ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

色々、学校で

2007年05月11日 | 今日この頃
             大谷美術館
        我家では何故かエビネは育たない
           何時も失敗するので
            今では諦めている

今夜は寒がりの私はストーブをつけています。なんと言う寒さでしょう。お昼間は、風の強い事、帽子を飛ばされないように手で押さえながら歩く始末です。

「東京タワー オカンとボクとときどきオトン」の映画を見て、本が読みたくなりました。図書館に行って予約状況を調べましたら、185人待ち、これは何年待たされるかと、予約しないで帰ってきました。買っても良いかなと思ったのです。

今日唱歌の学校に行く前に本屋に寄りました。店内の入った正面に売れ筋のコーナーがありました。きっと此処だろうと予測しました。ありました。中央に其の本だけ売れてド~ンと低くなっています。値段を見ました。1500円+税です。本をそっと置きました。

買わなかった理由は2っ、こんなに売れているから、もうすぐ文庫本になるだろう。もう一つ、もしかしたら唱歌の学校で持っている人が居るかもしれない、それを確かめてからでも遅くないのではないかと思ったのです。

学校で、はったさんに「『佐賀のガバイばーちゃん』もう息子さんに返されました?」「あると思うよ。読む?」「お借りしたいわ。それから『東京タワー』持ってません?」「たかはたさんが持っているから借りれば」

一寸ためらいは在ったが「たかはたさん『東京タワー』お持ちだと聞いたのですが、お借りできません?」「え~え、良いですよ、読んで下さい。本棚に寝ていますから、本も読んで頂けると喜びますよ」と優しい言葉。相手に負担を感じさせない言葉の大切さをつくづく感じた。

以前、ブログにも書きましたが、80歳を越えておられるのですが姿勢も良く、何時も趣味の良い服を着て溌溂としておられる。明るく元気な生き方は目標に出来ると思っていました。

6月の発表会の世話役の方が「ゴメンね、先週は折角言って頂いたのに・・・」又他の人が「Tシャツの事気にしてない?」「あの人の言葉気にしたらあかんよ」と口々に言う。私はすっかり忘れていた。「大丈夫ですよ、気にしていません」と答える。

今度の服装がTシャツとロングスカートと決まったので、家で手持ちのシャツを合わせてみたが合わ無い。其のはずだ、上はスポーティ、下がドレッシーだからだ。其の事を世話役さんに言った所、同感なので其の事を言ってほしいと頼まれた。世話役さんは上は自由のTシャツ、下は白っぽいパンツが希望だった。

中休みの時に「一度決まった事を申し訳ありませんが、Tシャツとロングスカートは合わないのではありませんか?先週は何気なく賛成したのですが、家でTシャツとロングスカートを合わせて見たのですが合わないんです。これはやっぱりボトムはパンツの方が良いように思いますが・・・」「そんなこと無い、合います」とボス「確かにTシャツにはパンツが良いが、合うのを探せば良い」と子分。こんな経緯があったのです。

先日、先生が「他のクラスで服装の意見が分かれて、自分の意見が通らないので、辞めた人がある」と聞いたばかりだった。だから私が辞め無いように、気を使ってくれたんでしょう。「たかが衣装、されど衣装」ですが、団体生活です。意見は言いますが、決まれば随いますよ、私は。

「次回Tシャツを持ってくるように、同じ色の人が固まっても困るので、合わせてみましょう」という事だった。しかし持参したのは私だけのようだった。やってられんな~。
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万博公園

2007年05月10日 | 思い出話
             白い紫蘭
   鹿児島の叔父が「らっきょ」と一緒に送ってくれた
     大きな玉の「らっきょ」なつかしいな~
      あんなに大きいのは関西には無い
    もうすぐ「らっきょ」をつける時期が来る

一日中、雨が降ったり止んだり、強風が吹いたりで寒い一日でした。

主人の強羅温泉2泊3日の旅の写真の整理、プリント、CD作り、お呼びくださったお礼にと、写真によっては大きくしたり小さくしたり、それをプリントしたり、其の上に、お礼状まで印刷させて「想い出の覚めない内に、はよ送っといて・・・」とご本人はさっさとジムへ。一日これで日が暮れてしまいました。

         ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

エスカレーターの立ち位置のことなんですけれど、関西では「右に立ち、左を急ぐ人の為に空けておきます」「関東は左に立ち右を空ける」全く正反対で、関東に行くと戸惑うことがあります。

さてこの左右逆転はどの辺りからでしょうか? 一説に寄れば名古屋辺りだろうということなんですが・・・。如何でしょうか?

