ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

姫路の凧揚げ

2009年01月11日 | 一寸そこまで



     私達の連凧 こんな大凧と一緒の位置まで揚がっています 
          さすが3年目ともなれば上手になりました





       
   
              24畳の大凧 午後も3回揚がりました 
              中:普通の大凧とでもこんなに違います
              下;人との大きさを比べてみてください


今年で3回目姫路競馬場の凧揚げの会に行って来ました。今年は一寸大凧が少なくて物足りませんでした。何十畳と言う凧は「網干の凧」だけでした。でも私達が見ている間に3回も上げてくれたので大喜びでした。

しかし大凧はこの凧だけでした。捻り鉢巻に法被姿の人が少なくて、会場が何となく寂しいと感じました。

今年は新しい凧が二種類でした。「ミニ凧世界チャンピオンのはがき大の凧」です。信じられます? 揚げておられる方のそばで上空を見上げてみたのですが、一瞬一回きりしか私には見えませんでした。どんなに小さくとも色がはっきりしていれば見えるのですけどね。白っぽかつたので空の雲の色に同化してしまうのです。

もうひとつは赤と白のお目出度い色で。丸~るい凧だそうですが、揚がっている時は蝶結びがはためきながら飛んでいる感じでした。こちらは単色ですがはっきりしているので良く見えました。

風が一寸強すぎるかな~と心配しながら行ったのですが、着いてみると、余り風もなく小さい凧だけが揚がっていました。写真を撮るにしても、自分達の凧を揚げるにしても、お弁当が邪魔になるので、まずお弁当を食べることにしました。

1人で来ている英賀保(近郊)の女性が話しかけてこられました。「去年は友達と来たが、あまりに寒いので1時過ぎには帰ってしまって大凧が揚がるのが見られなかった。今年も友達を誘ったけど、行かないというので私1人で来たのよ。バスがタダですしね。でもまだ揚がっていないのよ」去年青空高く上がっている新聞の切抜きを持ってきていて、見せてくれました。今日は揚がりましたよ。どこかであの方も見ているかな~と思っていました。

見る事に満足して、今度は私達の番です。良く揚がりましたよ。高く揚がり過ぎて下ろすのに時間が掛かるほどでした。私達の連凧に、普通の大凧が「一緒に揚がろ…」と近寄ってきました。其れくらい高く高く揚がったんです。気持ちよかったですよ。

色んな参加凧が揚がる時、マイクを使って説明があるのです。私達個人凧は勿論説明がありませんが、主人が「皆さ~ん、老夫婦の尼崎凧が揚がりますよ!」って何度も言っていました。周りには何方も居ませんけれど…。

降りたくないと言う凧をなだめなだめ主人が引っ張り、私が糸巻きと共同作業です。来年も揚げたいな~と、丁寧にたたみこみました。

広い原っぱですから、体温も奪われ体力を消耗します。何時まで凧を揚げられる体力があるかな~と考えながら帰宅しました。

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看るという事

2009年01月10日 | 気にかかる



                  赤系のハボタンです 
     バスの停留場のそばの小さな公園でおじいさんが作っています 
             四季折々の花を楽しませてくださいます



夕べは何度も目が覚めた。電気毛布のヒーター部分が切れているのか電源は入っているのに温まらない。2・3日前から「おかしいな?」勘はあった。とうとう息切れしたらしい。もう何十年もほっこりと私を暖めつづけてくれました。冬の夜の必需品です。  ……と思いきや、手元のスイッチが抜ける寸前でした。ドンなことです。今夜から伸び伸びと眠れそうです。お騒がせしました。


大人のパンツのコマーシャルで綾戸智恵さんが出ているのがありますよね。彼女がお母さんの看病の為に仕事を一時休止していることは知っていました。その言葉が胸を打ちます。何度聞いてもウルウルしてしまいます。何と幸せなお母さんだろうと思います。

お母さんが何時までリハビリするのん?」と綾戸さんに訊ねられた時の答えのようです…。

     リハビリは特別なことではない
     リハビリは生きる練習を続けること
     リハビリを止めるのは 生きることを止める時
     トイレに行くことは基本中の基本

