非国民通信

ノーモア・コイズミ

子供優先

2013-08-02 00:06:31 | 社会

子供のハーネスあり?なし? 86.9%が「あり」と判断 - すくいぬ

この間やったアンケート調査で
子供のハーネスについての結果です
大半の人が「あり」を選択しました、圧勝ですね
子供の動きなんて乱数だから安全面を考えればやはりハーネスはあったほうが良いという考えが多かったです
安全第一ですね

 

 ……上記はアフィリエイトサイトからの引用で、子供用ハーネスを売らんがなという記事でもありますのでアンケート結果の信憑性は微妙でもありますが、とりあえず「子供のハーネスはあり」という意見も結構あるようです。ハーネスと言っても馬や犬に付けるようなのとは異なりリュックサックにヒモが付いているくらいのものが一般的のようで、まぁベビーハーネスとか迷子ヒモとか呼ぶ方が通りやすいのでしょうか。そして子供のハーネスは「あり」、と回答する人も多い一方で「ありえない」と断固として反対する人もまたいるわけです。

 私は、大いにアリだと思いますけれどね。こういう、子供の周りにいる大人――特に子供の最も近くにいる人すなわち親――が楽をできるような道具は、もっと積極的に活用されるべきですし、世間からの理解が得られてしかるべきものと考えます。ところが使い捨ての紙おむつや粉ミルクなど子育てを楽にしてくれる道具が普及する中で、布のオムツの方が子供のためには良い、可能な限り母乳で育てるべきだ云々と語る道徳家も喧しいわけです。その手の人や思考を共有している人からすれば、子供のハーネスも到底、受け入れがたいものに映るのかも知れません。

 

なし
20歳代/男性/大阪
親がしっかり見ていれば必要ない

なし
20歳代/女性/愛知
便利だとは思うけど自分はやらない。

なし
30歳代/男性/愛知
危ないと思うなら抱っこしろ 歩かせたいなら手をつなげ

 

 昔と比べればどうなのでしょう、とかく現代は「子供のため」が幅を利かせやすい時代であるように思います。「子供のため」という錦の御旗を掲げられれば周りは屈することを余儀なくされる、子供の周りにいる大人――例によって子供の最も近くにいる人すなわち親――が子供のために自らを犠牲にすることを求められる、そういう圧力は、かつてないほどに高まっているのではないでしょうか。少子化の時代、子供は小皇帝、小公主です。昔のようには子供をぞんざいに扱えない、とにかく子供を大切にしなければならない、子供のために親とりわけ母親が私生活を犠牲にするのは当たり前みたいな感覚は、過去よりもずっと強まっているような気がします。

 そういう時代には、母親が「(子育てで)楽をすること」への世間の目も冷たいものになりがちです。まぁ私の祖父母くらいの世代を鑑みるに、子育てで楽をしたいからではなく生活が苦しいから子供にばかり構っていられなかっただけみたいなケースも多そうですが、ともあれ現代の親(特に母親)ほど「子供につきっきり」であることが強く求められるものなのではないでしょうか。そうした空気に浸かりきった人にとって、いつでも子供から目を離さず、いつでも子供の手を握っているのが当たり前、子供をヒモで繋いで親が楽をするようなスタイルは絶対に受け入れられないものになる、と。

 

親の5人に1人は「うちの子はブサイク!!」と思っている 英調査結果(マイナビウーマン)

匿名希望の2女の父親は、当時の狼狽ぶり説明している。「どの親でも自分の赤ちゃんが世界で一番カワイイと思わなきゃいけないというようなプレッシャーがあるんだ。そう思わないことは親としてタブーとされているため、実はブサイクと思っていても他と同じことを言わなければと感じているんだよ」。

(中略)

「私たちは自分の子供を愛すべきと刷り込まれているのです」と今回の調査を行ったPromotionalCodes.org.ukのスポークスマンは述べている。

 

