ミドリ色の屋根は永遠に~René Simardに首ったけ~

ルネ・ファンのルネ・ファンによるルネ・ファンのためのルネ・ブログ シマ姉のルネ・データ・バンク

1974年6月27日(木)

2008年01月12日 | 1回目の来日
 ルネが1回目に来日した1974年6月26日(水)から7月13日(日)までの19日間のくわしい活動内容が、今は無きケイブンシャ(勁文社)発刊のニュー・ソング・ブック臨時増刊号「スーパーアイドル ルネ」に掲載されました。 


 来日2日目に当たる1974年6月27日(木)は、東京音楽祭のオリエンテーションにレセプション、記者会見の合間に雑誌の取材も受けるというハード・スケジュール。

 カナダよりもずっと時間のペースが速い日本で、ベテランのスターたちに囲まれて、きっと精神的にも肉体的にもきつかったと思います。そして、この日の中で、ルネにとって一番心残りだったことは、記者会見でのルネのメッセージが、ルネの伝えたかったとおりに訳されなかったことだったようです。そのことについては、ルネの通訳をしていた道上雄峯氏のレポートにも書かれています。




◆6月27日(木)

 9:00
 東京プリンスホテル、福寿の間にて東京音楽祭オリエンテイションに出席。

12:00
 芝公園にて、週刊明星取材。

17:00
 東京プリンスホテル、プロビデンスホールにて記者会見

19:00
 東京プリンスホテル、プロビデンスホールにて東京音楽祭レセプション

         レセプションの時のコスチューム


 記者会見の席で、ルネは短いフランス語のメッセージを言いました。フレダ・ペインスリー・ディグリーズマリー・トラヴァースなんかに囲まれて、「僕はこんな立派な人達ほど大スターではありませんが・・・・・・」と言う意味の社交的なメッセージでした。ところが音楽祭事務局の通訳嬢が「私はこの人達よりも背は小さいけれど・・・・・・」と訳して、ルネ自身の言葉が伝えられなかったことが、とても残念でした。


     ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪

 私の実家は、どちらかというと歌謡番組をあまり見ない家庭でしたが、ピングーパパさんがトピックで紹介してくださったヒット曲はほとんど歌えます。この当時の歌は、今よりも新曲を出すサイクルが長く、覚えやすくて誰にでも歌える曲が多かったと思います。また、歌謡番組はお茶の間にはなくてはならない娯楽の定番で、家族や友達同志の共通の話題でもありました。
 そんな中で、ルネの「ミドリ色の屋根」が、33年以上経った今でも話題に上るのは、それだけ印象深かったからなのだと思います。


              

         ♪ルネのブロマイド情報♪ 

 ルネのブロマイド(このサイトでは「プロマイド」)が「マルベル堂」の通信販売で、2007年12月13日から購入できるようになりました。1枚350円です。ただし、白黒9ポーズのみになります。保有数11枚とあるので、あと2枚が追加される可能性もあります。ちなみにその内の1枚は、白いタキシードの全身(上の画像参照 こちらはカラー 「スーパーアイドル ルネ」より)。もう1枚は、マーガレットをつけず、ウィンクしていないアップです。購入できるものの中に、友人にプレゼントしてしまったものがあるので、近々購入したいと思っています。
 また、通信販売では購入できませんが、浅草の「マルベル堂」本店で焼き増しをお願いすれば、カラーのものも購入可能です。(ダイアナ・シールズさん情報♪)全部で10ポーズあります。手続きがちょっと面倒らしいのですが、浅草に行かれたら是非どうぞ!(ただし、店内はとっても狭いですよ~☆)お店の人のミスで反対に焼き増しされたレア物が出るかも?!

※昭和スタークラブ
http://promide.com/page.php?s=1100#here
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1974年6月26日(水)

2008年01月12日 | 1回目の来日
 ルネが1回目に来日した1974年6月26日(水)から7月13日(日)までの19日間のくわしい活動内容が、今は無きケイブンシャ(勁文社)発刊のニュー・ソング・ブック臨時増刊号スーパーアイドル ルネ」に掲載されました。 

 
 それについては、「完全スケジュール同行記」として、当時ルネの通訳をされていた道上雄峯氏のレポートを過去ログで5回に分けて紹介いたしました。記事にした当時は画像をアップすることを考えていませんでしたが、今回から1回目の来日の19日間を1日ずつ取り上げ、ルネの画像と共に紹介していきたいと思います。


     ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


 1回目の来日は、「ミドリ色の屋根」の作曲者である村上邦彦氏が作曲した日本ユニセフ協会の歌「美しい星」の仏語版”Laissez-nous au moins le soleil”をルネが歌ったことをきっかけに実現しました。
 カナダから送られてきたレコードを聴いた川添象郎氏が、ルネの声に魅了され、村井氏の曲で第3回東京音楽祭世界大会に出場させようということになったのです。

※過去ログ「ルネ・シマール物語⑧美しい星」
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/49.html
※過去ログ「美しい星」
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/19.html





 その当時、会社経営で忙しかった村井氏は、作曲の依頼に、最初は乗り気ではなかったようです。それについては「The Melody Maker~村井邦彦の世界~」に付いてきた解説書の中で語られています。
 
※過去ログ「村井邦彦氏が語る”ミドリ色の屋根”」
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/133.html

 ご参考までに、森山良子が歌っている「美しい星」のYouTube映像がございますので、日本語で歌われている同曲をお聴きください。また、仏語版を歌ったフランスの人気グループ「ポピーズ」の当時のメンバーの映像もご覧ください。

※森山良子 「美しい星」1972.12.31初(NHK紅白歌合戦)
http://www.youtube.com/watch?v=K5bsJh4EXXc&feature=related

※Les Poppys - Des Chansons Pop - 1974
http://www.youtube.com/watch?v=aNLoqjT65_E






◆6月26日(水)
  
18:50
 日本航空005便にて来日。

 一行6名。ルネ・シマール。ジャン・ロック・シマール(父)。ギー・クルティエ(マネージャー)。ルネ・アンジェリル(プロデューサー)。クローディーヌ・バチョー(秘書)。クリスチャン・ルフォール(音楽出版社社長)

20:00
 税関から出る。

 関係者及びファンに囲まれ、東京音楽祭事務局用意のバスで宿舎、東京プリンスホテルへ。

21:45
 東京プリンスホテル958号室にて日本側関係者とミーティング

 ルネ第一印象は、よそよそしいほど慇懃なものでした。長い旅で疲れたにもかかわらず、誰にでもていねいに挨拶をしていました。
 私はこの19日間、ルネ・シマール一行に通訳として同行しました。
コメント (3)
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