Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

一流ソロ演奏家の実力

2024-09-26 | 
ハイデルベルクではオーボエを聴いた。当代超一流の奏者フランソワ・ルル―のリサイタルであった。そこでも話されていたが、あの規模での開催はそれほど多くはないソロリサイタルで、全曲ピアノ伴奏で為された。

嘗ての名人や特に新しい音楽を得意とする奏者ではピアノ無しでの曲を混ぜたりするのだが、それはなく一曲だけはイングリッシュホルンに持ち替えサクソフォーンの曲を吹いた。恐らく新たにリリースされたCDのプログラムを重視したのだろう。然し業者が来たり自身が直売りをするようなこともなかった。ドイツにおけるメディア業界の状況を反映している。要するに中途半端に超一流なのだ。

奥さんのヴァイオリニストのリサ・バティスシュヴィリの方がスターであるのも変わらない。アンサムブルとしてはフルートのパユなどと組んで演奏会もしている様である。

さて登場も腰の低そうなオヤジで、マリエッタを歌う時のマルリス・ペーターセンとと変わらない。そして吹き出すとウォーミングアップも無しに可也の音を出した。しかし同時にフォルテシモで音が割れていた。会場の音響のせいかと思ったほどだった。それでも長いフレージングで、そしてブレスがある所を全く感じさせない様なアーティキュレーションを処理するうちに、その音量ほどには苦にならなくなってきた。

逆にその音量自体がラフな感じを与えて、音割れと含めて到底超一流とは思わせないのが、逆にその確かな歌い口がフランスと題したプログラムの中で堂々とした音楽性だった。そして何よりもパユと張り合えるほどの音量を出せる奏者は世界の交響楽団にもいない程度で世界で指折りの一流ソロ奏者であることを見せつけた。

嘗ての名奏者において木が鳴る音や楽器を鳴らす奏者はいるがその大きさが違った。反面ピアニシッモの方向へは大まかで、恐らく若い時はもう少し真面に吹いていたのだろう。その多くは伴奏のピアニストの実力程度が影響していた。それは特にこのプログラムの中の最も優れた曲であろうデュデュユーの若書きの1947年のソナタでは顕著となりとても残念だった。それでも二楽章へのアタックの様な繋がりやエピローグの歌い方は見事だった。残念乍らピアノがとなる。

三曲目のサンカンはパリの音楽院のピアの教授でもあったようだが、これもフィナーレでのオーボエ独奏の早い指使いで魅せたような曲である。

前半最後には1972年生まれのスエーデン人がカスパルテアターつまり人形劇の主人公をオーボエにして作った曲が世界初演された。そこまでアイデアを紹介していながら、全くその面白さのない曲であった。音楽的にどうしようかとなる。演奏者と協調作業をしているような関係らしいが、オーボエの演奏技術的にも特に目新た示唆は感じなかった。そこまでのプログラムでこの奏者が特殊奏法や楽器の技術的な革新ということで何かを拓いて来たような奏者ではないことも知れた。

繰り返すようであるが、それならばなぜこの奏者が一流の奏者として君臨していて、ミュンヘンの音楽大学で何を教えていたかということになる。(続く)



参照:
途上にボックス入り 2024-09-25 | 生活
超一流奏者とは如何に 2024-09-14 | 音
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途上にボックス入り

2024-09-25 | 生活
残念、途中給油した。ハイデルベルク往復は現在は94kmある、ラインの橋の工事などがなければ90kmない筈だ。マンハイムで足りそうにないので5リットル入れた。実際はリザーヴで更に5リットルあるのだが、信頼できない。不幸中の幸いでマンハイムの価格が金曜日に入れたものより安かった。

それにしてもヘッドランプが見え難く夜は怖い。早く世界最高ヘッドランプの新車に乗り換えたい。帰りの橋の2メートル程の狭いところを通るのが怖い。一度は夜行帰りの酒気帯びでサイドミラーを飛ばした。自動運転ではラインを守って制限速度30kmで走ってくれるのだろうか?

車は大学中央図書館の下に停めたが、早めに停めて2時間48分で6ユーロはまずまずである。中も広めで停めやすく、自動駐車装置があれば綺麗に出し入れ可能だ。駐車場のどれ入り口から両講堂の入り口までも近く快適である。若干不便なのはアウトバーン迄の街の中のアクセスが若干複雑で慣れていないとうろうろする。これでマンハイムの橋の補修が完成して今のように慣れてしまうと使いやすい。

来週再訪のクロムベルクもフランクフルトに寄らずに車を走らせると、115kmで1時間11分で、燃料費は倍以上掛かるが、往復230kmなので25リットル入れておけばなんとかなる。ここも車を停めやすくなった。なによりも郊外の街から郊外の街に車を走らせるのが一番楽で喜ばしい。現在のところ似た様な天候が予想されている。

外気温は摂氏15度ぐらいになるので、厚いシャツで行こうかと出たら寒くジャケットを羽織った。ないわけではないので着ない手はなかった。これでミラノ行き迄の服装が決まりそうである。ミラノでの旅程はまだたたないのだが、たとえ暖かめでも真面に着て行くしかないと改めて感じた。移動分と二着を考えておけばいいのか。ミラノ市内の駐車場に半日停めるのか、それともコモの湖の見えるレストランで昼食を摂るのか、前者の方が無駄に駐車料金が掛かりそうだが、無駄も事故も少ないかもしれない。宿から湖迄二キロもないところなので前夜に出かけるのも可能だが国境を往復しないといけない。

次のお出かけはフランクフルトのアルテオパーである。バムベルク交響楽団を聴くのも15年ぶりぐらいか。また古い資料を調べておかないと駄目だ。今回楽しみにしていたソリスツのヒラリーハーンがキャンセルと連絡を受けた。腕の故障らしい。ブラームスのドッペルコンツェルトなので通常のソロと同じように弾けなければいけないだろう。代わりに入るのがヴィルデフランクで、11月にはベルリンでペトレンコ指揮で初共演して、同じプログラムを合衆国ではハーンが初共演することになっている。然しそれも危うくなるのではないだろうか。

