ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

自分の心底を語る「川柳」

2008年09月03日 | 新聞から

                 玉すだれ
               何となく好きな花
           わが家の玉すだれは消えたかな?
        忘れられてもひっそりと現れて私を喜ばせる





朝から時雨れて、今日はジムに行けないかな~と思っていたが、9時前には薄日が差してきた。喜んで出かけた「フラの日」益々生徒は増え、バウスカートが増え、色彩華やかになってきた。「こりゃ私も縫わねばなるまいな~」と少々気持ちが動く。どれがいい?今研究中。

先生「ふえましたね~。新しい人も多いので、今のは一寸難しいので、簡単で、楽しいのをやります。勿論今までのも時々しますから忘れないでください」先生無理ですよ。習うことが精一杯で昔の事など覚えていませんよ、もうじき1年半になろうとしますが、私は良く休みますから、まだ1年ぐらいでしょうか…。


                『自由題の川柳』


       三尺の意味が解らず影を踏む

「三尺下がって師の影をふまず」からきているのでしょう。今の先生の仕事は尊敬に値するものと思っているのだろうか。昔は、先生は一段高く教壇でものを教えていた。先生を仰ぎ見る形で教えられて「先生は偉い人」と思っていた。今は教壇は取り払われ、生徒と同じ高さのフロアで物を教え、「友達先生」とか呼ばれて喜んでいた先生…、今の教育の敗退はこの線上にあると思うのだが…。
この句の作られた時は「7尺」だったそうです。知らなかった。私達の時代でも先生との距離は縮まっていたんですね。う~ん、距離は3尺ぐらいが丁度良いですよね。


       国産の食にこだわる輸入国

私もなんですが、国産と聞いただけで安心できるんですよ。ただ難点は値が高いことなんです。飛行機や船で運ばれてきたものが、地元産より割安だという事がどうも理解できないんです。


       我と来て愚痴れや後期の高齢者

「我と来て遊べや親の無い雀」から来ていると思うのですが、未だに「後期高齢者」と言うくくりにどんな意味があるのか理解できていないのです。


       日当が出たら読みたい蟹工船

如何して、今、この本がブームになったのでしょうか?テレビで解説しているのを聞きましたが、それでも尚解らないのです。何故今の若者に受け入れられているのか。遊ぶ為のアルバイトが大部分なのにね…。共産党の会員になる人が異常に増えているとか…。ブームってわかりませんね。


       谷間まで見せてみるなと言う目つき

今の服装は何でもありです。昔は谷間の見える服は娼婦のものでした。今は若い人が朝から谷間の見える服を着ています。女の私でさえ、ちらちらと見てしまうほどです。奇麗だとか言う意味からではなくて「危ないな~、時間帯を考えてよ!」と言う気持ちです。


       ごみ出しをするだけなのに化粧する

朝起きて直ぐごみ出しをしますので、人も余り通りませんし、何より化粧をするのが面倒で、好きではないのでスッピンです。お出かけ以外はジムもスーパーへもスッピンです。だから何時までたってもお化粧が上手になりません。そろそろシワ隠しでもと思うのですが3日と続きません。ごみ出しにも化粧するなんて、良い心掛けです。無精者の私には出来ない事です。


       孫だけに妻は取り出す埋蔵金

孫には甘いんです。でも私はお年玉以外は現金は渡さない事にしていました。会った時に欲しいものを買ってあげる、現物支給です。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする