ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

サラリーマン川柳(2)

2007年05月21日 | 新聞から
          アルペン・ブルー(星桔梗)
           半日陰が良いようです
       日向に出すと色あせ元気がなくなります

18日にサラリーマン川柳の10位までの入賞を書きました。改めて100句を見ると、やはりなるほどと思うものばかりでした。でも折角ですから、後10句私好みで選んでみました。

     マズイのに ウマイ!といったら 朝昼晩

お勤めしていると、お食事会などにも良く行っているだろうし、親父ギャルなんて言われながら「居酒屋」で和食(家庭料理)も口にしてるだろうに、味付けの下手な人がいるのかな~。やっぱり料理音痴の人はいるんだわ。でも料理音痴の人って人の作ったものの味は解るのだろうか?其処が疑問なのよ。

      久し振り 定時帰宅に 笑顔なし

「亭主は 元気で 留守が良い」なんだわ。夕食が終わったら「情報交換に○○さんに電話しよう」とか「借りてきたビデオでも見よう」と思っていたとしたら笑って迎えられないわね~。

      お年玉 上げると孫は 直ぐ帰る

孫もだんだん大きくなると離れて行きます。我が息子達は祖母と同居でしたから、友達が「おばあちゃんのところに行く」と遊べない時「何でボクとこは、おばあちゃんは家に居るの、よそに居たら遊びに行けるのに・・・」と言ったことがあります。なんて答えたんだろう私は・・・。そんな孫も大きくなると「お母さん、留守番してるから、お年玉もろて来て」と変わるらしいんですよ。

      定年で あわてて地区に 顔を売り

この句の旦那は社交的と言うか、何時も仲間が欲しい旦那さんです。我が亭主は一向に構わず、地区活動に顔出しなんてしようとしません。マイペースで家でひとり遊びの名人です。私のパソコン取り上げて。

      同窓会 行ってみれば 老人会

同窓会はそうでしょうね。年齢の幅がありますから。其の点、同期会は同い年ですから、少々若く見える人も、老けて見える人も少しの差だから、外から見ればれっきとした「老人会」でしょうけれど、自分ではそうは感じないんです。

      病院も あったら良いな ポイント制

毎日病院通いの方は思うんでしょうね。今は何でもポイント制とかでカードが貯まります。他の句で、ポイント欲しさに、必要ないものまで買うと言う句がありました。

      其のすきま 席ゆづられても すわれない

グループで行動している時、一人入るには微妙な空間「此処座れるよ」と呼び込まれて経験しましたよ。周りの人の迷惑そうな顔、呼んでくれた人は見ていないのです。
      
       ナビだけが お疲れ様と 慰労する

本当に驚きますね「お疲れ様でした」って言うんですね。でも気持ち良いものですよ、言われると。

      新妻は 炊事と掃除 未履修で

「新婚さんいらっしゃい!」を見ていますと、家事全般、ご主人がする人、不味い食事を造る人が再々登場します。社会で働いていて、家では親の作ったご飯を「貴女作る人 私食べる人」で食べていたからかな~。高校の世界史未履修にかけているんですね。

      大いびき リモコンきったら 「見てたのに!!」

これは我が亭主もそうです。グーグーいびきかいて寝ているのに、消しに行くと、「今、見てたのに~」ってリモコンを握り締めるんです。

全ての句は社会批判であり、家族批判で、ずばりと切り込んでいるのですが、詠む方も心根の優しい人の句ですから、読む方も苦笑して読めます。
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オープンガーデン

2007年05月20日 | 一寸そこまで
           大井戸公園のバラ
           リビン・イージー
         パステルカラーが優しい

花は午前中の方が美しいと言うので、早めに出て、約1時間足らずで三田に着いた。オープンガーデンをめぐるコースはABCとあり。私達はAコースを選んだ。ガーデンめぐりのパスポート(300円 胸に着けるリボンが入っている)と一日乗り放題の切符(300円)を買う。駅から1時間バスに揺られて目的地に到着。

千里のニュータウンの様な高層住宅がゴロゴロしている。その間に一軒家群がある。大きなタウンである。私達のAコースは町名に植物の名前がついている。ゆったりと美しい町である。不思議に思ったのは露地を入ると車庫があるが大通りに面した家には車庫が無い作りになっている。これはどんな意味があるのだろうか?