ハーン家はワイン街道の隣町の出身で、最初にその名前を見たのは教会コンサートの張り紙だった。その時はピンとこなかったので無理して行かなかったのだが、その時にハーン家の親戚筋なども来ていただろうから残念だった。なによりも若い時に一度聴いておくべきだった。その隣り町が、トラムプ、そしてハインツ家となると、如何に真ん中が酷いかが分かる。トラムプビルに訪ねていくと親戚が迎えたとかはあったが、ハインツ家の歓迎とは全然異なると皆が文句を言う。



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睡魔に襲われる月曜日 2024-09-24 | 文化一般
熟成葡萄を試食 2024-09-21 | アウトドーア・環境
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睡魔に襲われる月曜日

2024-09-24 | 文化一般

曇天で気温が下がって睡魔に襲われた。疲れがどっと出る感じである。何時間寝ても足りないかもしれない。一っ走りして一杯引っ掛けると最早起きているのが難しくなる。何時もの様に週明け朝一番でメールが入っていて、片付け仕事となった。

走って下りてくると上がる時に見かけた年寄夫婦がいた。林の道に入って行ったので栗拾いかと思って尋ねてみると、大きな白いキノコを見せてくれた。旦那は結構足が悪そうなのでそこまでしてと思っていた。こちらの様子も気にしていて、注意を受けないかもと警戒していたようだ。初めて見るボール型のキノコで、スライスしてカツにして食する様だった。僕は分からないからといったら、先日も料理番組で観てと話していた。確かに肉厚であれだけの大きさなら粉をつければ腹は膨れるだろう。まあ様子を見ると年金受給者であっても嫁さんの方は元気そうで、そこまで生活に困っているようではなかった。いづれにしてもイノシシやバムビとの先争いには違いない。

ラインガウ往復は214km走行していた。まずまずではないかと思う。これで給油することなくハイデルベルク往復が叶えば万々歳だ。トランクルームを開けると、その内装が可也剥がれてきているのに気が付いた。窓拭きをどうしようかと考えていたのだが、先ずはそれを直しておかないと走っているうちにごっそりと落ちてしまうかもしれない。それ以前にトランクの中でごとごとするので走行音が大きくなりそうで、即対処した。

プラスティック部分が剥がれているので、そこをボンドで接着することにした。可也弾いているので、多めのボンドをつけて、テープで押さえ込んでおいた。明日にでもくっついているだろうか。ブレーキ、テールランプの電球を替える時に無理して引っ張ったので余計に酷くなったのだろう。反対側は問題なくくっついている。

そこで使うボンドがヘンケル社のもので2018年3月に購入した大き目のテューブ入りの商品が6年間乾き切ることなく使えていた。流石に穴付近が固まって、使う為には首を切るしかなかった。それでも中は使えた。もう一度同製品を購入する必要を感じた。

瞬間接着剤ではないので量を使って押さえられるので可也強度がある。最新のものは耐水になっているので、殆どどこでも使える。現行のは透明であったが、今回は白だが、長く固まらなければ嬉しい。

同時に発注するものに白色のラッカーもある。室内で使っているところが少なくないので、手元に置いときたい。折角目張りのテープがたくさん残っているために、使いたいところがあるのだ。窓を開けられる時期にしか仕事が出来ないのもある。

太い蝋燭も潰れてしまったので、これからの夜長の季節に一本新品を準備しておきたい。

芸術祭「ワルシャワの秋」の公演の模様が出ていた。エンゲル指揮で月末にバーゼルでの定期公演で演奏される同一プログラムのようだ。ウクライナでの紛争に纏わる作品全四曲の初演である。一部音楽祭の客席からのヴィデオがSNSに出ていた。モスクワのネヴスキーとステファン・ケラーの二人はお馴染みで、前者はシュトッツガルトの「ボリス」でムソルグスキーの曲を埋める形での作品が立派で、今回も似ている。放送局のホールでの演奏会なので実況録音がないのかと思う。



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負け組の時代2022年 2022-03-20 | 音
大人なる誉れ高い交感 2024-09-23 | 試飲百景
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大人なる誉れ高い交感

2024-09-23 | 試飲百景
やはり疲れた。以前からなのだが、試飲のあとは摂取アルコール量以上に疲れる。肝臓への負担が大きいのではないか。通常の悪酔いとか飲み過ぎとかとは異なる疲れがある。帰ってから一杯引っ掛けるのも量に影響している。半日アルコールに曝される。酔わないように努力しているのも何か負担になるような気がする。更にリースリングの場合は酸が口中を攻撃する問題もある。しかし最近はそれを感じることが無くなったのは、ワイン酸としてこなれた酸のリースリングが主になって、リンゴ酸が残るようなものは少なくなり、また試飲しない事にもあるかと思う。要するに安物のワインは試さない。

文学者レッシングに「ワインへ」と題した素晴らしい言葉がある。

「ワインよ、飲むとなれば、若い時には何ごとにおいても冒険心に誘い、為になるようにその価値が分かるようにしてくれたならば、謂わば大人にしてくれる。

ワインよ、これからも飲めば、大人として嗜むなら、笑いを齎すものであり、死や偽りから解放して呉れる、誉れ高い、愉しみである、謂わば若くしてくれる。」

まさしく何ごとにもおいてであって、経験値が高くなると取捨選択も可能になって、がむしゃらにというのは流石になくなってくる。それでもちょこちょこと新しい情報が入ればそれなりに注意はするのであるが、適切な判断も比較的早く下せる。一番心強いのはやはり他人の評価がとても為になることで、そこからはかることが可能になっているということだろう。やはり、対人での情報収集がそれらの基礎になっている。

メディアでの録音批評などが余り為にならないのはそれ以前の制作の表裏があるからであるが、それと同時にやはりライヴでの他人の感じ方とか捉え方が最も重要なのであって、それが全てだからである。コロナ時代に観客のいない公演などを経験することからその意識は舞台の上と下でも明白になった。そうしたセミナー的な経験がなによりもの糧になる。

