ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

万博公園

2007年05月10日 | 思い出話
             白い紫蘭
   鹿児島の叔父が「らっきょ」と一緒に送ってくれた
     大きな玉の「らっきょ」なつかしいな~
      あんなに大きいのは関西には無い
    もうすぐ「らっきょ」をつける時期が来る

一日中、雨が降ったり止んだり、強風が吹いたりで寒い一日でした。

主人の強羅温泉2泊3日の旅の写真の整理、プリント、CD作り、お呼びくださったお礼にと、写真によっては大きくしたり小さくしたり、それをプリントしたり、其の上に、お礼状まで印刷させて「想い出の覚めない内に、はよ送っといて・・・」とご本人はさっさとジムへ。一日これで日が暮れてしまいました。

         ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

エスカレーターの立ち位置のことなんですけれど、関西では「右に立ち、左を急ぐ人の為に空けておきます」「関東は左に立ち右を空ける」全く正反対で、関東に行くと戸惑うことがあります。

さてこの左右逆転はどの辺りからでしょうか? 一説に寄れば名古屋辺りだろうということなんですが・・・。如何でしょうか?

如何して狭い日本でこんな違いがあるのでしょうか?関西が今の状態「右に立ち、左を空ける」に成ったのは、そんなに昔のことではないのです。37年前です。そうなんです万国博覧会の時からなんです。

エスカレーターの立ち位置の国際基準と言うのがあって、万博に来られる外国のお客様が戸惑われない為に今の立ち位置に変更したらしいのです。だから元々は東京と同じ「左立ち右空け」だったんです。

そう考えますと、何処かを中心に左右が分かれているのではなくて、関西を中心にだけ「右立ち、左空け」ではないかと思うんです。だから四国、九州沖縄、皆「左たち、右空け」ではないかと思うんです。

万博、エキスポランドの「風神雷神」が大きな事故を起しました。若い命を落としたのが遊具だ何てお気の毒です。万博公園の行き帰りに目には入っていました。そしてものすごい音で通過するのを何度も見ています。でも事故が起きるなんて考えた事もありません。18年の命だったなんて悲しすぎます。

万博の時は、私の家が近い?こともあり、西から東からお泊りのお客様で案内したりもあって、11回も通っているのです。多いときは親子3代6人で来られたこともあります。付き添いから、帰宅後のお食事のお世話と今から思えば良くできたと思いますが、やっぱり若かったんですね。

主人は丁度単身赴任中でした。帰宅した時に家族5人で行って(このときが最初)アメリカ舘やソビエト舘の長蛇の列に並びました。それで懲りたのか姑は姉妹が来ても一緒に行こうとせず案内は何時も私でした。私はお祭り大好き人間ですから喜んでお供しました。

万博が終わって、あの賑わいが嘘の様な静かになった公園にも何度も行っています。催しが気に入った時に国立民族学博物館に行くのです。此処も静で、大きいと言うこともありますが、何時行っても人影まばらです。こんな良い施設を勿体無いな~と何時も思います。

国際美術館跡が大きな駐車場になっているのですが(元々東のはずれに大きい駐車場がありました)こんなに人が来るのかな~と思います。

もう1か所、行けば必ず立ち寄る場所があります。国際児童図書館です。世界の子供の本が集められているのですが、其の時期や行事に関した(クリスマスならクリスマスに関した本等)世界の本が展示されています。他国の絵本が見れるのですもの、もう少し近ければもっともっと行きたい場所です。


コメント (2)
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