クローディーヌとダニエル・バシャン姉妹が書いたルネと妹ナタリー・シマールの本から、今回はナタリーの写真を紹介いたします。
妹ナタリーについては、以前から記事を書いています。それにつきましては、カテゴリ「ルネの妹ナタリー」でご覧ください。
ナタリーはルネがデビューしてから家族写真によって広く知られることとなりますが、4歳の時、ルネが出演したローラ・スコールの缶プリンのCMでTVデビュー(※1)。ルネのセミ・ドキュメンタリー映画”Un Enfant Comme Les Autres(普通の子供)”で銀幕デビュー。ルネとシマール一家が歌ったクリスマス・アルバム” Le Temps Des Fetes Chez La Famille Simard A L'ile D'Orleans ”でレコード・デビュー。もちろん正式に歌手としてデビューしたのは、ルネとデュエットした”Tous les enfants du monde (ABBAの”Chiquititaチキチータ”の仏語版) ”でですが…。その時ナタリーについて書かれた記事でも、ルネと似ていることが強調されていました。ルネが歌った曲にかぶせてナタリーの歌声を入れた曲が、ナタリーのアルバムにはたくさん収録されているので、ナタリーのデビューは「スーパー・アイドル ルネ・シマールの妹」でスタートしたことは間違いありません。
ルネが1983年、第12回東京音楽祭世界大会のプレゼンターとして来日した時、日本のナタリー・プロジェクトが進行中でした。そのきっかけとなったのが、ナタリーのゴールド・ディスク受賞だったのでしょう。この頃、ナタリーの人気はルネを上回るようになり、人気アイドルになっていました。ルネとよく似た容姿と声も、ALFAレコードとCBS SONYの「夢よもう一度」企画、ナタリーの日本デビュー計画のきっかけには十分すぎるものでした。
その後”Le Village de Nathalie”という子供向けTV番組のお姉さんで大ブレイクしますが、そこまで取り上げると記事がまとまらなくなってしまうので、今回は1983年当時の写真までにします。
ふたりのアイドル②
ナタリー・シマール編
▲<和訳>ローラ・スコールの最初のコマーシャル撮影時のルネとナタリー
※YouTube映像"Laura Secord Pouding (Publicité Québec)"
※YouTube映像"Pub 80: Yogourt Laura Secord avec Nathalie Simard"
▲<和訳>ルネとナタリー 二人の友だち 二人の共犯者
ナタリーなしのルネも、ルネなしのナタリーも考えられません。2人は世界で1番の友だちです。兄と妹の関係 それには大変強い繋がりと優しさが存在しています。ルネはナタリーがルネの家にいる間、安全に、そして彼女に必要なことについて注意し、守り導いています。ナタリーはルネに対し、同様に、彼の偉大で立派な行い(彼女の兄は大スターです)の全てに感動しています。
ナタリーを見たら、人々はデビュー当時のルネが再び現れたと思うでしょう。彼らは同じ笑った瞳、ヘア・スタイル、素敵なそばかすを持ち、感じ得るほどの同じ声を持っています。(PASSION SIMARDより)
"※YouTube映像"RENE & NATHALIE SIMARD -LES ENFANTS DU MONDE"
▲<和訳>「La Dance des canards(アヒルのダンス)」への初めてのプラチナ・ディスク
▲<和訳>その成功は変わることなく、ギー・クルティエとトラン・カナダのドゥニ・ブルジュロンの間で得意げにポーズをとるナタリー
第12回東京音楽祭世界大会のプレゼンターとして来日した時、ALFAレコードでいただいた缶バッジとルネのポスト・カードとナタリーのプロフィール。前出の「La Dance des canards(アヒルのダンス)」のアルバム写真が使われています。
♪"La Dance des canards(1982)"
http://discographiesimard.musicblog.fr/2862413/Nathalie-Simard-La-danse-des-canards-1982/
♪シャンタルさんの音楽サイト
http://discographiesimard.musicblog.fr/
※YouTube映像Natalie Simard-"La Dance des canards"
ルネとナタリーが第12回東京音楽祭世界大会の前夜祭で「ミドリ色の屋根」を歌った映像を紹介したのと同じ番組で歌っています。
<追記>
この記事をアップした後、facebookのしゃむねこさんのグループ情報で分かったことですが、1981年にリリースされたナタリーのアルバム"La Rentree...Nathalie"に収録されている"Quand je serai Maman"は、ルネがファースト・コンサートで歌ったザ・タイガースの「廃墟の鳩」に、ナタリーに合わせた仏語詞を付けたものでした。このアルバムには「ミドリ色の屋根」の仏語版"Non ne pleure pas"が収録されていることは知っていました。こちらはルネがカナダで歌入れするために送られたテープをそのまま使っています。"Quand je serai Maman"もコンサートのアレンジそのままなので、ルネにはファースト・コンサートの前に、歌う曲のテープも送られていたのでしょう。それをナタリーのアルバムで使う許可を取るための連絡や仕上がったアルバムから、ナタリーの日本デビューの話が持ち上がったのだと確信しました。ナタリーを紹介した「週刊セブンティーン」の写真もこのアルバムのジャケット裏面のものでしたから…。
♪"La Rentree...Nathalie(1981)"
http://discographiesimard.musicblog.fr/r83313/Nathalie-Simard-1979-1982/5/
