鬱オヤジのストレス苦闘日誌

鬱オヤジといいます(他のブログでは違うHNですが・・・)
主にストレスやうつ病について書きます。
くらいですよ~~

頭が回らない、物忘れが激しい時は・・・

2011-02-27 12:09:46 | Weblog
酸素が不足すると、頭が回らなかったり、物忘れが激しくなります。

また、うつなどの精神疾患でも似たようなことがおきます。


一番酷かった頃は、行動の一つ一つが判断できない。


あの頃(今から3~4年前)は、痴呆が始まったか?というくらい辛かった。


いまも、その現象はありますが、当時とは全く比べ物にはなりません。


たとえ、忘れに気付いても、よく気付いたと自分を褒めることにしています。


すると、自分がイヤでたまらないくせに、褒めていることも多いことに気付きました。


つまり、モノを忘れても、頭が回ってきているということなんですね?



あの頃は、支払いなどの弁済期をうっかり忘れたりとかが多かった。普通なら、お金のこと。あってはならないと判断し、そういう忘れは無かった。


正常でない時。心身が「こう弱」するというのは、心や身体だけでなく、頭の活性も悪くなるものです。




いまは、「やる気」がおきないことが一番の悩み。でも、ユ〇キャンの資格にはチャレンジし、いまのところ、ペース良くできrていることを考えると、「やる気」も多少は復調しているものと感じます。


また、頭が回ってきているので、教材読んでも、不思議に頭に入ります。


そんなわけで、全体としては決して悪い方向には行ってはいないのでしょうが、とにかく、毎朝の「今日も始まったか」という朝からの倦怠感。


うつを自覚する前から、大昔からあったんだけど、幼少期からの消極的なことは、すでに、性格云々よりも6~7歳からそういう何かの障害があったのでしょうね?



今日は、目覚めが良いが、だるさは相当残っている。


気分は悪くは無いが、やる気が失せている。


なんとなく優先順位を決め、今日やりたくないことは、客先に電話入れたり、後回にまわす等、最低のことだけやろうと思っています。



そんな自分を責めてはいけない時期なんでしょうね?
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何が辛くて、何が改善されているか?

2011-02-26 09:44:24 | Weblog
好不調をくりかえすと、これも精神的に疲れるもの。


いま、自分が辛いのは何か?

1)寝起きが悪い。朝起きたときの感覚は「疲れた~」

2)悪夢を見る。最近頻度が下がったが・・・。

3)朝、出社がつらく、けだるくやる気が出ない

4)少しでも仕事量が増えると投げ出したくなる。

5)仕事などのを含め、全てから逃げたい

6)協会や外部からの仕事に縛られるのが辛い

7)将来に対し、あまり希望が持てない。

8)常に眠気がる。

9)疲れたとき、肩甲骨附近から心臓の裏側辺りが凝る。そこに爆弾でも仕込んで欲しい。

10)薬に対しての副作用(舌が回らない、ボーッとする)



回復した点

1)不安なことが減った。

2)熟睡感は無いが、寝れる様になった。

3)通常睡眠では「金縛り」が減った。

4)夕方の物凄い倦怠感が無くなった。

5)物事の処理が、ムラがあるものの、波に乗れば、首尾よくできる日も出てきた。



回復した点は、コレ!っていうのはありませんが、これらも以前は全く感じなかったこと。

これから、いかにストレス的なことを減らしてゆくか・・・。

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人とのやりとりで辛いこと

2011-02-25 10:20:10 | Weblog
昨日は、所属協会の会合。3日前も会合。

正直、いまはとてもストレスのたまることです。


昨日の会合は、更なる役員選任も含むもので、覚悟はしていましたが、自らやれるひとが名乗り、本当に助かったものです。


このような会合もそうなんですが、人とのやり取りで、本当に辛いのは・・・


☆案件に対して、期限があるにに忙がされること

☆なにかを委任されること

☆責任をおしつけられること。


☆そして、一番辛いのは、「なんでそんなことができないのか?」


この言葉が出てきた時は、最近は正直にいまの心境を話します。


半分くらいの方は理解してくれません。その場合は、ボディーランゲージも含め、降参!ホント、ゴメン!!と頭を下げます。



事実、気分で店の開け閉めしていることもあり、それは知っている方も多いのでそれも含めて理解を求めます。



それでも、何か批判的な目でみられるときは、迷惑掛けてもいいならばこのまま続行するよ?と現実論を話すことにしています。




一人で仕事をしているため、他所とは違い、例えば会合の1時間、月1回の報告会などが、とても致命的になることも多い。



理解を求めることも引け目は感じますが、事実、きついことには伝えなければ、できませんよね?



