ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

東京タワー オカンとボクと、ときどきオトン

2007年05月08日 | 映画の話
           砥草  大谷美術館
        何ともいえない緑が目を奪った
          竹と同じ茎の中は空洞

「東京タワー オカンとボクと、ときどきオトン」を見に行った。

10時上映、大阪に20分前に着いた。会館の手前で気が付いた「あれ?此処じゃなかった、あっちじゃない?」窓口まで行って確かめたが「ない!やっぱり」

踵返して次なる場所へ・・・。地上を行けば良いものを、何時も地下の道だったので、初めての地下への階段を下りた。地下は何処かで繋がっていると思ったのが間違いだった。実際繋がっているのだろうが、私には解らなかった。同じところを大回りでグルグル回っていた。

上映まで後5分、だんだん焦ってきたが、解らない。とうとう来合わせた娘さんに「すみません、噴水のある場所へ行きたいのですが」「噴水?泉の広場のことですか?」「階段を上がると映画館がありますよね・・・」「ええ。途中まで一緒ですから・・・」と言う彼女に必死に付いて行く。「有難うございました。助かりました」と分かれたのが10時。

小走りで会館へ、8階へ。モギリのお兄ちゃんが「本編は10時15分からです」と嬉しい知らせ。10時10分である。館内は真っ暗、自分の席は中央で満席で行けそうに無い。一番後ろが一つ空いていたので、そのまま其処で見た。

平日の1番最初だと言うのに、8割方埋まっている。「すごい人気だな~」と今更ながらに思う。

2005年6月から雑誌に連載されたそうだ。第一回目から映画プロヂューサーの間では「これは新しい国民的文学になる」との直感があったと言う。監督の松岡氏は一読者として、サイン会に並び「映画化するなら私に撮らせてください」と売り込んだそうだ。

本になってからは既に220万部と言うベストセラーだそうで、既に韓国、台湾でも発売されベストセラー入りしているらしい。それ以外の国々からも引き合いが来ていると新聞で読んだ。世界的なベストセラー入りも間近いようだ。

原作家の「リリー・フランキー」と言う名も知らなかった。良い映画だと言う言葉に釣られて何も知らないまま見に行った。だから樹木季林さんの娘、内田也哉子さんが若き日のオカンをしていることも知らずに行きましたから、何か雰囲気の似た人を使っているな~と思いました。実の親子ですものね~、似ているはずですわ。

物語としてはオトンと離婚?してオカンは自分の故郷に帰り女手一つで息子を大学まで出す。母親の身を粉にして働いたお金なのに、ボクは大学にも行かず遊びほうける、留年が決まった時、オカンは「私も一年頑張るから、お前もがんばれ」と言う。ボクも発奮して目出度く卒業。同じ頃、オカンはガンに罹る。働けなくなったオカンを東京に迎える、幸せの日々は短く、オカンのガンの再発、自宅療養さすべく広い家に越すが、オカンはボクの用意した新しい部屋で生活する事無く、東京タワーの見える病室で最後を迎えてしまう。

日本中何処にでもある様な普通のお話である。泣けるのである。涙がするすると頬を伝う。今こうして書いていてもなぜかしら泣ける。特に息子を持つ身にはたまらない映画である。母と息子の愛の通い合い。幸せだったろう。ボクの妻になると信じている娘とも気が合い仲良し・・・。オカンは環境に負けない、明るく前向きである。全てが愛おしく、泣けるのである。

隣の女性二人「このまま出られないね、化粧し直さないと」コーラーを飲みながら泣いていたっけ。トイレの鏡に瞼は腫れ目は真っ赤、一目瞭然泣いた私が写って居た。


コメント (2)
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