如何して狭い日本でこんな違いがあるのでしょうか?関西が今の状態「右に立ち、左を空ける」に成ったのは、そんなに昔のことではないのです。37年前です。そうなんです万国博覧会の時からなんです。

エスカレーターの立ち位置の国際基準と言うのがあって、万博に来られる外国のお客様が戸惑われない為に今の立ち位置に変更したらしいのです。だから元々は東京と同じ「左立ち右空け」だったんです。

そう考えますと、何処かを中心に左右が分かれているのではなくて、関西を中心にだけ「右立ち、左空け」ではないかと思うんです。だから四国、九州沖縄、皆「左たち、右空け」ではないかと思うんです。

万博、エキスポランドの「風神雷神」が大きな事故を起しました。若い命を落としたのが遊具だ何てお気の毒です。万博公園の行き帰りに目には入っていました。そしてものすごい音で通過するのを何度も見ています。でも事故が起きるなんて考えた事もありません。18年の命だったなんて悲しすぎます。

万博の時は、私の家が近い?こともあり、西から東からお泊りのお客様で案内したりもあって、11回も通っているのです。多いときは親子3代6人で来られたこともあります。付き添いから、帰宅後のお食事のお世話と今から思えば良くできたと思いますが、やっぱり若かったんですね。

主人は丁度単身赴任中でした。帰宅した時に家族5人で行って(このときが最初)アメリカ舘やソビエト舘の長蛇の列に並びました。それで懲りたのか姑は姉妹が来ても一緒に行こうとせず案内は何時も私でした。私はお祭り大好き人間ですから喜んでお供しました。

万博が終わって、あの賑わいが嘘の様な静かになった公園にも何度も行っています。催しが気に入った時に国立民族学博物館に行くのです。此処も静で、大きいと言うこともありますが、何時行っても人影まばらです。こんな良い施設を勿体無いな~と何時も思います。

国際美術館跡が大きな駐車場になっているのですが(元々東のはずれに大きい駐車場がありました)こんなに人が来るのかな~と思います。

もう1か所、行けば必ず立ち寄る場所があります。国際児童図書館です。世界の子供の本が集められているのですが、其の時期や行事に関した(クリスマスならクリスマスに関した本等)世界の本が展示されています。他国の絵本が見れるのですもの、もう少し近ければもっともっと行きたい場所です。


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栃東関

2007年05月09日 | 気にかかる
              紫 蘭
           一時減ったのですが
         今年は随分増えてきました

5月7日栃東関が引退を表明しました。去年の1月、両国の国技館へ大相撲を見に行った時の優勝者が栃東関だったのです。若乃花が引退してから、誰と言って応援していなかったのですが、同じ見るなら誰かを応援した方が楽しいかなと思っていましたから、其の時の優勝者が栃東関だったので、これも何かの縁と応援する事にしました。だから、一年ちょっと応援したと言う事になります。

栃東関のブログは時々覗いていました。引退表明をブログでどの様に書いているのかと見てみました。下記のように書いていました。

『フアンの皆様へ

おはようございます。

今日はこれから記者会見を予定しているのですが、どうしてもブログを見てくださっているフアンの皆様に先に報告したく、ブログを書きます。

三月場所を休場して以来、今まで数々の医師の方々の診察を受けてきました。しかし、結果的にはどの医師からも相撲を取る事は認められず、自分としては現役を続けたい気持ちと葛藤してきましたが、病気には勝てず、引退を決意しました。

皆様には、ご心配をお掛けして申し訳なかったですが、これからは後進の指導に当たりながら相撲界発展の為に力を注いでいきたいと思います。

これからも、私を初め玉ノ井部屋共々、よろしくおねがいします。

今まで長い間応援をしていただき、有難うございました。

それでは、これから会見してきます』

翌日、5月7日現在で1206通のコメントが寄せられていた。会見前にフアンの為にブログに書いてくれたと言う事に関して喜んでいた。フアンを大切に思ってくれたと言う事が嬉しかったのでしょう。私も栃東関の思いやりを嬉しく思う心は同じでした。

ブログでは負けても負けても励ますコメントが一日に数百通届いていました。励ましの言葉に支えられて、頑張ろうという勇気が涌いてくると書いていた。その気持ちが心からのものだと言う事を、記者会見前にブログに書いてくれたことで証明されたと感動しているのです。