サラリーマン時代とは違う、社会組織には、正直戸惑うことも多くあります。


自分で結論意見を出せても、それが相手方との直接勝負になること。どうしても、口論まで発展することあります。

でも、それで、いいと思うのです。


最近は、そう感じています。



「がんばれ」という言葉を非常に重荷に感じる人もいるようですが、私はその言葉自体は逆に勇気は沸きます。


ただ、パニックして、完全仕事に押しつぶされているタイミングでこの言葉が出ると、辛く感じますが、それは正常でも同じですよね?


経済情勢もよくない。世の中の考えも何か歪んできている。そんなことも重荷になりながら、今は、1日が無事に終わることが自分にとっての「成就」と考えています。内容は追求しません。家に帰れるまでのことだけを考えます。



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気だるさ・・・

2011-02-21 17:29:26 | Weblog
今は、そのダルさはかなり改善はされていますが、今思えば、あのダルさの連続はなんだったんだろう・・・。


通院して、1週間で、まず、全てのやる気がなくなりました。一方で、妙にリラックスでき、部屋に入ったら出たくない。

引き篭もりになりました。



しかし、段々と元の憂鬱感が増え、病院に行くものの1日掛りになるので、近所の医者に変えます。


薬が10倍くらいに増え、次の日から再び、無気力。


ダルく、食欲もない。ただ、眠い。


先生曰く、緊張がほぐれ、そのため、本来の「疲れ」「眠気」が出てきているので薬のせいではない。



時々、それもホント、時々だが、何かに夢中になるのだが、やっているうちに虚しくなり、帰って寝る。



仕事もなるべく助っ人に頼み、昼は寝てばかり・・。


2年続いて、やっと昨年くらいからは、そのダルさはなくなるも、あの、ボーーッとして、何か一つやるのも、至難の業みたいなことを思い出します。


2年前の夏。やっとの思いで、県内の磯に遊びに行きます。


観賞魚を採集しに。


しかし、30分もすると、疲れが出て、帰宅。


しかし、そのたった30分が、最大のエネルギーだったものです。



今でも、疲れはすぐ来ますが、発病して4年。とにかく寝て寝て寝まくってます。


相方曰く。云十年の疲れと不眠が一騎に来たんだよ。


ホント、そんな感じでした。



今も、その兆候はあるものの、あの頃のように、全てが終わったような脱落感、倦怠感はなくなってきてはいる。




でも思うのです。ずーっと何かに焦り、何かに追われていた若かれ死頃。


ゆとりもなきゃ、考える余裕も無い。

それが不自然で、あの疲れ、あの眠気、あの脱落感。それが正解の心だったのかもしれない。



最近は自ら頭来るようなことには首を突っ込まない。


疲れるからだ。不快になるからだ。でも、自然にそういうのを引っ張っては不快になる。


それも自然で普通なんですよね。




ずーっとよく判らないで背負ってきたものが、薬による、正常な判断に向わすことで、緊張がほぐれたのでしょう。



緊張があったために、疲れ、眠気、などが正確に伝達できなかった。そういうことなんでしょう。




今も、薬がたくさんある。先生にも聞きました。期間限定の薬もまだ飲まなきゃいけないのか?


内心、点数稼ぎと思い始めているから。

すると、今の睡眠は、最悪は脱出しているけど、正常な睡眠とは思えない。



なるほど・・・点数稼ぎな言葉にも取れるが、そうか~~自分の中では最近は朝も気持マシになってきているが、正常な場合の朝は、爽やかでなければならない?



爽やかな朝を殆ど知らない自分には、今の朝がまともなので・・・


あーー寝たッ!と思うこと、ホントないもんな~~~




まだまだ、トンネルは長いかな(苦笑)

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気持が再びマイナス方向へ

2011-02-20 17:23:37 | Weblog
些細な、業者間のトラブル、地主や家主の些細な要求。

そんなことをしていたら、再び投げやり気味に「俺に向いていないやっ」とマイナス方向に行ってしまう。


継いで8年も経って今更でもあるのですが、仕事がドンドン嫌になる自分が嫌だ。


ただ、心の中で留意するのも良くない。


ルールを侵して来た業者が居たので、怒鳴りつけてしまった。それに対して憎悪があるのだが、先方が弁解にきたことに、何も叫ぶことも無いか~と考える反面、俺じゃなくてもキレるよな・・・


