【臨床倫理グループ・ディスカッションと目的】
2019年6月29日から30日にかけて,岐阜長良川で開催した日本神経学会サマーキャンプ岐阜大会において,学生と研修医を対象としたグループ・ディスカッション「神経疾患と臨床倫理(告知と支援)」を行った.病棟において臨床倫理的アプローチが求められる症例が増加している印象があるものの,その知識や経験を伝える教育機会が必ずしも多くないため,学生・研修医という早期の段階からその重要性を伝える必要があると考えたためである.
ファシリテーターを含め総勢100名近くの参加者が,神経難病のなかでも特に難しい疾患,トピックである多系統萎縮症と嚥下障害に関する論理的課題について議論を行った.参加者からは概ね高評価をいただき,講師の先生方にも今後の教育の参考になったとのコメントを頂いた.以下に概要を記載したい.
【グループワークの進め方】
1グループ学生および研修医4-5名とし,さらに1名,中立の立場から議論の活性化を促すファシリテーターに加わっていただいた(合計17チームとした).自己紹介後,司会,書記,発表者を決めてもらった.議論すべきテーマを3つ用意し,そのたびに役割を変更していただいた.
【課題】以下,実際に行われた課題を提示する.
レジデントである皆さんは以下の症例の主治医となることになった.後述する質問について議論してグループワークを行ってください.
【症例提示】 症例提示~グループワーク1(10分間)
症例:69 歳 男性
主訴:左手が使いにくい,尿失禁,歩行困難
既往歴:50歳代からうつ病に対しSSRIで治療していたが,最近は安定しており,1年前に精神科通院を自己中断した
X-3年,睡眠中に大声で叫んだり,手足をベッドにぶつけてケガをすることがしばしばあったが,最近は稀になった
家族歴:特記すべきことなし
家族情報:妻(健康,3 回/ 週のパート業)と2人暮らし,子供:1女
現病歴:X-2年,左手が使いづらくなり,自営業(問屋)を廃業した.X-1年,当院脳神経内科外来を受診し,左優位の運動緩慢と筋強剛を認め,レボドパ/カルビドパを300 mgを処方された.ごく軽度の改善を認めたため内服が継続された.X年1月,尿失禁,歩行時のふらつきが出現し,頭部MRIで被殻外側の信号変化を認めた.診断と病名告知,そして今後の方針を決定する目的で入院した.入院後,プロプレムリストを作成し,active problemについてPOSに則ったカルテを記載した.また指導医より,退院時の説明文書の案を作成するように言われた.本疾患の自然歴を調べると,一般的に7~10年程度の罹病期間で,進行性であり,睡眠中に主に中枢性呼吸障害に伴う突然死を来しうることがわかった.予防には人工呼吸器の装着が必要であることもわかったが,突然死を免れても神経変性が大脳にまで及び,大脳萎縮と認知症を合併しうることも分かった.
【グループワーク1】
【課題】 プロブレムリストを作成し,active problemとinactive problemに分けてください.
またproblemを踏まえて,入院中に行うべき検査を列挙してください.
発表1(10分間)

【グループワーク2】 (20分間)
Gilman分類のprobable MSA(MSA-P)と診断した.精神科受診では,うつ病は現在,安定しており,内服再開の必要はないというコメントであった.また終夜ポリグラフ検査(PSG)の結果では,AHI(無呼吸低呼吸指数)は8 回/時(すべて閉塞性)で,軽度の上気道閉塞が疑われたが,日中の過眠症状はなく,睡眠時無呼吸症候群と診断はされなかった.筋活動抑制を伴わないREM睡眠 (REM sleep without atonia, RWA) は確認されなかった.
【課題】 主治医として,①病名の告知,②本疾患に関連した突然死の説明(真実告知)の方針について議論して,その理由とともに発表してください.それぞれの告知を行うか否か,行うとするとそのタイミングはいつが良いか,また誰に行うかも考えてください(現在,本疾患に対する病名告知,真実告知については決まったものはありませんので.自由な議論を行って,グループとしての方針を提示してください).
発表2(20分間)