外人横綱1人の現在、やっぱり日本人の横綱が欲しいと言う願望がある。一番可能性の高い大関の位置にある栃東に希望をつないでいた。しかし、もう少しと言うところで、どうしても綱に手が届かなかった。

人が良いと言うか、我武者羅になれない栃東関にイライラしながらも、判官びいき的感覚を持っていた。時々チラッと覗く気の弱さが栃東関その人なんでしょうね。

他の病気ではなく高血圧、それも既に一度血栓を起した後があると言う。私が聞いているのも一度目は軽い人も多いが、二度目は駄目だと言う事です。

親方が「恐がっている」と言われましたが、当たり前ではないでしょうか。どんなことでも命を賭けてまですることは無いのです。自分の体に合ったことを探せば良いわけです。幸いなことに玉ノ井部屋で次期親方になることは決まっているのですから、そちらの方で頑張れば良い事なんです。

高血圧を恐れるわけではありませんが、責任のある仕事はすべきで無いと思っています。その日の体調で中止自由の立場に居るべきと思っています。性格にもよるでしょうが、私は体調不調でも、約束は守ろうとする性格だと知っていますから、今は好きなときに好きなことの出来る生活をしています。生き方を変えるのは勇気が要ります、未練と言う強い力が働くからです。でも今は、思い切って飛び出してよかったと思っています。
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東京タワー オカンとボクと、ときどきオトン

2007年05月08日 | 映画の話
           砥草  大谷美術館
        何ともいえない緑が目を奪った
          竹と同じ茎の中は空洞

「東京タワー オカンとボクと、ときどきオトン」を見に行った。

10時上映、大阪に20分前に着いた。会館の手前で気が付いた「あれ?此処じゃなかった、あっちじゃない?」窓口まで行って確かめたが「ない!やっぱり」

踵返して次なる場所へ・・・。地上を行けば良いものを、何時も地下の道だったので、初めての地下への階段を下りた。地下は何処かで繋がっていると思ったのが間違いだった。実際繋がっているのだろうが、私には解らなかった。同じところを大回りでグルグル回っていた。

上映まで後5分、だんだん焦ってきたが、解らない。とうとう来合わせた娘さんに「すみません、噴水のある場所へ行きたいのですが」「噴水?泉の広場のことですか?」「階段を上がると映画館がありますよね・・・」「ええ。途中まで一緒ですから・・・」と言う彼女に必死に付いて行く。「有難うございました。助かりました」と分かれたのが10時。

小走りで会館へ、8階へ。モギリのお兄ちゃんが「本編は10時15分からです」と嬉しい知らせ。10時10分である。館内は真っ暗、自分の席は中央で満席で行けそうに無い。一番後ろが一つ空いていたので、そのまま其処で見た。

平日の1番最初だと言うのに、8割方埋まっている。「すごい人気だな~」と今更ながらに思う。

2005年6月から雑誌に連載されたそうだ。第一回目から映画プロヂューサーの間では「これは新しい国民的文学になる」との直感があったと言う。監督の松岡氏は一読者として、サイン会に並び「映画化するなら私に撮らせてください」と売り込んだそうだ。

本になってからは既に220万部と言うベストセラーだそうで、既に韓国、台湾でも発売されベストセラー入りしているらしい。それ以外の国々からも引き合いが来ていると新聞で読んだ。世界的なベストセラー入りも間近いようだ。

原作家の「リリー・フランキー」と言う名も知らなかった。良い映画だと言う言葉に釣られて何も知らないまま見に行った。だから樹木季林さんの娘、内田也哉子さんが若き日のオカンをしていることも知らずに行きましたから、何か雰囲気の似た人を使っているな~と思いました。実の親子ですものね~、似ているはずですわ。

物語としてはオトンと離婚?してオカンは自分の故郷に帰り女手一つで息子を大学まで出す。母親の身を粉にして働いたお金なのに、ボクは大学にも行かず遊びほうける、留年が決まった時、オカンは「私も一年頑張るから、お前もがんばれ」と言う。ボクも発奮して目出度く卒業。同じ頃、オカンはガンに罹る。働けなくなったオカンを東京に迎える、幸せの日々は短く、オカンのガンの再発、自宅療養さすべく広い家に越すが、オカンはボクの用意した新しい部屋で生活する事無く、東京タワーの見える病室で最後を迎えてしまう。

