□ 科学と社会間の摩擦や問題を語るときに、社会学的に扱われる言論対象としての科学に特有の事情はあっても、科学言論だからこそ生じる問題の定性があると考えてならない。科学が自己の無謬性を無批判に担保する概念であるかといえば、自明であるが実は全くそうなってはいない。二元論的な定義こそが問題。
ここでいう科学には、自然科学や工学だけでなく、社会学を含んだ、あらゆる定量的分類を伴う専門知識と、そのマイニング・アーカイブまでの学術行為を含める。学術領域間の利害や相互不信、権力偏向は予めビルドされ、ロジックの運用が、この不均質な集合に与えるストレスが議論の衝突と分離を生じる。
基礎研究分野も一般社会における就職事情と同じで、従事者が自身の専門分野における役割と責任について、誰しもが一貫した姿勢と連帯の下に運用されているわけではない。また従事者自身が自己の言論を淀みなく発信できる土壌も限られ、ここに広汎な社会学的アプローチやコミュニケーターが介在する。
これらが社会言論の扱う「科学特有の問題か」と問えば、そうでないと言えるだろうし、科学特有の問題は寧ろ社会と二項対立するレベルのものではなく、あらゆる業界が抱える社会的な問題そのものの特異な扱われ方、という言い方も出来るかもしれない。
上で「科学が自己の無謬性を無批判に担保するわけではない」と言ったけれど、対応して、少なくとも学術出版と、その引用や示威に伴う社会的な軋轢は依然としてあると認識している。ただし、それこそが科学利用の社会的政治的課題であって、科学の公益性が不信によって損なわれないよう取り組むしかない。
□ ネットで誰もが安易に評論家を気取ることが出来る今、政治批判における議論の「稚拙さ」と、弁者の「幼稚さ」は厳しく区別して認識する必要がある。
っていうか普段、政治における表面上の稚拙なやり取りの毒気にあてられて、自身もそのレベルで食掛っている自覚が欠如してしまうこともありがちなのでは。。というのは自戒も込めて言ってみる。
(quote from my twitter log)
ここでいう科学には、自然科学や工学だけでなく、社会学を含んだ、あらゆる定量的分類を伴う専門知識と、そのマイニング・アーカイブまでの学術行為を含める。学術領域間の利害や相互不信、権力偏向は予めビルドされ、ロジックの運用が、この不均質な集合に与えるストレスが議論の衝突と分離を生じる。
基礎研究分野も一般社会における就職事情と同じで、従事者が自身の専門分野における役割と責任について、誰しもが一貫した姿勢と連帯の下に運用されているわけではない。また従事者自身が自己の言論を淀みなく発信できる土壌も限られ、ここに広汎な社会学的アプローチやコミュニケーターが介在する。
これらが社会言論の扱う「科学特有の問題か」と問えば、そうでないと言えるだろうし、科学特有の問題は寧ろ社会と二項対立するレベルのものではなく、あらゆる業界が抱える社会的な問題そのものの特異な扱われ方、という言い方も出来るかもしれない。
上で「科学が自己の無謬性を無批判に担保するわけではない」と言ったけれど、対応して、少なくとも学術出版と、その引用や示威に伴う社会的な軋轢は依然としてあると認識している。ただし、それこそが科学利用の社会的政治的課題であって、科学の公益性が不信によって損なわれないよう取り組むしかない。
□ ネットで誰もが安易に評論家を気取ることが出来る今、政治批判における議論の「稚拙さ」と、弁者の「幼稚さ」は厳しく区別して認識する必要がある。
っていうか普段、政治における表面上の稚拙なやり取りの毒気にあてられて、自身もそのレベルで食掛っている自覚が欠如してしまうこともありがちなのでは。。というのは自戒も込めて言ってみる。
(quote from my twitter log)