非国民通信

ノーモア・コイズミ

連盟よさらば!  我が代表堂々退場す

2018-12-23 21:49:24 | 政治・国際

日本、IWCから脱退へ(共同通信)

 政府が約30年ぶりの商業捕鯨の再開に向け、クジラの資源管理を担う国際捕鯨委員会(IWC)から脱退する方針を固めたことが20日、分かった。政府関係者が明らかにした。来週にも表明する。日本近海や日本の排他的経済水域(EEZ)内で行う方向で調整している。日本の国際機関脱退は戦後ほとんど例がなく極めて異例。国際社会からルール軽視との批判を浴びることは避けられない。

 9月にブラジルで開かれたIWC総会で商業捕鯨の再開提案が否決され、脱退により局面を打開する必要があると判断した。日本は資源が豊富な一部鯨種の商業捕鯨再開を提案したが、反捕鯨国が反発して否決された。

 

 42対1だったかどうかは知りませんけれど、日本の提案が否決されたことを受け、我が国の代表?は国際機関からの脱退を表明したそうです。曰く「日本の国際機関脱退は戦後ほとんど例がなく極めて異例」とのこと。言うまでもなく戦前には実例がありますので、「異例」などと言われつつも先行きは見えるような気がしますね。

 この捕鯨に関しては与野党間の対立も少なく挙国一致の趣がないでもありません。後は北方領土問題辺りも俯瞰的に見れば大同小異で挙国一致的なフシがありますけれど、だいたいそういう類いほど色々な視点が抜け落ちているのではないでしょうか。強硬論さえ唱えておけば済む分野ほど、その実は怪しいものです。

 例えば鯨を食べる「伝統」にしたところで、歴史は短く戦後の一定時期の現象でしかないわけです。北欧の一部やアラスカ近辺では許されるものが日本だけ禁じられているみたいな語りもありますが、近海での細々とした漁と、南極海くんだりまで遠征する日本の「調査」とでは、当然やっていることが違います。しかし、この捕鯨に関しては挙国一致で被害妄想に浸りたがるところがあるのではないでしょうか。

 技術力に劣る日本は、鯨を殺すことでしか「調査」することが出来ません。それを哀れむ国の中には、「鯨を殺さずに調査する技術」の供与を打診してくれるところもありましたが、日本は日本流の「調査」を続けたがっています。そして日本近海での「調査」ならば諸外国の以降を無視しても多少は許されますけれど、敢えて極地へと遠征してきたのが日本流である等々……

 そもそも日本が再開を提案したという「商業」捕鯨とはなんなのか。確かに一部の「団体」が捕鯨によって利益を得ているのは事実なのかも知れません。しかし、かつて捕鯨を行っていた水産会社は専ら、商業捕鯨が解禁されたとしても捕鯨を始めるつもりはないと回答しています。捕鯨で儲かる時代ではないから、と。もはや「商業」捕鯨は商行為としては成り立たなくなっているのですね。

 まぁ捕鯨はロマンなのでしょう。そこには合理性では判断できないものがあるのです。趣味嗜好、あるいは信仰のようなもので、営利行為として成立するかどうか、損になるか得になるかといった観点では、評価することが出来ないものだと言えます。日本はなぜ鯨を殺したがるのか――それはアメリカ人がなぜベーコンを好むのかを問うようなものです。


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