     私も一緒にリハビリするから がんばろな~
     生きていて欲しいから

どの言葉をとっても胸がキュンとなります。誰もが綾戸さんの様に介護に頑張れるわけではありません。経済的な地盤がしっかりしているからこそ専念できるのだと思いますが、実際に看病できなくとも、優しい声かけがあれば、生きる張りも生まれるでしょう。


録って置いた「若年性アルツハイマー」のビデオを見ました。こちらは身体は丈夫だが、脳の一部が急速に退化する病気。私は平均して脳の全てが徐々に退化するものと思っておりました。違ったのですね。「喜怒哀楽を司る、感情は豊に残っている」と先生は言われました。其れは辛いことですね。

コップの在りかを教えるご主人に、理解できない奥さんは「貴方に見えても私には見えないのよ」って突っかかっているの。又息子の小さい頃の写真を見て「可愛いね、このこ誰?」「自分の息子を忘れたの」と言うご主人に、笑って「そういう病気なのよ」と答えた奥さんに、胸がいっぱいになりました。記者には「主人が一生懸命やってくれるから、何とかいられるのよ」って言っておられました。

自分の状態もこんなにはっきり解っているのは、辛いだろうな~と思いました。でもご主人も「今に私が誰かも解らなくなる、しかし世話をしているから今はいいけれど、世話が無くなったとき私は1人如何生きたらいいのだろう」とも言われました。

世話をすることは自分が生きる事でもあるんだな~、だからお世話が出来るんだな~と思いました。

今までの健康に感謝し、これからの一日一日を大切に生きていかなければと思いました。
                               (940回)
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気分的には楽しい練習

2009年01月09日 | 今日この頃
                
                 門松 2種


随分以前から今日は雨の予報が出ていた。でも実際は晴天だった。夜半から雨の予報にもまだ降る気配は無く、温度が下がる予報だけが当たっているようだ。

今日からコンサートの練習に参加しました。去年が参加者が少なかったので、「楽譜を見てもいい」「合同練習を休んでも良い」と条件を下げられましたので、200人以上は集まったと思います。

私達のクラスも始めのうちは珍しくて大勢参加していたように10期生以上のクラスの参加者は多いようですが、私達3期生の我クラスはやや半数の10人ぐらいでしょうか。

今回からは校長先生の出身校である天王寺商業高校のコーラス部のOB・OGの参加があります。この高校も2・3年のうちには統合で名前が消えるそうです。如何にかして天王寺商業高校と言う名前を残し続けたいと校長先生が思いつかれ、参加を呼びかけられたそうです。

先生が天王寺商業高校のOB・OGの紹介の中で言われました「商業高校ですから、皆ソロバンが出来ます。ですから、途中あれっ?と思っても、最後にはちゃんと帳尻を合わせてくれますよ」って。各パート3名づつ12名ほどの参加のようでした。

先生ご夫妻は年末年始にかけてウイーンに行っておられました。のりこ先生の声楽のレッスンも兼ねてだそうです。のりこ先生の先生はウイーン宮廷歌手ガザリアン先生です。ガザリアン先生は今度のコンサートにも出演の為来日されます。

日本でも元旦の夜放映されるニューイヤーコンサートのチケットは高額だし、中々取れないそうですが、その前日の31日のコンサートは少し安いんだそうです。先生ご夫妻もチケットが取れたので行かれたそうですが、1/3は日本人で、女性は着物姿が多かったそうですよ。「不景気な国日本」って何処のことなんでしょうね。

コンサートが終わってから、ガザリアン先生宅でテレビを見ながらカウントダウンをして午前2時ごろまで居られたそうです。新年を迎える時、ガザリアン先生の息子さんたち(成人)2人もご両親に挨拶に来られたそうですが、挨拶が済むと10分も居ない間に帰って行ってしまったそうです。不思議に思って聞くと、「親子、親戚の集まりはクリスマスに済ましているから」と言う事でした。

今の日本では如何でしょうか? 親元に挨拶に行く人は少なくなりつつあるのではないでしょうか? 自分の行きたい所にいき、したいことをして親は二の次と言うのが増えているのではないでしょうか? 年末年始の海外旅行なんてその最たるものですよね。そういえば、先生ご夫婦もそうですよね。でも熱々のスープが飲める距離(歩いて50歩位?)に住んでおられるから良しとしましょうか…
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定額給付金