三田も開けて数十年、住んでいる方も老齢化してきた地区では交通便利な都会へのユーターン現象が起きているらしい。その一番は、底冷えのする寒さだそうだ。老いの身には堪えると言う。それと私が思ったのは病院の少なさである。老齢化に病院はつきものだから。

わが町と比べると道幅広く、閑静で生活のにおいの少ない町と言う印象だった。
だからこそオープンガーデンも似合う。

半日掛かりでも5軒しか回れなかった。其の家の方がお庭に居てお話相手をしてくださるので、お話を聞いている内に長いしてしまう。乗り放題のバスで移動を繰り返すつもりが、ワンブロックだけで3時を過ぎてしまった。

夫々の家に夫々の美しさがあった。珍しい花とも出会えた。秋篠宮眞子さまのお印「モッコウバラ」パステルカラーの黄色と白にも出合った。バラと言っても3センチほどの小さいバラである事も知った。

もう少し近ければ日参したいようなガーデンばかりだった。参加していない家々も形良い前庭を持っていて、其の佇まいも好ましい。

我家で困っている「野良猫」のことを聞いてみた。やはり此処でも猫害はあるそうで、空地には棘のある枝など、ものを置いて防止策を講じておられる。

見学の中途に、「焼肉やさん」に行った。私は大喜び。今までに一度だけ経験があるだけで行く機会が無かったから。其の時は大盛りの皿であったが、今回は1人分ずつお皿に載ってきて、夫々自分で焼くのである。私は初体験。これにスープ、サラダ、キムチの漬物、御飯そして食後のコーヒがついて、「びっくりランチ三色盛り(私には良く解らないが3種類のお肉が乗っている)」と言うので980円。「焼きすぎると不味いよ」と注意を受けながら、自分の好みで焼いた。

昨日のお弁当の不満は、このランチで消えた。やはり冷たい出来合いより、単純でも暖かい食べ物が良い。

ブロックの見物を終えて、もう時間だから帰ろうとバス停に行った。一時間に一本のバスが私達が待っていた停留場が違っていたのか通過してしまった。又1時間待つわけにも行かながタクシーも居ない。自分達が何処に居るのかさえ解らない。途方に呉れていると、一人の女の人が歩いてきた。話してみるとJRで高槻に帰るという、これ幸いと後ろについて歩く。

一番近い駅「神戸電鉄ウッディタウン駅」から三田まで、其処からJRに乗った。
車中、案内人も初めてだと知る。「1人で来られるから充分に調べてこられたんですね。私達は4人ですから、誰かが調べているだろうと、他の人を当てにして迷子になったんだと思います。本当に有難うございました」

初めての所に行く時は充分予備知識を持つこと。人を当てにしないで自分で調べること。良い経験でした。
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楽しみのはずが・・・

2007年05月19日 | 今日この頃
             ケーニガー
        4色あります、こぼれ種です
       こぼれ種は丈夫に育つのですが
     どの色が残ると言う保障が無いのが難点

大阪にパンを買いにいったんです。先日映画を見に行った時に買うつもりが、売り切れてなかったんです。其の時に「ジャンボ宝くじ」を買うつもりが忘れたんです。

それを思い出して、何時も買う大阪駅出口の籤売り場に行って驚いたのです。大げさではなく何百人、十重二十重に蛇行して並んでいるんです。其の上其の列が余り動かないんですで帰ろうとしたんですが「一寸待てよ。ジャンボのお客さんではなさそうだよ?」好奇心がむくむく・・・。

列に近づいて「すみません。これジャンボ籤の行列ですか?」「いいえ。サッカーくじを買う列です」なるほど。それで合点がいった。何だか的中する人が無くて懸賞金が何億かに膨らんで貯まっているとテレビが言っていた。どんな仕組みになっているのか知らないが、1人にかかる時間が長そう。だから列の動きが無いんだわ。それにしても凄い人気だ。隣のジャンボ売り場はガラガラ、売り子さんもぽつねんと所在なさそう。私は其処で「バラで10枚ください」売り子さん3人口を揃えて「有難うございます」

          ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

たまちゃんから「早めに出れませんか」とメール、三宮でお茶をする。それからバスで同期会の集合場所へ行った。

前回から約2年、亡くなった人5名、体調不良で出席できない人十数名、元気に出席した人も座るのは苦痛とあちこちで足を投げ出している。私は正座も平気だが、近頃は重量に必死に耐えてしびれている我が足が可哀想な気がしている。

