変型和凧 百足(ムカデ)凧
南国日の出鶴
ジャンバーの背中にこの図がプリントされて通販されていました 買う人あるの?
本部席から色々説明があるのですが… 何凧だったけ?
今日も底冷えがする寒さだった。朝起きた時、火の気のない部屋は3度だった。でも氷も張らなければ、雪も降っていない。子供が生まれた頃、オシメを干すと、直ぐ板のように凍りついた、今は洗濯物が凍りつくような寒さには出会いませんが…。
凧揚げを見に姫路に行った11日帰るバスの中で雪が降ってきた。ほんの20分程の間だし、窓越しに見ただけなのですが、小雪に混じって時々大きなボタン雪もふわふわと降っていた。
白から連想して、今朝の新聞を見ますと、昨日の成人式、着物の上には白い肩掛け?首巻?…。そろいも揃って制服のように白いものを巻いている。何故?皆と一緒だと安心だから?何時頃からこうなったのだろう?幅や素材は違うのでしょうが、もう少し個性があってもいいのでは? 外国人の目には如何写っているのでしょう…。
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謎手本忠臣蔵 上下 加藤 廣
忠臣蔵の大フアンである私はとても楽しみに手元に来るのを待っていました。年末から年始にかけて中断したとは言え、年末年始は3週間と言う貸与期間の為、やっと読み上げました。
大筋は変わらず、今まで不明のところの謎を解いてくれる本だと期待したのですが、違いました。今までの忠臣蔵と違い悪人が善人に、善人が悪人にの変化についていけませんでした。
たしかに色んな沢山の古文書から作者なりに割り出されたのでしょうが、そしてこの本に書かれたほうが真実に近いとしても、私は元の忠臣蔵のほうを真実と思いたい。
本文には「あだ討ち」と言う言葉は一切使われていなかった。「復讐」と言う言葉で書かれていたと思う。私の中では「あだ討ち」と「復讐」は上手には言えないけれど核になるものが違うような気がしている。
戦後、日本に来たマッカーサー元帥は「日本人の復讐する心」を恐れたと言う。だから戦後、7~8年、もっとかな? 「忠臣蔵」は映画も芝居も禁止された時代があった。私は小学校の4年生だったが、母に「何故?」と聞くと「忠臣蔵のようにあだ討ちされるのが怖いんだって」と答えたと思う。
赤穂市に調査を頼まれた文芸評論家が「忠臣蔵」に関する本を10数年かかって調べたそうで、その時点でも書かれた物は800点以上あったそうだ。
この本には昔からの「忠臣蔵」の見せ場が一つもない。この本で初めて「忠臣蔵」に接した方は、今までの「仮名手本忠臣蔵」もあわせて読んで欲しい。夫々お好きな作家の書かれたもので読んでくださればいいと思う。今では900種類もあると言われている本の数です、お好きな作家の一人や二人が書いておられると思いますよ。
900作もあるのですから、その全てというわけではないでしょうが、ヒットした「忠臣蔵」の本は世情不安定な時にベストセラーになったそうですよ。この作者も「偶然だと思うけど、世情不安定な昨今だから、あやかって売れて欲しい」と本音を漏らしていました。
仮名手本忠臣蔵(昔からの忠臣蔵)の名場面を思い出します。やっぱり私はそれぞれの名場面に惹かれます。涙なくしては見れない、読めない人情話の名場面が私は好きです。