38歳からの百姓志願~実践編。

霊峰・石鎚を仰ぎ、瀬戸内の陽光を望む愛媛県西条市、「有機菜園 藤田家族」無農薬・無化学肥料の野菜と暮らし。

久しぶりの雨、援農で大豆選別。

2012年01月16日 | 農と暮らしの日記
脱穀済みの白大豆、選別作業をようやく始めた。
援農で野菜セットのお客さんが来てくださり、だけれど折悪しく雨が降ってきたから屋内作業、ということで。今年の大豆はちょっと玉が小さい。種を播くとき、こんな小さくなかった気がする。原因をよく研究して、今年は大きいのを作りたい。でもなぜ大きいのを作りたくなるのだろう。



月曜、1月も後半に入る。曇りのち昼前から日暮れ頃まで小雨。
午前:野菜セットの荷作り。途中で追加の収穫をして正午頃に完了。市街配達に出る。

午後:買い物して帰り、13時半頃に昼ごはん。
14時から冒頭の援農。市街のお客さんMさんで、雨模様なので30分ほどざっと畑の案内をしてまた家に戻り、あとは暖かい部屋で、薫も一緒に3人で大豆の選別作業。ひと粒ずつ良品とB品に分ける単純作業なので、いろいろとお話ししながら。こんなふうにお客さんとゆっくり話をする機会というのはほとんどない。配達の時にお会いできる方も挨拶程度になるし、ましてや留守宅に配達する方の場合は、僕と薫どちらかは顔も知らないということさえある。

Mさんは神奈川の三浦半島に長く住んでいたことがあるそうだ。
とすれば、藤田家族とどこかですれ違っていたかもしれない。前に真、後ろに渚を載せた僕の自転車と。

16時半頃、とりあえずひと箱が終わって援農も終了。
とても助かりました、またぜひ来てください。今度は天気のよい日に草とりでも。



13日の記事(伊方原発停止のこと)にコメントをくださっている徳島の豊田さん
時々ブログも拝見していて、先日は成人式のことが書かれていた。

それによると、豊田さんは二十歳の頃、福岡で学生生活。
「あの頃は下宿代も安かった、タタミ一畳が千円/月で私の下宿代は月3千円」という。僕の二十歳の頃は風呂トイレ付きが多くなっていたから、畳1枚でいくらという感じではなかったように思う。さてそれで、僕の二十歳の頃の部屋は京王線・笹塚駅から徒歩3分の木造アパート
2階、半畳の玄関で靴を脱いで階段をあがったところがトイレ、右手が僕の部屋で、4畳半の板の間に1間の台所があり、隣に6畳の和室。南の窓からは東に神宮の花火も見えた。この部屋が4万2000円。その前に住んでいた武蔵野台(府中市)のアパートはもう少し狭くて2万7000円だった。

豊田さんのブログの続き。
「昼食は、大学の学食でうどんが20円、喫茶店のコーヒーが80円、煙草の朝日が20円」とある。僕が大学の学食でよく食べていたのはカレーライス220円で、大盛がたしか270円。喫茶店のコーヒーはよく思い出せないけど下北沢のマサコで500円くらいだったのではないだろうか。煙草は吸わないから不明。京王線の初乗りが90円か、100円になっていたかどうか。

それにしても、この金額の差ほどの年齢差ではない。
この時期のインフレがすごかったということだろう。

<本日の野菜セット>例
里芋、人参、大根(源助、青首など)、小蕪、赤蕪、小さいキャベツ、リーフレタス。
セットによって、まんば、サラダからし菜、水菜、巻いてない白菜、などから。

コメント
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