ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

新米かあさん

2007年05月01日 | 思い出話
             コデマリ
      この数年チラチラとしか咲かなかった花
    今年はこの花らしく優雅に曲線を描いて咲いた
       去年の強剪定が良かったのだろうか

今日は連休の谷間、朝から雨と風。こんな日はお医者様も空いているだろうとお薬を貰いに行った。大失敗、2時間待ってしまった。何時ものように本は持って行ったが、人が大勢居てザワザワしている所で気持ちを集中させる読書は長時間は無理。何時もは誰か会う病院の友も1人も来ない。2時間勿体無い事をした。

お医者さんと言えば、戦前は小児科のお医者さんは良く往診もして下さったものです。私は扁桃腺が大きく、風邪を引くと直ぐ高熱を出すので、よく往診をしてもらっていた。丸~いメガネを掛けた、私から見れば優しいおじいちゃんの様な、村瀬先生のことを良く覚えている。不思議と学校の先生の事は覚えていない。

新聞でこんな記事を読んだ。生まれたての赤ちゃんが39度の熱を出したそうです。小児科の先生が往診に来てくださった。初めての子育てに動転する母親が「肺炎じゃないでしょうか」と問うと医師は「この月齢で肺炎なら助かりません。でも湯たんぽが多すぎる気がしますが・・・」といったそうだ。隙間風が寒いのではと、二つも入れた湯たんぽが原因だったらしい。

これに良く似た話を私も経験した。長男の話なんですが、ある日気付くと全身に赤い発疹が出ていた。驚いて小児科(長男を産んだ産院)に連れて行った。「気が付いたら、身体中に出来ていたんです・・・」先生は笑って言った「汗疹ですよ。着せすぎです」

其の当時、長男は姑の買ってきた綿入れとチャンチャンコを着ていたのです。その下には襦袢も、昆布締めの様なオシメもしています。蒸れ蒸れだったのです。ものが言えないから我慢していたのですが、さぞ痒いかったでしょう。

4月生まれですから秋の終わりの頃だと思います。私は着物は着せたくなかったのです。当時でも普通はもう服でしたから、服を着せたかったのですが、姑が買ってきて着せたがっているのをむげには断りきれなかったのです。姑にすれば、薄着をさせて風邪でも引かせてわと言う気持ちだったのでしょう。

私はほっとすると同時に「シメシメ」と思いました。これで着物を着せなくて済む。ことの顛末を話し、すんなりと洋服に移行しました。新米母さんは6人の子を育てた古米母さんに逆らえなかったんです。

私の産んだ産婦人科は小児科の看板は上がっていませんでしたが、新生児は其の範疇らしく、私も満1歳に成るまでは、長男も次男も産婦人科に連れて行っていました。1歳過ぎから現在のホームドクターに掛かっています。

コンコンしても、クシャンとしても「それ、風邪だ!」と直ぐお医者さんに行きました。ある時先生は仰いました「○○さん(我家)と××さん(あやこさん)の通院が飛びぬけて多いです」お得意さんだったわけです。あやこさんの方は1人息子さんだし(おねえちゃんは居る)、我家は私自身が小さい頃、何かと言うとお医者さんに行っていたので、風邪はお医者さんに行くべきものと思っていたのだろう。

医者通いと言っても、お陰さまでいたって丈夫で、風邪と解っていてもお医者様に「風邪です、たいしたことはありません」とお墨付きを頂いて安心する為に行くだけでした。

ホームドクターの跡取りは次男さんと決まっているのですが、先生にはなるべく長く元気で居ていただきたいと切望しています。もう80歳におなりだが、思えば30歳ぐらいからお世話に成っているんだわ。


コメント
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