ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

又もや、屋久島

2007年05月03日 | 新聞から
            西洋オダマキ
       いろんな色の種を蒔いたのですが
          残ったのはこれ一色
      優しいツートンカラーでお気に入り

昨日「屋久島石楠花」を見たいと書きました。夕刊に偶然「屋久島石楠花」について載っていました。

『嶽詣(たけまい)と言う行事が昔からあったそうだ。島の中央に宮之浦岳(最高峰)、永田岳、栗生岳。その外周のそびえる1000m前後の山を前衛峰「前岳」、其の奥の山々を「奥岳」と呼ぶ。「獄詣」は集落ごとに夫々の奥岳へ詣でる行事で、集落の代表が早朝、竹筒に海岸の砂を入れて出発、山頂に祀られている一品宝珠(いっぽんほうじゅ、島の守護神)の祠に備えて島の繁栄を祈った。帰りには、シャクナゲの花を集落の人たちの為に手折って帰る。各家庭では其の花を神棚に供えて一年間の家内安全を祈る』屋久島シャクナゲには、そんな行事が付いていたんですね。この行事も一度は廃れたようです。永田で民宿を営むしばさんが伝統の嶽詣を復活させたそうです。

永田では早ければ小学校5年生から嶽詣に参加できたそうです(昔は2泊3日掛けた)。しばさんが始めて参加できたのは大学時代の夏休み。ですが「伝統行事が登山になっていた」という。東京での学生生活にピリョウドをうち、屋久島に帰り「原生林の伐採中止運動」の先頭に立ち「伝統的な嶽詣復活」に拘った。

永田は昔は「島の桃源郷」と言われて活気があったそうだ。そういえば姑の口から「永田」「一湊(いつそう)」と言う地名を良く聞いた事を思い出した。其の活気を取り戻すのは、産業を興すことも大切だが伝統的な行事や祭りをしっかりやることも大事ではないかと、しばさんは言います。

3年前、海がめの孵化を見に行ったのがこの永田の田舎濱です。本当に静で綺麗な海岸でした。又夕陽が沈む、刻々と色の変わる様は一刻たりとも目を離したくない景色でした。手の届きそうな感じで沖之永良部島がありました。

ただ残念なことに、日の出は拝めません。高い山裾にある村ですから、山の向こうに顔を出した時には、都会で何時も見慣れているお日様です。解っているのに、私は暗いうちから起きだして、日の出を待ちました。空が明るくなるまで、待ち続けましたが・・・。

世界遺産となり、全国から、世界中から観光客がやってくる。「チェンソーで伐採された時代に次ぐか、それを上回る位の最大の危機に直面しているかもしれない」としばさんは言う。こうも言う「将来的には屋久島ガイド無しでは縄文杉や白谷へは入れないようにしたい」

土地の人がこういうにはきっと自然が荒されているのだろう。富士山の二の舞に、ゴミだらけの山にならなければ良いがと思う。

ガイドと言えば、今までは誰でもなれたらしい。「一つ一つの自然に、具体的な想い出や、伝え聞いた話がある人」を選択して、180人位居たガイドを約120人程に絞ったらしい。案内してもらう方も、道案内だけではなく、色々と話して貰った方がありがたい。案内してもらうなら、この人と思った女性ガイドをテレビで見た。あの人はきっと残っているだろうと思うが。

私が行った3回目も、夏休みだったので、頭を遙かに越えるリュックを背負った若者が沢山いた。海がめの孵化現場で出合った新婚さんが1週間あればめぼしい所は登れると言っていた。

テレビでは縄文杉までの道は整備されているようだった。山で一泊するようだが、若人より時間を掛ければ、私にもチャンスはあるような気にさせてくれたが、無理だろうか?

コメント (2)
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