日本中何処にでもある様な普通のお話である。泣けるのである。涙がするすると頬を伝う。今こうして書いていてもなぜかしら泣ける。特に息子を持つ身にはたまらない映画である。母と息子の愛の通い合い。幸せだったろう。ボクの妻になると信じている娘とも気が合い仲良し・・・。オカンは環境に負けない、明るく前向きである。全てが愛おしく、泣けるのである。

隣の女性二人「このまま出られないね、化粧し直さないと」コーラーを飲みながら泣いていたっけ。トイレの鏡に瞼は腫れ目は真っ赤、一目瞭然泣いた私が写って居た。


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いきいき漢字塾

2007年05月07日 | 今日この頃
            我家の春一番咲き
           我家に来て30数年
      四季咲きなので思い出したように咲くが
          やはり春が一番多く咲く

わっさわっさ言いながら主人を送り出した。荷物の纏めは私にさせて、ご本人はさっさと靴をはいて玄関で待っている。まるで外出を喜んで先回りしている子供と同じ。ちゃんと新幹線に乗れたかしらと、此方も親になった気持ち、電話する。「唯今昼ごはん」と声を押し殺して答える。「もうじき着きます」と電話あり「私、今教室よ」「ロートルばっかりか?」「当たり前や。資格が60歳以上やもん」

「いきいき漢字塾」が今日開講だったんです。さとうせんせい「前のほうの方を見ていると今日が初めての日とは思えません(常連さんらしい)。今日が初めてと言う方手を挙げてください」私を初めパラパラと手を挙げる。驚いたことに一割居るかいないかである。「これは困るんですね。続きを始めると、初めての人はさっぱり解らない。初めての人に合わせると古い人から文句が出る。適当に古い話に新しいものを加えていきます」

次に事務局からのお願い「席は来られた順番に詰めていただきたいと言いますと、近くの方が12時頃に来られます。そうしますと遠方の方が私達はそんなに早く来れないと苦情が出ますので、余り早くに来ないで頂きたい。せめて12時半頃にお願いします。それからお友達の席取りをなさらないでください」

始めてなのでせめて今日だけは早めにと半時間前に着いた。所が、席は既に2/3は埋まっていた。そしてあちこちに席取りの気配。あ~ぁ何処も同じか。何しろ200人の女性と小さくなっている20人ぐらいの男性で会場は満席。

先生は80歳とか。遠目で見ているのでおシワは見えないし、お若く見える。声を使っての講義が体に良いのだろうか。

思った以上に面白い。喋り方もゆっくりして解り易い、ただ黒板の字が一寸みにくいかな~。今度はもう少し前の席を探そうかな~。そうするには早く行かなければならないし、来週までに考えるわ。

今日は「物」と言う漢字から、読み方、意味、使い方、それにまつわる歴史、本当にあっちに飛び戻り、こっちにとび戻り、私にとっては始めての事ばかり、あ~ぁ70年何も知らないで生きてきたと反省。でも知らないことを知る喜びは大きかった。特に学生時代好きでなかった歴史が今こんなに面白いと感じるのは何故だろう。

地理のお勉強にもなる。天橋立、伊根の浦島神社、京都の下賀茂、上賀茂神社、安倍の清明神社、奈良の三輪大社等、言われた場所は皆行っている。だけどご本体が何方で、何故其処に祀られているかは知らない。そういうお話が次々と出てくる。

奈良の三輪大社が日本で一番古い神社だと言うこと。それは通称でなくてもとの名前を書けば直ぐ解る「大神大物主神社」と言うそうです。ご本体はお酒の神様、蛇の神様、杉の神様、雷の神様と様々だそうです。私は蛇の神様だと聞きました。それゆえか蛇は卵が好きなので卵がお供えしてありました。

講義が面白いだけではなく、余禄としてもっと知りたいと思うことをパソコンで調べる楽しみもある事です。

もっと良い講座が他にもあると、お隣の席の(この講座6年のベテラン)方が教えてくださいました。「温故知新」古きを尋ねて新しきを知る会と言うのがあるそうです。こちらは先生が毎回替わって、年一回勉強した土地を訪ねると言うお勉強会だそうです。

尼崎はお勉強をしようと思えば良い講座のある良い土地柄です。これから大いに利用させていただきますよ。
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寝ても覚めても本の虫

2007年05月06日 | 読みました
              あやめ
      どうしてだか、あちらに1本此方に1本と
             咲いている
         株分けした覚えも無いのに