2009年01月08日 | 気にかかる

          木工作品の獅子の親子 (ウッディの受付)
    
  

8日ともなれば、だんだん正月気分も抜けてはきましたが、でもまだ通常とは行かない中間点を行ったり来たりと言う気分です。

明日からコンサートのお稽古も始まります。年末に3回あったのですが、お休みしてしまいました。クラス別のお稽古と全員集合の日を入れると約10回あります、まだ今冬一度も、風邪の神様に出会っていないのが不気味です。

「定額給付金」やっぱり支給の方向なんですね。今日テレビでしていたようですが、見ていなかったのですよ。所得制限をつけるとか、年齢制限だとか色々右往左往して、これだけ不人気でも実行ですか? 言いだしっぺの公明党はだんまりを決めていますね。あまりに反対が多いからでしょう。もしこれがすんなり賛成多数で支給されたとすれば「我公明党が皆さんの為に…」とか声を大にする予定だったのではないですか? ズルイヨ!麻生さんの不人気に一層の拍車がかかるんじゃない? お気の毒に。

こんな川柳が出ていましたよ。

     「給付金」偉そに言うないッ元血税

そうなんだよね。資金は埋蔵金か何か知らないけど、度々のつまりは「税金」なんですよね。所得制限をすれば、制限で支給されない方達の「奢り」と言う事になるんですよね。と言うわけで、国会議員の皆さんは所得制限に引っかかる方ばかりだから「あげるよ!」って態度が高飛車なのかな~。

     ばら蒔いて嬉しがらせて泣かす気か

「後期高齢者」と「後期高齢予備軍」のわが家にとって2万×2で4万円は一時金としていただくには、一寸した金額ですよ。わが家では預金に回すとか、生活費の足しにするとかという事は無いと思います。政府のご希望通り頂けば直ぐ使いますよ。デモね。財源を何処から持ってこようか? と言う状態でするべき振る舞いだとは思えないのです。

大阪の橋下知事の言われるように、大阪府が貰ったら、分配には所得制限を設けて、その残金は学校の耐震工事に使いたいって、とてもいい考えだと思うのですけれど…。通りそうにないよね、政治家は自分達以外からいいプランが出ることは極力排除ですものね。「オラの考えが一番だ~、随え~」だもんね。

私は前にも書いたとおり、そんな余分なお金があるならば、国境を守る為に「対馬を韓国企業から買い戻す為」に使って欲しいな~。

「定額給付金」の利用が一段落したあたりで、ニッコり笑って「消費税の値上げ」を…って言い出すんじゃない。中々素直に喜べない私はへそ曲がり?

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病院から初詣へ

2009年01月07日 | 一寸そこまで

   

   


今日は七日正月(なのかしょうがつ)七草粥を食べて、一年間の健康を願うとか、正月に暴飲暴食をした胃を休めてやる為とか言われています。わが家ではその習慣がないのです。スーパーで七草粥セットを見るたびに、今年から炊いてみようかな~と言う気が無いわけではないのですが、今まで食べなくても良かったんだから、今更食べなくても、とへんな理屈をつけて今年もパスしました。

わが町・立花のスーパーの「七草粥セット」は「西条の七草」と書いてありました。「アレッ?! どこかで見たっけ?」思い出しました。私が楽しんでいるブログのanikobeさんが今日の為に昨日買ったと写真を載せておられたのと同じだったのです。あちらは奈良です。こちらは兵庫県です。関西一円に出回っているのでしょうか? 産地は愛媛県だそうですが…。


今年も又今日から目の検査が始まりました。2ヶ月ほど間が空いていて、検査だけですから一時間ほどで終わりました。

「生田さんに初詣いこか? それから三宮でお昼食べよか」と主人が言います。実を言いますと主人は1日の橿原神宮の初詣は去年からパスしています。「3時間も乗ってるのん、しんどい」そうです。私は4日に富松神社にも行きましたが、お付き合いすることにしました。

私は生田さんの氏子なんです、名前も生田さんで付けていただいたと聞いています。橿原に行く前には毎年行っていたのですが、三年ぶりぐらいでしょうか…。
我氏神さんとは言え、その商魂の逞しさには驚きました。参道と山門の正面に「広告が」いっぱいです。こんな神社も珍しいのでは? 建て替えするのに資金が欲しいようです。