学校で集合、平の清盛の別荘、雪の御所跡、勝海舟の住居などを散策後、祇園神社のお座敷で食事と言う計画はとても良いと思った。

3年1組と言う教室を借りたので、帰りしな職員室にお礼に行った。当直の教頭(副校長とか言ってたかしら)を初め3人の先生方が出てこられた。「何回生ですか?」「2回生で、昭和26年卒です」「あ~、私はまだ生まれておりませんでした。今年の一年生は61回生です」孫より若いんだものな~。あ~ぁ、青春は遠くなりにけり。

順番に時間より早めにプログラムを済ませて、いよいよ祇園さんの階段のぼり「足の悪い方は裏のゆるい坂道をお上りください」と幹事さん。私は頑張って、横浜から来られたふみこさんと話しながら登った。ふみこさんはフォークダンスで鍛えておられるだけに姿勢が良い。姿勢が良いと若々しく見えますね。何気ない服装も好ましく、今日のピカイチはふみこさんだ。

いよいよお楽しみのお食事。京都の有名なお店の弁当と言うことで期待半分、嫌な気半分。嫌な気分が当りだった。蓋を取った途端がっくり・・・。私は好きな物から食べる方なので、どれからと見回したが、お箸が宙に止まったまま動かせない。二段重ね故、品数は沢山入っているが、練り物が中心で、同じような味付けばかり。せめて暖かいお吸い物でもあれば良いが、それもなし。

アルコール中心である。ビール、お酒、焼酎は充分過ぎるぐらいある。幹事さんがのんべさんだからこうなることは予想がついていたが、余りにも酷すぎる。2年後は女幹事さんまでものんべさんだから、お店の名前を見て欠席にしようと思ったほどだった。

お世話くださって文句を言うのは悪いと思ったから「お世話に成りました」と挨拶して帰ってきたが、お腹の中では「あ~、お金が勿体無い!」と思った。
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サラリーマン川柳

2007年05月18日 | 新聞から
           大井戸公園のバラ
       黄色は数少ないが、ぱっと目を引く

第一生命保険の20回目「サラリーマン川柳」の入選作が2月初めに100句選ばれました。それから40日間の投票期間を持って10句が選ばれました。

    一位 脳年齢 年金すでに もらえます

順天堂の携帯ゲームソフト「脳トレ」をテーマにしたものだそうです。外見は兎も角「脳の中」は見えないから恐ろしい。「脳トレ」ソフトで本当にわかるんですか?

    二位 このオレに 暖かいのは 便座だけ

現代の家庭事情を皮肉っている。かか~あ殿下も此処まで来たか?何の為に結婚するのか?男は外で働き、女は家庭を守る図式が崩れ、得しているのは女性だけ?不甲斐ない男性の皆さん、もう少し凛凛しくなってもらえません?

    三位 犬は良い 崖っぷちでも 助けられ

崖で動けなくなった犬が消防隊員に助けられた。大変な騒ぎでしたね。幸運な犬が欲しいと飼い主希望が殺到したとか。貰われていったワンちゃん幸せにしているのでしょうか?

   四位 アレ何処だ アレをコレする あのアレだ!

何だか判じ物の様な会話ですが、長年連れ添った相棒にはわかるんですよね~。コレ不思議。以心伝心ってやつですかね~。

    五位 「ありがとう」 其の一言が 潤滑油

う~ん、そうだろうな~。日常的に行っている事でも、一言の「ありがとう」で優しい心になりますものね。「ありがとう」の言葉の威力。言いましょうね。「有難う」相手も自分自身をも幸せにする言葉。

    六位 忘れぬよう メモした紙を また捜す

私のする事見ていたの? と言いたい句。良くやるんですよ。こんな時必死に探すのを一時止めて時間をおきます。「確かこのあたり」と思い込んでいる所ばかり捜しているから、見つかりません。そして時を経て、改めて捜し始めますと案外見つかるものです。経験者は語る!
    
    七位 イナバウアー 一発芸で 腰痛め

大流行した言葉「イナバウアー」。鏡に映した私は優雅なイナバウアーではなく、カルメンのバラを咥えた「オ・レイ」のあのポーズ・・・反ったつもりが、姿勢正しく突っ立っている。荒川静香さんの「イナバウアー」生で見てみたいな~。
    
    八位 「ごはんある?」「つくればあるけど」「ならいいですー」

遅いと思って、旦那の夕食作ってなかったのに、突然(奥さんにすれば)の帰宅。
思わず本音が口をつく。さっさとお片づけして、お気に入りのあの番組見ようと座ったところだったのかも。でも作ってあげてください。明日も元気で働けるように。

