ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

團十郎の歌舞伎案内

2008年09月21日 | 読みました

            エンジェルストランペット
          近松門左衛門の墓所、広済寺の隣の
              近松会館にあります


              3mはあると思います
            上から下までびっしりの花です
            全然今まで気づきませんでした



朝から雨で今日の予定は無理かなと思いました。しかし出かける予定の時間の前には薄日が差してきましたので出かけることにしました。お盆とかお彼岸になると、其の需要を見越したように値の上がるお花を買い、家の彼岸花を8本添えて持って行きました。彼岸花のクリーム色がなんとも言えず墓石に合っておりました。来年はもっと沢山お供えできるように増やしていこうと思いました。

今日は朝からの雨で遠方からの方は来られなかったのか、15分も早く読経が終わりました。塔婆を一枚一枚読み上げるのです。遠くから聞いておりますとお父さんの読経の声、調子そっくりになってこられました。やっぱり親子って似るものなんですね。

お接待の「バラ寿司」を頂いて、もう一度墓前に…。傍のお墓にお参りしていた女性二人と私達とお話しました。彼女達がお参りしていたのは同級生のお墓だそうで、去年56歳で無くなったそうです。「美人でしたよ、不細工な私達が生き残りました」「美人薄命ですか? でもお墓に参っていただいて喜んでおられますよ。同級生がお墓に参ってくださることはめったありませんよ。お幸せな方ですね」

話すうちに出身が鹿児島であることが解った。1人は鹿児島本土、もう1人は屋久島から、まだ船に乗る離島だそうで、我本籍が屋久島であることを話すと、「XXさんが屋久島だったわね」と話しておられた。話から察すると皆さん鹿児島本土の高校か大学の同級生と思う。1人が「九州出身と聞くだけで嬉しいのです。お話できて良かった」と言われる。故郷を遠く離れているとそんなものなんでしょう。
私が「うわ!私より16歳もお若いのだ!」といいますと、暫くして「亥年?」と干支で換算。やっぱり田舎の人だな~とへんなことに感心。今彼女達の干支を数えると「卯年」らしい。



            ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

       團十郎の歌舞伎案内     12代目 市川團十郎

平成19年(2007)9月に青山学院文学部の日本文学科客員教授として「歌舞伎の伝統と美学」と言うテーマの集中講義をされた時のお話を本にされたようです。

この本を読んでいる最中でしたので、シネマ歌舞伎の予告編を見たときはとても嬉しかったのです。

本の中にも出てきましたが、オペラ座での公演のこと。「勧進帳」だったのですが外国人は「勧進帳」を余り好まないらしく「他のものを」と言う事でしたが、市川家の代表作は「勧進帳」と言う事で話を進め、結果は大成功だったというお話でした。

その「オペラ座公演の勧進帳」をテレビで見て、その日にブログに書きました。そうしますとパリ在住の日本人でオペラ座で勧進帳を実際見たし、テレビも見たという男性からコメントが入りました。ブログは見ようと思えば世界中のものが見れるとは真実なんだと、驚きもし喜びました。私も早速彼のブログに飛びました。それから、ニュージーランド、アメリカ等に住む日本人の方のブログも楽しんでいます。

歌舞伎の成り立ち、歴史、歌舞伎十八番、それを役者の立場から見た裏話等盛りだくさんに歌舞伎のお勉強が出来ました。この講義を受けられた青山文学部の皆さんはきっと感動されたことと羨ましく思いました。

歌舞伎十八番についてほとんど見ていることに気づきました。母に連れられて行った時はまだ小さくて題名などは覚えていません。大人に成って「あ~これだ」と知ったものはあります。しかし子どもながら名場面は覚えているものなんですね。母に説明を受けたのかもしれませんが…。こうしてはっきり知ったからにはもう一度自分の意思で見てみたいと思いました。團十郎さんのお勉強にも頭が下がります。いい本に出会いました。
コメント (2)
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