非国民通信

ノーモア・コイズミ

実は日本の方が即戦力志向が強いような気がする

2010-02-03 22:44:05 | ニュース

なぜ過剰な期待をすると潰れてしまう ひ弱な日本人が増えたのか(週刊ダイヤモンド)

 日本のような新卒一括採用という採用手法は、実は世界的にも珍しいものです。

 キムラ氏は続けます。

 「米国の場合は、ほとんどの学生が在学中に企業のインターンシップで働いている。それでスキルを身につけて自分を売り込む。そのときに会社側が求めるスキルが高いほど、学生は必死にそれをクリアしようとする。求められるものが高すぎるからといって、それがプレッシャーになって落ち込むなんて、ちょっと日本の学生はひ弱すぎるんじゃない?」

(中略)

 米国の場合「一年中インターンシップを行っている企業もあるが、学生の夏休みに合わせて3ヶ月のフルタイムのインターンシップを用意する制度が定着している」とキムラ氏は言います。

(中略)

 「たとえば、米国では企業の採用活動は退職補充の経験者採用が基本なので、新卒者はどうしても競争に不利になる。そのため米国の大学生は少しでも経験者に対抗するために、大学時代から積極的にインターンシップに参加して職業経験を積み、その経験を就職の際の面接でアピールする。そのため米国のインターンシップは一般に勤務期間も長く、実際の業務をオフィスや現場で遂行するものであることが多い。日本の感覚で言えば、どちらかというと大学生のアルバイトに近い。アルバイトを単に収入のためではなく、将来の仕事選びや自分のキャリア構築と結びつけて行うのがインターンシップというイメージである。」

 引用元で考察の対象になっているのは見出しにある「なぜ過剰な期待をすると潰れてしまう~」なのですが、その理由として日米の採用方式の違い、インターンシップなどが取り上げられているわけです。日本は新卒一括採用が主だけど、アメリカは即戦力を欲しがる分だけインターンシップが機能していて、それで人が育てられていると、端的に言えばそういう話です。でも、この辺は週刊ダイヤモンドならずとも誤解の多いところですが、本当に日本はそこまで新卒一括採用ばかりなのでしょうか? 例えば日本は解雇規制が世界一厳しいとか法人税が高いとか、実は疑わしいものが「常識」として確たる根拠の無いまま罷り通っていることもあります。でも実際はどうなのでしょうか?

 日本でも新卒一括採用を継続しているのは社員の離職率が低い優良企業だけで、社員が次から次へと辞めていくブラック企業、中小企業では当たり前のように通年採用が行われているはずです。あの城繁幸氏に「若者はなぜ3年で辞めるのか?」なる著書がありますが、「3年で辞める」のはあくまで優良企業の若者の話で、圧倒的多数を占める中小企業、ブラック企業ではもっと速いペースで社員が辞めていくものではないでしょうか。私は一応ジャスダックに上場している会社に正社員で勤めていたこともありますけれど、半年で辞めました。何かと上下関係にうるさい会社で、社員名簿も入社順に並べられていたのですが(挨拶もこの順番通りにしていかないと怒られたり)、先輩社員が毎日のように辞めていく中で最初は1番下だった自分の名前は瞬く間に上昇していき、半年で辞めた時は、もう名簿の真ん中より少し上にいました。もしかしたら他の会社はもうちょっとマシなのかも知れませんが、社員がハイペースで辞めていくので新卒を待ってはいられない、通年で採用し続けないと会社から人がいなくなる、そういう会社も多いような気がします。

 そもそも日本が新卒一括採用中心、アメリカが即戦力志向だとしても、挙げられているインターンシップごときで本物の「即戦力」になれるとは思えないわけです。フルタイムといえど、たかだか3ヶ月程度インターンシップで働いた程度で「即戦力」を名乗れるのなら、それはまた随分と敷居の低い世界と言えます。日本だったら派遣社員で3年間働いたくらいでは決して「即戦力」とは見なされない、新卒を1から育て上げるのと手間は変わらない、それくらいの扱いなのですが……

 「石川遼のこと書いたコラムだけど、あれ、なんで“求める人材は石川遼”って言うと、若手が嫌がるの?」と、キムラ氏は言います。

 「米国の学生なら、ものすごいハイ・パフォーマーが理想だ、と企業側が言えば、みんなモチベーションが上がると思うんだ。というか、たとえスキルが未熟でも、平気で自分をアピールする学生が多いと感じる。自分からモチベーションを上げる姿勢には、いつも感心するよ」

 過剰な期待に押しつぶされかねない日本の若手と、米国の若手とでは、思考回路やメンタルの構造がまったく違っている。彼が言わんとするのは、そういうことです。

 ことによるとアメリカで求められる「即戦力」と日本で求められる「即戦力」、言葉は同じでも求められる水準は全く異なっているのかも知れません。アメリカではインターンシップ程度の経験でも自称即戦力として許容される、逆に日本では正真正銘の即戦力ではないと「単純労働でもやってなさい」と追い返される、そういう違いがあるのではないでしょうか。だから“求める人材は石川遼”と言われたとして、アメリカの若手は「できます」と脳天気に安請け合いすることが許される、しかるに日本では本当に石川遼クラスであることが要求される、だから日本の若手は萎縮してしまう、そう考えることも出来そうです。

 いつだったか週刊プレイボーイでアントニオ猪木が読者相談コーナーを持っていた頃の話です。「いつも大ボラを吹いてしまうのですが、どうしたらいいでしょうか?」との相談に対し猪木は「嘘を吐いても、後で実現させちゃえばいいんだよ」と回答していました。猪木サイコー! でも、猪木の真似は難しそうです、特にその時点での嘘か本当かを問われがちな社会では。3ヶ月程度のインターンシップで即戦力を自称できる社会なら「自分は石川遼にも負けません」と言い放っても「わかったわかった、いつか立派に育ってね」で済むかも知れませんが、「本当に遼クン並み?」と嫌疑の視線を投げかけられてしまう社会では、縮こまって生きていくしかなくなってしまいますよね。

 

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コメント (9)
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