パンとペン
社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い
黒岩比佐子(著)2010年10月発行
ある種の感動を覚えた一冊になった。
個人的には、日本の社会主義の草分けといえば、幸徳秋水や大杉栄の名が
思い浮かび、官憲による弾圧や虐殺といった悲惨で暗いイメージがつきまとう。
正直なところ、堺利彦も知らなかった。
堺は、社会主義者として初めて逮捕され(その後も数回投獄)、生活困窮するなか
病弱な幸徳秋水を支え、過激な大杉栄を牽制し、生活に困る多くの仲間の世話を
しながら彼等をまとめ、国民が平等で平和に暮らすためには如何にすべきか・・・
を模索し行動し続けた人だったのだ。
社会的に追い詰められ、日々の糧を得ることさえ出来ぬ仲間と自分の生活を賄い
平等、平和な社会を目指して活動する手段として、明治末期に『売文社』を設立。
この『売文社』は、広告や借金の依頼、翻訳など文章に関わるあらゆることを
請け負うことで生活の糧を得る、という会社で、会社案内には
━ ペンとパンの交叉は即ち私共の生活の象徴であります。略━
とあり、なんともユニークで発想の自由さに驚かされる。
本書を読んでいて、あまりに詳細な記載に、売文社や堺について
これだけの資料を収集するのは相当な苦労があったことだろうと想像できる。
堺利彦の魅力を知らしめることとなった著者の本書にかけた熱意に感動した。
(著者は、2010年、癌により亡くなられました)
彼女のデスク脇には常に自筆の“戒め”が置かれていたそうで、
そのメモの一部にはこう書いてありました。
・ 慢心するな!
・ 謙虚に、慎重に、丁寧に!
・ 手抜きといい加減はダメ!
・ “自分のゾーン”“イメージトレーニング”
・ いいものを書くヒケツー近道をしないこと!
今後益々活躍が期待される作家だっただけになんとも残念です。
これから、まだ読んでいない彼女の作品を読んでみようと思っています。
わがまま母
昨年10月に講談社の出版記念に紹介された
“著者からのメッセージ”を載せておきます。
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幸徳秋水と共に平民社を創設し、『平民新聞』を創刊して日露戦争に反対したことで
知られ、「日本社会主義運動の父」とも呼ばれている堺利彦。
しかし、それだけでなく、堺利彦は驚くほど多彩な顔をもっていました。
「枯川の名で知られる小説家」「言文一致運動の推進者」「女性解放運動に尽したフ
ェミニスト」「海外文学の紹介者で翻訳の名手」「新聞雑誌の編集人」「社会主義
者で投獄された第一号」「日本一のユーモリスト」……。
そして、私にとっての堺利彦は「売文社社長」。堺利彦の人間としての魅力は、
8年余り続いた「売文社」時代にこそ遺憾なく発揮されたと思っているからです。
今年(2010年)は大逆事件から100年。1910(明治43)年に起こったこの事件で、
幸徳秋水ら社会主義者24人は翌年1月に死刑判決を受け、半数が特赦で無期懲役に
減刑されたものの、12人は異例の早さで刑を執行されています。当時、獄中にいた
堺利彦は幸運にも命拾いをしますが、ここから社会主義運動の「冬の時代」が始まっ
たのでした。
厳しい弾圧の中で、堺利彦が1910年12月に設立したのが「売文社」です。
100年前に誕生したこの「売文社」こそ、日本初の編集プロダクションかつ外国語翻
訳会社だといえるでしょう。「売文社」にはどんな社員がいて、
“ペンによってパンを得る”ためにどんな仕事をしていたのか。
調べ始めると思いがけない事実が次々に明らかになり、驚くばかり。
「売文社」というテーマにめぐり逢えたことを、
著者として心から感謝しています。 ━