多くの人が頭来ると思われることは、それはモラルの侵害だ。怒ることに正当性はある。


しかし、そうでなく、そういうなんだか子供の喧嘩や、子供の言いつけみたいな、おかしなことが毎日あると、どうだろうか・・・それでも仕事が好きになれるだろうか?それは個々の捉え方だと思う。

そういう面倒なことが好きな人は適材だ。

私のように、それを悩み抱えては適材ではない。


適材になるようになればよい。なってきたつもりだった。でも最近、そういう飾った自分がイヤになり、物事にけじめをつけようとし始めている。


今度は、そういうなにか策略をする自分がイヤになる・・・


すると、行き着くべきところは、やはり自分の本位ではない。とっても哀れで辛いことだが・・・。



逃げて何かをするのはうまく行くとは思わないが、悪いこととは思わない。

もし、自分に他に何かやりたいことや、今の自分を脱したいと思うことなどがあったら、それは自分のほかの才能を捜すことでもあるかもしれない・・・。


しかし、なんか毎日が、冴えないというか、落ち着かないことに我慢も限界かな?なんて弱気にも思うと目を向ける勇気も沸かない。



人の心が、自分を含め、なんかおかしな方向に行ってるように思え、人間不信にもなりかけている。




そろそろ急用が必要かな?気持が全くゆとりない。ダメだね(苦笑)
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自分の心理状態を他人に話す

2011-02-19 10:02:43 | Weblog
非常にこういうことって、辛いのですが、自分の不調を、一緒に仕事をする人や、何か関係がある人達には伝えておかないと、一方的な要求や、なんで、コレしきのことができないのか?などの解釈をされてしまうので、昨日は、よく仕事をする業者には話をしました。


以前も、協会の役員について、似たことを話したものの、鼻から受け入れてくれないことがあり、非常に腹が立っているのですが、人に話して、理解を求めようとしても、正常体の人から見れば、甘いという判断しかしてこないです。


だが、自分が限界に来ている場合、あるいは、そのことによって、他人に影響を与える場合、単なる怠けでは理由になりませんので、こういう事情で出来かねるという話だけはしております。

それに対し、理解をしない組織がいけないのですから、それ以上の要求、責任の転嫁がある場合は、反論することも増えています。


なので、自分が不調にあることを、やっとの思いで、話をしても、聞いている人が流す場合、その時点で、それ以降のことは考えてはいけません。


自分は立派に理解を求める話をしたのですから。


また、所属協会などは社団法人でありますから、私らは「社員」という位置づけであっても、一国の主になるわけで、その社団法人がために、自分を犠牲にする必要はないのです。

それを、理解せずに、役員離脱を認めないのは、それは正直、押し付けです。


来年、役員改選がある際に、前回と同じような対応ならば、これは、役員を飛び越して、協会に直訴し、それでも認められないのならば、所属団体を変えることを考えています。


また、役員の受理については任意であります。後任の選任は、地区の責任者がやるもので、役員自らがしなければならないことではなく、また、辞任理由を通した場合、その責任は自分には帰属しません。


また、本来なら、順番制を唄っているのに、それを、勝手に変えている事実もあり、これは騒ぎを立てれば問題になります。


この役員の仕事は、現在は、さほど重いものではなくなっているのですが、自分にはかなり重圧になっていることは事実で、
こういうことも、自分の仕事に対する、気持の薄れになっていることも確かです。



自分の仕事を犠牲にしながらも会議や何かの活動をしなければならない。


多くは社員がいるから、やらせれば良い。しかし、私の場合、それができない。それはこちらの勝手だまで言われたこともあり、こういうことも、納得がいきません。


相手に、自分の状態を理解してもらうのは、難しいものです。
しかし、伝えて、その判断を相手がしてもらえないのであれば、それは私の責任ではないですよね?
判断能力に問題がでてくるものと、思います。なので、自分の事情を話すことは、話すことで足り、それ以上の判断は自分には帰属しないんだと割り切ることが大切だ。


自分の状態を人に話すのも、正直、辛い。その辛いことを踏まえて相談をするものの、受け入れられないのならば、大事にしても構わないかな?人や人間関係を仮面的に大切にしようとする考えがむしろ間違っている。


そう感じたものです。



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消極的か冷静ととるべきか・・・

2011-02-17 21:14:24 | Weblog
何かと判断が良好にできる状態ではありませんが、急ぎに要求されることや、考える時間が必要な場合の仕事は、いまは受け入れができません。

