ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

平成20年のお正月(2)

2008年01月05日 | 今日この頃
            橿原神宮の破魔矢

2日の続き: 3時間掛けて着きましたが、お腹が空いています。息子が「タイ焼き」を買ってきてくれましたので、歩きながら食べました。去年までは駐車場の位置から裏参道を通っていました。駐車場が変更になり、表参道が目の前になったので初めて鳥居を潜っての参拝となった。

去年の破魔矢を納めに行くと「おめでとうございます」と受け取ってくれます。去年までは、新年の挨拶だと思っていましたが、今年はその言葉を聞いた途端「こうして古い破魔矢を納めに来られて、おめでとうございます」と言う意味ではないかと感じた。やはりだんだん年齢を重ねると、元気で生かされていることへの感謝もあり、れいこさんの夢見の件もありそう感じたのだろうか。

例年通りお参りをし、絵馬の前で記念撮影をしました。時は既に4時です。今から何かを食べれば夜に差し支えます。道中のコンビニに寄って虫押さえに各々好きなものと飲み物を求めて車中で食べました。

去年まで橋桁だけだったバイパスが開通していましたので使いました。まだ知られていないのか車は少なくスイスイでした。ナビの画面を見ると道無き道を突ききっています。何時もの高速に登ってからが大変でした。遅遅として進まずです。

覚悟していたとは言え数珠繋ぎにはまいりました。そのうち電光板が事故があったことを伝えました。後ろからパトカーと始めて見る変な形の車3台がピーポーピーポーと言いながら時々通り過ぎてゆきます。事故現場が大阪に近かった為に渋滞の列が長かったようです。トンネルの手前で2台の追突事故、トンネルの中で3台の事故車、その車が一台ずつ3台の変な形の自動車に積み上げられていました。人間は1人もいませんでした。既に運ばれて行った後のようです。二人の男性が地面を照らしながら何かしていました。

そのトンネルを通り過ぎると、今までの渋滞がウソのように車は流れて、あっという間に尼崎です。通天閣の灯かりを見た時にやっと大阪に帰ってきた!とほっとしました。

12時~19時30分まで、橿原神宮に居たのは30分、往きに3時間、帰りに4時間。長~い道中の初詣は終わりました。来年はもう少し早めに出ようと、喉もと過ぎれば熱さを忘れて、懲りない私です。

震災の年までは私は氏神さんである神戸の生田さんにもお参りしていました。その2週間後、震災の情報としてテレビに映し出されたのが、地面に落ちた生田さんのお社の屋根でした。行くと何かが起きそうで去年まで生田さんに初詣する気にはなりませんでした。去年10年ぶりぐらいで行ってみました。帰り道、縄張りをして警官が立っています。何があったのだろうと話しながら帰ってくると、テレビが殺人事件だと伝えました。又行く気がしなくなっています。

皆で自動車の渋滞に摑まっているなら気が楽なのですが、主人が風邪が抜けないので、用心の為行かないと家で留守番をしていました。事故の渋滞に巻き込まれて遅くなる事を伝えようにも、電話には一切出ないのです。携帯ぐらいはもっているかと携帯に掛けてみても充電器の上らしくて出ないのです。自分から掛けてくることも無いのです。私も余り電話はかけませんが、主人の携帯は電話と言うより、腕時計がわりです。

遅い夕食を済ませて10時過ぎに次男一家が大阪に帰って行きました。いよいよ私の今年の生活が始まります。駅伝を見て、ウイン・フィルの録画を見るだけで一日がつぶれると思います。ジムも始まります。5日からはコンサートの練習も始まります。少しづつ始動開始!
コメント (4)
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