ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

町会からの県の施設見学会(1)

2008年09月24日 | 一寸そこまで

         阪神・淡路大震災記念「人と防災未来センター」
          売店でお土産用として売っている防災グッズ


           このパンとカンパン美味しいそうです
         買いたかったが、集合の合図で買えなかった
             これが団体の嫌なところ




           水があれば食べられる御餅三種類


今年は町会の幹事当番に当たっています。幹事さん優先のバス旅行に行ってきました。「人と防災未来センター(防災未来館・人未来館)」「須磨寺」「須磨離宮植物園」と盛りだくさん。という事はどこも中途半端と言うことでしょう。救われたのは一番遠い「須磨離宮」でも1時間ぐらいでいけるので、その分ゆったりしている。しかし「人と防災未来センター」は2時間では無理だ。4~5時間はかかりそうです。

先日、秋篠宮ご夫妻と眞子さまがいらしたのをテレビで見ましたが、「神戸・淡路大震災」の映像を見られて、想像以上の激しさに驚かれたことと思います。

「防災未来館」で初めに「1.17シアター」(入り口の時計は5時46分をさしていた)で地震破壊の凄まじさを迫力ある大型映像と音響で7分間体験します。私達グループ47人と関西電力の社員、小学生数十人が一緒に見ました。

始まった時は小学生は驚きの声を上げていました。しかし暫くするとその凄まじい光景に声も出ず、静まり返ってしまいました。3~4年生だと思うのですが。凄いショックだったと思います。神戸の子ですから、話は聞いていると思うのです。しかし想像をすることは出来なかったでしょう。知っておくべきことだとは思いますが、ショックもきつかったと思います。声が出なくなった状態が其れを示していると思うのです。如何感じたか、聞いてみたかったです。

勿論特殊撮影で作られたものであることは私達大人は知っています。私も実際に三日後に乗り物と歩きで神戸に出まして、親戚を尋ねましたから、避難所の生活も知っていますし、大きなビルが倒れて道路を塞いでいたのや、高速道路が倒れていたのや、今思い出しても信じられない光景を目の当たりにしました。カメラは持っていったのですが、とても撮る気にはなれませんでした。

道路には電線・電話線がのたうちまわっていて、上を見ては歩けなかったこと、全国から送られてきた品の山積み、炊き出し等。人の善意もいっぱい見ました。しかし寒いから温かいものを欲する人の気持ちを商売にと、普通なら100円ぐらいのすうどんを500円で売っている若者、哀しい気持ちで見ましたが、それでも暖かい食べ物が欲しい人が食べていました。

映像を見ながら色々のことが思い出されました。今の神戸を見て、13年年前一瞬にして街が壊滅状態になったとは信じられないと思います。神戸の人は頑張りました。勿論今でも心のどこかに、生活の一片に、あの地震が残っていることは確かです。でもわが故郷・神戸は頑張りました。

わが町尼崎も被害は受けました。あの揺れの大きさは忘れられません。しかしわが家は幸いなことに大丈夫でした。家の向きが幸をそうしたようです。

西宮と尼崎の間に武庫川があります、その川がクッションになって被害が少なかったといわれています。西宮の友人が近くの小学校に避難していることを知りました。家は半壊で昼だけ片付けの為に家に帰るといいました。水が欲しい。暖かいものが飲みたいと彼女は言います。わが家は丁度神戸に水汲みに行った直後でお水のストックはありました。水を自転車の前と後につめるだけ積んで、暖かいコーヒを魔法瓶につめて西宮に向かいました。水が重くてよろよろと走りました。西宮に入ると道路の至る所に亀裂が入っています。怖くて走れません。仕方が無いので自転車を引っ張っていきました。

彼女は今でも言います「あの時持ってきてくれたコーヒほど美味しいコーヒは無いよ」って。

「人未来館」で「葉っぱのフレディ」を3D目がね(立体)で見ました。今度は奇麗な画面で命あるときの働き、命は続くと言う事を見ました。心が和みました。子ども達もそうだったと思うのです。「激」と「優」の組み合わせがとてもよかったと思います。今日の見学は此処だけで充分価値があったと思います。ただ時間がもっと欲しかった。
コメント
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