    九位 脳トレを やるならさきに 脂肪取れ

旦那?奥さん?どちら? 私は亭主の悪態だと思うわ。旦那は決められた小遣いで、ささやかなランチ。毎日ではないとはいえ、奥様は仲よしグループと優雅なランチ。旦那に報告しなくても、其のふくよかな体が証明している。一寸耳の痛いお話。

    十位 たまったなぁ~ お金じゃなくて 体脂肪

コレも実感。お腹の皮を抓みながら、何時も私も思います。「お金はたまらんのに、脂肪はよう貯まるな~」

皆さんよう上手につくりますね~。どれもこれも身につまされます。読んでみれば何でも無い句ですが、一目見て「なるほど」と思う句です、たいしたものです。私には出来そうにありません。ユーモアと皮肉のエッセンスたっぷりお持ちの方なんでしょうね。私はこれからも楽しく読ませて頂く方に回ります。
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俺は、君のためにこそ死ににいく

2007年05月17日 | 映画の話
           大井戸公園のバラ
         房咲き、私のお気に入り
       一寸バラには見えないけど、垣バラ

「俺は、君のためにこそ死ににいく」長~い題名の映画を見に行った。題名に区切り点「、」が入っているのもめずらしい。館内はシニア専門館の様相。2~3人若い男性が混じっていたが、彼らは何を思って見に来て、何を感じて帰ったのだろうか。

知覧には一度行ったことがある。武家屋敷には行ったが、特攻平和会館にはまだ足を運んでいない。鹿児島には何度も行っているが、市内からは少し離れているので機会を逸している。今度じっくりと行ってみたい。

戦争中、私は小学校の低学年であり集団疎開をしていて、家は焼かれたが空襲を知らない。だから戦争と言うものを戦後の子供と同じくらい何も知らない。

本が好きとはいえ、戦争ものは読んでいないし関心も無かった。しかし年を重ねると、今の全てが「戦争と言う過去があって、其の上に積みあがったものである」と言う事をつくづく考えるようになった。

特攻隊と言えば、二十歳前後が中心で、当時の状況下においては、ただ体当たりして相手をやっつける為の器械となって、帰りの燃料を積まずに飛んでいく。希望は無く死あるのみと私は感じたが、此処で題名が生きてくるのであろうか「俺は、君のためにこそ死ににいく」と・・・。

話の説明:昭和19年太平洋戦争で圧倒的劣勢を強いられていた日本軍は戦闘機に250キロの爆弾を搭載して敵艦に体当たりする特別攻撃隊を編成、本当なら未来を担うべき若者たちの尊い命が失われていった。

当時のリアリティーを再現する為、元隊員たちによる軍事教練を100名以上のキャストに行い、陸軍戦闘機・隼を、当時の設計図を取り寄せ5000万円を投じて実寸大で再現した。3ヶ月に及ぶ長期撮影を敢行。

特攻隊の基地のあった、鹿児島の知覧で軍の指定食堂をしていた、鳥濱トメさんは家族と離れて出撃を待つ若者達に母親のように慕われていた。トメさんも自分の大切な着物を米や卵に変えて、出撃前の若者に食べさせた。

あたら若い命を散らせた者も、戦後は「犬死」と言われ不憫だが、生き残ったものも「特攻くずれ」と呼ばれ蔑まれたらしい。戦争とはかくも酷いものなのだ。特攻隊の生き残りと言えば、今は亡き俳優の西村こうさんと元裏千家の家元・千玄室さんも特攻隊の仲間だったと聞いたことがある。この映画ご覧になったろうか。

主人は特攻隊の年齢に近いし、当時、軍の学生であった経験の持ち主だから、この頃の年齢差は大きいし、男と女の差もあると思う。今日の映画を見ても私とは感じ方も違うだろう。

鳥濱トメさんを中心に彼女の思い出を語ると言う形を取っている。トメさんに扮する岸恵子さんは原作者である石原慎太郎さんのたっての希望の実現だった。

徹子の部屋に出ていた岸さんはこの映画にも触れていた。「お話を頂いてから、2年間色々考えました。其の頃から『靖国神社の問題』が取りざたされていましたし、台詞の中に『靖国で会おう』と言う言葉がありますし・・・」結果的には引き受けられたのです。

同日飛び立っ者は「今度は靖国のサクラの木の元で会おう、そして揃って靖国にいこう」と言う台詞があるが、おなじ編隊の者はそういう話もあったのだろうか。

最後の場面は満開のサクラの中、トメさんを車椅子にのせ、生き残った編隊長?は「皆に会いたい」という。彼に会いに笑顔で駆けてくる英霊、幻が消えると、其処には無数に飛び交う蛍が居る。サクラの時期に飛び交う蛍に疑問を感じながらも、美しさに見入ってしまった。

