石友さんに連れられヘコヘコ登った三谷坂の「一本足の案山子」じゃなく「笠石仏」
秋も終わりに近い11月の週末、和歌山県紀ノ川流域かつらぎ町三谷、公孫樹の大木が色づく「丹生酒殿神社」脇、天野大社参道の石柱がある道をひたすら登る。
一気に高度を上げていく高野山系斜面道、途中から見る山肌は段畑に開墾され、見事な果樹園が広がり 、彼方には紀ノ川の流れが臨める。
この道三谷坂は、高野山参詣道の一つ、「丹生都比売神社」の神主や勅使が通った「勅使坂」とも呼ばれる古道です。
古道入口よりのんびり登って20分弱、なだらかな果樹園の連なる尾根道沿い、狭い空き地に山茶花の木立を背負うように、まるで、割り箸の先に輪切りの大根を突き刺したような笠塔婆が目にとまります。
「笠石」の名で呼ばれるこの笠塔婆には実しやかな「昔噺」もあり・・・・弘法大師が高野山への道中、かぶっていた編笠が風に飛ばされたところ、この石に引っ掛かって居たことから「笠石」と呼ばれる様になったとか??
時代も合わないし何の説明にも成って無い他愛もない昔噺ですが・・・昔の人は弘法大師というだけでもありがたく納得したのでしょう・・・。
石造美術の分類では所謂「笠塔婆」と呼ばれるもので緑泥片岩の高さ約130cm、幅15cm程の石柱上端に、幅70cm程の板石状笠石を突き刺す特異な形と成って居る。
笠石直下の塔身上部には、舟形に削り出した中、蓮弁に座し定印を組む、像高約15cmの阿弥陀坐像を中肉彫りで刻み出している。
初源的な木製時代の卒塔婆の名残を留めた特異な形態で、南北朝期の造立だと考えられている。
ここから見る晩秋の山麓集落の景観は、感動さえ覚え程の素晴らしさでした。
撮影2012.11.25