妹ナタリーについては、以前から記事を書いています。それにつきましては、カテゴリ「ルネの妹ナタリー」でご覧ください。
ナタリーはルネがデビューしてから家族写真によって広く知られることとなりますが、4歳の時、ルネが出演したローラ・スコールの缶プリンのCMでTVデビュー(※1)。ルネのセミ・ドキュメンタリー映画”Un Enfant Comme Les Autres(普通の子供)”で銀幕デビュー。ルネとシマール一家が歌ったクリスマス・アルバム” Le Temps Des Fetes Chez La Famille Simard A L'ile D'Orleans ”でレコード・デビュー。もちろん正式に歌手としてデビューしたのは、ルネとデュエットした”Tous les enfants du monde (ABBAの”Chiquititaチキチータ”の仏語版) ”でですが…。その時ナタリーについて書かれた記事でも、ルネと似ていることが強調されていました。ルネが歌った曲にかぶせてナタリーの歌声を入れた曲が、ナタリーのアルバムにはたくさん収録されているので、ナタリーのデビューは「スーパー・アイドル ルネ・シマールの妹」でスタートしたことは間違いありません。
ルネが1983年、第12回東京音楽祭世界大会のプレゼンターとして来日した時、日本のナタリー・プロジェクトが進行中でした。そのきっかけとなったのが、ナタリーのゴールド・ディスク受賞だったのでしょう。この頃、ナタリーの人気はルネを上回るようになり、人気アイドルになっていました。ルネとよく似た容姿と声も、ALFAレコードとCBS SONYの「夢よもう一度」企画、ナタリーの日本デビュー計画のきっかけには十分すぎるものでした。
その後”Le Village de Nathalie”という子供向けTV番組のお姉さんで大ブレイクしますが、そこまで取り上げると記事がまとまらなくなってしまうので、今回は1983年当時の写真までにします。
ふたりのアイドル②
ナタリー・シマール編
▲<和訳>ローラ・スコールの最初のコマーシャル撮影時のルネとナタリー
※YouTube映像"Laura Secord Pouding (Publicité Québec)"
※YouTube映像"Pub 80: Yogourt Laura Secord avec Nathalie Simard"
▲<和訳>ルネとナタリー 二人の友だち 二人の共犯者
ナタリーなしのルネも、ルネなしのナタリーも考えられません。2人は世界で1番の友だちです。兄と妹の関係 それには大変強い繋がりと優しさが存在しています。ルネはナタリーがルネの家にいる間、安全に、そして彼女に必要なことについて注意し、守り導いています。ナタリーはルネに対し、同様に、彼の偉大で立派な行い(彼女の兄は大スターです)の全てに感動しています。
ナタリーを見たら、人々はデビュー当時のルネが再び現れたと思うでしょう。彼らは同じ笑った瞳、ヘア・スタイル、素敵なそばかすを持ち、感じ得るほどの同じ声を持っています。(PASSION SIMARDより)
"※YouTube映像"RENE & NATHALIE SIMARD -LES ENFANTS DU MONDE"
▲<和訳>「La Dance des canards(アヒルのダンス)」への初めてのプラチナ・ディスク
▲<和訳>その成功は変わることなく、ギー・クルティエとトラン・カナダのドゥニ・ブルジュロンの間で得意げにポーズをとるナタリー
第12回東京音楽祭世界大会のプレゼンターとして来日した時、ALFAレコードでいただいた缶バッジとルネのポスト・カードとナタリーのプロフィール。前出の「La Dance des canards(アヒルのダンス)」のアルバム写真が使われています。
♪"La Dance des canards(1982)"
http://discographiesimard.musicblog.fr/2862413/Nathalie-Simard-La-danse-des-canards-1982/
♪シャンタルさんの音楽サイト
http://discographiesimard.musicblog.fr/
※YouTube映像Natalie Simard-"La Dance des canards"
ルネとナタリーが第12回東京音楽祭世界大会の前夜祭で「ミドリ色の屋根」を歌った映像を紹介したのと同じ番組で歌っています。
<追記>
この記事をアップした後、facebookのしゃむねこさんのグループ情報で分かったことですが、1981年にリリースされたナタリーのアルバム"La Rentree...Nathalie"に収録されている"Quand je serai Maman"は、ルネがファースト・コンサートで歌ったザ・タイガースの「廃墟の鳩」に、ナタリーに合わせた仏語詞を付けたものでした。このアルバムには「ミドリ色の屋根」の仏語版"Non ne pleure pas"が収録されていることは知っていました。こちらはルネがカナダで歌入れするために送られたテープをそのまま使っています。"Quand je serai Maman"もコンサートのアレンジそのままなので、ルネにはファースト・コンサートの前に、歌う曲のテープも送られていたのでしょう。それをナタリーのアルバムで使う許可を取るための連絡や仕上がったアルバムから、ナタリーの日本デビューの話が持ち上がったのだと確信しました。ナタリーを紹介した「週刊セブンティーン」の写真もこのアルバムのジャケット裏面のものでしたから…。
♪"La Rentree...Nathalie(1981)"
http://discographiesimard.musicblog.fr/r83313/Nathalie-Simard-1979-1982/5/
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