急ぐがために余計にトラブルを増やしてしまうことと、急ぐ必要がある場合は、何かがあるので、手を必然的に出せない。


まとめることが私の仕事、壊すのはいつでもできる。
そう考えていたことも、いまは、まとまらないなら壊せ。

危ない話には乗るな。そうなっています。


もちろん、最初から好条件のものを、ミスミス見逃すわけにはいけませんが・・・。


今も、田んぼの契約を、売主側が、突然あおりを入れてきました。

それに対し、買主は、必要なものなので、前向きにいろいろ提案をだしてきます。


しかしながらここから・・・。


あくまでも、商売は、買っていただくものであって、売ってやるものではない。


そこんところ、売主側が強引に、「明日までに申し込みいれろ」などと、突然と言い出すので、、売主側の業者に、「自分の不調」を理由に、私の条件を出します。


明日までの申し込みはムリ。物件の概要を出しただけで、サー買主さんよ、早く申しこんで!ということでしょ?


自分の不調と、動きが取れないこと理由に、売主が、買主の意思表示まで待てるならばやりましょう。そうでなければ、止めましょうこの取引。


わずかな手数料で痛い目に遭いたくないので。



以前も、身内でしたが、危うく、悪いクジ引く寸前まで行ったことあります。


しかし、冷静?いや、消極的判断が先行し、その取引、壊しました。


もし、乗っていたら、大変な責任を押し付けられるところでした。




こういうことや、今日も、管理アパートにヘビが出たとか(冬眠からさめた?)、そんなことやっていると、ますます、自分にはこの仕事は合わないと重々に思うわけで、そうなると、反って、程々が肝要と思うもの。



バブルの頃は不動産業は良かれ悪かれバブルの象徴でした。

それがイヤで、後を継ぐのに抵抗を感じていたものです。


悪徳=不動産屋という図式まで描かれていた時代でしたし。


もちろん、極一部です。ただ、多くの業者はバブリーだったことは確か。


しかし、私はそのバブリーなものを知りません。


へビだ、ネズミだ、雨漏れだ・・・



たまにまとまった話が来ても、あまり後味が良い状態にならないし・・。


根本的に、願望を強くもってできる人間ではありません。


ずるいことや、人に不利益を及ぼすことが大嫌い。


そうなるとね~~~~



時には大勝負をかけるときもある仕事ですが、そういうのを心底から力がよぎることはない。


根本的に不向きなんでしょう。そう感じます。


ただ、乗ってしまった自営業。潰すわけには行きません。

いまは、ただ、前を向けることができる余裕をつくりたいという願望があるだけでしょう。

いまさら、自分の舵取りを後悔しても仕方ありません。舵を取り直すことを考えるべきでしょう。


そうなると、不要な商売には向かない方が・・・


これが消極的にととるべきなのか・・・。


消極的なのでしょうが、今回のはそれで、いいと思うのです。

なぜならば、この取引にモラルが掛けているから・・・。



道理のないものに妙案はないでしょう。


今日は休みでしたが、そんな話を突然言われ、こちらも突っぱねた。

あまり後味はよろしくないが、間違えでは無いと思うので・・・。


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急なことに拒否反応

2011-02-15 13:42:56 | Weblog
急なことや、案件の期限先倒しなど、あたりまえにあることも、急ぐことが重荷になり、何もできなくなる。

昨日も、そんなことがあった。


ただ、要求してくる側は、こちらの事情などわからないでしょうから、当然に要求をするのは、これが拒否することはできない。

しかしながら、単に、理由も無く、重荷をのせてくるようなものに対しては、反発してしまう。



同業者と組んで仕事をすることが、多い中、やはり、多少でも自分のいまの体調、心理は伝えておかないと、反って、動けないことで迷惑をかけてしまうこともある。

そんなことも、心重い。



所属協会の役員を5年にもわたりやっていす。

当初は、体調不良、経営の不安定を理由に1期(2年)のみの引き受けだったのに、ずるずると来ている。

前々回、前回と、自分が精神医に掛かっていることも話し、理解を求めるが、あからさまに話しているに関わらず、そんなの理由にならないと跳ね返された。

しかも、前回は、「もう1回くらいやりなよ、さびしいから」という不謹慎な勧誘に反発するも、新しい地区長が2年我慢してもらえないかの言葉に拒否はできなかxちゅたが、次、同じような状態になるならば、ホント、限界がくるから、「いい人」でいられず、少しは反発し、ムリであれば所属協会を変えることも考えている。


やることは、たいしたことではないのだ、そのたいしたことでないことが、「たいしたこと」になり、非常に自分の仕事にも影響している。


相手に、あからさまに話してもそれが通じないのならば、通じる世界やるしかにのかな?そんなことまで考えるようになっている。


相手に自分のことを話すこと、結構勇気が必要です。それを、真剣に聞いてくれない相手ならば、話す余地は無いですよね?