週明けの演奏会のオーボエの為の七曲は殆ど記憶にないが、ざっと洗えるだろうか。サンサーンスはなんとなく想像はつく、デュテュユーも聴いたことがあるかもしれない。サンカンは名前から想像するのみ。シュニッツェラーは世界初演、ドビュシーのサクソフォーンの為の曲も覚えがある。最後のチャディニッツェは独初演なので当然知らない新曲だろう。ボッザもその名前と曲名「田園ファンタジー」作品番号37からガッツリと想像。初演以外は全て楽譜も落とせた。

それよりも週末のブラームスのドッペルコンツェルト、マルティヌーの交響曲三番、ドヴォルジャークの「スケルツォカプリッチオーソ」が気になる所。最初のはムーティが日本デビューの時の曲で、生では今まで聴いたことがないかもしれない。ドヴォルジャークも何回も聴いていてもこれという記憶はない。

ネットによって学ぶ質と量が全く変わった。それ以前は世界に極一部の人にしか共有されていなかった情報が即座に手に入る。それゆえに余計に上記のようなセミナー形式のそれの意味が余計に価値をもつようになっている。



参照:
背筋が伸びる気持ち 2024-09-22 | 雑感
永く記憶に残る熱狂 2024-09-19 | 音
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背筋が伸びる気持ち

2024-09-22 | 雑感
最後の酒気帯び運転だった。これで廃車迄試飲会の予定はない。少なくともミラノ行き迄には、残り三回の遠出だけだ。路上記念撮影もなく、まずまずだった。往路は土曜昼の買い物客の渋滞に合いそうな最短距離経路の工事迂回路を避けて、遠回りでアウトバーンを走り続けた。距離は10km以上伸びたかもしれないが、燃費よくノンストップで走れた。復路はラインの渡しのフェリーに乗せて走った。若干酒気は感じたがこれまた問題はなかった。来年はどうしようかと考える。宿泊を入れる程でなくても仮眠がトランクルームに足を入れて可能ではないかなどを考えると思う。数時間仮眠するとなると天候とか気温が重要になるか。自動運転で過信をするとより危険運転になりかねないと思う。

車の調子はいい。然し、落差を乗り越える時などの当たりがとても強くなっている。恐らく前輪の羽根が左右とも折れてしまっているのだろう。あまり無理な衝撃は与えたくない。直進安定性には問題はないのだが、弾かれた時の挙動があまり良くない。加速も悪くはないのだが、ブレーキを掛けるのが怖いので、出来る限り踏まないでいいような運転を心がけている。

結局白いシャツで出かけた。陽射しがあって、暑苦しいのは避けたかった。Tシャツの上に羽織る感じで着たので、やはりそれしかなかった。白いシャツは色物よりも安売りがなくて高価なので大切にしていて、ここぞという時にしか着ない。シャワーで首元も綺麗に洗ってまでして羽織った。幸い汚れることもなかったので、週明けの天候によっては違うシャツを使って、ミラノ行きにおいてもよいかもしれない。それ迄に三回はお出かけなので、旅行時の服装などを考え乍らということになる。

久しぶりにシークレットシューズにした靴を履いた。暫く履いていないと固く感じた。特に中敷きを前にずらして履くとパンパンになるので履き直した。ちゃんと履けば踝も当たらなくしたので快適である。運転もしやすい。背筋も伸びて気持ちがよい。

ハイデルベルクも天気が悪そうなのでその靴を履いていくことになる。気温も摂氏20度にまで上がらないようなので、追々厚めの服装で出かけることになる。白いシャツを温存できるだろう。ミラノはやはりこちらからすると数度は気温が高そうで、特に陽射しがある時は10月でも暑いだろう。前回滞在した時も秋だった。同じころかもしれない。

洗濯屋に出したそのシャツを羽織って裾をジーンズの中に入れると太ももに当るものを感じた。ポケットには何も入っていなかったので、ひょっとするとと思って見るとやはり洗濯屋の紙切れがホッチキスで留めてあった。色物の時は気が付いたことがないので区別の出来ない白色の時はしっかりつけているのかもしれない。気にせずに出かけていたらホッチキスの金具で生地が痛むところであった。そういうことをあまり気にしない人間なので時々見ず知らずのおばさんが教えてくれることがある。そういうところで女性の視線が何処に飛んでいるかを思い知る。だから必要がなくても洗濯屋からの白いシャツを態々下ししたのであった。

そう言えば先日来新顔の学生アルバイトの売り子と顔が合うようになっていたら、急にピアスをつけたりして綺麗にしていた。もう少し飾ったら悪くないのになと思っていたので、こちらの意思が通じたようでとても喜ばしい。なんでもない一寸した事なのだが、やはり印象が全然異なる。



参照:
ミラノ2016年初日シリーズ 2024-09-20 | 文化一般
おねだりの結果は如何に 2024-07-30 | 雑感
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熟成葡萄を試食

2024-09-21 | アウトドーア・環境
秋になって時計を見ることが多くなった。やはり陽が短いと一日が短くなるのかもしれない。反対に秋の夜長というのもある。現時点ではまだまだ夜は短く感じる。中々片付かないことが多い。朝が起き辛くなっているので始動が遅くなっているからでもある。

夜具を夏から秋にした事で、寝室の掃除となった。蜘蛛の巣の除去も叶い、これで窓拭きを挟んで、冬支度となる。

週末に出かける燃料を5.99と高めに30リットル給油したので前々日比で1ユーロ20も高くついた。その前に100㏄のエンジンオイルを足しておいた。ギリギリよりも下限よりも多めに入れておくと、静粛性と走りが違うことに気が付いたからだ。そのまま前倒しで走り、下りてきて葡萄を摘まんだ。上部のワイン農家のリースリングは甘かったが、その下のグランクリュになると酸味が効いていた。然しさらに下の区画は既に摘み取られていた。更に酸味が効いていたようだが、冷えが続いて酸が乗ったところで摘み取ったのだろう。健康な葡萄の酵母が効果を発揮する。