【グループワーク3】 (30分間)
病名告知は行ったが,突然死については,そのリスクはまだ高くないと考え,今後の夜間酸素飽和度やPSGの結果を見て,説明のタイミングを考える方針とした.また症状は一般に進行・増悪するため,今後,嚥下障害や構音障害に伴うコミュニケーション障害が出現する可能性を説明した.
退院後(X年2月),御本人は妻と相談して「事前指示書(advance directive)」を文書で作成した.そこには「自力で食べたり飲んだりできないなら,無理に口から入れないでほしい.食べられなくなったときが,人生の終わりだと思っている.点滴,チューブ栄養,昇圧薬,人工透析,人工呼吸器を含め,延命のための治療を何もしないでほしい.しかし苦痛を感じているなら,モルヒネなどの痛みを和らげるケアは受けたい」と記されていた.
X+1年1月から転倒や尿路感染で入退院を繰り返して体力も落ち,ADLはほぼ全介助となった.構音障害が進行し,自発語は聞き取り困難になったが,日常生活レベルでの理解力・判断力は保たれ,文字盤を使ってのコミュニケーションは良好だった.しかし,X+1年3月,液体やポロポロした食べ物にムセるようになり,X+1年3月,好物のとんかつを無理して食べて初めての窒息を来し,妻の機転で何とか塊を吐き出させたものの,誤嚥性肺炎を合併し.再入院した.肺炎は1週間の抗生剤治療で改善しつつある.
最新の診察所見としては,口腔内は唾液が多いが,著しい流延は見られなかった.呼吸は浅く不規則であった.痰の喀出が困難なこともあり,ときどき吸引を要した.睡眠中の著明な吸気性の喘鳴が見られた.尿路感染を反復したため,尿道カテーテルが留置されていた.30 度のベッドアップ(ギャッジアップ)でも血圧低下し,失神してしまうこともあった. 嚥下造影検査を予定したが移動困難のため中止となった.
身長160 cm,体重64.5 kg(入院3 カ月前)⇒ 61. 0 kg(入院前)⇒ 52. 3 kg(転院時),BMI:20. 4
動脈血液ガス(室内気):pH = 7.413, PCO2 = 48.7 mmHg, PO2 = 77 mmHg, HCO3 = 31.0 mEq/L, BE=6 mEq/L
血液生化学検査:TP/Alb = 6.2 / 2.9 g/dL, CRP = 0.14 mg/dL, WBC = 9360/μL, RBC = 399 x10^4/μL, Hb = 12.4 g/dL, Hct = 37.5%
胸部CT:入院時,左肺S1+2 に大葉間裂と隣接して認められたすりガラス影はほぼ消失していた
公的支援は,要介護5,身障1 級(四肢+体幹),難病指定:多系統萎縮症で取得済みであった.妻は「なるべく生きてほしいが,もともと無理な治療はしてほしくないと言っていたし,もともと食道楽の人なので最後まで食べさせてあげたい」との意見だった.一人娘は「お父さんとお母さんの気持ちは分かるものの,できれば長生きしてほしいので胃瘻を作るように説得したい」という意見であった.
主治医としては,今後,誤嚥性肺炎の再発と,窒息死を来す可能性もあることから,経口摂取の断念と胃瘻の作成,もしくは誤嚥防止手術を行うことを提案したいと考えた.
【課題】まずJonsenの4分割法を作成し,臨床倫理4原則を含めそのような衝突(コンフリクト)があるかを考えてみてください.そのうえで,本例の今後の療養の方針をどのように決めていくべきか,とくに何を議論することが大切かをグループで話し合ってください.
参考
(A)臨床倫理4原則
<自律尊重原則(autonomy)>
自律・自己決定の尊重
<善行原則>
患者の目標に照らし,善いことをする
<無危害原則>
少なくとも患者や人に対して害をなさない
<正義原則>
すべての人を公平に扱う,法を守る
(B)Jonsenの4分割法(臨床倫理4分割法(Jonsen ARほか著.赤林朗ほか監訳. 臨床倫理学 第5版. 新興医学出版社.2006)

【発表】(20分間)
本例では多系統萎縮症における病名告知・真実告知,および嚥下障害の倫理的問題について議論していただいた.各グループの議論は真摯かつ適切に行われ,その発表も非常に立派なものであった.前日に40分のレクチャーを行い,さらに議論中にファシリテーターのサポートがあったものの,ここまでレベルの高い議論ができたことは,今後にむけての大きな手応えとなった.