 電車のベビーカー問題とかでも顕著ですけれど、「子供を大切にしています」とのアピールに余念がない人って、どうしてああも偉そうなのだろうと思わないでもありません。そういう人々が幅を利かせる世間では、子供を可愛いと思わなければならないというプレッシャーが、子供との距離の近さに比例して高まるものです。子供の近くにいる人は大変だなと、いつもながらに思います。私には、時に子供を放ってパチンコに出かける母親の気持ちが痛いほどよく分かるのですけれど、「いつでも子供を最優先」の文化に疲れてしまう人に対する我々の社会の視線はどれほどのものでしょう? もうちょっと子供への接し方が「テキトー」でも許される、そうした寛容さが望まれるところです。子供のためには何でも我慢、そうした接し方こそが時に暴発(虐待)を産むものでもあるはずで、むしろ「手抜き」が上手い人の方が子供にとっては良い親なんじゃないかとも思いますし。

 

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5 コメント

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Unknown ()
2013-08-02 01:17:16
>少子化の時代、子供は小皇帝、小公主です
しかしながら子どもの意志が尊重されているかと言えばそうでもなく、幅を利かせてるのは「子どものことを想っているという自己認識が強い大人」のほうですね。管理人さんも指摘していることですが。

子ども関連に限ったことではないですが、10の効果を得るのに10のリソースを必要とする手段と20のリソースを必要とする手段があったとき、本来は前者のほうが優れているはずなのに、後者の手段を取る人のほうが評価をされるケースは多々ありますね(「履歴書は手書きであるべき」なんて主張も同根だと思います)。前者は楽をしてると言われますが、少ないリソースで同じ効果を得られるということは、余ったリソースでさらに別の効果も得られますし、必要なリソースが減ることで負担も減るはずです。「どのような結果が得られるかよりも苦しい思いをすることに価値がある」という価値観が広く共有されているのかもしれませんが、これは社会全体の非効率化を招く原因にもなっていると思います。
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  (はちみつ)
2013-08-02 02:28:26
「仕事を終えて駅の改札を通り過ぎるときに、ふと家にいる子供の顔を思い浮かべた」というシュチュエーションがあったとして、この(親の)人の性別を男性とするか女性とするかで受ける印象が変わってしまう、という話を思い出しました。

まだまだ世間には「母親とは常にこうこうあるべきだ」的な高い理想を求める母親観が根強い気がして、こういうのを押し付けられる側もなんかいろいろ大変そうだなと思ってしまいます。
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Unknown (非国民通信管理人)
2013-08-02 23:27:08
>毛さん

 「子供のため」「子供を守れ」と声高に叫ぶ人ほど、子供を盾にしているだけの傾向は強いですよね。子供を使って自分の主張を代弁させたり等々。

 子育てにしても楽であるに越したことはないはずですが、「負担の重さ」=「愛情」みたいな認識が罷り通っていることがあって、便利な手段/道具を使っていると子供への愛情が不足しているみたいに誹られがちなところもあるように思うところです。企業や部活動の苦痛至上主義には批判的な人でも、「子供」が絡むとどうなのかな、という感じの人もいますし。

>はちみつさん

 母親の「周り」だけではなく当の母親自身もまた、「あるべき」母親像に縛られている気がしますね。そして母親像の理想が、昨今はとんでもなく高くなっているように思えてならないわけです。「そんなに子供第一にならなくても大丈夫ですよ」と言える社会であればと私などは願うのですけれど……
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Unknown (等々力)
2013-08-03 15:29:32
子どもにハーネスは注意欠陥多動性障害ということも考えられます。交通事故にあうことが現実的なので、障害の程度によっては必要なことでしょう。

歩けない子どもが車椅子に乗ることを何か言う人はいないと思うので、これは単純に知識の問題かと思います。
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Unknown (非国民通信管理人)
2013-08-03 23:37:46
>等々力さん

 別に障害と認められる子供でなくとも、ちょっと目を離せばどこかに行ってしまう子供なんて珍しくないんじゃないですかね。「普通の」子供にでも、使用が認められるべき、理解されるべきと思いますよ。
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