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美智子さまの恋文

2007年05月16日 | 読みました
           大井戸公園のバラ
          大阪の中の島公園や
        伊丹の荒牧ほど有名ではないが
           此処もバラ園です
  手入れされているが、名札が少ないのが惜しいな~

         美智子さまの恋文    橋本明

美智子さまに憧れる私としましては見逃せないものです。作者は今上天皇のご学友、共同通信に入社、記者道を歩んだ方。現在はジャーナリストとして活躍。

題名の響きが余り好きではありません。美智子様が皇族になられた48年前から現在までのご苦労の数々が記されている。

勿論粗方の事は知っていた。香淳皇后の嫁いびり、それに加担した各宮家のお妃達(中心は高松宮妃。お書きになった『きくと葵の物語』を読んだが、そんな意地悪な人になる環境ではないのに)。お妃を出し続けた学習院の困惑。其の学習院出である事を第一条件として選ばれた常陸宮華子さま。美智子さま第二子流産後の4ヶ月に渡る一人っきりの療養等。

皇太子様の妃のキャリア発言。皇太子妃のご実家の子離れできない母と娘。反面、天皇家の嫁としての皇太子妃と秋篠宮妃。愛子様の教育。皇太子妃に都合の良い病名「適応障害」。

著者は「会見で皇太子は『キャリア』と言う表現を使っている。カタカナ語でキャリアとは、専門における長き道のりを表す。外務省に入省して間もない一外交官の卵に冠すべき表現ではない。『経歴』とされるべきであった」と厳しい。

皇太子妃擁護の方の書いたものを読むと「皇室に入れば、簡単に外出して気晴らしも出来ませんし。簡単に実家にもどって、リラックスすることは出来ないし・・・」とある。普通の結婚ではないと言う事は始めから承知であろう。又体調を崩された時はご実家にもどられて療養されたり、又妹さんの家に愛子様と2人お忍びで行かれ、夜遅くお帰りの事もあるという。美智子皇后がご実家のお母様に書くお手紙にさえクレームが付いたと言う時代とは違って自由にされているように思える。

天皇さまが愛子様と会うことが少ない、もっと会う機会が増えることを望んでいると言う趣旨のことを言われた。私は其の率直な言葉に驚いた。片方、秋篠宮妃は事あるごとにお子様を皇居に連れて行かれるという。この差は何だろう。40歳も過ぎた娘に親のしつけ云々は無いが、やはり親の心得の影響はあると思う。

愛子様は笑顔の少ないお子だと読んだが(この本ではない)、何故なんでしょう。待ち望んだお子です、わがまま一杯に育てているとの評は仕方が無いとしても、ご両親の愛だけではなく、祖父母、叔父叔母、従姉妹と接して色んな形の愛を受けられた方がお幸せではないかと思います。

私が一番驚いたのは「適応障害」と言う言葉が皇太子妃が医師(妃と同じ意見の方のみ)と相談した上で文言(手紙や文章の中の言葉)を考えた『新語』だというのです。この事は本文に載っていたのではなく「適応障害」と言う言葉を調べている内に解ったことです。

適応障害:自らの欲求が、自分の外的、内的状況に上手く適応でき無い事。欲求不満や心身症・神経症の原因となる。新語。

皇太子妃と医師が、ご自分の都合の良い言葉を作り、嫌な事は避け、それを非難すれば、又病が悪化するかと周りが恐れて、何も言えない状態に居られるような気がします。

秋篠宮妃が悠仁さまご出産、皇后様の苦労はこれで報われた。やはり運の強いお方だと思った。お体の不調を顧みず、ご公務をこなされる皇后様。お体お大切になさいますように、お幸せでありますようにとお祈りいたします。

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葵祭

2007年05月15日 | 一寸そこまで
              葵祭
          祇園祭 時代祭り と
         京都三大祭を見た事になる

京都文化博物館に「絵画と衣装 美の名品展」を見に行く。JR京都駅について、地下鉄の駅に行った「今日は『するっと関西』ないから切符買ってくる」切符売り場の前にテーブルが出て「葵祭のカード」と呼び込んでいる。「あの~今日葵祭りなんですか?」「そうなんですよ」「文化博物館に来たんですけど、葵祭見てみようかしら?スケジュールどうなっています?」丸田町で下りる。御所から9:30分出発である事など丁寧に教えてもらった。