明日から主人が「○○先輩(主人のこと)を囲む会」にお呼ばれして強羅に二泊三日の旅に出ます。其の手土産を買いに「しょうたに倶楽部」に行きました。お集まり下さる皆さんも神戸支店勤務の時期があり、神戸を思い出すものと思っていましたが、今年は「尼崎名物」をと「しょうたにの品」を買おうと思っていました。

主人は其の店を知らないものですから、反応は今一でした。食べてもらうに越した事は無いと、先日試食としてお菓子を買ってきました。食べてみて美味しと感じたようです。2週間ほどの賞味期間と聞いてきましたので、なるべく新しいものをと前日の今日、買いに行きました。

「お店を見てみる?」「うん」と言うので一緒に行きました。駐車場も空いたと思えば直ぐ塞がる人気ぶりです。店内の奥はガラス張りでパテシィエやパテシィエールが忙しそうに働いているのが見えます。売り子さんも6人居ます。館内はケーキの甘い香と活気に満ちています。主人も納得の様子でした。

会社にはOB会があります。今は合併して名が変わっていますが、其の会社とは別の合併前の会社の希望者だけのOB会です。7~800名は加入しておられて、毎年東京でOB会があります。今年も3月末に行われて180名程の方が集まられました。欠席の主人にも現状報告を伴った名簿を送ってくださいます。

明日お集まりの皆さんは何時もOB会の方にも出席しておられます。主人が頑固に出席しないものですから、主人の為に集まってくださる会が続いております。

主人もこの会をとても楽しみにしております。年が明けますと待ち遠しい顔になり、OB会の通知が来れば「今年も呼んでくれるかな~」とメールの来るのを楽しみに待つ日々が続きます。何はともあれ、3日間お天気の様ですので、楽しんで来てもらいたいと思っています。

          ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

       寝ても覚めても本の虫    児玉 清

「アタック25」のあの児玉さんです。新聞の紹介本で「ぞうの背中」を児玉さんが推薦されているのを(たかこさんが教えてくださり)読みました。其の時にNHK BSⅡで児玉さんが「週間ブックレビュー」と言う番組で司会をしておられることを知りました。「ぞうの背中」は映画化が決まったようです。

この本は児玉さんが原語(英語)で読んだ本の紹介と荒筋です。私は読みたいと思っても名前が覚えられなくて、近年はもっぱら国内本ばかりです。

ただ一冊だけ其の中で私の読んだ本がありました。日本語版は「さゆり」芸者の出世話です。これも長編、児玉さんは英語で読まれたそうです。私も「さゆり」はノンフィックションだと思っていましたが、フィックションだと後日知って何故かがっかりしたと児玉さんは書いておられます。

面白かったのは外出先でコーヒー代が足りなくなった時、文庫本を古本屋さんに持っていけば、その場が凌げた、と言うお話です。本はその様に貴重品だったのです。

児玉さんも終戦直後、食べ盛りなのを我慢して、お小遣いで貸本やに通ったと書いてありました。私もそうでした。片っ端から借りて、小さい本屋で読むものが無くなり、落語全集(部厚い本でした)まで借りて読んだ覚えがあります。中学生の女の子が手当たりしだい何でも借りていくのを本屋のおじさんは如何思ってみておられたのでしょう。

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見た!オペラ座の勧進帳!

2007年05月05日 | テレビから
          クリサンセマム:ノースボール
            発芽率の良い種です
         どの花とも仲良く出来 大助かり

見たんです。団十郎さんの弁慶!!昨夜は12時前に寝に行ったんです。何時もは1時頃まで起きているんです。主人はテレビをつけっぱなしで寝るんです。そ~っと消そうとすると「見てるのに!」って必ず起きるんです。何処かにセンサーが仕込んであるんですかね~。

其のお陰で見れたんです。寝ようとした私の目に弁慶の姿が見えたんです。「歌舞伎???、もしや?そうだ!きっとそうだ?パリ公演、オペラ座の?勧進帳だ!!」

海老蔵の義経との場面は済んでいましたが、喜びの六方とび、口上はばっちり見ました。

私の記憶に間違いなければ、囃子方の位置は上手脇だと思うのですが、舞台の広さ、道具類の運搬の関係でしょう、正面奥にありました。日本ではバックは「安宅の関」の場面です。だから弁慶と富樫の腹芸の場面も2人に集中できるのですが、バックに囃し方の動きがありますから、一寸わずらわしい感じでした。

