ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

頂いた年賀状から…

2009年01月06日 | 思い出話
      
                  これは「ちぎり絵」です            
       小学校6年生の担任の先生の年賀状 毎年干支の絵です  

      
      
                     多色刷り版画       
       幼稚園 小学校(元町で焼け出され 転校先で又ご一緒に) 
            中学校と共に学びました  木彫りの先生です



               オーソドックスな版画 
高校の同級生 日本画が上手で 神戸市の市報の表紙を飾ったこともあります



今年も色々の年賀状を楽しませていただきました。上のお三方は手作りですから毎年特に楽しみにしています。先生は去年クラス会に来てくださいました。80代ですが、とてもおげんきです。私達とは干支一回り位の違いです。

一番驚いた年賀状はなおさんのものでした。歩き遍路で2泊ご一緒で、洗濯をしながらお話が弾んだ方です。お若い方ですから一緒に歩くことはありませんでした。
彼女は通し遍路でした。分かれてから毎朝一回現状報告のメールのやり取りをしたお仲間です。

添え書きにはこう書かれていました。
「お久し振りです。連絡が遅れましたが 又XX(旧姓)になってしまいました。メールも変わりないので、また…。」5歳のしょう君(写真入)を連れての離婚のようでした。去年年賀状を出したのですが、お返事がありませんでしたので、二人目の子供さんでも出来て忙しいのだろうと思い、今年は年賀状を出すのを控えておりました。

まなさんの年賀状はご夫婦とボクの写真入です。この方はニュージーランドで知り合った方です。留学中で卒業するのでお母さんを呼んで親孝行の旅のワイトモ(間欠泉と土ホタルで有名)で出会いました。私達が明日帰国すると言う前日オークランドの繁華街で私達を見つけて声をかけてくださったのです。お母さんを送った帰りだといっておられました。

そのお母さんも結婚前に亡くなられました。結婚式の写真も新婚旅行の写真も送ってくださいました。美男美女のご夫妻です。

添え書きにはこうありました
「子供が幼稚園に入り少し自分の時間が出来ましたので、子育て支援のお仕事を始めました」若い人は若い人の気持ちが良く解るでしょうから、いいお仕事だと思います。手助けに私達世代をお仲間に入れてくだされば、愛情いっぱいに育つ子供はいい子に育つと思うのですが…。

なほみさんの年賀状は転宅通知もかねていました。尼崎市の「レディース・アイ」と言うグループでご一緒でした。お年はやはり一回り以上違いますが、割と気が合って会の後などにお茶をした記憶があります。何度かお電話も頂きお話しましたが、近頃は私の留守の時が多く、今年ぐらいお会いしたにな~と思っていた矢先でした。

尼崎なのでいつでもお会いできると思っていましたのに、奈良の大和郡山のほうに越していかれたようです。長男夫婦と同居、孫娘さんも生まれおばあちゃんになられたとか…。居宅介護サービスのお仕事をしておられるようです。

添え書きには、面ばゆいのですが、こう書かれておりました。
「素的な人生を歩まれているXXさん(私)のようになりたいといつも思っています」

ちほさん。この方は私がエステに通っていた頃に私の係りの方でした。週に一度は通っていましたから、お顔の手入れをしていただきながら、一週間のお互いの話をしたものでした。結婚されて和歌山にいかれました。男の子が二人、子供さんが小さい頃は二人の写真でしたが、今年からは次男坊だけになりました。とてもハンサムボーイです。

添え書きには「おげんきですか? 次男も大きくなりました」

4人とも私の子供世代の方ですが、こうして毎年お年賀を頂き、近状を知らせてもらえて、とても嬉しいと思っています。それに皆さん美人なんです。そして心優しい方達です。

お正月は忙しくて、疲れるのですが、年賀状があるのでやはり楽しみです。
コメント
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