地下鉄は手に手に葵祭りのパンフレットや新聞の切抜きを持った人で満員である。
一杯だったら、道路に出ようと決めて御所の中に。人並みの薄いところを見つけて其処で陣取ることにした。

今日は写すことが少ないと思っているので、カメラは一台しか持って居ない。それもこの新しいカメラは色んな機能がついている代わりに電池のもちが悪い、余り沢山は撮れないのである。夕べ「充電しようかな?」とフッと思ったのにしなかった。だから途中電池切れになるのではないかと、ひやひやものだった。

パンフレットの説明文:葵祭りは、祇園祭、時代祭りと共に京の三大祭の一つとして知られ、わが国の祭りの内でも、特に優雅典麗で、古趣に富み、古くから文学史上にも名高い祭りです。行列は、勅使、斎王代を初め検非遺使、内蔵使、山城使、牛車など平安朝貴族そのままの姿で列をつくり京都御所を出発します。其の王朝風の優雅な行列が市中を巡行します。国内はもとより海外からの観光客も多く、京都御苑、下賀茂神社、上賀茂神社や沿道には豊かな国際色が見られます。

確かに外人さんは多かった。私達の後ろの外人夫婦、旦那は大きな望遠つきカメラ、奥さんは普通のデジカメで盛んにシャッターを切っていた。

行列の先頭を切ってやってきた馬が嫌がっている。あまり暴れるので、騎手が下りた。そして後ろの人と交代した。馬は騎手が下りても駄々っ子の様に、三人の人が抑えるほど暴れていた。だのに騎手が変わったら、今までの暴れて居たのは誰?と思うほど、静々と歩き出したのである。馬と人にも相性があり初めの人はどうも嫌われていたらしい。去年、馬が暴れだしたのもこの葵祭りだった事を思い出した。

何だか私としましては優雅と言うよりは地味なお祭りだな~と感じました。行列も何だかだらだらと距離が開きすぎていました。

斎王代の行列になって、やっと女行列の華やぎがありました。可愛いい女の子に見とれて、もう少しで斎王代の写真を撮るのを忘れるところでした。

藤の花の飾られた牛車(写真)とそれを引く男の子を中心の群れが一番カラフルで撮り甲斐がありました。夕刊にもこの場面が出ていました。

満員の地下鉄で京都文化博物館へ。入場する前に腹ごしらえ。入ったお店が感じが良く、「昼定」も安価で美味しく満足でした。

展示物は「丸紅コレクション」だそうです。「淀君の辻が花小袖」と言う「残り布」から3年の歳月を掛けて、糸つくり、染め、縫い夫々の一流の方々の手によって再生されたものがメインでした。100点(実際は200点。前期と後期に分けて展示)におよぶ和服の色々。「丸紅さん良くぞ蒐集保存してくださいました」と感謝感謝でした。

何時も絵画展では思う事だが、洋画は(日本画は思わない)子供でも、いや私でも描けそう!と思ってしまう絵が必ず何点かある。今日もそうで、絵画の方は私と相性が悪かった。
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尼崎運河

2007年05月14日 | 新聞から
           大井戸公園のバラ
         今年は一寸早かったので
      まだ咲いていないのが多かったです
     今週はもう遅いかな?って気がします

用事があって、久し振りに市役所の窓口に行きました。私は手続きをする前に、確かめたいことがあったので、受付の方を捕まえて聞きました。優しく丁寧に説明をしてくれました。

この頃どの窓口に行っても皆さん生き生きと楽しげに仕事をしているように感じるのは私だけでは無いと思います。これは白井市長の「市役所は皆様のもの」一寸言葉は違ったかもしれませんが、趣旨はこれ。この気持ちが浸透し、白井市長が二期目の当選をされて安心して其の路線をいけると働いていると言う感じを受けます。

先日「尼崎運河、魅力活用」と言う見出しで、「国のプロジェクトで認定」を受けたと書いてありました。

《水上輸送の減少と共に機能が低下している運河の魅力を発掘し、地域に交流拠点や災害時の緊急輸送路として役立てようと国が募集していた「運河の魅力再発見プロジェクト」に尼崎西宮芦屋港の「尼崎運河」が認定された。県は年内にも、尼崎市や有識者などで構成する「21世紀の尼崎運河再生協議会(仮称)」を設置し、具体的な取り組みを検討すると言う。・・・中略・・・県は「持続的発展が可能な21世紀の環境先進都市の創造」を掲げ、運河周辺の散策道の整備や緑化の推進、水辺の憩いの場としてのイベント開催などを盛り込む再生事業の構想を募集していた。》

