身体もおかしい。


ここ最近に来て、かなり調子は良くなっているので「忘れ」が多くなってきたが、飲むのを忘れると、夜寝が浅かったり、朝から調子が上がらなかったり、意識しなくてもそういう状況になる。


冷静に考えると、まだ薬で「元気になっているに過ぎない」ので本調子ではないのでしょう。

ならば、あまり深く考えないで、ほどほどに事を進めようとなるわけです。



薬を飲み始め3年目。


当初からの改善はなされたものの、とてもゆっくり。

先生曰く「仕事をしながら」だから休みを取りながらの治療と違うといいますね。



最初は仕事も手につかないことも多々あった。


「寝逃げ」と称し、調子悪い時はとにかく「寝まくり」状態。

それは意識の違いがあっても「休め!」という伝達だったんでしょうね。



一時、人を雇い、数週間休む或いは入院をする計画もあったのですが、雇ったことが色々とリスクになり、結局それも重みになった。


経営がやや上向きになったタイミングで親戚を雇うも、何もできない。

客が来ても「いらっしゃいませ」の一言も無く、何度も言うのだが「できない」というので、我慢の限界時にやめてもらった。

そのときの経済的精神的ダメージは凄いものだった。


リーマンショックも少なからず影響し、「これから」というところでの勝負だったのに、再び下降線へ。


なんとか、自分で「どうにかした」という気持ちで繋がっているが、精神疾患の人間がそういうことに挑んでも、そりゃ、妙案は浮かばないものです。

そう思い、やったことはしょうがないと諦めていえる。

そういう気持ちになれるのも、「治療」をしているからなんでしょうね。


少し、仕事も片付いてきました。勝負に出れる案件もでてきました。

ムリせず、同業者の力を借りています。100ある収入が50でいいのです。
揮発剤になればということで。


少し良い話が出てきているが、これらが片付けることができたら、それなりに余裕もでます。
そのタイミングで、自分の身辺の問題も含め、いろいろと整理して行きたい。


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発散の方法

2010-04-23 09:28:57 | Weblog
先日、TVでうつ病に掛かり易い体質やそのメカニズムに関して特集してました。

掛かった人の例を再現しておりましたが、まさに共通する部分があるな~~と。

で、やはり人生が辛くなる、やることが思うように出来ず、失敗を繰り返す。


まさに自分だと感じました。


そのときの表現に「ガス欠状態」と使われておりましたが、正にその表現が正しい。



ご自分の調子がこのような状態、リアルに言えば、2サイクルの原付が「かぶった」状態に例えられるかな?と思うのですが、そういうような感覚が長く続く場合は、そこで、とにかく、やっていることを(仕事も趣味も)中断しましょう。


接待ゴルフの連続で、精神疾患になった人を知っています。

発散と思われることが、更に追い討ちになることになりかねません。


また、発散の方法は4種類くらいあり、例えば、沈黙したり、逆に発散したりなど、そのバランスの偏りも良くないようだ。

つまり、ゴルフや趣味などに疲れた状態で続ければ、それは蓄積されるものでしょう。


私もそうです。大好きな釣りやパチンコが唯一の発散が、段々とそれが疲れに堆積し、
パチンコで勝っても、釣りで大漁でも、虚しくなり、疲れだけが残る。


これが進むと、好きなことすらもできなくなるものです。


回復する人は、生活を改めながら薬に頼る。

20年前にうつになったときはそうでした。

薬を飲みながら、生活を変えてゆく。先生がアドバイスして、それに気付きました。



自分ではたいしたことでは無いと思っていてもかなりの負担になっていることがあるでしょう。


人は「そんなこともできのか?」と言うこともある。そう。そういうことが出来ないんですよね。


そういう場合は、そういうことを言う人には打ち明けるがいいでしょう。

理解できなければ少し距離をおけばいい。

大概は耳を傾けてくれる。それも一つ発散かもしれませんね?



