強まる年功序列志向 新社会人、勤務先に満足7割強(朝日新聞)
今年4月に働き始めた新社会人の3割近くは第4希望以下に就職したが、全体の7割強が勤務先に満足し、能力主義より年功序列の賃金体系を望む人が多い――。インターネット調査会社マクロミルの調査でこんな結果が出た。
今月7~9日、1987~88年生まれの新社会人(公務員も含む)を対象に、男女258人ずつ計516人から有効回答を得た。調査は2008年から毎年実施している。
現在の勤務先の志望順位は「第1希望」が42%で09年より7ポイント減り、「第4希望以下」は29%と9ポイント増えた。勤務先に「満足」「どちらかと言えば満足」は計74%で、過去2年より満足度は高い。
どの賃金体系を望むかは「年功序列型」が41%、「能力主義型」が35%。「年功序列型」は08年が32%、09年が37%と増加傾向にある。
マクロミルの担当者は「厳しい就職活動の経験から、不安な気持ちが根底にあることが見て取れ、結果として安定志向も強まっている」と分析している。
まぁ「能力主義型」の賃金体系が導入されると全体的に給料は下がるもので、会社側にとって有利な仕組みですから、相対的に労働者側に有利な「年功序列型」が再評価されるのは当然の結果でしょう。本物の「年功序列型」ならば地道に頑張って続けていれば給料は上がる、ことさらに自己評価の高くない人にも将来の希望が見えるわけですが、労働者として「能力主義型」に希望を持てるのは、自分が周りの人間より優れていると、そう自惚れている人間だけです。
これまでも繰り返し指摘してきたように、年功序列(及び終身雇用)はある程度の大企業、優良企業で一時的に見られた慣習に過ぎず、それほど一般的であったかは大いに疑わしいものですが、学校で学んだものを評価しない(=会社で人を育てるしかない)社会とはそれなりに整合性のとれたものだったように思います(会社で人を育てる以上、育てた人間を企業で丸抱えした方が経営側にも得になりますし)。ただ経済成長よりもコスト削減、人件費カットによって利益を確保することこそが日本的経営となっていく中で、人件費カットの方便として「能力主義~」の称揚と年功序列を否定する一大キャンペーンが張られるようになったと言えるでしょう。
経営者目線でしか物事を考えられない人は、必然的に経営側に利のある方式(=能力主義)に傾倒していくものです。また上述したように自己評価の高い人、自分が周りの人間より優れていると自惚れている人は、当然ながら自分に利のある方式、つまり能力主義に共感を覚えることでしょう。そこで若いうちは、とりわけ学生のうちは、どうしても労働者目線を持ちにくいですし(メディアや教育を通じて伝えられるのは基本的に経営者目線もしくは消費者目線での情報ですから)、そして希望にも満ちあふれているだけに、能力主義でこそ自分が評価されると儚い希望を抱きがちだとも思います。俗流若者論にウンザリした若年層の耳元で囁くには、能力主義云々は格好のネタになったのではないでしょうか。能力主義なら、実力のあるキミを評価できるけれど、年功序列なら中高年の退場待ちだよ、と。実際のところは、別に若年層の能力が先行世代より高いわけでもないでもない以上、能力主義でも最下層に止め置かれるのは代わらないのですけれどね、将来の昇級が約束されなくなるだけで!
引用した記事では、「第1希望」に入社できた人の割合が減り、「第4希望以下」に就職した人の増加が伝えられています。思い通りに就職できなかった人も多いのでしょう。そうなると必然的に、新規就職者の自己評価も下がってくるものと推測されます。希望の会社に思い通りに就職できた人が多ければ、自分は能力があると錯覚して能力主義を肯定する傾向も高まるでしょうけれど、希望の会社からは不採用を言い渡され、不本意な会社への就業を余儀なくされた人は反対のことを考えるはずです。「第4希望以下」の会社に就職した人が、「自分は周りよりも能力がある」と思う可能性は低いわけで、そうなると当然ながら能力主義よりも「地道に続けていれば給料が上がる」賃金体系を志向することになります。就職環境の悪化は、年功序列志向の高まりに密接な影響を与えていると推測して間違いなさそうです。
人件費を削減したい=能力主義型にシフトしたい経営側としては、能力主義への賛同を集めたいでしょうけれど、そのためには就業環境を改善しなければならない、昨今の一方的な買い手市場を改める必要があります。ただ昨今の国内企業にそれができるとも思えないだけに、今後とも支離滅裂な労働市場は続く、ますますもって現実と乖離した経済系の言説は蔓延ってゆくことでしょう。
本当に「能力」主義だったのかも疑ったほうがいいかもしれません。
日本の労働環境を見ると、
「能力」が高く仕事を効率良く終わらせて定時で帰ろうとする社員より、
効率が悪くても会社に対して従順で、
サビ残も喜んで受け入れ、有給も使わない、
そんな社畜型社員が「能力が高い」とされてたのではないかと思います。
能力主義と言いながら、本当の意味での能力は評価せず、
能力の名の下に会社への従順さで評価する、
そういったやり方がまかり通ってたように思います。
が増えつつある、という新聞記事がありました。
優秀な頭脳を駆使して若くして巨万の財産を築き、そして早々とリタイヤして30代後半からは悠々自適に人生を過ごす「勝ち逃げ」が
最上の人生だ、と考えるエリート候補の若者が増えているというものでした。
今回の記事の若者とは国も立場も違いますが、激しい競争にさらされ続け、そのことが当然とされる中にいた若者がむしろ非競争、安定を志向する
という点は共通していると思います。
終わりのない競争にさらされ、敗者は傷つき食うや食わずに、勝者もいつ敗者になるか分からない、という状況では、
強者も弱者も、「守り」に入るというのは当然だと思います。
これは自由競争そのものを自壊させてしまいます。
しかし、競争が自己目的化している連中は、安定志向を非難して、もっともっと激しく長い競争を追及することでしょう。
結果は、自分はひたすら失敗を避けつつ、相手の失策や失敗を虎視眈々と伺いあうような実につまらなく不健全な「競争社会」になることでしょう。
能力主義もまた、日本流ですからね。真っ当な能力主義であっても、「普通」の人は割を食うわけですが、評価される能力もまた日本的ということで、二重にダメな制度が作られていると言えるでしょう。
>おおいけさん
足下が安定していてこそ、何かに挑戦できるというものですよね。競争に晒されればその分だけリスクを知ることになりますから、守りに入る人が増えるのは当然なのかも知れません。財界側は競争を煽って労働者を疲弊させたいようですが、やっていることが支離滅裂ですよね。
俗流若者論が最も流行した時期の「若者」が、最も熱心に俗流中高年論を唱えているような印象もありますね。どうも「経営者以外の何か」に矛先を向けたい人々に乗せられているような気がするのですが、乗せられることには抵抗を感じない人が多いのかも知れません。
このブログに来る人は「信心」が足りない,「お前はそれでも日本人か」と罵られるでしょうね。(苦笑)
労働者意識,労働者目線こそが必要なのですが。(「生活者」などという曖昧な言葉でぼかさずに正確に労働者と言うべきです。)
追伸:そんなに能力主義が好きなら,いっそもっと推し進めて欲しいです。そうすれば,「美しい国」氏は絶対首相はおろか国会議員にすらなれないでしょうから。
はっきり言ってビジネス本=オカルト本ですからね。会社を信仰するカルトみたいな文化が創られているような気がします。しかもこのカルトが、事実上の国教のように幅を利かせているわけですから、まぁどうしようもありません。