ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

尼崎・富松(とまつ)神社

2009年01月05日 | 思い出話

            尼崎・富松神社(とまつじんじゃ)

                  富松神社の絵馬


今年は天皇皇后のご成婚50周年の年に当ります。実は私達も50年なのです。50年前4月のご成婚の日には、次は私だと思い、皇太子様がお生まれになった時も次は私だと思ったものでした。結婚式も、長男誕生も後を追うように1ヶ月程の違いでした。

という事は尼崎に住んで50年という事です。始は、周りが田んぼで、かえるの大合唱に寝られない夜もあり、「えらい田舎に来てしまった」と都会育ちの私は神戸の人ごみが恋しかった。其れが何時のころからか、「住めば都」と住みやすい尼崎が好きになった。でも気が付けば長い間住んでいる割に尼崎のことを知らない、うん、尼崎のことを勉強してみようかしら、難しい事は無しで、文化財など沢山あるらしいので、訊ねて目で見るだけでもいいのではないだろうか、と言う気がし始めました。

手始めに4日には富松神社に行ってきました。此処はニュース映像で2.3年前から「大きな絵馬」が在ることを知っていました。私がここが富松神社だと思っていた場所は間違いで、そこは「富松城跡」だったのです。

ジムが4日から始まりますので、その前に行こうと思い、大体の見当を付けて歩いていくことにしました。所がです、初めての所です迷いに迷いました。道を聞きたくとも、町はまだ静かです。道を歩いているのは「後期高齢者」のみ、パッとした返事が返ってきません。でもどうにか7000歩歩いた頃にたどり着きました。

始めて見た富松神社は「小さいけれど、奇麗な神社だな~」と思いました。手入れも良く行き届いていて清清しい気分でした。勿論、阪神淡路大震災でも被害を受けたそうですが、付属していた建物は崩壊したそうですが、本殿だけは少しの傷みで済んだようです。

始はご近所のおじさんおばさんと言う感じの人がお参りして、さっさと帰っていかれました。その後は私1人になり歩いていますと、中学の運動部の生徒でしょう、引率の先生に連れられてきました。見ていますと、私達の時代のように先生に合わせて拝むのではなく、てんでばらばらに拝んでいるのです。「今の子はこんな拝み方なんだ~」と思っていました。

次に又一団がやってきました。こちらは違いました。一列に整列して、引率の先生が前に立って、先生に合わせて礼拝していました。私達の時代と同じように…。

私は後からの先生のほうが正しいと思いました。団体には団体の拝み方があるという事を覚えます。生徒達は列をつくってゆるい駆け足で去っていきました。

二組共生徒達は「おみくじ」を引いていました。今の子はおみくじが好きなのでしょうか? それとも神社への奉仕のつもりなんでしょうか?

同じ時代に教育を受けても後からの先生に学ぶ生徒は幸せだと思いました。このように団体に関することは家庭では経験出来ない事なんです。其れを自然に覚えさせています。先生の当たり外れは大きな違いだと思います。

因みに、後の先生はスリムでしたが、先の先生は布袋さんの様なお腹の大メタボでした。

        

        
                  富松神社の奉納絵馬 
               可愛かったので撮ってきました 
           願い事は「希望の学校に合格しますように…」




    
コメント
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