「生活保護世帯」は平成20年度段階で全国に114万8766世帯も存在します。前年比3.9%増。総世帯数の2.39%に当たり、平成4年度以降、増加の一途です。
(中略)
職員85人をケースワーカーとして配属する尼崎市では、1人が127所帯も担当する状況です。一旦、受給開始した世帯が生活保護廃止に至る比率は毎年、全体の1割程度に留まるからです。
而(しか)も、大半は死亡に伴う保護廃止。収入増を理由に生活保護から“脱却”する世帯は、尼崎でも全国でも10%前後なのです。何故でしょう? 「働きたくても働けない」改め「働けるけど働きたくない」甘えを増長させる、至れり尽くせりな厚遇福祉制度だからです。
さて、今日は一部の民主党支持層が絶大な信頼を寄せる日刊ゲンダイです(民主党支持者はもう少しメディア報道への懐疑心を持つべきだと思います)。今や政府与党の御用新聞と言えば産経新聞ではなく日刊ゲンダイでもあるわけですが、今回の記事はいかがでしょうか(まぁ引用したのは日刊ゲンダイの記者ではなく田中康夫が書いた箇所ですけれど)。どうやらケースワーカー一人あたりの担当世帯が多い理由を生活保護廃止に至る比率の少なさに求めているようです。受給者は増えるばかりで一向に減らない!と。
う~ん、社会の貧困化が進めば生活保護世帯が増えるのは当たり前で、本来であればそれに合わせて担当者も増員しなければいけない、しかし公務員は問答無用で削減しなければならないというのが半ば常識と化しているわけです。受給者は増えているのに、しかるべく担当人員の補充をしないばかりか人員削減に踏み切れば、一人あたりの担当世帯は増えるしかないですよね? しかも自民党は民主党に比べればまだマシだったと言うべきか、公務員削減に関しては民主党の方が積極的かつ無批判ですから(参考)、この傾向は今後も加速されていくはずです。ところが日刊ゲンダイ及び田中康夫的には、保護廃止の比率が低いからだ、ということになっているようです。
では保護廃止がなぜ少ないかというと、田中康夫の語るところでは「『働きたくても働けない』改め『働けるけど働きたくない』甘えを増長させる、至れり尽くせりな厚遇福祉制度だから」とのこと。何か根拠があっての話なのでしょうか。ただ世間の偏見に乗じているだけにも見えます。どこの政党でもメディアでもカルト的性格が強まるにつれ同じ世界観(偏見)を共有している人々の間でしか通用しないことを言い出すものですが(政権交代前なら産経新聞が、今であれば日刊ゲンダイがまさにそうですね)いかがなものでしょう。上述の『説明』は全く根拠のない思い込みに過ぎません。ただ生活保護世帯への偏見を田中康夫と共有している人にとっては、そのまま頷ける説明になるのかも知れません(例えば生活保護の不正受給が蔓延っている~みたいな脳内設定と現実を混同している人からすれば田中康夫のヨタももっともらしく聞こえてしまうのでしょう)。
モデルケースとして厚生労働省が示す夫33歳・妻29歳・娘4歳の世帯に適用される月間生活扶助基準額は16万2170円。20~30代の単身者でも月額8万3700円。そこに住宅扶助も加算されます。更に、医療費は全額無料。子供の学用品、学級費、給食費、交通費も扶助対象。出産扶助、葬祭扶助も用意されています。これぞ正しく、イギリスも真っ青な“揺り籠から墓場まで”。更には、生業扶助と称して、自動車運転免許の取得費用も全額国庫負担の摩訶不思議振りです。
子供のいる世帯で16万2170円、独身でも8万3700円が恵まれているとは考えにくいですし、そもそも現実の生活保護受給者は何らかの疾病を抱えているケースが多いことを鑑みれば医療費の扶助は当然(これがなければ金銭的な理由から治療を受けれられなくなる、健康を回復して社会復帰する可能性も閉ざされてしまいます)、また自動車免許の有無で就業できる範囲に少なからぬ差があることを考えれば、自立支援の意味でも免許取得費用の補助は合理的と言えます。加えてイギリスが“揺り籠から墓場まで”と言われていたのは何十年前の話だよと突っ込みたくもなりますが、仮に日本の生活保護世帯が恵まれているとしても、それを受給できるのが貧困世帯の15~20%程度に過ぎないことをどう考えているのでしょうか。
