前回の三尊板碑より少し上に登った道筋左側の斜面上に多くの五輪塔などと一緒に立って居ます。
今はこうして棚田に囲まれるようにして在る集落ですが、やっぱりこのようにたくさんの石造物が並んで居ると、この近辺には古刹が有ったんだと確信するが、やっぱりNETでは全く引っかからない。
今では、ここより2kmばかり離れた臍帯寺の管理物と成っているが、元よりそうでは無いだろう・・・。
この地に建つ、向かって右、六面石幢と左、ちょっと妙な形の石造宝塔も、あの三尊板碑の作者、鎌倉時代の名工井野行恒の手に依るものです。
一見、バランス良く見える六面石幢は総高約2.6m、幅約30cm程の六角柱石の上に笠石を載せ、その上に小五輪塔の空・風・火・水・地輪を載せて居る。
元は請花、宝珠だったようですが亡失、現在の形に置き換えられた様です。
幢身には六面にわたり、二重光背を持つ坐像石仏と下部に銘文や偈文(げぶん)が刻まれている。
上方に十二の尊像、その 保月は、伊派の名工 井野行恒(いのゆきつね)の作品で、鎌倉時代後期 嘉元四年(1306)の銘があり、名品として知られている。
小さいながら深く彫られた二重光背に坐す阿弥陀如来と、その下の脇侍種子も素晴らしい。
鎌倉時代後期 嘉元四年(1306)造立、銘のある石幢では最古、名品とされ国の重要文化財に指定されて居る。
三尊板碑が嘉元三年だから一冬はこちらに居たのだろう・・・・。
片や並び建つ宝塔は嘉元三年の銘が確認され、三尊板碑と同じく作者も造立年も全く等しい。
塔身は失しなわれ、他の層塔の軸j部を流用、二重石塔の形をして本来とは全く別物に成って居る。
軸部に刻まれた三尊像・・・・、六角石幢の尊像には比ぶべくもないが、高梁市の文化財に指定されて居る。
失われたこの塔身部が、どこからか出てこないものだろうか??まるで違った印象を受けるに違いない。
撮影2012.12.3