そして一見見栄えのする仕分けをしているのは噓つきの名門醸造所である。日本の皇居に運ばれるリースリングの隣の区画のグランクリュである。何をしているかというと機械で一斉に摘み取る心算だろう。すると熟成だけさせて醸造所のベルトの上でしか区分けが出来ない。証拠の写真等は結構保存してある。決して大きな顔はさせない。醸造親方の馴染みで告発しないだけである。

土曜日から三枚の48時間無料券が終了するのが、金曜日の19時前だった。幸いにもその生中継がアーカイヴ化されて15時前に連絡が入った。急いでリームとブルックナーのプログラムを流した。ハイレゾの音質は明らかで、より空間も感じられる。フィルハーモニーでこれだけ鳴らすのは至難の業である。カラヤンは早々に諦めて、伝統的配置どころか通常配置から場合によってはアメリカン配置にまでしてカラヤンサウンドの完成へとその音楽伝統をないがしろにしたのだった。

これで次の無料券の期限が10月31日となって11月8日の生中継には一週間券では足りない。もう一枚の一週間券でアーカイヴまでなんとかなるだろうか。ペトレンコは29日迄ミラノで指揮をしている。

そうして、なかなか無料券を延長しないので、お尋ねがデジタルコンサートホールから来ている。回答を考えているのだが、一つは一度ライヴを観て、その後アーカイヴを堪能すればライヴ制作物は最早二度と観ないこともあり得るぐらいなので、またペトレンコ指揮以外の出しものには興味を引くものが殆どないので必要無いと回答しようかと思う。以前は、ハイレゾ化したら年会費を払うと回答したが、結局コロナを挟んで機会を逃して仕舞った。

晴れ間を活かしてシーツなども洗濯出来たので助かった。これで週末に何を着て出かけるか。ミラノ行迄同じシャツで通すというのも難しそうなので、別けて考えた方が良さそうである。来週からはまた肌寒くなる。やはり気温が上下すると理由は分からないが腹具合が少しおかしくなる。腹が冷えるのかもしれない。また眼が疲れるようになっている。



参照:
変わり目の季節に 2024-09-07 | 暦
刻まれる夏の想い出 2024-08-12 | 暦
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ミラノ2016年初日シリーズ

2024-09-20 | 文化一般
土曜日に試飲会がある。往復220kmぐらいなので25リットル入れておけば足りる。然し週始めにヘイデルベルクにも出かけるために、安ければ30リットル入れておいてもよい。復路は現金を準備しておいて渡しに乗って帰ってくるのもいいだろう。但し今回は早めに出かけて早めに帰宅したい。アルコールの問題もあるが、なによりも車輛の問題があるからだ。出来る限り面倒なことなしに往復したい。その後のハイデルベルク、フランクフルト、クロンベルクとミラノ行の前には面倒なことは極力避けたい。

さて指揮者ペトレンコは、ルガーノ湖畔に居を構え月曜日にミラノから呟いている歌手のグロイスベックの挙動から、恐らくそこに入ったのだろう。オックス男爵役のバスバリトンはそこでミラノの2016年の初日シリーズのポスターを見せてくれている。メータ指揮で主要歌手は重なっている。そこで今回の方が脇迄可也よい豪華キャストである。同時に舞台稽古等は可也早く進むので、四週間足らずで仕上げてしまうのだろう。それでも再演としては十分に工程表を組んでいるようで、劇場デビューするペトレンコの意思が通っている様だ。

グロイスベックの正確な在所は知らないが、映像の背景などからすれば私が押さえている宿の国境近くとは異なって可也北の方の湖畔なので、劇場までは二時間以上はかかるだろう。ペトレンコのイタリアでの居住地も知らないが、色々な話から総合するとそれ程離れた街ではない。

共同制作のザルツブルクでは2014年にメスト指揮でほぼ同じキャスティングで公演されている。ヴィデオを観ると最後の景に記憶がある。当時TV中継されていたものをネットで観たのだと思う。もしかしたらどこかに残っているかもしれない。知りたいのはマルシャリンを歌うストヤノーヴァの腕だけだ。今回の配役からそれ以外は殆ど心配は要らない。
Strauss - Der Rosenkavalier, Franz Welser-Möst and the Vienna Philharmonic


本年3月にスイス国境の街レーラッハに出かけた折に世界初演に居合わせた映画音楽「ブラックメイル」の完成版がTV局のサイトに上がっていた。8月16日となっているが忙しくて気が付かなかった。10月末迄公開される様なのでダウンロードしておいた。あまり興味がなかったのはその音楽が冴えなかったのに尽きるのだが、反対にこの制作の為の録音セッションは困難を極めたことは伺えた。それなのにTV局のサイトには表には指揮者の名前が書かれていない。楽団が礼を舞台で語っていたことや初演前のエンゲルと作曲家の対談での話しぶりで何を考えているかもよく分かった。

そのような事情もあり、楽しみに観るという代物ではないのだが、映画自体は決して悪いものではないヒッチコック作品である。全然容易ではなさそうな楽譜を音にして更に映像に厳格に合わせていくとなるとお荷物でしかない。楽団の実力も指揮者の能力も分かるというものだが、大きな成果が生じないとすれば徒労でしかない。結構大きな経済的な価値はあったのだろうが、音楽的にということである。抑々この作曲家はお金を集めてくることがとても上手そうなのでドイツの会長職も任命されているのだろうと思う。

それでもそういう作曲家のエゴに付き合うのは、雇い主の無理難題に付き合うよりも大変である。リヒャルトシュトラウスの「ナクソス島のアリアドネ」のプロローグを思い浮かべる。
Moritz Eggert ‘#METOO, HITCHCOCK’, mit der Basel Sinfonietta und Titus Engel




参照:
今秋のミラノ旅行準備 2024-06-06 | 雑感
スポーティな仕事とは 2024-03-05 | 音
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永く記憶に残る熱狂

