豪州落人日記 (桝田礼三ブログ) : Down Under Nomad

1945年生れ。下北に12年→東京に15年→京都に1年→下北に5年→十和田に25年→シドニーに5年→ケアンズに15年…

迷走する原子力船むつ なりふり構わぬ政治

1978-06-25 22:07:02 | 政治・経済

むつ政経文科新聞 第9号 昭和53年(1978年)625日発行 

 

「論説」 迷走する原子力船むつ なりふり構わぬ政治

 

我が国初の原子力船である「むつ」は正しい航路を失って、政治と取引の波間を漂っている。「むつ」は欠陥船であるが故に「国のメンツを立ててやる以上地元に何らかのリベートを支払うのが当然」と語られ、長崎新幹線の着工や300億円の地元助成金の預託など露骨な見返りが叫ばれている。原子力船を人質にした、むつ市長と佐世保市長との分捕り合戦と表する声も出ていて、ある中央市ではこれを「たかり・汚職の構造」と断言している。一体「むつ」問題が本質を離れて、国民の税金の汚い奪い合いの迷路に落ち込んだ原因はどこにあるのだろうか。それは1つにはロッキード汚職を生む中央の政治風土に問題があり、もう一方ではこのような中央政治に直結する形の地方自治に問題があり、そして「原子の火を恐れぬ野獣」と化した人類の感覚の麻痺に最大の原因があるのであろう。

「推進派」と呼ばれる政治家や科学者や企業家たちは、現代の金権構造の中でうまい身の振り方を考えるだけではなく、我が国の将来のエネルギーの問題、原子力の安全性、子孫のことを真剣に考えた発言をすべきである。勿論そのような発言も時には耳にするが、自分たちだけの利益を追求することを覆い隠すだけの理屈にしか聞こえぬのは何故であろう。「原子炉は絶対に安全」と断言する中央の御用学者には、ぜひ原子炉周辺に住んで、冷却水を飲み水として生活していただきたいし、地元の「推進派」の人々には「人類の将来のために存知を主張しているのだから1円の見返りも必要ない」と言明していただきたいものだ。

伊方判決では、「原子力は人間を死亡させ、または発病させる蓋然性があり、その線量は不明であるが、公共の必要上許容最低線量を決めることや過疎地に原子炉を設けることは違法ではない」と述べている。多くの人々の幸せのために一部の人々が苦しまなければならないのなら、そのプランは断念すべきと考えるのが人間の良識である。しかしそうではないと、これ程まではっきり言われれば「同意できないのでお断りします。そう信ずるのなら、あなた方の住む土地に原子炉を作ってください。そこから送られてくる電気を私たちは尊敬の念を持って使わせていただきます」と答えざるを得ない。

このようにあえてエゴを丸出しにすれば、金が欲しいのか、安全性が欲しいのか、といった選択になる。金を受け取ることは安全を差し出すことを意味する。しかし安全を選んだからといって、自分の持ち金まで奪われることにはならないし、失うものは何もない。要するに、目の前にごちそうを並べられて「食べたけりゃ安全を捨てなさい。そうじゃなけりゃ向こうのテーブルの人に食べさせるからね」と選択を強要されているに過ぎない。しかし目の前の誘惑に負けて他人や子供たちの安全までをも売り渡そうとする人々がいることも悲しい事実である。不況の現状ではこのような人々が威勢の良いことも事実である。挙句の果て、遅れてやってきた子供達には「ごちそう様でした」と、食べ残しのテーブルを渡して席を立つことになるのだが…。(むつ政経文科新聞 編集責任者 桝田礼三)

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