愛しきものたち

石仏、民家街並み、勧請縄、棚田景観、寺社、旧跡などが中心です。

広島県三原市鷺浦町 向田野浦和霊石磨崖仏

2012年12月06日 | 石仏:山陽

今回の旅のもう一つの目的がこれ、瀬戸内の離れ島に満潮になってしまうと首まで海の中に沈む磨崖の地蔵がある。

この石仏の有る佐木島(さぎしま)へは尾道始め三原港などから通船が行き来しているが、現地、向田港へは三原港から日に五度のフェリーがピストン運航をしている。

予めNETで潮の干満とフェリーの運行時刻などを確認、撮影する者にとっては光の具合や天候も気になったのだが・・・、旅程の都合など総合的に見て選んだのが今回の旅の最終日、12月3日三浦港初発、8時40分のフェリーだった。

尾道方面は前日の雨も上がり太陽が顔を出す上天気・・、これでは海に向かって西向きの石仏には逆光、潮汐は9時過ぎで-60cmだと解っていたから安心していたが、案の定、港に着くと浜辺の石仏は殆ど真逆光・・・・。

三原港から向田港へは35分、到着が9時15分、ピストンのフェリーが三原に向けて出航するのが9時40分、いくら港のすぐそばにあるとしても到着してから出発するまで25分間、何を考える間もなく撮影する羽目になった。

石仏は桟橋から手の届きそうな浜辺に横たわる大石に刻まれて居り、ちょうど基台として組まれた石垣下に海水が眩しく揺れていた。

とにかく大急ぎで浜に降り立ち、石仏の正面に廻り込む・・・、潮の臭がプンプンとして周りは今まで潮が満ちていただろう形跡を留めている。

目の前に立つと逆光だのなんだのが問題ではなく、潮の干満による石塊そのものの変色の方がよほど気になる。

満潮時、首から下が海水に浸かり黒っぽく変色・・、それもまだ海水を含んで重鈍い色を呈している。

地蔵石仏の刻まれた大石は高さ 約2.7m、幅約4.7m、厚さ約4mの大きい卵型花崗岩で、前には別石の華立や両脇には灯篭などが設えられて居る。

しかし多分に華立に華は手向けられず、薫香も無く灯籠に灯りの灯ることも無いだろうに・・・。

石仏は大岩の中央に舟形を彫り窪め、なかに円頭光を持ち、像高95cm、蓮華座上に結跏趺坐して海を見つめる定型の地蔵菩薩坐像を中肉彫りで刻み出して居る。

地蔵菩薩の向かって左に「現在未来天人衆、吾今慇懃付属汝、以大神通方便□、勿令堕在諸悪□」と、その横に大きく釈尊円寂と有り、「二千二百五十一歳、干時正安二年(1300/鎌倉時代後期)庚子九月日、大願主散位平朝臣茂盛、幹縁道俗都合七十余人、仏師念心」の刻銘があると言うが全ては確認しづらい。

像の左右には、浅く彫りこんだ窪みの中、華瓶と蕾をつけた三茎の蓮華、右手には「東西南北各於一町、□□□□殺生禁断」の文字のあとが見えると云うが、これも確認出来ない。

意思の強そうな尊顔はかろうじて海水に洗われる事もなく良く残っているが、体躯は毎日海水に洗われ続け溶けつつある。

最近保存処理もされたようだが・・、その効果は如何程なのか??

因にフェリーで来るとき、たったひとり乗り合わせた初老のご婦人に聴いた話なのだが、佐木島の人達は農業だけで漁はしないという・・。

それはこの磨崖に刻まれた「東西南北各於一町、□□□□殺生禁断」と云う言葉を守っての事なのだろうか??

帰りがけ、県道脇に立ち並ぶ石仏の写真を撮っていると・・・・・、早くしろと言わんばかりにフェリーの汽笛が2~3度鳴った。

たった20分ばかりの佐木島滞在、今度来るときは、ゆっくり干満をこの地蔵さんと一緒に過ごしたい。

撮影2012.12.3