「天麩羅いく?」「それでもいいよ…」主人は山手方面に向かおうとする「駅こっちよ」と反対方面を指差す私。行こうとする店が違っているらしい。「やぐるまいくん?」

主人は始から「やぐるま」に行くつもりだったらしい。そういえば年賀状に6日からあけると書いてあった。「でも、其れは夜からで、ランチはまだして無いと思うよ」と私。「行って見よ」と主人。私は自分の意見が正しい気がしたので電話をしてみた。

「この電話はお客様の都合により現在は使われておりません…」と掛からない。「こんなこと言うてるよ」と主人に携帯を渡す。「おかしいな、電話番号替えたんかな~」「そんなことないよ。電話はお店の命やで、めったなことで変えへんよ」「行って見よ」と主人。新しい店が出来るまで数ヶ月あったからという事で、行って見る事にしました。

お店はやっぱり締まっていました。トボトボとサンチカまで戻って、私の予定の店で食べて帰って来ました。


               神戸・サンチカの正月飾り

夕食の最中に主人が二階に上がったと思うと、店からの年賀状を持ってきて「番号これやで~」「変わってないよ」「掛けてみ~」掛からないはずの電話が掛かりました。私のほうが吃驚しました。「昼間電話掛からなかったよ。行ったたけど店閉まってたし…」と言う。

前の店を閉店してから数ヶ月店の電話を止めていたので、料金引き落としも解除して、自宅に請求が来るようにしていて、うっかり電話代を払ってなかったんですって、早い話が、料金未払いで止められたと言うことです。他のお客さんからも携帯のほうに連絡があって、慌てて支払いに行って、停止を解除したと言うお粗末だったようです。店が閉まっていたのは昨日・今日までは 夜のみ、昼は明日からだと言っていました。

NTTもお手のものの電話で一寸注意してあげればいいのにね。請求も督促もコンピューターで書類を作り発送する、人の手を掛けることが無くなったのでしょうね。人の温かさの薄い世の中になりました。
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頂いた年賀状から…

2009年01月06日 | 思い出話
      
                  これは「ちぎり絵」です            
       小学校6年生の担任の先生の年賀状 毎年干支の絵です  

      
      
                     多色刷り版画       
       幼稚園 小学校(元町で焼け出され 転校先で又ご一緒に) 
            中学校と共に学びました  木彫りの先生です



               オーソドックスな版画 
高校の同級生 日本画が上手で 神戸市の市報の表紙を飾ったこともあります



今年も色々の年賀状を楽しませていただきました。上のお三方は手作りですから毎年特に楽しみにしています。先生は去年クラス会に来てくださいました。80代ですが、とてもおげんきです。私達とは干支一回り位の違いです。

一番驚いた年賀状はなおさんのものでした。歩き遍路で2泊ご一緒で、洗濯をしながらお話が弾んだ方です。お若い方ですから一緒に歩くことはありませんでした。
彼女は通し遍路でした。分かれてから毎朝一回現状報告のメールのやり取りをしたお仲間です。

添え書きにはこう書かれていました。
「お久し振りです。連絡が遅れましたが 又XX(旧姓)になってしまいました。メールも変わりないので、また…。」5歳のしょう君(写真入)を連れての離婚のようでした。去年年賀状を出したのですが、お返事がありませんでしたので、二人目の子供さんでも出来て忙しいのだろうと思い、今年は年賀状を出すのを控えておりました。

まなさんの年賀状はご夫婦とボクの写真入です。この方はニュージーランドで知り合った方です。留学中で卒業するのでお母さんを呼んで親孝行の旅のワイトモ(間欠泉と土ホタルで有名)で出会いました。私達が明日帰国すると言う前日オークランドの繁華街で私達を見つけて声をかけてくださったのです。お母さんを送った帰りだといっておられました。

そのお母さんも結婚前に亡くなられました。結婚式の写真も新婚旅行の写真も送ってくださいました。美男美女のご夫妻です。

添え書きにはこうありました
「子供が幼稚園に入り少し自分の時間が出来ましたので、子育て支援のお仕事を始めました」若い人は若い人の気持ちが良く解るでしょうから、いいお仕事だと思います。手助けに私達世代をお仲間に入れてくだされば、愛情いっぱいに育つ子供はいい子に育つと思うのですが…。