最近、天気が不安定。

今回の「うつ」は天候にはあまり左右されませんが、さすがに毎日こんなに温度差あると身体が疲れます。


20年前の「うつ」は雨の日は何もできないくらい、天候で左右されたっけな~~

20年前は「頑張れ」が辛かった。今は「頑張れ」は励みになるが、催促や酷評されることはずし~~んときます。



気持ちを楽に生きて行きたいものですね。

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アルツハイマー症

2010-04-19 13:50:51 | Weblog
母親がアルツになっています。

一緒に昨年までは仕事をしていましたが、随分影響が出ており、怒鳴ってはいけないのですが、毎日喧嘩。


事務所を移転したことを期に引退してもらったが、仕事をしなくなってから進行がやや速くなっている。


元々、大病をし、痴呆の診断は受けるも、2年位前からアルツハイマーとも診断され、進行を遅らす漢方を処方している。


親不孝な私は何もせず、見守るだけだが、現在は、幸いにも父が健在で、老夫婦2人でなんとか暮らしている。


ボケ状態に加え、凶暴になる性質のあるこの病気。

暴れるは発狂するなどは連日あったもの。


母のせいにはしてはいけないのだが、夕方俳諧とテンションが上がることに物凄く悲観を感じたもので、夕方4時からの2時間は仕事にはならない、イライラはするで、かなりこの夕方からが脱力感に見舞われたものです。


今は夕方はそのようなことがないので、朝の一時的な不調を除けば、一日が過ごせるようにはなっているが、このようなことは、やがて、自分にも置きうることで、責めてはいけない。

だが、責めてしまうもので、責めた後、酷く自己嫌悪に陥るものだ。


性格と言うのは変わらないもので、地の気の強さ、曲げないことだけは残ってしまい、勿論、認知であるから説得して理解はできないのだが、介護認定や病院に行かすのも困難だった。


今は、介護認定を上げるべく、私の病院にも相談し、精神科として治療を受けさすことも考えている。

医学の進歩でいずれはかなりの改良が見込める話もでています。


自覚がない高度のアルツは本人に苦痛はないのでしょうが、「まだらぼけ」の場合は、一番辛いのは周りでなく、本人なんでしょうね。


親不孝の云十年。何もできない自分にどれだけ腹立ったか・・・。
自分さえもうまく人生を渡りえないことなのに余裕が無いことは確か。

でも、可能性があるならば、その可能性に賭けてみたいものですよね。

進行が更に遅れるならば、まだ、自分で歩ける範囲ですから、そのような治療に臨みたいものです。


そんなこと考えていたら、ヤマト便の営業乗務員から、「母の日」ギフトのチラシを貰った。とても感じの良い乗務員(女性)なので、一番安い(笑)、お花のギフトを頼んだ。


こんなことしか出来ないよなぁ~~(汗)


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通院

2010-04-18 09:43:45 | Weblog
金曜日、新しい先生に診察してもらう。

いろいろ聞かれるが、質問とかがかなりツボをついてくる。

いかにも「精神医」と言う感じで、聞き上手だ。



血中濃度や今後の診察の為、簡易検査を今度するようだ。

糖尿も疑っているのかもしれませんね?


私が心療内科に通う前にやった検査が尿。

「脱力感」「倦怠感」が甚だ酷かったので、糖尿が引っかからなければ精神科とカミさんに言われmそうしたものだ。


丁度、「ツレがうつになりまして」が高評判だった頃で、カミさんもそれを買ってきて2人で(正式には小学生の娘も読み、まさにコレだ!と笑ったものです。


今は、意欲も出てきて、一時はホント夜逃げでもしたいくらい、或いは生きてゆくのが辛い毎日も、いくらかは光が出てきたかな?とは思うものの、やはり、冷静に、かつ、整理して考えると、まだ仕事が軌道に乗っていないことの反動だろうと分析する。

その仕事も、底辺は脱出したけど、いろんな改善しなければならないことが沢山ある。

なので、それを考える時が、いま、唯一、「うつ状態」に陥ることだ。


朝と夕方の不調は、特に、夕方は改善されました。これは薬の飲むタイミングを変えてから良くなりましたし、また、夕方は母の俳諧や異常行動もあり、神経が尖っていたこともあったので、そのようなことが無くなったからスムーズに夕方は送れるんだな^と考えるものだ。