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考えがまとまらないとき・・・。

2011-02-14 09:47:23 | Weblog
ちょっとしたことで、混乱したり、考えがまとまらない時・・・

いっぺんにやらなきゃいけない時などに生じます。全部すぐやらなきゃだめ。


そんな時、その中でも一番重要でないものは、先に手を打って、人が相手なら時間をもらうとか、物が相手なら、わかる位置においておくとか。

認知なんとか療法というのが、やることをまとめ、出来るのを組み立てるというのがあるようです、そんな感じにしてます。


まずは羅列し、よく考えたら翌日に回せるのはそうする。


そんな組み立てをすると、気持が楽になります。イヤ、逆説で、そうしないと、1日が怖くて組み立てられない・・・今のじぶんですね。

ここのところ、多少は気持も前向きなんですが、今日は、やることがたくさんあるせいか、どうも心が重い。



どれも、そんな億劫なものではないのですが、「外出する」ということが、ちょっと抵抗あって・・・。




情けないけど、普通にできることが、出来ない日とかある。そういう状態なので諦めはつきますが、一言で言えば、このガス欠のような状態が本当に辛いものです。


どんより感も以前に比べればありません。


すべて、仕事から来るストレスもわかっています。そして、どうすればよいかも組み立てていますが、いざ、組み立てても、心重くて、進めない。



そういう状態なんだから、それもしょうがないでしょうね?



かなり重い症状の方とかのブログ見ると、私なんかまだまだ甘い。

みんな、凄く一生懸命に戦い、思い切り苦しんでいる。


だから元気が出るということはありません。勇気なんかつきません。なぜならば、苦しい同士だからです。

しかしながら、皆さん努力をされていることや方法がとても参考になるのは事実で、取り入れていたりもしています。



人それぞれ症状が違いますが、いえることは、今の自分に出来ることがあればそれだけやろ。出来なければムリするな・・・。



鬱とはそういうものなのかな~~と感じます。

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不快なことは考えない

2011-02-12 12:02:30 | Weblog
不快なことは考えない・・・というより、逃げるが勝ちかもしれない。

商売ですから、とても不快な客やセールスが毎日あるわけで、それを、いつまでも心に置いておくと、頭着て熱くなる。


イヤな友人のこととか、傷つけられた時とかって、頭から離れませんよね?夜寝れないこともありますよね?


こういうのの蓄積・・・身体に悪いです。



私は、小心ゆえ、幼い頃から、些細なことを根に持っちゃうタイプでした。
そして、そういう陰湿な、イヤ、心の小ささに自分を責める・・・。


うつに掛かってからは、そういうのが面倒で、なるべく回避していました。


すると・・・そういうのは流せるようになるのですね。



ずーーっと、そういうのは性格だと思っていたのですが、これが改善されているのはある種、病気なのかもしれません。



先月までのように、毎日がパニックすると、それだけで、イヤになります。
そして、そういう時は、そのようなことを流そうとはできませんが、ある程度治まると、不思議に、考えなくなります。



腹立たしいことを考えると、それだけで不快になるので、止めた方が楽ということに気付いています。


それでも毎日不快なことは続きますがね~~~




ここのところ、少し、仕事や身辺が落ち着いてきたこともあり、心の重みも多少は減っていますが、やはり、ちょっとしたことで、つまずくことは多々あります。


こういうときも、腹を立てず、それに取り組む。



成功する人は、失敗をプラスに考えると言います。


例えば、転んで怪我したら、怪我ですんで良かった・・・こういうフレーズは有名。

でも、大概は、なんで、怪我をするのか!と腹を立てます。




出勤中、重大な忘れ物を気付いた場合・・・ここで気付いて良かったと思うのか、それとも、なんで忘れ物しちゃうんだよ~~~と自分を責めるか・・・。これも大概後者ですよね?

しかし、これって、「些細なこと」に限って言えば、訓練でプラス思考に変えることは出来そうな気はしますし、出来ていることもあります。


それを繰り返すことが、プラス思考への転換になるのでしょうが、限度や人によっての能力もあるでしょう。ムリのない程度の判断練習が、ストレスを感じず済むのかなぁ?そう考えるこのごろです。

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