なほみさんの年賀状は転宅通知もかねていました。尼崎市の「レディース・アイ」と言うグループでご一緒でした。お年はやはり一回り以上違いますが、割と気が合って会の後などにお茶をした記憶があります。何度かお電話も頂きお話しましたが、近頃は私の留守の時が多く、今年ぐらいお会いしたにな~と思っていた矢先でした。

尼崎なのでいつでもお会いできると思っていましたのに、奈良の大和郡山のほうに越していかれたようです。長男夫婦と同居、孫娘さんも生まれおばあちゃんになられたとか…。居宅介護サービスのお仕事をしておられるようです。

添え書きには、面ばゆいのですが、こう書かれておりました。
「素的な人生を歩まれているXXさん(私)のようになりたいといつも思っています」

ちほさん。この方は私がエステに通っていた頃に私の係りの方でした。週に一度は通っていましたから、お顔の手入れをしていただきながら、一週間のお互いの話をしたものでした。結婚されて和歌山にいかれました。男の子が二人、子供さんが小さい頃は二人の写真でしたが、今年からは次男坊だけになりました。とてもハンサムボーイです。

添え書きには「おげんきですか? 次男も大きくなりました」

4人とも私の子供世代の方ですが、こうして毎年お年賀を頂き、近状を知らせてもらえて、とても嬉しいと思っています。それに皆さん美人なんです。そして心優しい方達です。

お正月は忙しくて、疲れるのですが、年賀状があるのでやはり楽しみです。
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尼崎・富松(とまつ)神社

2009年01月05日 | 思い出話

            尼崎・富松神社(とまつじんじゃ)

                  富松神社の絵馬


今年は天皇皇后のご成婚50周年の年に当ります。実は私達も50年なのです。50年前4月のご成婚の日には、次は私だと思い、皇太子様がお生まれになった時も次は私だと思ったものでした。結婚式も、長男誕生も後を追うように1ヶ月程の違いでした。

という事は尼崎に住んで50年という事です。始は、周りが田んぼで、かえるの大合唱に寝られない夜もあり、「えらい田舎に来てしまった」と都会育ちの私は神戸の人ごみが恋しかった。其れが何時のころからか、「住めば都」と住みやすい尼崎が好きになった。でも気が付けば長い間住んでいる割に尼崎のことを知らない、うん、尼崎のことを勉強してみようかしら、難しい事は無しで、文化財など沢山あるらしいので、訊ねて目で見るだけでもいいのではないだろうか、と言う気がし始めました。

手始めに4日には富松神社に行ってきました。此処はニュース映像で2.3年前から「大きな絵馬」が在ることを知っていました。私がここが富松神社だと思っていた場所は間違いで、そこは「富松城跡」だったのです。

ジムが4日から始まりますので、その前に行こうと思い、大体の見当を付けて歩いていくことにしました。所がです、初めての所です迷いに迷いました。道を聞きたくとも、町はまだ静かです。道を歩いているのは「後期高齢者」のみ、パッとした返事が返ってきません。でもどうにか7000歩歩いた頃にたどり着きました。

始めて見た富松神社は「小さいけれど、奇麗な神社だな~」と思いました。手入れも良く行き届いていて清清しい気分でした。勿論、阪神淡路大震災でも被害を受けたそうですが、付属していた建物は崩壊したそうですが、本殿だけは少しの傷みで済んだようです。

始はご近所のおじさんおばさんと言う感じの人がお参りして、さっさと帰っていかれました。その後は私1人になり歩いていますと、中学の運動部の生徒でしょう、引率の先生に連れられてきました。見ていますと、私達の時代のように先生に合わせて拝むのではなく、てんでばらばらに拝んでいるのです。「今の子はこんな拝み方なんだ~」と思っていました。

次に又一団がやってきました。こちらは違いました。一列に整列して、引率の先生が前に立って、先生に合わせて礼拝していました。私達の時代と同じように…。

私は後からの先生のほうが正しいと思いました。団体には団体の拝み方があるという事を覚えます。生徒達は列をつくってゆるい駆け足で去っていきました。

二組共生徒達は「おみくじ」を引いていました。今の子はおみくじが好きなのでしょうか? それとも神社への奉仕のつもりなんでしょうか?