2024-09-19 | 
承前)二回目の靴使用後に入浴。一寸疲れが出たかもしれない。何年かぶりに太ももにも筋肉痛があった。同じコースを走っていながらそれを感じるということは明らかに負荷が掛かっているところが違うということだ。それ以上に腹筋や腰の裏にも筋肉痛がある。恐らく運動の質が向上したのだろうと思う。ここ一二年下着が小さく感じるようになっていた。一時はウエストが小さくなったことからサイズをXXLからXLへと下げてLへと向かっていた。しかし今は再びXXLが必要になって来た。然しジーンズのサイズは下がる一方だ。要するに体形が変わってきている。腰の筋肉が張るようになったのは急坂を駆け上るのを週に三回、ほぼ毎週最低600m程即ち200階建てぐらいを往復しているので三年程で筋肉が付く。これは今後健康上も宝物になると信じている。まあ、少なくとも今まで膝も腰も逝かさずに走れたのが宝。

散髪に行って、すっきりとしているが、何時もの様に疲れも出る。それらが重なった。気温の低下と雨勝ちも辛かった。しかし天候回復で再びとなる。夏布団も寒くなった。殆ど変わらないのだが冬支度することで、寒ければベットカヴァーも掛けれるようにしておきたい。暖房を入れるにはまだ二月ほどあるので、窓掃除などを含めてとても賢くやらなければいけない。

先日のベルリンでのブルックナー五番とリーム曲のプログラムの批評がヴッパータールの新聞社から出ている。ペトレンコの元アシスタントのハーンが音楽監督をしている街である。ベルリンでのフェストのブルックナーを幾つか聴いたようだが、カトリックとしてその19日のブルックナーの合唱で全てを終えると書いて、先ずは「インシュリフト」における孤独な鐘の音から力を貰うグリゴリアン調のコラールまでと様々な音楽を小編成乍激しくそして暗く、感動的に力づよく演奏したと評する。そして最も難しい五番の交響曲を三年前に振ったブロムシュテットの様に「しばしば指揮者が陥るような抹香臭さ」を避けて、感動的に指揮したペトレンコを称える。その労作は、訓練された聴者にもそして演奏する世界的トップの管弦楽団にすら気が抜けない。そのような早いテムポの指揮であるが、なるほど抹香臭さ以上に分析的ではあるのだが、冷たいことは瞬時もなく、取り分け第二ヴァイオリンに対しての細やかな要求を何度も求める一方、全体を失うことのない演奏とした。そして、ベルリナーフィルハーモニカーがブルックナーの演奏に悦びを見出した初めてのことであり、最後には大喝采となったと結んでいる。

さて、その最終日前日にラトルがアカデミー楽団を振り、その前夜はデュークへセレモニーの夜だった。そしてそれへの評は間接的乍既に紹介した。そして更に番組で同じ評価が放送されただけでなく、とても親切にエンゲル指揮に関してそこで話されていなかったことが番組のHPに書き込まれている ― こうして皆が大成功を歴史的に記録していくのである。後半が前半とは打って変わって大成功したのは、ティテュス・エンゲルがビッグバンドと管弦楽団の音響差を潰していくのではなく、その差異を絶えず取り出して尚且つ協調させていく指揮をしたからだと態々付け加えて呉れている。

「ジャジーなメロディーが声部間を移されて、通常は慣れていない筈のソロのコンツェルトマイスターリンから各楽器へとスイングして、立ち上がったオーボエのグルーヴへと、そして繰り返し、全管弦楽団が電光の如くのエネルギーを以ってクライマックスへと向かう。この祝祭の夜の記憶は、いささか爺臭さに陥いった前半からとは変わる後半の熱狂と共に永く残るものだろうと結んでいる。



参照:
Eine Berliner Bruckner-Premiere, die begeistert, Alexander Schulte, Westdeutsche Zeitung vom 18.9.2024
Jazz-Party mit Anlaufschwierigkeiten, Jakob Bauer, RBB24 vom 17.9.2024
デュークの律動的力強さ 2024-09-17 | 音
追想の音響への眼差し 2024-09-16 | 音
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トスカニーニの委嘱作

2024-09-18 | 
生中継放送を聴いた。休憩を挟んで余白を充分にとった三時間余りの番組だった。前半のヒット曲のメドレーに近いようなものはビッグバンドファンでなければ興味が薄いものだった。但しフィルハーモニーにマイクロフォンを立てた手の込んだ録音でCD化されたら評価が高いものとなるだろう。それでも前半から後半を聴き続けるのは辛かった。

放送局でも絶賛の第二部になってドイツェオパーの管弦楽団が出て来て、休憩時に楽員とアナウンスでティテュス・エンゲルの紹介があって、「インテリサイドからのアプロ―チであると同時にベースの奏者としてスイングできることが貴重」とされていた。

それは最初の曲「ハーレム」で発揮される。アルテュール・トスカニーニがニューヨークの作品を求めていたことから組曲をエリントンが委嘱を受けての作品で、エリントン自身がジャズを機会音楽から独立した音楽としての試みからの取り組みの中でルーザーヘンダーソンの管弦楽化でなった。結局トスカニーニは指揮することはなく1955年の完成版はカーネギーホールで初演されている。その十話ほどにエピソード化されている「ハーレム」をして作曲家は「そこの住民たちの取り分けハンサムな人達の街」と説明して、ラテン系、インディアン、アフロの各々の共同体のその多様性を描いているのである。

1943年に「ブラック、ブラウン、ベージュ」としてカーネギーホールで奴隷黒人のポエムが演奏されていた様であるが、ここで聴かれるその躍動感などは、同じニューヨーカーのユダヤ系ガーシュインの音楽などで知っているような哀愁漂うアフロアフリカンの雰囲気とは全く異なる。それは全く当事者視線が異なるといううことでしかないであろう。

ガーシュインとは異なりエリントンの場合は父親がボーイをしていたことからホワイトハウスでも仕事をしていたようで、子供の時からピアノを習う環境にあったというのがそこから知れる。つまり古典派から浪漫派への西欧音楽の流れを汲んでそこにアフロアフリカンのエキゾティックな音楽要素を加味したということになる。それが所謂サードストリームと称され合衆国におけるエリントンが活躍した半世紀の世界でのメディア支配の核になっていた音楽と当夜のプログラムには書いてある。