運河のあることは知っていました。でも行った事は無いのです。もう随分前になりますが、有名な写真家の(名前が思い出せない)写真展でこの「尼崎運河」の事を知ったのです。尼崎と言えば昔は「公害の町」と言うイメージしかなかったので、「えっ!尼崎ってこんな風にも(写真で残されるほど)栄えた町だったの?」と目から鱗が落ちたのを覚えております。「尼崎運河」の開港の式典だったように思います。

それから一度行ってみたいと思いながらも、忘れるともなく忘れておりました。これも10年ぐらい前になりますが「レディース・アイ」女性の目で見た尼崎とでも言いましょうか、市役所の呼びかけの「尼崎のお勉強会」がありました。私も応募して参加しましたが、余り役立たなかったのか3年ぐらいで中止になりました。本当はもっと気長に続けていただければ、市民の目、女性の目としてお役に立てたと思うのですが、「石の上にも三年」とさっさと見切りをつけられてしまいました。

其の時に市の各方面の方が出てこられて市の事をお勉強させていただきました。
最終の方で「尼崎市内の主な所」に連れて行っていただきましたが、其の時に行きたかった「運河」はコースに入っていませんでした。あまり重要視されていなかったと言うことでしょうか。

のじぎく兵庫国体の会場になった体育施設「尼崎スポーツの森」などもありますが、一度も行った事がありません。プールが冬はスケートリンクになっているとか聞いてはいたのですが、連絡バスもわが町「立花」からも出ているとも聞いていますが、噂によるもので、実際に宣伝されているのを見たことはありません。

このプールを作りますときも、国、県からの補助がでるものの、済んだ後の維持費は尼崎市持ちで大変とは聞いていました。その後どうなっているのか、結果は耳にしておりません。一寸不便なところにありますし、隣の西宮に素的なプールの施設が既にありましたので、利用する人があるのかと気になって居ます。夏の間に一度プールを覗いてみたいと思っています。
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母の日

2007年05月13日 | 今日この頃
            西洋オダマキ
         庭の片隅に移植しましたら
       今年も1本さりげなく咲きました

今日は母の日、昨年は14日でしたので、今年は一日早いようです。何時のころからこの日が日本に上陸したのかは知りませんが、早くに母を亡くした私にとって、とても寂しい日でした。私が男の子ならそんなに思わないことだったかも知れません。

母の日は、母娘の日と言っても良いかも知れません。それを見込んで母と娘の為の旅行、エステ、食事会等が売り出されているようです。

母の日の花はカーネーション、アメリカではバラの花に変わりつつあるとも聞きました。所がです、今日の「趣味の園芸」を見ていますと、日本では「ハイドランジア」に変わりつつあるようです。お花が大きく、ゴウジャスですし、花持ちが良いです。「ハイドランジア」は「アジサイ」の園芸種ですから、年々新しい花の形、色合いが次々生まれているようです。「欲しい!」と思う品種が一杯ありました。

わが町の花屋さんにはまだまだカーネーションの鉢が多いようです。子供が母の日の為にカーネーション1本と言うには値もお手ごろで良いかもしれません。でも夕暮れになってもアレだけ売れ残っていると言うことは、他のものをプレゼントする人が増えたと言う事でしょうか。

年々平均寿命が延びたとは言え、全ての人が長生きできるわけではありません。年の順に旅立つことが勿論多いのです。考えてみれば、この一年の間に母を亡くした娘も多いことでしょう。そんな方は対象者の無くなった今日の日は辛かったでしょう。又其の反対に娘を亡くされた母も居られるでしょう。母と娘の楽しい祝日があった方々にとっては辛い一日だったでしょう。

こんなことを考えるのも私が年を取ったからでしょうか。

国の母、美智子皇后はどの様な母の日を迎えられたのでしょうか。お子様、お孫様に囲まれた楽しい一日であれば良いな~と思っております。

          ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

扇千景参院議長が政界引退を発表した。新聞は言う【「人生少しでも余力が残っている間にのんびりする時間がほしい」と政界引退を発表した。少しでも長く議員バッチをつけ続けたい老醜をさらす国会議員が少なくない中、鮮やかな身の処し方だが、遣り残したこともあるのではないか ・・・後略・・・】

考えを行動に移す力があればこそ6党を蝶のように渡り歩き、党首や大臣、果てには女性で始めての参院議長の椅子まで手に入れた。

ただの人になるのを恐れ、人が潮の引くように去っていくであろうことに耐えられなくて、バッチを外せないで居る人たちは、未練と言う強い力に負け、前進できないで居るのだ。

