朗報です!!!
「GOLDEN☆BEST limited ルネ・シマール」が、現在sonymusicshopオーダーメイドファクトリーで再販中です!! 曲だけならiTuneでも購入できますが、CDの購入を逃した方はお早めに!
Miwaさん、貴重な情報をありがとうございました
※購入はこちらから
http://www.sonymusicshop.jp/m/item/itemShw.php?site=S&cd=DYCL000000362
そして、今から41年前の1974年、5月18日発行のカナダの芸能新聞に、「ルネ・シマール:未来の日本のアイドル」というタイトルで、川添象郎氏がルネの「ミドリ色の屋根」のレコーディングのためにカナダを訪れたことを報じる記事が掲載されました。
この記事は、facebookでPassion Rene Nathalie et Regis Simardのコレクションから提供していただいたものです。川添氏が、『美しい星』をフランス語で歌ったルネの声に惚れ込んで、モントリオールまで直談判に行き、その承諾を取り、日本でカラオケを作り、それを持ってモントリオールへ行ってレコーディングし、それをソニーレコードから発売するに至ったことは、2009年12月23日に発売された、なかにし礼氏の「世界は俺が回してる」の同名の小説の中で語られています。しかし、それ以外では、「The Melody Maker~村井邦彦の世界~」のリーフレットに下記のようなエピソードが書かれていただけで、ほとんど記事として取り上げられていませんでした。
ある日、ルネが歌った「美しい星」のレコードや写真やらがカナダから送られてきたんですが、僕は整理が苦手だからずっと机の上に置きっぱなしにしていたんです。ところが、それを川添が見つけて「この子は売れる!」って言うわけですよ(笑)。僕は忙しいから「象ちゃんモントリオールへ行ってよ」って頼んだら、翌週彼はさっそくモントリオールに出向いて契約の話をつけて帰ってきた。「色々忙しくしてるけど、たまには曲を書いたらどうだ」ってことを言われて、さらに「東京音楽祭にこの子を出そう!」と。でも、あまりに忙しくて、「僕がプロデュースする時間もないし」とためらったら、象ちゃんが、ロビー和田を連れてきたんですよ。そして僕は作曲家として雇われて、ロビーのディレクションで曲を書いたというわけ。そうやって作った曲でルネが東京音楽祭に出たところ、驚いたことに、この曲とスリー・ディグリーズが最後まで残ったんです。そして、どちらが優勝かってところで、最後の1票を審査員で来日していたフランク・シナトラが入れたんだよ、この少年に(笑)!(「The Melody Maker~村井邦彦の世界~」より)
※過去ログ「村井邦彦氏が語る”ミドリ色の屋根”」参照
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/133.html
川添氏がカナダに渡った時、すでにルネの元には、1974年3月の段階で、『ミドリ色の屋根』のデモ・テープに加え、楽譜と歌詞が届けられており、日本でのデビューに向けて、ルネと父ジャンロック・シマール氏、クルティエ氏とルネ・アンジェリル氏の4人は、大久保美弥子さんという先生に付いて日本語を学んでいました。
そして、川添氏は『ミドリ色の屋根』のカラオケ・テープを携え、ルネに直接日本語の歌唱指導を行い、歌を録音するために、氏自らカナダに赴いたのでした。
ちなみにこのデモ・テープは、『赤い鳥』のメンバーで、後の『ハイ・ファイ・セット』のリード・ヴォーカル山本潤子さんが歌っていました。それについては、デモ・テープの音楽を担当した宮住俊介氏のブログ記事をご覧ください。
♪「ルネ・シマール」
宮住俊介 音楽プロデューサー・Shun Miyazumi のエッセイ! / (株)シュン・コーポレーション
http://blog.livedoor.jp/woodymiyazumi/archives/52230454.html
※過去ログ「ルネと”世界は俺が回してる”」参照
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/406.html
ルネ・シマール:未来の日本のアイドル
▲ルネ・シマールと彼の日本の責任者、川添象郎氏
6月の末頃、ルネ・シマールは、日本の開催2回目を数える歌の祭典に参加する。彼にとって、それは確かに、大きな栄光を母国に持ち帰る、強大なチャンスを伴うが、日本で大スターになるために必要なのは、大会の最終結果によるCBSジャパンの評価である。