しかしパリジャンには、舞踏会の場面のようで美しく写ったかも知れませんね。

最後の場面幕が引かれます。団十郎1人を残して。中央に居た団十郎が上手に歩みます。下手に体の向きを変えて「始まった!六方飛び」がと思ったら終わった。
6歩も歩んだだろうか・・・。助走から全速力と言う過程が省略されていた。花道が無い、団十郎の病後の体力、色々総合してこうなったのだと思いますが・・・。

息子の海老蔵が八方飛びの時、客席通路に下りて行った気持ちが良く解りました。
あの弁慶の義経を無事安宅関を越えさせた喜びを、どうしても最後に八方飛びで表したかったのでしょう。役者根性あるな~・・・と、団十郎フアンの私も合点がいきました。

さて、口上です。幹部役者、団十郎を筆頭にフランス語でご挨拶。パリジャンも吃驚、喜んだでしょうね。日本の伝統芸能を見に来て、其の役者の口から母国語、拙いながらも一生懸命挨拶してくれたんです。良い計画だと思いました。

団十郎、挨拶の言葉はフランス語なんでしょう、しかしそれは見事なまでに歌舞伎調の語りでした。でも相当長い挨拶を真正面を見据えての口上です。たいしたもんです。団十郎フアンのみならず、拍手喝采でしょう。

1人若手が(名前は忘れましたが)オペラ座と言う事で「オペラ座の怪人」の話を持ち出しました。「シャンデリアが落ちてこないか心配です・・・」って。これは又違った意味でパリジャンを喜ばせたと思いますよ。母国の有名な演劇の名が耳に飛び込んできたのですから。

日本人自体がこの日本文化の集大成の様な歌舞伎に接する機会が少ないのが残念だと、今更ながらに思います。

団塊の世代が大量にリタイアします。働き蜂の時には無かった余裕の時間が出来ます。歌舞伎、文楽、能等、日本の文化に触れる時間も持てるでしょう。しかし行ってみようとするには、あまりに料金が高すぎる。囃し方から、大道具、小道具、裏方さん、大勢の人の手で出来上がっていることは解っておりますが・・・。

もう少し気軽に行ける範囲まで値を下げたら、又は野球の二軍(若手のお勉強会)の様な舞台があれば、そして入場料がリーズナブルであれば、見る方も小手調べと行き易いのではと思います。

今までは歌舞伎役者は世襲でしたが、一般からのテスト生がお勉強する時代になってきましたから、其の中から人気者が出たりして、歌舞伎の世界も少しずつ変わってくるでしょうね。
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麗しき近代美人画の世界

2007年05月04日 | 一寸そこまで
            (見~つけた)
        20cmはあろうかと言う大輪
      我家のは、やっと蕾が伸びてきたところだ

花の手入れをしていたご主人に「アマリリスの写真を撮らせください」とお願いして写した。手を休めて側に来られた。お話では淡路島に行った時に1500円で買ってきた球根だそうだ。

他の花々も良く手入れをされていて生き生きとしている。特に花を引き立てる葉がつやつやである。本当に花の好きな男性は女性よりまめに手を入れる。女性は家事の合間にするからの違いもあるがと私は思った。「さつき」「菊」を育てるのが圧倒的に男性が多いのも、女性の片手間と男性の専属の違いだと思う。

大谷美術館に培広庵(ばいこうあん)コレクション「麗しき近代美人画の世界」を見に行ってきました。培広庵コレクションは1970年から美人画の好きなコレクターが独自の視点を持って蒐集されたものだそうな。

70点ほどの展示で、1人約2点づつほどの展示なので、私には始めての名が多かった。これが美人?と言うお顔もあったが、独自の視点で集められたものだから、私がとやかく言うことではないが、私が一寸不満だったのは、絵師の説明文の中で代表作が挙げられているが、其の代表作が一点も無かったことです。コレクターの好みに合ったものが代表作に無かったと言うべきか、既に持ち主があったと考えるべきか?

普通ポスターとチッケトの絵柄は同じもののはず、今回は違っていたので、チケットの絵が記憶になく、其の所在を館員に訊ね、もう一度見に戻った。

好みの絵の絵葉書を買う為売店に行ったが、私の買いたかった3~4点は一枚も葉書になっていなかったのはショックだった。培広庵コレクションを調べている内の一点に私の好きだった絵が代表で載っていたのには小躍りせんばかりの気持ちだった。代表に択ぶ絵は書き手によって千差万別だが、私の択んだ一押しの絵を選ぶ人も居るのだという何とはなしの安堵感でしょか。

