ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

俺は、君のためにこそ死ににいく

2007年05月17日 | 映画の話
           大井戸公園のバラ
         房咲き、私のお気に入り
       一寸バラには見えないけど、垣バラ

「俺は、君のためにこそ死ににいく」長~い題名の映画を見に行った。題名に区切り点「、」が入っているのもめずらしい。館内はシニア専門館の様相。2~3人若い男性が混じっていたが、彼らは何を思って見に来て、何を感じて帰ったのだろうか。

知覧には一度行ったことがある。武家屋敷には行ったが、特攻平和会館にはまだ足を運んでいない。鹿児島には何度も行っているが、市内からは少し離れているので機会を逸している。今度じっくりと行ってみたい。

戦争中、私は小学校の低学年であり集団疎開をしていて、家は焼かれたが空襲を知らない。だから戦争と言うものを戦後の子供と同じくらい何も知らない。

本が好きとはいえ、戦争ものは読んでいないし関心も無かった。しかし年を重ねると、今の全てが「戦争と言う過去があって、其の上に積みあがったものである」と言う事をつくづく考えるようになった。

特攻隊と言えば、二十歳前後が中心で、当時の状況下においては、ただ体当たりして相手をやっつける為の器械となって、帰りの燃料を積まずに飛んでいく。希望は無く死あるのみと私は感じたが、此処で題名が生きてくるのであろうか「俺は、君のためにこそ死ににいく」と・・・。

話の説明:昭和19年太平洋戦争で圧倒的劣勢を強いられていた日本軍は戦闘機に250キロの爆弾を搭載して敵艦に体当たりする特別攻撃隊を編成、本当なら未来を担うべき若者たちの尊い命が失われていった。

当時のリアリティーを再現する為、元隊員たちによる軍事教練を100名以上のキャストに行い、陸軍戦闘機・隼を、当時の設計図を取り寄せ5000万円を投じて実寸大で再現した。3ヶ月に及ぶ長期撮影を敢行。

特攻隊の基地のあった、鹿児島の知覧で軍の指定食堂をしていた、鳥濱トメさんは家族と離れて出撃を待つ若者達に母親のように慕われていた。トメさんも自分の大切な着物を米や卵に変えて、出撃前の若者に食べさせた。

あたら若い命を散らせた者も、戦後は「犬死」と言われ不憫だが、生き残ったものも「特攻くずれ」と呼ばれ蔑まれたらしい。戦争とはかくも酷いものなのだ。特攻隊の生き残りと言えば、今は亡き俳優の西村こうさんと元裏千家の家元・千玄室さんも特攻隊の仲間だったと聞いたことがある。この映画ご覧になったろうか。

主人は特攻隊の年齢に近いし、当時、軍の学生であった経験の持ち主だから、この頃の年齢差は大きいし、男と女の差もあると思う。今日の映画を見ても私とは感じ方も違うだろう。

鳥濱トメさんを中心に彼女の思い出を語ると言う形を取っている。トメさんに扮する岸恵子さんは原作者である石原慎太郎さんのたっての希望の実現だった。

徹子の部屋に出ていた岸さんはこの映画にも触れていた。「お話を頂いてから、2年間色々考えました。其の頃から『靖国神社の問題』が取りざたされていましたし、台詞の中に『靖国で会おう』と言う言葉がありますし・・・」結果的には引き受けられたのです。

同日飛び立っ者は「今度は靖国のサクラの木の元で会おう、そして揃って靖国にいこう」と言う台詞があるが、おなじ編隊の者はそういう話もあったのだろうか。

最後の場面は満開のサクラの中、トメさんを車椅子にのせ、生き残った編隊長?は「皆に会いたい」という。彼に会いに笑顔で駆けてくる英霊、幻が消えると、其処には無数に飛び交う蛍が居る。サクラの時期に飛び交う蛍に疑問を感じながらも、美しさに見入ってしまった。

コメント (1)
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