愛しきものたち

石仏、民家街並み、勧請縄、棚田景観、寺社、旧跡などが中心です。

滋賀県高島市 旧朽木(くつき)村

2013年01月16日 | 街道街並集落 景観 

鯖街道の国道367号線が横断する旧朽木村の中心、朽木市場は安曇川の合流扇状地に在り、街道筋の色をかすかに残す静かな町並みです。

国道367号線から一筋西側を行く旧道が市場のメイン道路、旧街道沿いに街並みが一列に並び、幾度か直角に折れ曲って宿場町の様相を呈しても居る。

若狭湾で水揚された鯖は塩で〆られ、一晩寝ずに京に運び込む街道筋、俗に言う鯖街道休憩地点として栄えたようだ。

それらしき香りは残すが特筆すべき町並みでも無い・・・・・、道路の中心に融雪装置が在り雪深い事がわかる。

ここは山に囲まれた北国の玄関、道路脇には小さな流れと柳並木。

道路が直角に折れる辻には、この地のランドマーク「旧丸八百貨店」の特徴ある洋風建築・・・まるでコンクリート製のように見えるが木造三階建て・・・

その特徴的な建築から高島市の登録文化財となり、内部は公開され売店や喫茶店などとして利用されている。

滋賀県では最後の村だったが、2005年高島市と合併した。

撮影2009.9.5


滋賀県高島市 朽木古屋(くつきふるや)/おにゅう峠

2013年01月15日 | 街道街並集落 景観 

滋賀県高島市旧朽木村は京都と若狭を結ぶ鯖街道沿いにあるが、更に谷間を山間部に入り込んだ滋賀、京都、福井、県府境近くに集落が点在、その一つである朽木古屋。

京都大原から途中峠を超え若さに向かう国道367号線、大津市葛川梅ノ木町で県道783号線に右折、深い谷沿い道を道成に約30分、五月の始めとはいえ遅い桜が花を付けた桃源郷のような景色に出遭った。

このあたりは琵琶湖に注ぐ安曇川源流域の一つ、小川の流れはあくまでも清く穏やかに流れ川を挟むように建つ民家はトタン懸けにせよ懐かしい佇まいをよく残している。

五月の初め、里ではすでに田植えの真っ最中、この山村はまだ冬の眠りから覚めたばかりか田圃はまだまだ冬姿のまま・・・・。

集落外れで見た一軒屋。

打ち捨てられて間もないようだが既に温もりの形跡さえ感じることは出来ない。

ここにはどんな喜びや苦しみ、喧騒の日々が有ったのだろう・・・・・滅び行く者だけが持つ美しさを秘め、ただその時を待っているかのようです。

実の処、本来の目的は、この旧鯖街道とも言える滋賀県側、小入谷(おにゅうだに)から2008年に開通なった「小入谷林道」を通り「おにゅう峠」越えで若狭側、もうひとつの遠敷(おにゅう)根来(ねごり)の里を訪ねるつもりでした。

滋賀県側、最終集落「小入谷」からダート混じりの林道を奥へ奥へと高度を上げていくと、山の様子が変わって来て山襞には残雪が・・・、それでも峠近くで振り返ると、今来た尾根道が新緑の中、素晴らしい景観を見せる。

更に登り詰め、峠近くの吹き曝しの木々は若狭湾からの潮風をもろに受けるのか?この有様。

やっと着いたおにゅう峠、小さな地蔵堂と石碑が一つ、秋の楓の頃には撮影のベストポイントととしてカメラマンのマイカーが列を成すという・・・。

往古、新羅や百済から難を逃れて来たであろう人達も越えた道、このきつい峠を越えたのかと感慨一入、まさかもう雪は無いだろうと、たかを括って出かけ来たのに・・・・・

しかし、豈図(あにはか)らんや、この先若狭方面への下り道は何とこんな塩梅・・・・・。

これじゃ無理して谷底にでも落ちたら目も当てられないと早々に引き返した。

五月にこれならやっぱり梅雨明け以降の真夏か秋の初めかな??