着物の図柄、帯との組み合わせ、日本の文化って凄いな~と思った。舞妓、芸者等玄人さんを描いたものが多かったのだが、素人さんも負けては居ない着物と帯の組み合わせ着物文化を堪能しました。

2,3日前の徹子の部屋でフジコ・ヘミングさんが着物をブラウスの上から内掛け風に羽織って、ピアノを弾いておられるのを見た。彼女も言っておられた「日本人はこんなに素晴らしい着物文化をもっと大切にしなければ、惜しい・・・」今日はこの言葉をつくづく実感しました。

もう一つ、表装の美しさです。勿論、絵を最高に引き立てる役目であって、見逃してしまいそうなものなんですが、この表装あっての、この絵と言うべき表装の渋い美しさ。絵師もお気に入りの表装師を持っていたんだろうな~と思いました。お互いの技と技が融合して名画と言われるものが出来上がったのでしょうね。

館内で軽食を食べ、庭に回りました。先回来た時は手入れが行き届いていなくてがっかりしたのですが、今は若葉の季節でもあるので緑がいっぱいで気持ちは良かったです。私の好きなエビネも少しですが咲いていました。始めてみたのは砥草(トグサ)細い竹の子の様な感じで節があり其の節の所にぎざぎざの模様があり、砥石の変わりに使われてのでこの名がついたそうです。和傘を磨くのに使われていたとか。

「蕨餅」大好きの主人が看板を見つけて「蕨餅」を土産にしました。帰り道を間違って、夙川に渡された鯉幟を見つけたのは怪我の功名。風がなくだらりと下がっていたのが残念でした。
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又もや、屋久島

2007年05月03日 | 新聞から
            西洋オダマキ
       いろんな色の種を蒔いたのですが
          残ったのはこれ一色
      優しいツートンカラーでお気に入り

昨日「屋久島石楠花」を見たいと書きました。夕刊に偶然「屋久島石楠花」について載っていました。

『嶽詣(たけまい)と言う行事が昔からあったそうだ。島の中央に宮之浦岳(最高峰)、永田岳、栗生岳。その外周のそびえる1000m前後の山を前衛峰「前岳」、其の奥の山々を「奥岳」と呼ぶ。「獄詣」は集落ごとに夫々の奥岳へ詣でる行事で、集落の代表が早朝、竹筒に海岸の砂を入れて出発、山頂に祀られている一品宝珠(いっぽんほうじゅ、島の守護神)の祠に備えて島の繁栄を祈った。帰りには、シャクナゲの花を集落の人たちの為に手折って帰る。各家庭では其の花を神棚に供えて一年間の家内安全を祈る』屋久島シャクナゲには、そんな行事が付いていたんですね。この行事も一度は廃れたようです。永田で民宿を営むしばさんが伝統の嶽詣を復活させたそうです。

永田では早ければ小学校5年生から嶽詣に参加できたそうです(昔は2泊3日掛けた)。しばさんが始めて参加できたのは大学時代の夏休み。ですが「伝統行事が登山になっていた」という。東京での学生生活にピリョウドをうち、屋久島に帰り「原生林の伐採中止運動」の先頭に立ち「伝統的な嶽詣復活」に拘った。

永田は昔は「島の桃源郷」と言われて活気があったそうだ。そういえば姑の口から「永田」「一湊(いつそう)」と言う地名を良く聞いた事を思い出した。其の活気を取り戻すのは、産業を興すことも大切だが伝統的な行事や祭りをしっかりやることも大事ではないかと、しばさんは言います。

3年前、海がめの孵化を見に行ったのがこの永田の田舎濱です。本当に静で綺麗な海岸でした。又夕陽が沈む、刻々と色の変わる様は一刻たりとも目を離したくない景色でした。手の届きそうな感じで沖之永良部島がありました。

ただ残念なことに、日の出は拝めません。高い山裾にある村ですから、山の向こうに顔を出した時には、都会で何時も見慣れているお日様です。解っているのに、私は暗いうちから起きだして、日の出を待ちました。空が明るくなるまで、待ち続けましたが・・・。

世界遺産となり、全国から、世界中から観光客がやってくる。「チェンソーで伐採された時代に次ぐか、それを上回る位の最大の危機に直面しているかもしれない」としばさんは言う。こうも言う「将来的には屋久島ガイド無しでは縄文杉や白谷へは入れないようにしたい」