そうしたサブやポップカルチァーのエンタメと芸術音楽との差異をそちら側から示していることにはなるのだが、同時にエンゲルらが語るような今日の芸術音楽の流れとしてのサードストリーミングとアナログになる関係にあるだろうか。

それに関しては後半二曲目の「ナイトクリエイテァー」にヒントがある様にも思える。実は生中継でこれを流していると居眠りして仕舞っていた。夕方の雨の切れ目にさっと走って来て、新しい靴の二回目の使用を経験して、急いで一杯引っ掛けて食事をしたからでもあるが、なによりも音楽の流れの構造が見えないのでどうしても追えないというものがある。それはエリントンの通常のジャズピースにしてもそのコード進行にドラマテュルギー的なアドリブなしにはそれなりの道理が感じられないということでもある。

そしてその曲に関してエンゲルは、エリントンが如何にそこの具象的な像を描いていたかという解説をしていたのでもあった。(続く)



参照:
A Celebration for the "Duke" ー オンデマンド 第二部 — 1時間16分から
デュークの律動的力強さ 2024-09-17 | 音
「半糞有色黒人」の総譜 2022-09-27 | 音
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デュークの律動的力強さ

2024-09-17 | 
金曜日に数カ月ぶりに入浴した。垢を落として、ダージリンを飲んでから快眠した。次は何時になるだろうか?新しい靴で走った後での疲れも取れて、更に足の角質の整備できたか。

車の窓拭きはミラノに出かける前にするのは決まっている。因みに8月に塗ったラッカーは光が弱くなってより目立つようになって色褪せて来た。透明のコーティングをもう一度塗布しておく方がいいかもしれない。こうなれば輝きで誤魔化すだけだ。先ずは9月を乗り切るだけ。部屋の窓の陽射し避けは殆ど冬向きにしたので、窓拭きを何時頃にするかどうかである。
A Celebration for the ‘Duke’ (Teaser)

Duke Ellington, "Take the A Train"

Duke Ellington & John Coltrane - The Feeling Of Jazz (1962).


月曜日はベルリンで行われているフェスティヴァルでティテュス・エンゲルがデュークエリントンを振る。一昨年のミンガスの「エピタフ」に続く企画である。ドイツェオパーのジャズバンドとの協調が上手く行ったことの証明であり、今回はエリントンの生誕125周年且つ没後50周年を記念してフィルハーモニーから生中継される。ユーロアーツが共同制作しているので映像も撮られるのだろうが、CD化は決まっているとされている。

エンゲル本人の誘いのヴィデオも出ている。そこで語っている名人技やその音楽的な革新性、更に演奏作曲双方においてのエネルギー溢れるリズムがあって、具象的な像が脳裏にあったのがその音楽だとエンゲルは語っている。勿論ジャズバンドと管弦楽の融合がそのファンタジーであったとしている。

デュークと呼ばれるその音楽はスイングしているとぐらいしか思い描けないので、幾つかのヴィデオを観た。一番耳に残っているのは「ソフィスケテットレディー」とか「テークジエートレイン」とかの戦前の曲で、意識して聴いていたというよりもNHKの「夢で逢いましょう」での六八九とかの話しや演奏で子供の頃に耳にしていたのかもしれない。当時は少なくともスイングジャズは日本のお茶の間を席巻していたということか。

そして気が付くのはエンゲルが語っているようにそのキーボードプレーも若い時は凄く強かった。ノーシージャズフェスティヴァルなどの中継録音をNHKFMで聴いていた時にはこんな強い演奏はしていなかったのでその差が分かった。

ビッグバンドもどちらかというと若い時の仕事のようで、なるほど戦後も時間が経つと怠い印象しかなかったのも正しかったなと感じる。恐らくガーシュインとかその辺りの影響もあったのだろう。ベルリン出身のプレヴィンなどが映画音楽のミュージシャンとして活躍していたことや、またこうしたジャズの世界との関連などがよく分からないので興味がある。

11月のベルリナーフィルハーモニカーによる合衆国ツアーは大統領選挙後のワシントンDCでのキリル・ペトレンコデビューともなる。そこでヴィーンからの亡命映画作曲家コルンゴールトのヴァイオリン協奏曲がワイン街道のトラムプ家と隣町の出自を持つヒラリー・ハーンのソロで演奏される。来週末には彼女の演奏をフランクフルトで聴く予定だ。



参照:
追想の音響への眼差し 2024-09-16 | 音
Kamala IS Bratの意味 2024-07-25 | 文化一般
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追想の音響への眼差し

2024-09-16 | 
承前)ベルリンでの最終公演が生中継された。初日の演奏とは比較にならない音響だった。楽譜から音楽を読み取るとどのようになるかという典型で、初日から何を求めてやっていたかの成果が音響としても如実に表れていた。なるほどフィルハーモニーの音響から塊とはならないのでより精妙なアンサンブルが要求されるのだが、それが六回の本番演奏を通してアーテュキュレーションとデュナ―ミックをルーティン化させることで初めてものにしていた。特に一楽章の演奏は歴史的にブルックナー演奏の頂点であったろう。

中継と本番などを通して今迄の全七回の演奏の四回を聴いたことになるが、想定通りの進化をしていて、ペトレンコ指揮のベルリンでの演奏としては最高峰だったろう。一楽章のフィナーレ迄の大きな弧の中で、初日の批評で言及された導入での爆発も全てが道理の通る大きな流れとなっていた。

残念乍ら生で体験したルツェルンでのそれは音響的にはより音楽が作れていたものの今回のような壮大な音の流れは作れていなかった。もうこれは演奏者が流れを自ら作っていくぐらいにルーティン化していないとはならずに、ある意味カラヤン時代の全盛期はそこからゴージャスな音響が出来上がっていたのである。