人の多い紅葉シーズンを避けて今年は再挑戦しようかな・・・・・・・。

撮影2011.5.3


滋賀県高島市マキノ町 在原(ありはら)集落

2013年01月14日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)京都府

懐かしい景観が観光地化されるでもなく、有りのまま残る湖北の隠れ里。

あの京都美山の茅葺きの里ほどでも無いが・・・茅葺き屋根も三々五々残っている。

在原集落はその名も示すように晩年をこの地で過ごしたと言う在原業平の故地、ちなみに集落外れには業平の墓といわれる石塔もある。

在原は滋賀県湖北の旧マキノ町に在っても湖北のイメージは無く、四方を山に囲まれた谷間に開けた狭い盆地山村。

湖岸を走る国道161号線、マキノ中心辺りから北へ約10kmばかし車で20分、福井県敦賀市と境を接する。

知内川支流の八王子川を挟むように水田が拓かれ、その中央部に現在過疎化が進み30軒にも満たない有原集落が軒を寄せ合う。

今の時期ならもうすでに雪に埋まって都会人の乗用車では辿り着けないだろう・・・・。

往時この地は近江と若狭を結ぶ脇街道として機能していたが湖岸に域にその座を奪われ、その地理的条件から取り残され孤立し、今に姿を留めて居る。

集落の中央には産直販売所、その脇には廃墟になり、見るも哀れに潰れた茅葺屋根の民家。

ここを訪ねたのは夏の名残を残した九月の始め、真夏と変わらない暑さのせいもあり、時間が止まったような白日夢のような別世界を感じた。

多分現段階ではもう茅葺き屋根は10軒程に過ぎなくなっただろう・・・・、小規模な茅葺き屋根が軒を連ねる。

辺鄙な田舎の例に漏れず、ここでも過疎化高齢化は止め様もなく、小学校もすでに永らく休校したまま・・・・

民家も建物はあるものの廃墟と化した無人の茅葺き屋根もあり、なんとも悔しい。

この写真を撮って、もう何年も訪れて居ないので雪解けの頃、もう一度訪れ、この目で確認してみたい。

美しいものは哀しみも内包している。

撮影2009.9.5


岐阜県揖斐川町日坂 高橋家住宅

2013年01月13日 | 茅葺き屋根(上懸け屋根を含む)その他

これ程山深い寒村でこんな立派な豪農屋敷や建物に出逢うとは夢だに思わなかった。

この民家も前回同様、以前に巨木のページの序でに紹介したものですが、写真を加えての再UPです。

美濃と越前を分ける伊吹山系とと両白山系の狭間を流れ落ちる揖斐川の上流域から更に日坂川遡った日坂上村集落、県道から旧道の在所道に入って直ぐ、右手に春日神社の杜と小学校跡地だと思われる集落センター・・・・・

真正面にでんと構える偉容な民家の景観に目を奪われる。

道路脇から100m程も有ろうかと思われる屋敷道、角の取れた川石をを積んだ石垣、その上の白壁塀、奥手には物々しい白壁が綺麗な長屋門

ここは山里、間口が広く、重厚な長屋門には驚かされる。

現在も住まわれて居る様ですが訪ねたときはお留守の様で、門を入った庭先で一枚撮影させて貰った。

茅葺き屋根に少々痛みはあるものの、茅葺入母屋造の「書院」が棟を直角にして取り付き、角屋のような形式となっており、その結合部分に玄関が設けられており、格式高い趣が感じられる。

高橋家は中世末に日坂に来在したと伝えられている豪族の家柄で、江戸時代を通じて大庄屋を勤めており、大垣藩主視察には、宿泊本陣となっていたようです。

脇道を行くと、杉の屋敷林と長い長い石垣と板塀・・・・、広大な屋敷を有して居り土蔵は五棟有ると言う事です。

江戸期文化六年の建築とされ、この山深い山村に在って、この規模の大庄屋屋敷に出合えるなどとは思ってもいなかったので本音で驚きの一語に尽きます。

高橋家住宅として岐阜県重要文化財に指定されているほどで納得の景観を誇っています。

撮影2009.11.15


京都府京田辺市宮津 白山神社撒き砂

2013年01月11日 | 風物:陵墓

獅子舞の記事を書いていて正月繋がりでも無いけど「正月の撒き砂」の事が気になり、我が山城木津川左右の古い集落をこの正月に何箇所か訪ねた。

僕の近くの二集落は以前に紹介・・・・・まだ何処かに残って居る?だろうとたかを括っていたが、民家の門先では全く見つからず・・・・。

以前その形跡を見掛けた事のある京田辺市宮津の白山神社まで・・・。

 

狭い境内一杯に直径1mばかしの円模様・・・・これは黄色っぽい山砂。

誰も聴く人には出逢わなかったけど・・・・・歳神様を迎える道筋なのだろう??それがなぜ円形なのかは判らない。

境内は全て円で満たされていた・・・・、しかしこの集落の民家にも撒き砂は全く見つけられなかった。 

撮影2013.1.4

以前に撮影したものですが、こちらは旧加茂町、銭司(でず)の春日神社。

こちらは何故だか格子模様。

僕の子供の頃にはどこの家の門から道路まで、正月は真新しい白砂で日常とは全く違った清々しい日を迎えた。


獅子舞(伊勢大神楽)

