ミドリ色の屋根は永遠に~René Simardに首ったけ~

ルネ・ファンのルネ・ファンによるルネ・ファンのためのルネ・ブログ シマ姉のルネ・データ・バンク

1974年7月1日(月)

2008年01月20日 | 1回目の来日
 ルネは、第3回東京音楽祭世界大会でのグランプリとフランク・シナトラ賞の受賞、そして何よりも、その天使の声で、一夜にして日本人の心を虜にしてしまいました。

 さらに、1回目の来日前の1974年 6月21日に発売されていた「ミドリ色の屋根」(SOLB-154 ミドリ色の屋根/雨上りのデイト)は、100万枚に達する売り上げを記録し、取材やTV番組への出演依頼が殺到しました。


 当時レコード店に配布されたちらしの画像を紹介いたします。(KRさん提供)



 今回紹介いたしますのは、東京音楽祭の翌日、1974年7月1日(月)です。
 この日はカナダの建国記念日に当たり、日本のカナダ大使館の建国記念パーティーに、ルネ一行も招待されました。 


     ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


 ルネが1回目に来日した1974年6月26日(水)から7月13日(日)までの19日間のくわしい活動内容が、今は無きケイブンシャ(勁文社)発刊のニュー・ソング・ブック臨時増刊号「スーパーアイドル ルネ」に掲載されました。



◆7月1日(月)

 7:25ホテル出発。

 7:45TBSテレビもFスタにて”モーニング・ジャンボ”に出演

10:30
 原宿キディーランドにて買い物。

16:30
 ”銀座テレサG”入り。

17:00
 ”ギンザNOW”出演。

18:30
 カナダ大使館にて、カナダ大使主催の建国記念日のパーティーに出席
 受賞曲「ミドリ色の屋根」を歌う

 7月1日は、カナダの建国記念日でした。ルネの来日と時を同じくして、プリンスホテル系はカナダ・フェアを企画していて、どこにも、カナダの国旗に印されたメープルのマークがあって、一行は御機嫌。そして、ルネグランプリと、シナトラ賞を獲得、その上、前例のないカナダ大使館からの招待です。この招待は、ルネ以上に、同行の関係者にとっては大きな喜びだったようです。


     ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


 当時のカナダ大使、ロス・キャンベル氏「ルネ・ファースト・コンサート」に寄せたお祝いの言葉が、コンサートのプログラムに掲載されていましたので紹介いたします。

 『第3回東京音楽祭で大賞を獲得して間もないルネ・シマールがまた来日することになって本当に嬉しい。
 7月の短い滞在中に、ルネは幾百万日本人の心を捉え、ほとんど一夜のうちに国中で有名になった。
 今回ユニセフ後援のために開かれる大阪および東京での一連の公演においても、ルネは日本の大衆にあたたかく迎えられることを確信するとともに、彼の今後の来日につづいて多くの芸術家の来日を希望するものです。』


※過去ログ「ルネ・ファースト・コンサートに寄せて」
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/22.html
             
            パーティーで歌うルネ
       シャンタルさんの"MUSEE SIMARD"より

 カナダ大使館で行われた建国記念パーティーの様子は、「スーパー・アイドル ルネ」の「ルネ・シマール物語」でも紹介されています。

 グランプリを受賞したルネに対して、カナダからは、大統領自らの祝電が送られました。また、日本のカナダ大使館も、その建国記念日の7月1日のパーティーに、ルネ・シマールを招待しました。これは、大使館始まって以来の出来事です。大使をはじめ、多くの大使館関係の人々の中で、ルネは「ミドリ色の屋根」を歌いました。「天使みたいよ」思わず大使夫人の口からこんな言葉も出ました。少しも憶することなく、そして、小さな紳士よろしく、大使夫人と握手しました。

※過去ログ「ルネ・シマール物語⑨天使の声」
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/50.html

       Passion Rene et Nathalie Simard より

 余談ですが、カナダ大使館には、東京音楽祭を含む、ルネの「1回目の来日」の様子を紹介した『小さな大使』という16㎜フィルムが所蔵されています。ちなみに、こちらはカナダで放映された映画”Rene Simard au Japon”とは別に製作されたものです。

※過去ログ「カナダ大使館蔵「小さな大使」」 
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/8.html
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1974年6月30日(日)

2008年01月19日 | 1回目の来日
 1974年第3回東京音楽祭世界大会のために来日したルネ完全スケジュールが、ケイブンシャのニュー・ソング・ブック臨時増刊号「スーパーアイドル ルネ」に掲載されました。ルネがグランプリを受賞し、一夜にして日本のアイドルになった19日間の来日スケジュールと、通訳として同行した道上雄峯氏の同行記を紹介いたします。


     ”Passion Rene et Nathalie Simard”より


 今回紹介いたしますのは1974年6月30日(日)、日本のルネ・ファンにとって忘れることのできない、記念すべき第3回東京音楽祭世界大会の最終決勝大会当日です!
 それについては、過去ログで、記事やその時の映像を紹介してまいりました。ここではまとめてリンクしておきますので、完全スケジュールと合わせてご覧ください。



※過去ログ「第3回東京音楽祭世界大会」
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/20.html

※過去ログ「東京音楽祭世界大会に寄せて」
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/21.html

※YouTube映像 第3回東京音楽祭世界大会の本選で歌うルネ。
 コスチュームは白のセーラーカラーのブラウスとパンツにピンクの帯というスタイル。受賞の時は黒のスーツに蝶ネクタイ
http://www.youtube.com/watch?v=cYgrp-sERYs





グランプリ
 第三回東京音楽祭の催された日比谷帝国劇場で、カナダのスーパー・アイドル、ルネ・シマールは日本での最初のステージを踏みました。20ヶ国から選ばれた出場アーティストが、そのベストをつくして歌い、予選を通過したのは、そのうちの13組でした。ルネは、もちろん、最高得点で予選を通過しました。
 そして、最終日。グランプリを取ったのは13才のルネ・シマールの「ミドリ色の屋根」でした。
 特別ゲストのフランク・シナトラは、そのルネに、自ら選んだフランク・シナトラ賞を贈りました。
 両手に、賞状トロフィーを抱いたルネの眼は、涙でいっぱいです。



※YouTube映像”Rene Simard - Japan Footage”
http://www.youtube.com/watch?v=gNu86fIMfAQ&feature=related
 グランプリとフランク・シナトラ賞受賞シーン 

※YouTube映像”Rene Simard - Million Dollar Baby 1975 Part 3
 グランプリとフランク・シナトラ賞受賞シーンと共に、羽田空港に見送りにきたファンとガラス越しに交流するルネと、カナダで出迎えるファンの熱狂ぶりががご覧いただけます。鎌倉で鳩と戯れるルネも可愛いです。
http://www.youtube.com/watch?v=BV646ZNavW4&feature=related

※Dailymktion映像”Rene Simard treize ans auJapon”
 グランプリとフランク・シナトラ賞受賞シーンと共に、受賞後祝福され、記者に取り囲まれている様子や、カナダのママに国際電話をかけているルネがご覧いただけます。
http://www.dailymotion.com/relevance/search/Rene+Simard/video/x1wng9_rene-simard-treize-ans-au-japon_music



◆6月30日(日)
  
 8:45
 ホテル出発。

 9:30
 東京音楽祭最終決勝大会の進行説明会。

10:00
 リハーサル。

12:40
 東京会館にて昼食会。

15:00
 カメラ・リハーサル。

19:00
 第三回東京音楽祭。

20:45
 グランプリ発表。受賞ルネ・シマール

20:49
 シナトラ賞受賞
 ホテルへ。

22:00
 東京プリンスホテル、プロビデンスホールにて東京音楽祭サヨナラ・パーティー

23:00
 ”サウンド・イン・S”に出演



 リハーサルの時、ルネは指揮者が遅れたため最後に回されました。リハーサルを終えたアーティストが気軽なジーンズに着がえてリラックスしている時に、ルネだけは、ポツンと一人、コスチュームを着けたまま舞台のそでに立っていました。きちんとして・・・
 二つの賞を受けた時、これは誰もが予想しなかったことで、みんな泣きましたルネもステージの上でも我慢できずに泣き出しました。ギーも、ルネ・アンジェリルも、クローディーヌも、もちろんパパも、私も泣きました。


     ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪

 日本中がルネの歌声に感動したこの第3回東京音楽祭世界大会当日、私は地元の神社のお祭り『茅の輪くぐり』に友人と出かけていました。この時私が東京音楽祭を観ていたら、きっと私のルネ・ファン人生は、もっと違ったものになっていたことでしょう。そして、もっと充実した内容で記事が書けたかも知れません。何故なら、私がルネを知り、熱烈なルネ・ファンになるのは、それから数ヶ月先なのですから…。
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1974年6月29日(土)

2008年01月14日 | 1回目の来日
 今日は「成人の日」です。

 私は以前、ある文集に、「想いは叶う その想いが強ければ強いほど 例え形を変えてでも」という始まりで、ちょっとしたお祝いの文章を書きました。それを覚えていてくれた人がいて、その話からこのブログのことにも触れました。
 そう、このブログでの活動も、私が1974年当時からずっと想ってきたこと。そして、例えルネにこのまま会えなくとも、インターネットでルネと会い、ブログを通してファン活動をすることが、形を変えた夢の実現なのです。


     ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪

 ルネが1回目に来日した1974年6月26日(水)から7月13日(日)までの19日間のくわしい活動内容が、今は無きケイブンシャ(勁文社)発刊のニュー・ソング・ブック臨時増刊号「スーパーアイドル ルネ」に掲載されました。



            最終予選で歌うルネ
    コスチュームはスカイブルーの上下を着ています



 来日4日目の1974年6月29日(土)は、第3回東京音楽祭世界大会最終予選がありました。エントリー・ナンバー101番で臨んだルネは、もちろん最終予選を通過! 前日、ただ1人、1回の音合わせで完璧に歌い上げていたルネは、その歌唱により、当時デビューしたてだったスリー・ディグリーズと評価を二分し、大会関係者や出場者の間でグランプリの最有力候補とささやかれていたのでした。


 ステージの説明を受けるルネ 説明しているのは川添象郎氏 お散歩しているルネの後方にいる白いスーツの男性もそうです


◆6月29日(土)

 8:15
 ホテル出発。日比谷帝国劇場へ

 9:00
 帝国劇場にて音楽祭最終予選リハーサル
 この間に衣装合せ。

13:00
 第3回東京音楽祭最終予選

16:00
 第3回東京音楽祭最終予選通過
 ホテルへ。

19:30
 赤坂ざくろにて、アルファ&アソシエイツ村井社長主催の夕食会に出席。

 この頃になると、私も大部ルネ自身がよくわかってきました。私は、ルネを子供扱いしていたことに気づきました。ルネは、もう立派なプロの、大アーティストです。予選の前も、顔色一つ変えず落ちついたものでした。むしろ回りの人間ばかりオタオタして・・・
 これは、クローディーヌから聞いたことですが、ルネは、その晩、こう言ったそうです。「僕は明日必ず賞を取ってみせる」と。


※「~ふりそそぐ光~ 長洲忠彦 作曲家・指揮者」より
 「第3回東京音楽祭の現場より」参照。
http://www.tadahiko-nagasu.com/06essay/06-04essay.html

※WUKI☆さんの「♪ウキウキ♪ハッピー☆」より第3回東京音楽祭世界大会のパンフレット画像。ルネの直筆サイン入りです!
 『第3回東京音楽祭世界大会☆ルネ・シマール&ザ・ピーナッツ☆』
http://blogs.yahoo.co.jp/wukiwukihappy/31976539.html#31976539
 『ルネ・シマール サインパンフ』
http://blogs.yahoo.co.jp/wukiwukihappy/11387261.html?p=1&pm=l#11387261
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1974年6月28日(金)

2008年01月13日 | 1回目の来日
 明日は「成人の日」です。

 私が20歳の頃、入会していたカナダのルネ・ファン・クラブから、活動を休止するという仏語の通知が届き、ルネのカナダの活動を知る手がかりが無くなってしまうと、ショックを受けていました。しかし、訳しきれない部分を質問しに行った、大学の仏系カナダ人の仏語教授(その当時はすでに日本に帰化していました)が、ルネのいとこと神父仲間だと知り、父の日に差しあげたプレゼントのお返しに、ルネのカナダのアルバムを3枚もいただきました。また、日本のファン・クラブで知り合った方と、カナダ大使館に行ったりしていました。

 ルネが20歳の頃の画像や映像は、今はYouTubeやカナダのファン・サイトで簡単に見ることが出来ますが、当時は日本とカナダの距離は本当に遠く、前述のことでほんの少しの情報を得るのがやっとだったのでした。


     ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪

 ルネが1回目に来日した1974年6月26日(水)から7月13日(日)までの19日間のくわしい活動内容が、今は無きケイブンシャ(勁文社)発刊のニュー・ソング・ブック臨時増刊号「スーパーアイドル ルネ」に掲載されました。


              
       この日と同じブルーのジーンズ上下


 来日3日目に当たる1974年6月28日(金)は、第3回東京音楽祭世界大会のリハーサルと雑誌の取材。そして、第1回東京音楽祭世界大会でグランプリを受賞した雪村いづみのリサイタルを観に行っています。

 ルネが雪村いづみのリサイタルを観に行くことになったのは、彼女がALFAレコードの所属アーティストだったからだと思います。また、この当時、雪村いづみが一緒に活動していた「キャラメルママ」には、後にルネの日本語の曲をアレンジする松任谷正隆がおり、ルネのバック・コーラスをすることになる山下達郎大貫妙子も参加していました。
 ちなみに、このリサイタルがきっかけで知り合ったのか、雪村いづみの娘である朝比奈マリアは、ルネが日本に来た時のガール・フレンドだったということを後に知りました。第12回東京音楽祭世界大会にルネが特別ゲストで招待された時、朝比奈マリアが司会(アシスタント?)で出ていました。観に行っていた友人が、『朝比奈マリアがいつもルネにべったりはりついていて嫌だった★』と言っていたので、それからずっと、彼女に対してよい感情は持てませんでした(笑)。