【ミニレクチャー】 10分間
【総括】
本例の真実告知は,可能であれば患者さんと信頼関係ができ,うつの状態や突然死のリスクの程度を理解した後に行うことが望ましいのではないかという自身の考えを述べた.嚥下障害の倫理的問題については,患者さんの現在の意向を改めて聞き取る必要があること(事前指示書の限界を知ること),その考えの背景にあるものは何かを十分理解すること(思考の過程を理解するAdvanced care planningが望ましいこと),同様に家族の考えの背景にあるものも理解すること,その上で,最良の意思決定,合意形成を目指すこと(Shared decision making)をお伝えした.今回の経験を糧に,岐阜大学や各学会で,さらに臨床倫理的教育を推進したい.
参考文献:藤島一郎,下畑享良ら.症例.私の治療方針「多系統萎縮症」嚥下障害8;55-66, 2019
2019年6月29日から30日にかけて,岐阜長良川で開催した日本神経学会サマーキャンプ岐阜大会において,学生と研修医を対象としたグループ・ディスカッション「神経疾患と臨床倫理(告知と支援)」を行った.病棟において臨床倫理的アプローチが求められる症例が増加している印象があるものの,その知識や経験を伝える教育機会が必ずしも多くないため,学生・研修医という早期の段階からその重要性を伝える必要があると考えたためである.
ファシリテーターを含め総勢100名近くの参加者が,神経難病のなかでも特に難しい疾患,トピックである多系統萎縮症と嚥下障害に関する論理的課題について議論を行った.参加者からは概ね高評価をいただき,講師の先生方にも今後の教育の参考になったとのコメントを頂いた.以下に概要を記載したい.
【グループワークの進め方】
1グループ学生および研修医4-5名とし,さらに1名,中立の立場から議論の活性化を促すファシリテーターに加わっていただいた(合計17チームとした).自己紹介後,司会,書記,発表者を決めてもらった.議論すべきテーマを3つ用意し,そのたびに役割を変更していただいた.
【課題】以下,実際に行われた課題を提示する.
レジデントである皆さんは以下の症例の主治医となることになった.後述する質問について議論してグループワークを行ってください.
【症例提示】 症例提示~グループワーク1(10分間)
症例:69 歳 男性
主訴:左手が使いにくい,尿失禁,歩行困難
既往歴:50歳代からうつ病に対しSSRIで治療していたが,最近は安定しており,1年前に精神科通院を自己中断した
X-3年,睡眠中に大声で叫んだり,手足をベッドにぶつけてケガをすることがしばしばあったが,最近は稀になった
家族歴:特記すべきことなし
家族情報:妻(健康,3 回/ 週のパート業)と2人暮らし,子供:1女
現病歴:X-2年,左手が使いづらくなり,自営業(問屋)を廃業した.X-1年,当院脳神経内科外来を受診し,左優位の運動緩慢と筋強剛を認め,レボドパ/カルビドパを300 mgを処方された.ごく軽度の改善を認めたため内服が継続された.X年1月,尿失禁,歩行時のふらつきが出現し,頭部MRIで被殻外側の信号変化を認めた.診断と病名告知,そして今後の方針を決定する目的で入院した.入院後,プロプレムリストを作成し,active problemについてPOSに則ったカルテを記載した.また指導医より,退院時の説明文書の案を作成するように言われた.本疾患の自然歴を調べると,一般的に7~10年程度の罹病期間で,進行性であり,睡眠中に主に中枢性呼吸障害に伴う突然死を来しうることがわかった.予防には人工呼吸器の装着が必要であることもわかったが,突然死を免れても神経変性が大脳にまで及び,大脳萎縮と認知症を合併しうることも分かった.
【グループワーク1】
【課題】 プロブレムリストを作成し,active problemとinactive problemに分けてください.
またproblemを踏まえて,入院中に行うべき検査を列挙してください.
発表1(10分間)

【グループワーク2】 (20分間)
Gilman分類のprobable MSA(MSA-P)と診断した.精神科受診では,うつ病は現在,安定しており,内服再開の必要はないというコメントであった.また終夜ポリグラフ検査(PSG)の結果では,AHI(無呼吸低呼吸指数)は8 回/時(すべて閉塞性)で,軽度の上気道閉塞が疑われたが,日中の過眠症状はなく,睡眠時無呼吸症候群と診断はされなかった.筋活動抑制を伴わないREM睡眠 (REM sleep without atonia, RWA) は確認されなかった.
【課題】 主治医として,①病名の告知,②本疾患に関連した突然死の説明(真実告知)の方針について議論して,その理由とともに発表してください.それぞれの告知を行うか否か,行うとするとそのタイミングはいつが良いか,また誰に行うかも考えてください(現在,本疾患に対する病名告知,真実告知については決まったものはありませんので.自由な議論を行って,グループとしての方針を提示してください).
発表2(20分間)

