ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

告 白

2009年01月17日 | 読みました

              金のなる木  幾ら見ても可愛い 
            このは年末から遅れて咲いた親木の花  
    挿し木をした木のほうが花も沢山そして11月ごろから咲き始めました





阪神淡路大震災から14年目の今日。今朝5時46分、不覚にも私は夢の中にいた。毎年5時過ぎには目覚めて、その時刻を待つのが常だった。

私は目覚まし時計のお世話になったことがない、起きたいと思う時刻の1時間前には目覚めると言う、自分の頭の中に目覚まし時計を持っていた。その目覚まし時計も狂ってきたのだろうか、今朝起きることが出来なかった。

その時間になると私は目の前の壁を見つめる。この壁がメトロノームのように左右に揺れた。寝間から這い出そうとした主人に「そのまま寝とき!」と声をかけて、私もフトンの中にいた。何が起こったのか、わからなかった。地震だと気づいたが、あまりの揺れの大きさに、かえって落ち着いていた。諦めの気持ちだったろうか。肝が据わってしまっていた。

「大変な事らしい」と感じたのは、息子が「大丈夫か?!」と2階の私達のところに駆け上がってきた時だった。幸いなことに私達の寝室にはテレビ以外の家具はない。その大きなテレビが前方にストンと落ちていた。もしテレビの傍に寝ていたら足の1本や2本は折れていただろう。

どの位経ってから下に降りたのか覚えていない。この地震の場合、始に大きな縦揺れがあった為、2階が潰れて1階に居た人が押しつぶされたと言うケースが多かった。でも自分の家を信じていたのか、あの日から当分の間私達は階下で寝た。

頻繁に起こる余震の為に何ヶ月も着のみ着のままで寝ていた。お風呂も着る物を手元に置いて、すばやく入った。

幸いなことに電気は間もなくついて、テレビで、生田神社のお社の屋根が地面にかぶさっているのを見た「何?これ!」そのとき広範囲に大きな地震があったことを知った。

水は幸いなことに神戸に汲みに行ったばかりで沢山あった。食事に不自由したのかしなかったのか、その頃のことははっきり覚えていない。スーパーに買い物に走ったのは覚えているが、粗方の棚は空っぽだった。残っている食べられるものを考える事無く買った覚えがある。

毎日余震が数えきれないくらい在った。家の前の道路に入った亀裂は今もそのままである。だからあの地震のことは何かにつけて始終思い出している。でもやはり記憶はだんだん薄れていくのだろう。

14年前の今頃何をしていたのだろう?きっとテレビの前で地震の情報を見ていたのだと思う。地震が来た時の用意なんて何にもしていない、イザと言う時持って逃げるなんて事は出来ないことを知っているから…


            ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

           告 白       湊 かなえ

第29回小説推理新人賞を取った作品です。圧倒的な筆力 機密な構成 デビュー作とは思えない完成度 脅威の大型新人現る!って書かれている。

中学の3学期の終業式で娘を亡くしたシングルマザーの担任教師がH・Rで今日で退職することを話し、娘の死について語り始める。

「愛美は事故で死んだのではありません。このクラスの生徒に殺されたのです…」

この衝撃的な語りからイニシアルとはいえ名指しされた生徒二人と学級委員長。名指しされた生徒の母と姉、夫々の立場から、「愛美の死」をめぐって起きたことに対して「告白」する。最後には又、その教師の語りで結ばれている。

推理小説だから内容を書かないが、思いがけない復讐が待っていた。「愛美の死」を中心に人それぞれの立場から語るので、同じ場面が同じ描写が何度も出てくるのが、一寸気にかかったかな…。



コメント
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