※アルファレコード
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%AC%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%89

※雪村いづみ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%AA%E6%9D%91%E3%81%84%E3%81%A5%E3%81%BF
http://listen.jp/store/artist_1007516.htm

※朝比奈マリア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E6%AF%94%E5%A5%88%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2




◆6月28日(金)

 8:30
 ホテル出発。TBSへ。

 9:30
 TBSテレビ。Gスタにて。音楽祭のリハーサル

10:20
 TBS映画社による撮影。

12:00
 芝公園にてセブンティーン誌取材。

13:30
 近代映画社取材。

18:30
 NHKホールにて、雪村いづみリサイタルを観る。

 TBSでのリハーサルで、ルネは、TBSのスタッフ、ミュージシャン全員から、予期せぬ拍手を受けました。音楽祭に出場するアーティストで、誰も一回の音合わせで、完全に歌える人なんかいなかったからですルネだけでした。それも、他の人を圧倒するような完璧さで
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1974年6月27日(木)

2008年01月12日 | 1回目の来日
 ルネが1回目に来日した1974年6月26日(水)から7月13日(日)までの19日間のくわしい活動内容が、今は無きケイブンシャ(勁文社)発刊のニュー・ソング・ブック臨時増刊号「スーパーアイドル ルネ」に掲載されました。 


 来日2日目に当たる1974年6月27日(木)は、東京音楽祭のオリエンテーションにレセプション、記者会見の合間に雑誌の取材も受けるというハード・スケジュール。

 カナダよりもずっと時間のペースが速い日本で、ベテランのスターたちに囲まれて、きっと精神的にも肉体的にもきつかったと思います。そして、この日の中で、ルネにとって一番心残りだったことは、記者会見でのルネのメッセージが、ルネの伝えたかったとおりに訳されなかったことだったようです。そのことについては、ルネの通訳をしていた道上雄峯氏のレポートにも書かれています。




◆6月27日(木)

 9:00
 東京プリンスホテル、福寿の間にて東京音楽祭オリエンテイションに出席。

12:00
 芝公園にて、週刊明星取材。

17:00
 東京プリンスホテル、プロビデンスホールにて記者会見

19:00
 東京プリンスホテル、プロビデンスホールにて東京音楽祭レセプション

         レセプションの時のコスチューム


 記者会見の席で、ルネは短いフランス語のメッセージを言いました。フレダ・ペインスリー・ディグリーズマリー・トラヴァースなんかに囲まれて、「僕はこんな立派な人達ほど大スターではありませんが・・・・・・」と言う意味の社交的なメッセージでした。ところが音楽祭事務局の通訳嬢が「私はこの人達よりも背は小さいけれど・・・・・・」と訳して、ルネ自身の言葉が伝えられなかったことが、とても残念でした。


     ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪

 私の実家は、どちらかというと歌謡番組をあまり見ない家庭でしたが、ピングーパパさんがトピックで紹介してくださったヒット曲はほとんど歌えます。この当時の歌は、今よりも新曲を出すサイクルが長く、覚えやすくて誰にでも歌える曲が多かったと思います。また、歌謡番組はお茶の間にはなくてはならない娯楽の定番で、家族や友達同志の共通の話題でもありました。
 そんな中で、ルネの「ミドリ色の屋根」が、33年以上経った今でも話題に上るのは、それだけ印象深かったからなのだと思います。


              

         ♪ルネのブロマイド情報♪ 

 ルネのブロマイド(このサイトでは「プロマイド」)が「マルベル堂」の通信販売で、2007年12月13日から購入できるようになりました。1枚350円です。ただし、白黒9ポーズのみになります。保有数11枚とあるので、あと2枚が追加される可能性もあります。ちなみにその内の1枚は、白いタキシードの全身(上の画像参照 こちらはカラー 「スーパーアイドル ルネ」より)。もう1枚は、マーガレットをつけず、ウィンクしていないアップです。購入できるものの中に、友人にプレゼントしてしまったものがあるので、近々購入したいと思っています。
 また、通信販売では購入できませんが、浅草の「マルベル堂」本店で焼き増しをお願いすれば、カラーのものも購入可能です。(ダイアナ・シールズさん情報♪)全部で10ポーズあります。手続きがちょっと面倒らしいのですが、浅草に行かれたら是非どうぞ!(ただし、店内はとっても狭いですよ~☆)お店の人のミスで反対に焼き増しされたレア物が出るかも?!

※昭和スタークラブ
http://promide.com/page.php?s=1100#here
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