初日には音を当てることが出来ずに不安定になっていたホルン名人のドールだが、ソロに入る最初からしっかりしたラインを描いていた。そこには正式採用されなかったフルートのジャコーや助っ人のクラリネットなどのロンドン公演よりも明らかに弱い木管群との拮抗が弱まったような条件もあるのだが、冒頭の繰り返しへのつまり展開部へのエピローグでのトレモロに乗ってのフルートからホルンへの渡しのそこが全てであった。

そのオクターヴの跳躍は四楽章コーダでのフルートの上昇に匹敵するもので、初日から苦労していたところでもあるのだが、なんと前半に取り上げられたリーム作曲「インシュリフト」における「追想の響き」に通じるものとしていた。リームにおいては、ベネツィアのサンマルコ寺院のバロックの多声への追想となっているように、ブルックナーにおいてもこの曲ではバロックの技法も追想されている。

最終楽章の二重フーガなどはその多声音楽そのものでもある。ここもアンサムブルの妙味が如何に積極的に繰り広げられるかに掛かっていて、その音楽的充実に直結する。

ベルリンでの最終公演では到底満席にもならずに舞台上の席も解放されていなかった。やはり序奏からの煉獄のような情景も音響への悦びもカトリック圏での受容の様にはいかない。恐らくそれは新フィルハーモニーの発散する音響空間だけの責任ではないようにも感じられる。

第一楽章後での拍手喝采はその意味ではとても説得力があるもので、二楽章、三楽章へと高揚がなかったのもこうした聴衆の受け取り方の相違に拠るかもしれない。11月にはフランクフルトで米国ツアーへの向けての壮行演奏会が開かれるが、少なくとも音響的には利があるかもしれない。どのような人がソロに入るかなどの相違は出てくると思うが、引き続き大きな衝撃を世界的に与えていく筈だ。



参照:
ルツェルンからの光景 2024-09-11 | 音
期待する天才の裏側 2024-09-06 | 女
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この二年半の落とし前

2024-09-15 | アウトドーア・環境
パジャマを長袖に替えた。予定より早かった。寝具は来週以降となるが、昨年は9月が暖かくて、8月に一度出した長袖を末に改めて出している。今夏は8月後半が暑かったのだが、乾いていて過ごしやすかった。その分9月に入ってからの冷えは異常である。窓拭きを済ましてもいいぐらいだが、10月に再び暖かくなるだろうか。

新品の靴を下した。想定以上に違った。なによりも軽く感じる。計測では殆ど変わらない。固さやバランスが全く異なる。蹴りが入る以上に反動が前に出る感じで、今迄少なくとも二年半は腕の振りで無理して足を前に進めていた。それがなくても足が出るので、歩調がとても早くなる。計測は最高240となっているがそれは誤りとしても160を超えているところが何度かあるので、それなりのテムポは築かれた。それによって心拍数が上がりやすくなった。

二年半を返してくれと言いたいが、そのお陰で無理に足を進める筋力はついたと思う。腕の振りは激しくなった。その分バランスが悪くなっていた。腰や膝の違和感は治していけると思う。

実は心拍数を上げようとしてもなかなか上がらないのは年齢ゆえかと思っていた。然し、それが上げられない歩速ゆえだと理解した。靴に柔軟性も羽根もなかったからである。前回のラストランでは平均126で最高161までしか上がらなかったが、今回は平均146で最高173まで出ていた。明らかにトレーニング効果が異なる。そして所要時間も5分ほど短縮している。動機付けがないから仕方がないとも思っていたがこうして走りやすさがあると、更に記録を出したくなる。上りで19分掛かっていたので、23分よりはマシとしてもそれ程ではない。然し頂上往復を久しぶりに試したくなった。

足出しの良さは準備体操でジャンプする時に分かった。室内で履いた時には踵が緩く大丈夫かとも思ったのだが、なるほど走ると空気がポコポコする音もある。もう少し足に靴が慣れてくると無駄がなくなるかもしれない。靴下もウレタンが効いていて滑りやすいのでその辺りの改善は進むと思う。

また初めての薄いゴアテックスの通気性は素晴らしい。少なくとも摂氏気温17度の曇天では足が熱を持つことはなかった。冷たくないので安心して運動可能となった。想定よりは使える可能性が出て来た。アルプスならば夏でも問題は全くないというかとても快適だと思う。

小石の上を通る時の感覚も滑り感は全くないのでよく、足運びが自由自在なのでテクニカルに足を運べる。車輛で言えば、前回の靴がオペルのファミリーカーのライトバンで後ろに引かれる感じで精々最高速度時速190kmで150km巡行が限界なのに対して、今回のは巡行200km以上可能で最高速は250kmで抑えられている感じである。それ程の差が、小売り希望価格で30ユーロ程購入価格で数ユーロの差、そしておそらく生産コストも20ユーロ以上違ったのだろう。車輛も同じモデルでも可也大きな差が出ていて、生産コストを販売台数と小売価格で一番利益が出る様に計算されている。

数カ月ぶりに入浴した。垢を落として、ダージリンを飲んでから快眠した。次は何時だろうか?



参照:
抵抗不可の45%引き 2024-09-10 | アウトドーア・環境
イミテーションの先端 2022-02-24 | アウトドーア・環境
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超一流奏者とは如何に

2024-09-14 | 
ルツェルンではいつものように前座催し物に出かけた。今回は昨年に続いて音楽祭コンテムポラリー楽団による世界初演の練習であった。無料の催しとあって若干異なる層の地元の聴衆が殆どなので興味深い。昨年はメルキ指揮のポッペの曲の練習だった。今回は初演で作曲家のリサ・シュトライも注文を付けていた。指揮者はヴィーンのクラングフォールム代表で五月にもエンゲル指揮で北京で公演を敢行したベアト・フーラーで、お友達仲間でもある。作曲家としては馴染みなのだが、指揮者としては初めてで、痩せて若干印象が異なっていた。

楽団はアカデミーのそれとどこが異なるのかはよく分からないがいつものように若い面々で、今回の初演曲のトラムペット協奏曲のソリストも嘗てのアカデミー生として活躍したジモン・へ―フェレで、フリードリッヒの弟子でもあって、恐らくトップクラスの奏者であるのだろう。

