柴田典子の終活ブログ「エンディングノート知恵袋」

エンディングデザインコンサルタント柴田典子のブログ。
葬儀に関わらず「賢い老い支度」として終活全般のお話もしています。

故郷はアスファルト

2010年02月01日 | 昔むかし
私の生まれは東京の下町。
私の家の前は大きな通りで、路面電車が走っていました。
「都電」とか「チンチン電車」なんて言ってました。
片面3車線の大きな通りを車と一緒に馬が荷車を引いて通ったり
警察の騎馬隊みたいな人たちが馬で通ったのを何度かみましたけど
その後に馬糞が落ちてましたよ。
40年前に路面電車は廃止され、今では荒川線という路線だけが唯一都内に残っています。

私の記憶ではその通りはすでにアスファルトで、小さい頃から土に馴染んでいません。
だから、苦手なんですよ、虫とか泥んこが。
そうそう、小学校の校庭もアスファルトでした。
昭和30年代の話です。

裏通りに行くと小さな路地があって、そこだけ土の道で
垣根の根元に鳳仙花とかが咲いていました。

私、その花が欲しくってひと目を盗んで1本、抜いて持ってきたことがあります。
そして、家と隣(銀行でした)の間の隙間に土を盛って、その鳳仙花を植えました。
もちろん土と言っても小さい洗面器一杯くらいの量でその下はアスファルト。
育つ訳無いのに、そういうことが分からなくって、花が増えると信じてましたね

すぐに母に見つかって怒られましたけど、小学1年くらいの話しです。

私の家は商売をしていました。
ダンボールを作って売っていたのですが、表通りに私の家族が棲む家と店があり
裏通りに晩ボールを作る工場があり、その隣には祖父母一家が暮していて
毎日「おじいちゃーん、おばあちゃーん」と遊びに行きました。
父の一番下の妹は、私と七つ違いで、その叔母とはまるで姉妹みたいに育ちました。

ちょうど映画の「夕陽丘3丁目」そのもの。

古いアルバム見てて、思い出しました。

子供たちのためにも
少し書き残しておこうかなー。

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1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
是非、 (ポンポンダリア)
2010-02-02 00:14:14
是非、書いてください。
楽しみにしています。
柴田さんのルーツと謎が解き明かされるかも。

私の家も、親戚が寄り添って暮らしていました。今でも、ワイワイにぎやかですが、そういう暮らし方は、実は、とても幸せなことですね。寂しい人がたくさんいますから。

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