【グループワーク3】 (30分間)
病名告知は行ったが,突然死については,そのリスクはまだ高くないと考え,今後の夜間酸素飽和度やPSGの結果を見て,説明のタイミングを考える方針とした.また症状は一般に進行・増悪するため,今後,嚥下障害や構音障害に伴うコミュニケーション障害が出現する可能性を説明した.
退院後(X年2月),御本人は妻と相談して「事前指示書(advance directive)」を文書で作成した.そこには「自力で食べたり飲んだりできないなら,無理に口から入れないでほしい.食べられなくなったときが,人生の終わりだと思っている.点滴,チューブ栄養,昇圧薬,人工透析,人工呼吸器を含め,延命のための治療を何もしないでほしい.しかし苦痛を感じているなら,モルヒネなどの痛みを和らげるケアは受けたい」と記されていた.
X+1年1月から転倒や尿路感染で入退院を繰り返して体力も落ち,ADLはほぼ全介助となった.構音障害が進行し,自発語は聞き取り困難になったが,日常生活レベルでの理解力・判断力は保たれ,文字盤を使ってのコミュニケーションは良好だった.しかし,X+1年3月,液体やポロポロした食べ物にムセるようになり,X+1年3月,好物のとんかつを無理して食べて初めての窒息を来し,妻の機転で何とか塊を吐き出させたものの,誤嚥性肺炎を合併し.再入院した.肺炎は1週間の抗生剤治療で改善しつつある.
最新の診察所見としては,口腔内は唾液が多いが,著しい流延は見られなかった.呼吸は浅く不規則であった.痰の喀出が困難なこともあり,ときどき吸引を要した.睡眠中の著明な吸気性の喘鳴が見られた.尿路感染を反復したため,尿道カテーテルが留置されていた.30 度のベッドアップ(ギャッジアップ)でも血圧低下し,失神してしまうこともあった. 嚥下造影検査を予定したが移動困難のため中止となった.
身長160 cm,体重64.5 kg(入院3 カ月前)⇒ 61. 0 kg(入院前)⇒ 52. 3 kg(転院時),BMI:20. 4
動脈血液ガス(室内気):pH = 7.413, PCO2 = 48.7 mmHg, PO2 = 77 mmHg, HCO3 = 31.0 mEq/L, BE=6 mEq/L
血液生化学検査:TP/Alb = 6.2 / 2.9 g/dL, CRP = 0.14 mg/dL, WBC = 9360/μL, RBC = 399 x10^4/μL, Hb = 12.4 g/dL, Hct = 37.5%
胸部CT:入院時,左肺S1+2 に大葉間裂と隣接して認められたすりガラス影はほぼ消失していた
公的支援は,要介護5,身障1 級(四肢+体幹),難病指定:多系統萎縮症で取得済みであった.妻は「なるべく生きてほしいが,もともと無理な治療はしてほしくないと言っていたし,もともと食道楽の人なので最後まで食べさせてあげたい」との意見だった.一人娘は「お父さんとお母さんの気持ちは分かるものの,できれば長生きしてほしいので胃瘻を作るように説得したい」という意見であった.
主治医としては,今後,誤嚥性肺炎の再発と,窒息死を来す可能性もあることから,経口摂取の断念と胃瘻の作成,もしくは誤嚥防止手術を行うことを提案したいと考えた.
【課題】まずJonsenの4分割法を作成し,臨床倫理4原則を含めそのような衝突(コンフリクト)があるかを考えてみてください.そのうえで,本例の今後の療養の方針をどのように決めていくべきか,とくに何を議論することが大切かをグループで話し合ってください.
参考
(A)臨床倫理4原則
<自律尊重原則(autonomy)>
自律・自己決定の尊重
<善行原則>
患者の目標に照らし,善いことをする
<無危害原則>
少なくとも患者や人に対して害をなさない
<正義原則>
すべての人を公平に扱う,法を守る
(B)Jonsenの4分割法(臨床倫理4分割法(Jonsen ARほか著.赤林朗ほか監訳. 臨床倫理学 第5版. 新興医学出版社.2006)

【発表】(20分間)
本例では多系統萎縮症における病名告知・真実告知,および嚥下障害の倫理的問題について議論していただいた.各グループの議論は真摯かつ適切に行われ,その発表も非常に立派なものであった.前日に40分のレクチャーを行い,さらに議論中にファシリテーターのサポートがあったものの,ここまでレベルの高い議論ができたことは,今後にむけての大きな手応えとなった.

【ミニレクチャー】 10分間
【総括】
本例の真実告知は,可能であれば患者さんと信頼関係ができ,うつの状態や突然死のリスクの程度を理解した後に行うことが望ましいのではないかという自身の考えを述べた.嚥下障害の倫理的問題については,患者さんの現在の意向を改めて聞き取る必要があること(事前指示書の限界を知ること),その考えの背景にあるものは何かを十分理解すること(思考の過程を理解するAdvanced care planningが望ましいこと),同様に家族の考えの背景にあるものも理解すること,その上で,最良の意思決定,合意形成を目指すこと(Shared decision making)をお伝えした.今回の経験を糧に,岐阜大学や各学会で,さらに臨床倫理的教育を推進したい.
参考文献:藤島一郎,下畑享良ら.症例.私の治療方針「多系統萎縮症」嚥下障害8;55-66, 2019