2013年01月10日 | 風物:陵墓

僕が物心つくかつかない頃から年に2回必ず家に訪れて来た獅子舞。

僕の山城では獅子舞は正月の風物詩ではなく、田起こしの始まる春三月と刈り取り前の秋九月の終わり。

我が集落も最近では農家の数が僅かで、勤め人が多く昼間戸締勝ちの家が大半、近頃では前もって「伊勢大神楽安田市太夫講社」の差し出しで葉書が届く。

そんなせいか、最近我が集落では早朝に訪れる事が多く、何やら忙しくなって子供たちが獅子舞に着いて歩くと言った昔ながらの景色は見られなくなった

獅子舞の列より一足早く笛を吹く先達が玄関を訪れ、家人が差し出した志納金と引換に「伊勢大神楽」のお札を置いて行く。

暫くすると表がけたたましくなり、賑やかなチャカチャカ、笛や太鼓、鉦のお囃子が聞こえてきて、玄関で獅子が舞い、お祓いをする。

片手に短剣、片手に紙弊・・・・・、一昔前なら、子供の居る家では頭がよくなる様に獅子の口で頭を噛んで貰ったものだが・・・・。

今は昔、我が集落でも核家族化が進み息子世代は別居、小さな子供の居る家など殆ど無くなった。

集落も戸数は何倍にも膨れたが、その大部分は新興住宅、獅子舞など知らぬ存ぜぬ人達ばかり・・・・、朝早くからうるさいと捨て台詞を吐き通勤に急ぐ若者が居たり。

僕らの世代の人間には全く想像もつかない。

これから先も益々やりにくい世の中が進むでしょうが、なんとか残って欲しい懐かしい風俗です。

もう後を追って着きまとうワルガキは誰ひとり居ませんが・・・・。

1軒1軒の滞在時間驚く程短くなったような気もする・・・・・、それは志納金が少な過ぎるからなのかなあ???

撮影2010.9.8/2011.2.22


奈良県山添村  峰寺の棚田

2013年01月09日 | 棚田景観

何かにつけ訪れる事の多い大和高原、中でも少し奥まった山添村はいつ訪れても僕好みの景観で迎えてくれる。

幼い緑が薫風にそよぐGWの五月の初め・・・・・、谷間の小さな棚田にも水が貯められ田植えが始まる。

ここは山添村北西端、奈良市柳生や、京都笠置と境を接する山里。

木津川支流の布目川のダム湖近く、県道80号線で道成に東進、急な登りを駆け上がり、バックミラーに飛び込むのがこの景色。

棚田の向こう、斜面に茅葺き屋根の大和棟民家が目を惹く集落が建ち並ぶ。

道路際に車を寄せてしばし呆然と見とれてしまう景観・・・。

いくらぼ~っと見てようが、決して交通の邪魔になるような事は無い。

姦しく車の行き交う音もなく、まるで時間の概念が狂ってしまう程長閑な時間がゆっくり流れているのを感じる。

撮影2010.5.5


山口県周南市 中須北の棚田

2013年01月08日 | 棚田景観

ここへ到着したのが朝の9時30分、見渡す限り棚田に囲まれた集落の家並が朝靄に包まれ幻想的な景観を醸し出して居た。 

もう少し早く着いていたらもっと印象的な絵になっていたかも??

