ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

わが家と異なる宗教

2008年09月23日 | 気にかかる

               ジンジャー
       何時もは門を入ると とても良い香がするのですが
           今年は一寸香が薄いようです
         あまりに旺盛に繁殖するものですから
       彼岸花に日が当たらないので刈り取ったのです
        根は大きな芋ですので隅に移そうと思います


           一塊の花の数が少ないので
           香が薄いのかもしれませんね


今日は花の植え替えでもと思っていましたら、先日「敬老の日のお祝い」を持っていきました95歳のおばあさんの方が亡くなりました。無くなったときは数え年で言うものですから97歳といっておりました。

お家の宗教が天理教だものですから、作法を書いた紙をくださいました。私達に関係あるのは「玉串奉献」(神仏や目上の人に物を奉る事)なんですが、説明書を見ても解ったような、解らないような、ご一緒した友人と何度もお稽古しました。

神式では二礼二拍手なんですが、天理教は二礼四拍手なんですね。音は如何か?と聞いていますと、マイクに音が入るようですから、音を立てていいのだわとか前例に倣いました。

お葬式もだんだん簡素化されて、着物の喪服の人を見なくなりました。ご家族でさえ皆さん洋服です。それで良いのかも知れません。看病疲れの後、普段着慣れない着物で身体を締め付けるのはしんどいかもしれません。

火葬場への乗り物も昔はタクシーでしたが、今はマイクロバスです。長い列をつくるより、いいかも知れません。宗教上の関係か、霊柩車の出発の時のクラクションが無かったように思います。

私達のお友達であるお嫁さんも63歳です。良く頑張られました。ふっくらとした方だったのに、げっそりと窶れています。お役目を立派に果たされたのですから、のんびりして元のふっくらさんに戻ってください。長い看病のご褒美に楽しい日々が待っていると思いますよ。本当にお疲れ様でした。

頂いた説明用紙の初めに次のような言葉が記されておりました。

《天理教では、人間が陽気ぐらしをするのを、神も共に楽しみたい、との思し召しからこの世界人間が創られた。と教えていただきます。そして、「この身体は、ちょうど身に付けてある衣服のようなもの、古くなったから脱ぎ捨てたまでのこと」と、死ぬるとは古い着物を脱ぐようなもの、しかし、脱いで終わり、ではなく、新しい着物に着替えるように、魂に相応しい身体を借りて、又この世に生まれかわってきて、陽気暮らしの創造に更なる一歩を進むのだ、と教えていただきます。生き通しの魂を、一時神様の御懐に抱いていただくのが、『みたまうつしの儀』であり、遺骸とお別れするのが『発葬告別の儀』であります。その次第はつぎのとおり。》と言うのです。

いたって理解し易い言葉で綴られているように思いますが、何度も読み返してみると、理解できない言葉が含まれています。《人間が陽気ぐらしするのを、神も共に楽しみたい》の人間の《陽気ぐらし》って? どんな暮らし? 《この世界人間》って?

私が今まで知っていた天理教は「あしきをはろうてたすけたまえてんりきょうのみこと」と言う言葉。

「おやさま」と呼ばれているのは実際に息子の病に苦しんだ母親だという事。その方が教訓を歌にして残したものが教義になっている事。

修学旅行に行く時、当時の仲良しの友達の家に誘いに行った時、団扇太鼓の大きな音に、その家が天理教であることを知った事。わが家の宗教との違いに驚いた。きっと彼女の旅の無事を祈っておられたのだろう。

友人の息子が中学の器械体操で優勝した(私もテレビ中継で見た)時、天理高校から勧誘が来て、悩んだ末行かなかった話を聞いた事。

都市名にもなっているのはこの宗教だけではないですか?毎年多くの寄付がなされ、市の予算に組み込まれているそうですが…。

何時だったか、鏡開きの日に天理市をマイカーで通過中、法被を着た人たちが忙しげに働いているので、一寸の覘いて見た事がある。体育館の様な所で大勢の人が、お餅を割っていた。過ってテレビで見たように、おぜんざいに入れるのかな~と思った事ぐらいです。

「陽気ぐらし」と言う言葉が気になりますが、自分の家の宗教についても余り知らないのに、よその宗教を調べても仕方が無いと調べを中断しました。


コメント
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