朝は、まだ、幾分眠気は残るが、今までの云十年の朝不調は信じられないほど改善されてきた。


ただ、まだ、それは「薬に依存」しての改善に過ぎないのでしょう。

ここからが難しいと聞きます。

改善信じ、焦らずやることが、今の自分に一番必要なことなんでしょうね。
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不安は解決しなければ・・・

2010-04-15 18:33:00 | Weblog
今年になってから、少しは自分が元気になってきたな~~と自覚ができるようになったが、
これもいつだかの、GW後、一騎に疲れが来るかもしれない。

今は、心理上の問題はやはり、仕事が思うように行かないこと。

不景気だからとかみんなそうだからと言えばそれまで。
でも、だからこそ、今を耐え抜かなきゃいけない。


もうちょいで、色んな面で解決も出てきそうだが、その焦りや不安がいまの自分を元気にさせない。

少しの我慢で、多分、仕事の調子も復調はするはず。


そのために、昨年、ボロボロながら、自分に対するリストラクションとして、『事務所移転』という作業をこなしたのだから・・。


いま、自分がこんな感じになれれば~~と思うのは、昨年の事務所移転の時は決断勇気不安がいりまじり、それに独特の心の重さがあった。

まだ、その頃のことを回想する余裕は無いが、この辛かったときを思い浮かべられるくらいの心のゆとりができればな~~と思う。

もうちょいなんだけどね・・・


明日は通院日。また違う先生になる。

薬はずーーっと変動は無いが、花粉症の薬はもういいかな??
あれはお腹が張るので、なるべくなら外したい。

あとは「ソラナックス」8ミリが1日4回はちょっと多いような気がする。

でも、朝はそれで調子が良いのだから、もうすこしの辛抱でしょうね。

薬に対しては専門ではないですから、先生の処方を信じるしかないでしょう。

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身近でもかなり精神的に参ってるようだ

2010-04-13 10:29:44 | Weblog
友人が公務員だが、数年前から心身の不調を訴え、先般上司に呼ばれ、「うつ」の兆候があるから、少し休息を取るように指示されたようだ。

そして、その上司も、自ら「うつ」であることを説明しながら、説得を続けたようだ。


違う友人は、在籍していた会社の人間関係にやられ、出社拒否。
このときは、会社の偉い人は私を訪ね、会社の考えを伝えに来た。
やはり、「休職」と「配置替え」による、本人の負担を減らすこと。


この2つの例にあるように、今は精神疾患は社会現象とも言われ、会社や社会が受け止め、対処を考えるようになってきている。

だから、会社が辛い人はそれは人にわからない度合いの「苦痛」であるでしょう。

勇気を出して、職場に相談するとか、自ら通院を考えるか、そのことで、「手遅れ」阻止につながる。



もう1例。

会社がつぶれ、家賃を滞納、生活困窮の50代男性。

数年前、知人などの助けから、賃貸借契約の見直し、そして、色んな疾患があったので、生活保護を受けることに。

結核や心臓疾患、糖尿、腎臓などに異常があり、通院の連続。


しかし、生活が安定することにより、元気を取り戻したのだが・・・


つい10日前、突然精神疾患に襲われる。

痴呆かと思ったら、どうやら違うようだ。統合失調症のような言動。

いま、役所と相談し対処しておりますが、本人は自覚があるだけに辛そうだ。



これも典型的な社会悪による精神疾患だ。
入院も検討とのことだ。

生活保護受けるのに、すんなり行かなかった経緯があり、これだけの疾患があるなか、本人も長年の生活苦に耐えていた反動なのかもしれない。


先般、清潔保護を受ける5人家族だったかな?両親が幼児虐待で死に至らしめ、逮捕されていた。

なぜ、生活保護なのか、なぜ、そのような環境で子供が増えるのか?、そして、済んでいる部屋はかなり綺麗な大きい賃貸物。


このときに、テリー伊藤氏がTVでなぜに生活保護なんだ?とたずねたことに対し、キャスターは「個人情報保護法」でいえない。

この「個人情報保護法」が悪用されている傾向にありますよね?