見事に大きな棚田です、今地図を開いて見ても棚田の中に自治会館が五ヶ所も有り、頭上(斜面上)には大きな水瓶菅野湖を持って居る。

中須北地区は周南市の中心市街地から20km北東に位置し、旧周東町、旧美川町と境を接する標高300m程の山間盆地にある。

やっぱりここも山間僻地、地区内の五集落へは全て棚田道で結ばれ地区内のアクセスは便利ですが町は遠く、例に漏れず過疎化高齢化が進んでいる。

棚田を見下ろせる地区内のベストポイントには駐車場とトイレが用意され、見事な棚田を見下ろせる。

此の棚田では各種のイベントや交流が盛んになり、以前耕作放棄田だった棚田も又元の姿に甦っている。

現に僕はこの広い棚田内で耕作放棄田を見かけなかった

撮影2012.11.30


山口県周南市 四郎谷の棚田

2013年01月07日 | 棚田景観

瀬戸内の入江に落ち込む急傾斜の溺れ谷に拓かれた石積みの美しい棚田 。

急傾斜の谷が落ち込む四郎谷集落は瀬戸内の入江に開けた僅かばかりの平地に20戸ばかりが軒を連ねる。

山陽自動車道、徳山西ICで降り2号線経由、戸田(へた)信号を左折、四郎谷への進入路を道成に10分も南進すると、目の前に急激に落ち込む棚田が現れる。

狭い谷間とは言え、南面する瀬戸内向きの斜面は暖かいのか?刈り取り後、実ることのない二度芽が目にも鮮やかな程に青々していた。

集落へ落ち込む谷は大きく二本・・・、谷には全て石積棚田がが拓かれて居る。

ここにも耕作放棄田が数多く見られる。

海の石を積んだのだろうか??山の石を積んだのだろうか??何十段にも曲線の石垣が積み重なって居る。

三方を山に囲まれ、目の前は海、背後は石垣棚田、集落の波打ち際を山陽本線が走るが勿論集落には駅などない。

船がなければ何処に行くのも険しい峠越え・・・・車の無い時代にはさぞかし苦労しただろう。

立地条件から閉鎖性が強く余所者の入り込みにくい集落のような気がする。

目の前の海には港らしい設備はなく、海に面しながらも半農半漁ではなさそうな・・・。

撮影2012.11.30


山口県長門市  油谷向津具上(ゆやむかつくかみ)の棚田

2013年01月06日 | 棚田景観

前回同様、長門市向津具(むかつく)半島棚田ですが・・・・、この棚田からは海が見えなかった。 

前回紹介の中ノ森棚田からそのまま道成にに進めば、たった10軒足らずの向津具上集落。

集落は棚田上にへばりつくように軒を並べて居る。

ここだけ何故かしらガードレールが白くて、黄色いガードレールを見慣れてしまうと、これはこれでどうしたのかと思ってしまう。

谷に開かれた波打つ馬蹄形の棚田と、斜面を下る直線で区切られた棚田。

この山の向こうは海なのだが、見通しは効かない。

交通手段の乏しい頃には自給自足のため、山の斜面と云えども開拓せざるを得なかったのだろう・・・・。

撮影2012.11.28



山口県長門市 中ノ森の棚田

2013年01月05日 | 棚田景観

前回紹介、油谷東後畑棚田より向津具半島の集落を縫って走る県道で西方へ約15分、遠く見晴かす斜面に棚田が点在する。

ここは向津具半島の括れ部「川尻漁港」を見下ろす斜面に広がる中ノ森の棚田。

田の畦に暴風垣としてシャシャキ(ヒサカキ)の木が植えられ、今も多く残っている。

響灘に突き出すなだらかな斜面は棚田として拓かれ、海の碧と相まって素晴らしい景観を醸し出して居る。

棚田の斜面に点在する民家、その遥向こうには水平線・・・・フレームを付ければそのまま絵になる景観です。

深く落ち込む溺れ谷を下る馬蹄形の棚田・・・・圃場整備が為されない曲線畦がが美しい。

それでも農業の疲弊は進み耕作放棄され雑草が生い茂る棚田も多い。

道路は棚田を上下に切り裂く様に等高線に沿い、黄色いガードレールがくねくね続いている。

車の通らない道路はどこでも駐車可能でその景観を独り占め出来た。

撮影2012.11.28


山口県長門市 油谷東後畑(ゆやひがしうしろばた)の棚田

2013年01月04日 | 棚田景観

昨年11月の末、山陽瀬戸内の旅で少し足を伸ばした山口県の日本海側、響灘に突き出した向津具(むかつく)半島、コバルトブルーの海に対峙する見事な棚田です。

遠出の時はいつでもそうだが、高速料金の事も考え、夜を徹して走り着いた下関、付近で2~3撮影を済まし、山口独特のこの黄色いガードレール道を走り抜き、この地に着いたのはちょうど昼時。

