キバナコスモス (藤原宮跡)
柵で守られています
反対側から入れたかもしれませんが
花の周りを廻ってみましたが入れませんでした
少し離れたこちらは柵がありません
まだ咲かないコスモスを踏みつけないように
用心しながら近づきました
近づけてこそと思うのですが…
二枚目の写真の花園で…
今日は雨の予報でしたが、いいお天気でした。久し振りにジムに行き「ラテン教室」に出ました。快い汗と、冷や汗でびっしょりです。出ようかどうしようか迷いました。頭ではしっかり理解出来ているのに、身体がついていかないのです。でも前から習っている人は出来て当たり前なんだと自分に言い聞かせて出席しました。
お勉強もおなじなんでしょうね。出来ない子はこんな気持ちを味わっているんだろうな~と思います。お勉強は毎日ですからね、辛いでしょうね。でも理解できなかった子を集めて、補習をしてやればきっと出来ると思います。特別頭のいい子は別にして、普通の子は理解度の差(早いか遅いか)だと思うんです。だから国語と算数位は能力別で教えていいと思うんです。
補習は退職なさった先生方にボランティアで見ていただくという方法もあるでしょう。小学校で習うものは大人になっても必要なものですから、じっくり教えてあげて欲しいと思います。
私達の小さい頃は放課後に補習の時間があって、担任の先生が、理解できなかった生徒を残して教えていたように思います。今の先生は雑用が多くて、肝心の生徒の指導に掛ける時間が少ないとか聞いたことがあります。
孫娘が言いますには、国語と算数でしたか、能力別クラスだと言っていました。その別け方が今風だと思ったのは、まず本人の希望を聞くのだそうです。「普通組」か「?組(名前を忘れました。一歩進んだ組)」かどちらに行きたいかって。それからテストをして合格すれば「?組」にいけるそうです。
平等を求める保護者からは異議が出るかもしれませんが、この方法でいいと思います。悔しいと思う子は発奮するでしょうし、普通で良いと思う子は常識の範囲をしっかり習えば良い事ですから。
出来る出来ないは子供の頭の良し悪しだけでは無いと思います。先生との相性もありますし、先生の教え方の上手下手にもあると思います。
私は昔から思っていました。小学校の先生はとても大切だから、学生から直ぐ先生になった人よりも、一般社会生活を経験した人がいいのにと…。でも今の教員試験にはそんな制度は無いのでしょう。
テレビで見ました驚くべき光景、授業中に静かにしておれないで、話したり、歩き廻ったりしている子供達がいることです。如何して先生は怒らないのですか? マンモス・ペアレンツが恐いのでしょうか? 先生は言いました「幼稚園で甘やかされていたから…」そうかもしれませんが、小学生になるという事は子どもなりに今までとは違うと言う気持ちは持っていると思うのです。だから幼稚園の先生に責任ありなんて言わないで導いて欲しいのです。
学校は会社と違い相手が機械や物ではなく、人間なのですから、とても大切な職業ですから、先生を点数だけで選ぶのではなく、何かプラスαがあってもいいのではないかと思います。其れが何なのかは教育関係の人だけではなく、他の社会の人も交えてしっかりと考えていただきたいと思います。