同じ時代に教育を受けても後からの先生に学ぶ生徒は幸せだと思いました。このように団体に関することは家庭では経験出来ない事なんです。其れを自然に覚えさせています。先生の当たり外れは大きな違いだと思います。

因みに、後の先生はスリムでしたが、先の先生は布袋さんの様なお腹の大メタボでした。

        

        
                  富松神社の奉納絵馬 
               可愛かったので撮ってきました 
           願い事は「希望の学校に合格しますように…」




    
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年の初めに

2009年01月04日 | 今日この頃


        あけましておめでとうございます 
    皆々様には良いお年を迎えられたことと存じます
   昨年中は私のページをご訪問頂き有難うございました 
         今年も宜しくお願いいたします

           わが家には年男の父牛と年女の娘牛が居ります  
             次の年回りには父牛は還暦です ひえ~っ! 
       その牛の生みの親は85歳に… う~ん 影も形もないかしら?
 


年末は割合と暖かくて、仕事が捗りました。少なく少なくと作りましたお節もやや思い通りに完成しました。勿体無いな~と思いつつ捨てることはなさそうです。

所がです、やはり台所に立ちっぱなしと言うのは腰に堪えます。腰を曲げて、年相応の老婆になった気分でした。

もう一つ、疲れたためにNHKの「紅白歌合戦」の途中から「往く年来る年」を見ないでぐっすりと寝てしまいました。目覚めれば2009年になっておりました。
こんなことは結婚以来初めてのことです。これも加齢現象でしょうか。自分の感じている以上に体力が低下しているのでしょうね。

潜在的予感はあったらしく、毎年「紅白歌合戦」は録画しておくのですが、今年初めて「往く年来る年」も録画予約を入れておりました。5時に目覚めて、5時間遅れの除夜の鐘を聞き、新年を迎えました。

2日には息子達と、橿原神宮に初詣に行きました。往きはやはり橿原に近づくにつれて渋滞に摑まり3時間半(新記録増進中)かかりました。うんざりして、(と言いながら息子達の運転で、家族だけで移動するその密室?の時間を楽しんでいるのかもしれません)来年からは何処かもう少し近場に変えようかな~と考えたりしましたが、鬼に笑われそうなので止めました。帰りはスイスイと1時間半ぐらいで帰ってきました。


                  橿原神宮の絵馬 
       写っているのは(ど~この誰かは知らないけれど…)です


箱根駅伝を楽しみました。これも大失敗。2日目は何時もなら中継前にはテレビの前に座って、いまや遅しと待っているのです。今年は起きてはいたのですが、8時過ぎまで洗濯に追われて、すっかり忘れておりました。やれやれ新聞でも読もうとテレビ欄を見てやっと気が付くと言う様です。本当に大丈夫かしら?わ・た・し…。

選手の1人がインタヴューに答えて言っていました。「外人に負けたくないと思って、一生懸命練習しました」って。良くぞ言ってくれました。選手達も思っているんですね。「純国産でいいじゃないか」って。外人が1人で20人ごぼう抜きしようとも駄目なものは駄目。駅伝は団体競技なんだから…。

箱根駅伝は女性ランナーは駄目なんですね。フッと思ったのでした。どこか1区間、全大学女性と言うのも無理なのでしょうか? 土俵と箱根駅伝は女性は駄目、そんなのがあってもいいかもしれないけど…。

今大会は1・2年生が沢山選ばれていましたね。良いですね、総合優勝した東洋大学の往路の5区山登りの柏原君(高校時代は無名だったとか)凄いですね~。初めての山登りで8人ごぼう抜きで、区間新だって。スーパーヒーローと呼ばれていましたが、今年の経験を生かした練習で、来年はもっと凄くなっているのでしょうか。

今年も、襷をつなげなかった人が居ましたね。「すみません、すみません」って哀しい声をマイクは拾っていましたね。人生アクシデントは付きものよ。デモね、団体競技だけに辛いよね。彼にとって人生最悪の日だったかも知れないけど、どん底なら、後は這い上がるだけだよ。苦しみに耐えて強い人間になってよ!

橿原神宮に行く自動車の中で見ていましたよ。世の中便利になったものですね。3時半の渋滞は、駅伝を見るための時間だったのだろうか?


           
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