それにしてもこの黄色いガードレールにどんな意味が有るのだろう???慣れない余所者は違和感を感じずには居られない。

長門市油谷、東後畑の棚田は日本海響灘に西面した斜面一面の広がり、夕日や漁火の棚田としてアマチュアカメラマンの絶好の被写体として人気が高い。

僕が訪れた11月末、刈入れもとっくに済み二度芽の稲も色付き、斜面は荒起し土色とのモザイク模様。

本州最西端、向津具半島の響灘に面する斜面はその多くを棚田に開拓され辺地の厳しい暮らしの代償としてこの美しい棚田景観を残した。

集落を縫うように等高線に合わせ、くねくね走る県道脇には三々五々に建つ民家・・・・・。

県道下部には海岸線近くまで落ち込む棚田・・・・、その上部斜面にも棚田は拓かれ、その広大さにもっ目を見張るものが有る。

ここ油谷東後畑 の棚田は「日本の棚田百選」にも選ばれ、地元が用意した展望地から360度パノラマで棚田景観のすばらしさが満喫出来る

海と山、昼と夜、その真ん中にこの棚田が在る。

撮影2012.11.28


新潟県十日町市松代 蒲生の棚田

2013年01月03日 | 棚田景観

数ある松代の棚田のうち、もう一ケ所寄ってみたのがこの蒲生の棚田。

松代を横断するように走る国道253号線、353号線が分岐する蒲生の交差付近から少し山中に入り込んだ東面する斜面を下り落ちて居ます。

この棚田も前回」の棚田に同じく山に囲まれ木立が棚田の畔に散在していて見通しが効きません。

黄金色の棚田が濃い緑に映えますが規模は小さく、それほどの感激は有りません。

何か物足りなさを感じるものの一つに曼珠沙華の真っ赤な花が有りません。

関西の棚田には必ずと言っても過言では無い曼珠沙華の花がこちら松代の棚田では見られない。

この棚田でも朝靄に煙る棚田が神秘的な景観を醸し出す様ですが・・・・やっぱり畦道に赤い色がないのは少し間の抜けた感が否めない。

ここ松代は豪雪地帯、雪国では彼岸花が育たないのだろうか??。

撮影2012.9.15


新潟県十日町市松代(まつだい) 星峠の棚田

2013年01月02日 | 棚田景観

年は変わってしまいましたが・・・去年の秋口、東北への気まま旅の最初に寄った新潟県、十日町市旧松代町の代表的な棚田です。

アマチュアカメラマンにも絶大な人気を誇る棚田らしいのですが・・・僕にはイマイチ。

時期が悪かったのか?時間が悪かったのか??はたまた撮影ポイントの不味さだろうか??それほどの感激は味わえなかった。

長野県から流れる千曲川が県境を越え、信濃川と成って流れる十日町市、JR飯山線から山中を縫うように日本海側の信越本線とを結ぶ「ほくほく線」沿線の松代は棚田の多い山村として隣町、旧松之山町と共に広く知れ渡って居る。

四方を山に囲まれ、朝霧に包まれた幻想的な棚田は言いようのない日本人好みの幽玄の美を醸し出してくれるが・・・・、そう旨くは行かない。

松代の中心地「ほくほく線」松代駅より国道403号を道なりに西へ約20分、上越市との市境に近い峠集落を奥に詰めれば、緩い摺鉢状の棚田が広がって居る。

黄金に色づいた見渡す限りの棚田にポツポツ杉木立が見えて、それが朝靄には絶好の点景と成るのだろうが、昼間はそれが少しうるさい。

素晴らしい棚田の景観には違い無いが、イマイチ感激が少なく、物足りないのは・・・・・・・、それは朝靄だったり、懐かしい形の民家が全く見えなかったり・・・。

それより何にも増して、実は自分の撮影技量が拙いだけなんでしょうがね。

撮影2012.9.15


奈良県宇陀市 室生下笠間の民家

2013年01月01日 | 茅葺き屋根(同)奈良県

明けましておめでとうございます。

元旦早々独断と偏見で選んだ僕のお気に入りの景観から本年のスタートです。

宇陀市の最北東端、旧室生村圏内に在る鄙びた山里集落・・・・と言っても説明するには非常に困難な処です。

そんなこんなで場所は添付地図で確認してください。

集落をかすめて通る県道782号線は笠間街道と呼ばれ、古くは笠間荘と呼ばれ東大寺の杣山として東大寺手向山八幡宮の神人が居住したと言われ、また近郷の伊勢街道としても利用された。

県道から集落に入り込むと軽四一台がなんとか通れるような狭い道路が網の目の様に延び、集落の南斜面、旧道沿いには立派な石垣積みの屋敷が2~3、軒を並べ、なんとも心地よい景観をか醸し出して居る。

少し見渡せる高みに登ると、屋敷の正面には狭いながら棚田が下り大和棟のの大きな茅葺き三角屋根が並び、白壁土蔵が趣を添えている。

背の高い屋敷守りの大木も色を添え、大和高原の裕福な民家模様を余す事なく伝えて居る。

この申し分ない景観が今も僕の脳裏には、しっかり焼きついて居る。

「日本のふるさと」を地で行く景観です。

撮影2012.4.29