遣り残した事は扇さんでなくともできる。芸術品を除いて、その人が居なければということは無い。誰かが後に座り事を成して行く。世の中はそうして続いてきた。「私が居なければ」は自惚れであり、錯覚である。

扇さんが宝塚に居た頃、宝塚映画に出るため、其の打ち合わせが、親戚の料理屋であると聞き顔を見に行った。紹介されたが、ほっそりと小柄な可愛い人だった。其のご縁で扇さんを見続けてきたが(政治の考えを同じくすると言う意味ではない)今の扇さんの貫禄(お役の上では見劣りしなくて良いが)想像できなかった。

これからは人間国宝の妻として、売り出し中の2人の息子の母としての生活が待っています。今までとは違った歌舞伎の世界も貴女を待っているでしょう。豊かな楽しい生活が長く続かれる事を祈っています。

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ハープ・リサイタル

2007年05月12日 | 一寸そこまで
          アノマテカ(姫ヒオウギ)
      「白」「赤」「紅さし」 と3色あります
        たった1本混じって居た「白」
         大切に育てて増えました

朝から良いお天気、久し振りの様な気がします。やっぱりお天気が良いと心軽やか、何でもやるぞ!と言う気になります。

お隣の西宮市にある兵庫県立芸術文化センターに「カトリン・フインチのハープリサイタル」に行ってきました。

カトリン・フインチ:リリーラスキーヌ国際ハープ・コンクールで優勝。チャールズ皇太子が任命した王室専属ハープ奏者。

どちらかと言うとボーイッシュな美人。1人お子さんを出産したばかりらしい。ハープ演奏の特異性からか、肩にたくましく筋肉がついている。今日の服装は其の筋肉を露わにしたスタイルだった。私は肩の筋肉を覆った服の方が良いのではないかと思った。

ハープといえば、今まではロングドレスだと思っていたが、今日は違った、上は長めのドレス。ボトムはパンツだった。足の短い日本人なら、やはりロングドレスの方が適しているかな~。

日本語が出来ないので英語でと通訳なしだった。「次の曲は子供のための・・・」とか「スパニッシュ・・・」とか限られた言葉しか解らなかったが、音楽を聴くのが目的であるし、パンフレットに詳しく曲目の説明が載っているので充分だと思った。

アンコールは2度あった。其の内の一曲でも何か日本の曲を演奏してくれたらどんなに親近感がもてただろうかと思った。オペラ座の歌舞伎公演と対比してしまった。日本のサービス精神がパリジャンを大喜びさせたことを思い出した。

「ハープのリサイタル」は始めての経験です。ハープには高音用、低音用とあると聞きましたが、機器の高低もあるのでしょうか。何だか丈が高かったように思います。

「ハープ」は曲によって、その場でチューニングする事を知りました。テレビで見ているだけではこんなことは永遠に知る事は出来ないでしょう。やはり何でも一度は生で見るべきですね。

ロビーではCDが飛ぶように売れていました。コンサート後サイン会が催されるようでした。

お楽しみの曲はベドジフ・スメタナの曲「モルダウ」を聞くことでした。モルダウ川の源流のせせらぎの音から始まり、滔滔と流れる大河にいたる景色を現したもので、其の滔滔と流れる部分が、私達がコーラス等で歌う部分である事を知りました。

優しい音色に心癒されました。休憩も含めて2時間があっという間に過ぎていきました。

むらかみさんから面白い本について、一つのニュースを手に入れました。

「ワインと外交」西川恵(にしかわめぐみ 毎日新聞記者):饗宴のテーブルは時に、表向きの言葉より雄弁に「本当の外交関係」を物語る事がある。ワインとメニューから読み解く国際政治のお話だそうです。西川さんは先にサントリー学芸賞を受賞した「エリゼ宮の食卓」の作家でもあり、食とワインを愛し、食事中の会話センスも抜群とか。

二冊とも読みたくなりました。図書館の予約枠が一杯なので、次々と予約して読んでみたいと思います。読みたい本が一杯なのに読書ペースが落ちている、困ったものです。

帰宅しましてから、芦屋の焼き鳥屋さんに行きました。ご主人がこの度、(何期目だったかしら)芦屋市会議員に当選されてたので「おめでとう」を言う為でもありました。

ハープを聴いて、お茶して、外食をして、楽しんで、楽した一日でした。でも体重がね~、増えても知らないよ!
                        (380回)

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