こういう不透明なこともすぐ、この法律を蔑ろにする。


うちでも、仕事柄、管理住人が生活保護で、おかしくなった、或いは死亡しても、驚くべきに、まず最初は「その人間が保護かどうか、個人情報保護法でいえない」と相手にされない。

それが死亡、入院であってもだ。しかも、管理人仲介人たる立場で本人がそのような保護を受けていることがわかっていて、常に話をしていても、行政の一声はそれだ。


この法律どうにかならないものかな?


本来の情報漏えい目的から大きく逸脱するし、知人の電話番号も教えられない世の中。


某国の独裁政権で言論の自由を奪われているのではないから、これは民主的ではないですね?


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能力と許容

2010-04-10 19:21:53 | Weblog
前にも書きましたが「頑張れ」ははげみになるんですが、
「なんでできないの?」「そんなことできないの?」はとても悲しくなる言葉に受け止めます。


とても客観的な言葉ですよね?

人間その時の状態によりできるものとできないものがある。

それを理解しろとは言わないが、できないのはできないからできないということを知って欲しいものだ。



今も、人任せにある仕事を進めてはいるのだが、自分が仕事パンク状態でその状態がどうも理解できないようだが、さすがに現場に出っくわすと、それは一人じゃむりだよと笑う。


自分でも分かってはいるんだが一人でやらなければならない理由がある。
でもできないのはもうそれ以上努力しても、その場ではムリというもの。

それが仕事のパンクだ。


こういうときは人に頼り、人の「客観的意見」は取り入れない。


甘えるものは甘えるが、できれば自分のペースでやるがいい。人がどう言おうと。

そう考えるこのごろだ。


ちょっと疲れ気味(笑)
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モンスター

2010-04-05 16:03:49 | Weblog
ホント、心の無い世の中になりました。


学生が社会人になるために入れ替えがある季節。


家主の家の前に車を止め、「お世話になりましたの」一言も無いまま退去。

しかも早く出たからその分返せ。


そういうものでしょうか・・・・



もう1件は、敷金トラブル。


法科大学院に通う学生。


1ヶ月遅れで退去。


請求するも無視。

そのうち、「敷金で相殺」を希望する。

法律では正しい。


正しくはないあ、間違いでない法律では「敷金の特約がある場合は原則としては有効」

掃除代請求の特約に対し、「異議」を。


こういう場合、公平に判断しなければならない。


正解は、たしかにこの学生さんの言うことだ。


だが、この人も、引越しする時に、家主の前に車を止め、「お世話になりました」の一言も無く、退去。


親は学校の先生だそうだ。宅建資格も持っている。


なので、息子が対抗することに同意しているようだ。



そういうもんですかね??


法律は正しくなければなりませんが、屁理屈言うためのものではありません。


このような対抗手段をしてくる人が弁護士の卵・・・、



地裁でも考えられないような判例が出てくる。


裁判員制度もある意味、大切なことだ。


しかし、法律の崩壊が危惧される現在の法律社会。


弱者救済は大いに結構だが、真の意味での弱者が判断できない世の中になる。


民事だからと言って、他人の敷地に車を放置しても警察は取り締まらない。

「道交法」に捉われているからだ。


不法占有では取り締まらないどころか、警察に電話するとそういうの困ると言われる。

しかし、これが当事者だと態度が変わる。

110番に掛けなおすとなぜか片付く。


民事も刑事も完全に腐敗している。その背景はダレが悪いと言う色付けではない。

決して警察が悪いわけでも、学生が悪いわけでも、親がわるいわけ(今回の例は親でしょう)でもないとは思う。


何が悪い。


こういう社会にしてしまったことでしょう。


その背景は・・・やはり、法治国家でありながら、法律のジャッジが古いことだ。


近代国家において、日本は法治国家でありながら、その機能は腐敗している。


根源はなんでか?


「帝國憲法」が母体になっているからでしょう。


大きな法律改正はいまの憲法では難しいにせよ、やはり法は見直すべきでしょう。

いや、法よりモラルかもしれませんね。私も自信はないが・・・



こういうのを接してると、人間不信になりますね。

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