音楽祭の翌日に、一連のレコードを発売するための取引契約が準備されており、その歌は、この日の終わりにモントリオールで録音された。
そして、CBSジャパンはこの瞬間、大スターが生み出されることを、代表者の1人によって確信したのだった。
川添象郎氏は、4日間、ルネ・シマールから離れなかった。スタジオでは、感じの良い日本人のプロデューサーが、ルネに日本語の歌を音声学的に教える姿が見られた。
これは我々にとって、他国を代表する音楽会社、それと同様にルネの日本の代理人、そして何よりも日本のように遠い国を知る最初のことである。
ルネ・シマールはそのために大旅行の準備をし、そして国際的な栄光を手にここに戻って来ても、我々は驚かない。
ルネは何日かパリに行く予定なので、日本に行く前に呼び戻され、その歌のプロモーションを作る際、このスターはジョニー・ホリデイと一緒にTV放送に出演する。彼には今、国境を越えた経歴の予測が必要なのだ。
▲ルネはまだ、全く知らない言語で歌うように要求されたことを、とても驚いている
▲川添氏は、細心の気配りをする、根気強い、適任の、そして非常に感じの良い人物ということが知られている。彼はルネ・シマールの才能に熱狂するであろう日本に帰って行った。
▲独占 これがルネの日本語の歌の歌詞だ!!
この記事では、CBSジャパンとなっていますが、当時のCBS・ソニーレコード株式会社(1968年設立 1991年に社名をソニー・ミュージックエンタテインメントとする)のことです。1968年3月1日に、ソニー・レコードとアメリカのColumbia Broadcasting System Inc.(現CBS Inc.)との合弁契約に基づき設立されたため、カナダの記事ではアメリカのCBSインターナショナルと区別するために、CBSJaponと書いたのだと思います。当時の社長は大賀 典雄氏。下の写真の時に、記事中の「一連のレコードを発売するための取引契約」が行われたのでしょうか?
▲<和訳>東京音楽祭世界大会のグランプリのトロフィーを持ち、CBSジャパンの大賀社長と自慢げにポーズを取るルネ(バシャン姉妹の本より)
また、過去ログでも書いたとおり、私は、ルネがフランス経由で来日したと思っていましたが、フランスから一時帰国してプロモーション・ビデオを作成したり、TV番組に出演したりしていたのですね。そして注目すべきは、この記事が、ルネが東京音楽祭世界大会で何らかの賞を獲得し、日本を熱狂させて凱旋帰国するであろうことを、予測した書き方をしていることです。さすがにグランプリとフランク・シナトラ賞の2つの賞を獲得してしまうとは思わなかったでしょうが…。
ルネの帰国の際、モントリオール空港では、ルネの帰りを待ちわびる母ガブリエルを筆頭に、トリュドゥ大統領までもがルネの凱旋帰国を出迎え、報道関係者やケベックのファンでひしめき合っていました。そしてルネは、仏系カナダ人、ケベコワの歌手の憧れである、フランス・デビューの夢も実現させていったのでした。この記事で紹介されているフランス訪問の次に渡仏した時は、フランスでの活動のためでした。
ルネが日本でデビューするきっかけを作った、村井邦彦氏作曲によるユニセフのキャンペーン・ソング『美しい星』については、ルネ友のみなさまも周知のことですね。このことは様々な記事で取り上げられ、当ブログでは何度も紹介してきました。同曲のフランス版、Les Poppysバージョンの歌詞を入手しましたので、後日紹介いたします。
最後になりましたが、Passion Rene Nathalie et Regis SimardとVippassion SimardのGiseleさん、Sophieさん、ありがとうございました
…そして、次回は5月25日(月)アップ予定です。
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この記事は、facebookでPassion Rene Nathalie et Regis Simardのコレクションから提供していただいたものです。川添氏が、『美しい星』をフランス語で歌ったルネの声に惚れ込んで、モントリオールまで直談判に行き、その承諾を取り、日本でカラオケを作り、それを持ってモントリオールへ行ってレコーディングし、それをソニーレコードから発売するに至ったことは、2009年12月23日に発売された、なかにし礼氏の「世界は俺が回してる」の同名の小説の中で語られています。しかし、それ以外では、「The Melody Maker~村井邦彦の世界~」のリーフレットに下記のようなエピソードが書かれていただけで、ほとんど記事として取り上げられていませんでした。
