ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

風邪の神様お帰りで~す

2008年01月31日 | 今日この頃
            大阪城の新年
      城の一隅に 新年に此処を訪れる人を
        今年の干支が出迎えていました

今年の1月もあっという間に今日で終わり。干支のネズミの様にチョロチョロ、キョロキョロと暖かい寝床を捨てて出てまいりました。

食欲が出てきた昨日、おじやが食べたかった。姑が寝込んだ時、私は何時もお腹に優しいおじやを具を色々変えながら作った。其れは自然の事だと思っていた。でも自分がその年になって、作ってくれる人が側にいない今の自分を考えると、姑は幸せな人だったんだな~と思う。

でもまだ作る元気は無かった昨日、ではどうして栄養を取ればいいのか?考えた。あやこさんから頂いたチョコレートの中に1cmの玉の小さなチョコがあるのを思い出し、其れを一粒ずつ食べては神戸の水を飲んだ。チョコレートは滋養満点という事を思い出した。大きなチョコは空っぽの胃に強すぎるかなと思ったから。

作ってもらえないと嘆くより、では如何すれば良いかを考えるのが私の生き方。だんだんチョコ元気が出てきました。

早起きして、一番に土鍋でおじやを作った。平行しておぜんざいも。何故ならおじやの次にはおぜんざいに入ったお餅が食べたかったのです。お昼ごはんはバラ寿司少しとおぜんざいです。主人は吃驚したかも知れない「今日何でぜんざい?」

今度の風邪は何時もと違いました。「お腹にくる」とは聞いていましたが、それとも違ったようです。確かに膨張感はありましたが、これは「冷え」からのように思います。寝床を離れたときに少し咳き込むだけで咳も出ず、勿論鼻水も出ず、ただ背中の寒気と体内に留まる熱っぽさが二日間続きました。その間は食欲が全く無く、握り寿司を数個口にしただけで(意識して水分補給だけはしました)ただウツラウツラと寝ていました。

枕元にはテレビのリモコン、めがね、本等並べて置きましたが、手にする事はありませんでした。ただ浅い眠りを続けておりました。

眠っている時は現実の私と違った私がそこに居ました。旅行するときの夢が多かったのです。今夜の宿さえわからず、1人取り残されて迷子になったとか、仕方が無いので帰ろうと駅を訊ねるのですが、つい今下りたはずの駅が消えていたり、人に尋ねると何キロも先で、もう電車は無いと言われたり、出てくる人は昭和の初めにタイムスリップしたように男はカンカン帽、女は束髪だっりと、万事休す!と言うところで目が覚める。

実際の私はスケジュール表を作って、観光も最低2種類のルートは考えて、気象条件等で迷わないようにして、宿の連絡先は勿論記して、一通は自宅に残し、自分達も一通持って旅に出る。身体が病み疲れているときは心も病んでいるらしい。現実にはありえないことを夢見て苦しんでいる。

夢の狭間は唯目を閉じていた。すると今までの私の歩んできた道が次々と何の関連も無く現れる、その事に思いを馳せているとそのうち眠りに引き込まれる。歩んできた道も考え方はマイナス思考だ。「あ~すればよかった」「こうすればよかった」と否定的である。どうしようもなく落ち込んでいると又眠りに入っていくと言う2日間だった。

入院経験の無い私は考えました。入院するほど病んだら、病院のベッドの上でこの2日間のようにマイナス思考の日を送るのだろうか?外科のように日にち薬で快方に向かうのならいいけれど、先の見えない内科だと・・・。

そんなマイナスの事を考えるより今までたいした病気もせずに来れた人生に感謝しようよと自分に言い聞かせました。
                       (620回)
コメント (10)
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