土地の人がこういうにはきっと自然が荒されているのだろう。富士山の二の舞に、ゴミだらけの山にならなければ良いがと思う。

ガイドと言えば、今までは誰でもなれたらしい。「一つ一つの自然に、具体的な想い出や、伝え聞いた話がある人」を選択して、180人位居たガイドを約120人程に絞ったらしい。案内してもらう方も、道案内だけではなく、色々と話して貰った方がありがたい。案内してもらうなら、この人と思った女性ガイドをテレビで見た。あの人はきっと残っているだろうと思うが。

私が行った3回目も、夏休みだったので、頭を遙かに越えるリュックを背負った若者が沢山いた。海がめの孵化現場で出合った新婚さんが1週間あればめぼしい所は登れると言っていた。

テレビでは縄文杉までの道は整備されているようだった。山で一泊するようだが、若人より時間を掛ければ、私にもチャンスはあるような気にさせてくれたが、無理だろうか?

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屋久島の食べ物

2007年05月02日 | 思い出話
             イキシア
       去年、この花の名前がわからなくて
      ぽてちさんのご主人に教えていただいた

名前を教えていただいた「あの花」と言う事は解っているのに名前が出てこない。一年経つと忘れているのである。去年の4月の辺りを見れば解ると、一年前のページを開いてみた。暫くあちこちと読んで見た。あんな事があったんだ、こんな事も在ったんだと懐かしんだ。ブログに記録していなければすっかり忘れていることである。

当然ながら我家の花々も二度目の登場と言う事になります。私は一番花を撮っているので解るが、同じ花でも少しずつ咲く時期が前後している。撮る角度を変えて写しますので、楽しんでいただけると思います。

一昨日、屋久島の叔母の頂き物について書きました。今朝、NHKで元バレー選手の大林さんの屋久島の旅を放映していました。私は3回も屋久島に行っているのですが、滞在が2~3泊と短い為、縄文杉、白谷雲水峡(もののけ姫の森、)等行き残している所がいっぱいです。世界遺産に登録された後に行ったのは3回目。今月は石楠花祭りのはずなんです。屋久島石楠花を見たいのです。

テレビの中で、竹の皮で包んだお弁当を見て思い出したんです。草もちを包んでいたのは竹の皮ではなかったかしら?って。

お弁当のおかずに「つけ揚げ」が入っていたんですよ。関西では「上げ天」に相当するでしょうか。叔母がこれもレンガのように固めたのを送ってくれるのですが、正真正銘の飛び魚だけの、他に混ぜ物無しですからとても美味しいんです。

「飛び魚」まるっぽ、ミンチに掛けて、いや、島ならすり鉢とすりこ木だろう、繫ぎに膨らし粉が入っているのでしょうか、揚げると一旦ものすごく膨らむのです。初めて揚げた時は驚きましたよ,鍋一杯に、2~3倍に膨らみます。それを通り越しますとぺちゃんと成るのですが、萎んだからといってシワシワにはならないのです。鹿児島本島に居た叔母も送ってくれましたが、此方は既製品ですから、美味しいんですが、屋久島の叔母の「つけあげ」には敵いません。鹿児島の叔母も亡くなりましたから、屋久島の叔母が私の姑の最後に残っている妹になります。

屋久島の蓬は香が良いといいますと、蓬そのものも送ってくれました。家でお餅を搗く時に入れていました。蓬は3月迄に摘んだのが香が良いそうです。それ以後だと香が薄いそうです。

「ガレツ」ってご存知ですか?屋久島では昔から「胃の薬」として飲まれているそうです。叔母の家の周りには其の「ガレツ」の畑がありました。姑は送ってもらって飲んでいました。色は大田胃酸と同じようだと記憶しています。

屋久島の叔母のお得意はもう一つ「灰汁巻き(あくまき)」があります。良くは知らないのですが、もち米を竹の皮で包んで、灰汁で加工するんです。茶色い色で、独特の臭いがします。「匂い」ではなく「臭い」に近いです。「くさやの干物」は食べなれた人にはめっぽう美味しいが、初めての人は臭いで拒否すると言いますが「灰汁まき」もそうです。

竹の皮にぴったりついていますから、水につけながら竹の皮をはがします。包丁を水に濡らしながら切り分けて、砂糖または黄な粉をつけて食べます。町で売っているのはそんなに臭くありません、その代わり味は落ちます。

もう一つ「さば節」です。これだけは私は苦手でした。関西育ちはやっぱり「鰹節」です。

屋久島の食べ物のご紹介でした。叶わぬ事ながら、叔母の手作りのものがもう一度食べたい!!
                         (370回)
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