晋ちゃんの気ままな散歩道

あっちこっち横道にそれたり休んだりしながら気ままに散歩しています。

11月16日(金) 大和高取城址 下り

2012-11-22 12:46:46 | 国内旅行

城址の紅葉を満喫したので下りることにした。









下るにしても朝登ってきた道は嫌だ。
膝も少し疲れているのが分かる。
朝、バスに乗らなければ歩いて登るつもりだった道、土佐街道の方へ下りて
城下町を見たいと思った。




帰りの道もかなりきつい。
下から登って来る人に出会うがこっちも一升坂、とか七曲がりとかがあって
しんどい様だ。



猿石、これは築城より遥か昔、飛鳥時代に彫られたもので築城の時明日香村で
掘り出されて石垣に使う石として運ばれてきたものだそうです。



階段で膝を踏ん張るとガクガクいいそうな感じで3度ほど滑って尻もちをついた。
私の前を下っている人を見ると出来るだけ階段を避け、階段の周りの坂道を杖をついてゆっくり歩いている。
なるほど、階段の周りの土の上を歩けば膝に負担がかからない。
暫らくあとをつけて歩いてみたが早く下りたい気持ちが先立って途中で追い越して下りて行った。



途中道が崩れて工事中の個所が3か所あり急な下り坂もある。




やっと山道から抜け出し、宗泉寺(高取藩主、植村家の菩提寺)
の近くまで下りてきた。
ちょうど腰掛け出来る場所があったので最後のみかんを食べた。
一服していると先ほど追い越してきた人が下りて来て隣に座った。



砂防公園のトイレで連れションをし話しながら土佐街道の方へ一緒に歩き始めた。



話をするうちに彼は天高のラグビーで全国大会に出たという。
私は岸高で大学でラグビーをしていた。
さらに同級生であることも分った。






きれいな水の流れるそばに水車小屋があり、

その傍らに「水車茶屋燈仙花」お菓子200円、喫茶200円と書いてある。
お茶でも飲もうかと一緒に入った。
民家を改装したようで新しい。
スリッパをはいて部屋に上がる。
昼飯を食べていないので手作りのアンコロ餅とパンプキンパイを食べた。
ママさんを交えていろいろ話し、近所の人も入って来て話が弾んだ。
私たちは山から下りて来て、今そこで20分ほど前に知り合ったばかりだ
と云ったら驚いていた。
確かに今知り合ったばかりで気が合いすぎている。



土佐街道に入る。
植村家長屋門。



長屋門をそのまま残す武家屋敷。
建築から300年経過しているそうだ。



ちょうど小学生の下校時間。
ここの子どもは向こうからにこにこしながら挨拶して来る。
気持ちがいい。



酒蔵金剛力。



明治から大正時代呉服屋を営んでいた町家。
改修して町の観光案内所になっている。



車一方通行のまっすぐな土佐街道が続く、正面は高取山。



髪館(散髪屋)。






町家ギャラリー輝、「ひとやすみ」。



光明寺。



骨董品、西川美術。



壺阪漢方堂薬局。
薬の町高坂、いま降りてきた高取山は薬草の宝庫と言われている。



壺阪山駅近くの土佐街道。
6世紀の初め大和朝廷の都造りの労役で故郷土佐國を離れ
この地に召しだされたものの任務を終えて帰郷する時には
朝廷からの援助がなく帰郷がかなわずこの地に住みついたことから
土佐と名付けられたそうだ。
そう云えば狭山にも「おわり坂」という所があり、狭山池の開発に
尾張の国から召し出された人たちが住んでいたところといわれている。



駅に戻ってきた。



ちょうど阿倍野橋行きの急行が出たところだった。
次は30分あとになる。



駅で待つ間、最近は酒の量が減った、飯の量も減った、よく忘れ物をする、
なぜカミサンが一緒に来ないのだなど、また話がはずむ。

その時先刻喫茶店で話をしていた女性が改札をくぐって走って来た。
お茶を飲んだ時彼が忘れてきた杖を車で追いかけて持って来てくれたのだ。
杖といっても先が尖った登山用の杖だ、高取山はこれくらいの杖を持って
登らないといけない山のようであった
電車の中でも話が続いたが途中古市駅で「またどこかで会えることを楽しみに」
と別れた。
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