他方で日本では現在、年間所得が100万~200万円に留まる世帯が全体の12.6%。200万~300万円が12.8%を占めています。詰まりは、「働いても一向に苦しい」勤労者よりも恵まれた不労所得環境が、厳然と存在するのです。
……で、ワーキングプアより生活保護世帯の方が収入が多いことを問題扱いすることで、働いても生活保護世帯以下の収入しか得られない就労環境の存在はあっさりと流されています。田中康夫的には、どう頑張って働いても生活保護水準以下の給与しか得られない人々が1000万人以上いることではなく、生活保護世帯が114万世帯存在することの方が嫌なのでしょう。真っ当な政治家なら貧困世帯の大半が社会保障の対象から外されている現状に心を痛めても良さそうなものですが、運良く社会保障の対象に収まることが出来た人々を「働けるけど働きたくない」と根拠なく決めつけ、「不労所得環境」と呼んで悪者に仕立て上げることにばかり熱心なようです。そもそも、これだけ低賃金労働が街にあふれているのなら、生活保護世帯がいざ就業したとしてもその収入はどれほどでしょうか? キャリアに欠ける生活保護受給者が高給の職に就くのは至難です。就ける仕事となると、生活保護水準以下の給料しかもらえない仕事になってしまうことも考えられます。薄給の仕事はたくさんありますから! しかるに生活保護水準以下の収入しかないと、就業しても生活保護が減額されるだけで即時廃止には至らない、だからこそ収入増を理由とした生活保護の“脱却”はレアケースに止まるのでは……
にも拘(かかわ)らず、財政難に直面する全国の自治体から悲鳴の大合唱が生まれないのは、どうしてでしょう? 答えは簡単。尼崎市に於(お)いては年間270億円に上る生活保護扶助費の95%は、交付税措置も含めて国庫負担。危機感は生まれません。
現状で生活保護を受給できるのは貧困世帯の1~2割、だから貧困世帯の内のごく一部、せいぜい1~2割しか面倒を見なくて良い、残る9割近い貧困世帯は放っておいても良いと言うのであれば自治体側の負担など軽いものです。全貧困世帯に健康で文化的な生活を保障しようともなれば結構な手間と費用がかかりますけれど、現状の貧困補足率のままで済むのなら楽なものです。一方で田中康夫は生活保護費の国庫負担率が高いから、自治体の負担が少ないからだと説明しています。しかるに大阪市などは自治体独自の判断で生活保護を打ち切りに出来るよう検討しているわけで(保護費の25%程度が市の負担/参考)、氏の説明が当てはまるケースが多数派であるかどうかは甚だ疑わしいところです。
加えて、与野党を問わず大半の既存政党にとっても、生活保護世帯の善男善女は有り難き票田。斯(か)くて、良心的な福祉事務所職員は、次年度も生活保護世帯認定を迫る有形無形な力の狭間で、苦悩しているのです。
そして最後がこれです。もはや何が言いたいのかわかりません。生活保護認定によって、どこか特定の政党の票が増えるとでも言いたいのでしょうか。「既存政党」と言うからには、自民、民主、公明、社民、共産辺りを指すことになりそうですが、それぞれ5つの「既存政党」に票が流れたとしても、別に何も変わりませんし。新党日本だけは損をするとでも思っているのだとしたら、被害妄想家ぶりも大したものです。「生活保護世帯認定を迫る有形無形な力」とやらを敵に見立てているようでもありますが、じゃぁ生活保護申請の阻止に血道を上げる現実の自治体は田中康夫にとっては「同志」なんでしょうかね。