ある日、ルネが歌った「美しい星」のレコードや写真やらがカナダから送られてきたんですが、僕は整理が苦手だからずっと机の上に置きっぱなしにしていたんです。ところが、それを川添が見つけて「この子は売れる!」って言うわけですよ(笑)。僕は忙しいから「象ちゃんモントリオールへ行ってよ」って頼んだら、翌週彼はさっそくモントリオールに出向いて契約の話をつけて帰ってきた。「色々忙しくしてるけど、たまには曲を書いたらどうだ」ってことを言われて、さらに「東京音楽祭にこの子を出そう!」と。でも、あまりに忙しくて、「僕がプロデュースする時間もないし」とためらったら、象ちゃんが、ロビー和田を連れてきたんですよ。そして僕は作曲家として雇われて、ロビーのディレクションで曲を書いたというわけ。そうやって作った曲でルネが東京音楽祭に出たところ、驚いたことに、この曲とスリー・ディグリーズが最後まで残ったんです。そして、どちらが優勝かってところで、最後の1票を審査員で来日していたフランク・シナトラが入れたんだよ、この少年に(笑)!(「The Melody Maker~村井邦彦の世界~」より)
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川添氏がカナダに渡った時、すでにルネの元には、1974年3月の段階で、『ミドリ色の屋根』のデモ・テープに加え、楽譜と歌詞が届けられており、日本でのデビューに向けて、ルネと父ジャンロック・シマール氏、クルティエ氏とルネ・アンジェリル氏の4人は、大久保美弥子さんという先生に付いて日本語を学んでいました。
そして、川添氏は『ミドリ色の屋根』のカラオケ・テープを携え、ルネに直接日本語の歌唱指導を行い、歌を録音するために、氏自らカナダに赴いたのでした。
ちなみにこのデモ・テープは、『赤い鳥』のメンバーで、後の『ハイ・ファイ・セット』のリード・ヴォーカル山本潤子さんが歌っていました。それについては、デモ・テープの音楽を担当した宮住俊介氏のブログ記事をご覧ください。
♪「ルネ・シマール」
宮住俊介 音楽プロデューサー・Shun Miyazumi のエッセイ! / (株)シュン・コーポレーション
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6月の末頃、ルネ・シマールは、日本の開催2回目を数える歌の祭典に参加する。彼にとって、それは確かに、大きな栄光を母国に持ち帰る、強大なチャンスを伴うが、日本で大スターになるために必要なのは、大会の最終結果によるCBSジャパンの評価である。
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また、過去ログでも書いたとおり、私は、ルネがフランス経由で来日したと思っていましたが、フランスから一時帰国してプロモーション・ビデオを作成したり、TV番組に出演したりしていたのですね。そして注目すべきは、この記事が、ルネが東京音楽祭世界大会で何らかの賞を獲得し、日本を熱狂させて凱旋帰国するであろうことを、予測した書き方をしていることです。さすがにグランプリとフランク・シナトラ賞の2つの賞を獲得してしまうとは思わなかったでしょうが…。
ルネの帰国の際、モントリオール空港では、ルネの帰りを待ちわびる母ガブリエルを筆頭に、トリュドゥ大統領までもがルネの凱旋帰国を出迎え、報道関係者やケベックのファンでひしめき合っていました。そしてルネは、仏系カナダ人、ケベコワの歌手の憧れである、フランス・デビューの夢も実現させていったのでした。この記事で紹介されているフランス訪問の次に渡仏した時は、フランスでの活動のためでした。
ルネが日本でデビューするきっかけを作った、村井邦彦氏作曲によるユニセフのキャンペーン・ソング『美しい星』については、ルネ友のみなさまも周知のことですね。このことは様々な記事で取り上げられ、当ブログでは何度も紹介してきました。同曲のフランス版、Les Poppysバージョンの歌詞を入手しましたので、後日紹介いたします。
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