曲自体が協奏曲とは謳っていてもメタムジーク表現であることは間違いなく、殆ど楽団以下の小さな音しか出さない。如何にそれを成すかが音楽的な腕であるが、楽団の腕と作曲家の腕との両面でどこ迄その効果が出ていたかには大きな疑問が残った。

然し乍らソリストの風切り音でもない微小音のコントロールとホース迄をつけての音出しは見事で見ものでもあった。現在の超一流の奏者はそこまでの特殊奏法を自らのものにしていないと仕事にならない。それは旧態とした大管弦楽団で演奏しているようなものでは全くなく、一つの出来上がった技術としてコンクールで披露するようなものではない演奏実践上の楽器の可能性を拓く革新性がないと務まらない。

まさしくソリストと所謂オーケストラムジカ―とは職業が違う。勿論前者の公的資格を取って大管弦楽団でも活躍している人も少なくないだろう。然し抑々違うものである。先頃コンクールなどで優勝したフルートの奏者がベルリンのフィルハーモニカーとしてソロストとして試用期間を超えられなかったと発表があった。若干驚いた。なぜならば楽団のソリストとしてそつのない仕事をしていたからだ。勿論同僚のパユの様にこれは正真正銘のソリストがなぜ大楽団で仕事をしているとスイスの音楽家などは皆驚くのとは違う。

正直技術的な問題点はこれといって気が付かなかった。同僚に比較すれば明らかに個性が弱く、フルートという楽器ながら背後に沈んでしまうことも少なくなかった。なるほど確かに目立つことはなかったのだが、二人と同じスイス人の先ほど亡くなったオーレル・ニコレの透き通って硬質な音のような強い個性はなかった。コロナ期間中にワクチン接種拒否から退団した元シカゴ交響楽団のデュルフォーはそれなりに目立っていた。

フィルハーモニカーにどれだけのフルートソロが必要なのかなどは計り知れないのだが、そこまでを求めないと木管アンサムブルも決まらないということになるのだろうか。弦楽器奏者とは異なり、小さなアンサムブルではあまり出番もなく力を発揮できないということで、例えばヴァイオリン奏者などよりも管楽器奏者の方がソリストなのだが、今度は木管や管楽器のソロで一流の舞台で生活していける奏者などは殆どいない。そこから上のトラムペット奏者が如何に楽器奏者の頂点に立っているかがしれようというものである。
Highlights Sommer-Festival 2024 | Lucerne Festival




参照:
ルツェルンからの光景 2024-09-11 | 音
無料前座演奏会の光景 2019-08-28 | 音
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無事だったラストラン

2024-09-13 | アウトドーア・環境
現行の靴のラストランを行った。地面が濡れていたが雨が止んだので、少し肌寒いながらもゆっくり走れた。決して悪いスピードではなかった。ここ暫くでは早い方かもしれない。現在の状況での走り心地を記憶しておきたかったから、幾らかスポーティーに動けた。

新しいものと比較すると足入れが悪いのは紐だけでなくて、靴の舌が分厚く固い。何故そうしてあるかは、底が弱いからだと感じた。底だけならば地下足袋のようにごつごつしてクッションがあまり効いていない。腰やら膝に来る感じはそこに原因があったのだろう。よって細かく石の上を渡るようなのはあまりうまくいかない。エアルの音楽祭からザルツブルクに廻った節のキムゼーの岩山を2000メートルほどまで登った時も余りしっくりは来なかった。つまり足捌きが上手にいかない。靴のバランスが先端の方に重かったりと色々あるのだろう。靴自体の重心が高くなっていることも分かる。

2022年2月中旬には親指の付け根が痛くて寝れない夜を過ごしていた。普段の靴にも足が入らずに引きづっていた様だった。新年早々から使っていたので、この靴で足を痛めたことになる。履き心地も読み返すとあまり良くなかったので、余り健康的な靴ではなかったようだ。親指の付け根問題は2014年から記載があるが、その時は走っていて捻挫と書いてある。2018年は違っていて、右側が8月に腫れている。その後は2022年2月そして11月と痛めていた。今は左足親指付け根へと筋に違和感がある。

ラストランでの地下足袋感覚とその逆の細かな立ち方が出来ないごつごつ感は車輛でも悪い独車にありそうな違和感で、89ユーロで買っていたとしても不満は最後まで残った。大きな転倒がなかったのは幸いで、それなりの底のグリップは効いていた様だった。腰への負担は一部不可逆なものもありそうで嫌であるが、それ以上に膝に若干来たのはこの靴が初めてであった。足の裏の緊張と足運びによる膝への負担はこれで卒業できるかと思う。

底のプロフィールの摩耗は限界域であるが、現在の状況でも余り滑らない。コケなどが蒸して来ると分からないが、泥濘などは駄目だろう。内装は角を除いて中敷きも余り摩耗していない。支えの赤いラヴァ―部分は踵内側が剥がれかけてきている。それ以外はまだ穴は開いていない。靴紐も使える。靴としては堅牢だった。

乾かして純正箱に入れて仕舞っておくが、今後どういう時に使うか?旅行の徒歩には使える。それも山道以外で履く時だろうか。「アシジの聖フランシス」公演の巡礼移動時に履いていたのも想い出か。

靴と一緒に発注した靴下は、色違い二種類を今迄四足ぐらい購入したかも知れない。最初はウレタンがふんわりしていて気持ちよいが洗濯し続けると固くなって、弾力を失う。主に冬用に考えているので涼しくなくても構わない。前回使っていて破れたものは最初から左足の丈が短かった。余計に引っ張りなどで爪先が破れるのが早かったかもしれない。靴と同じ時に購入してしていたので、600kmぐらいはそれで走れたのかもしれない。靴はその倍は走行した。それでもやはり靴はとても高価である。



参照:
楽団維持の資金に乾杯 2022-01-07 | ワイン
聖フランシス「太陽の賛歌」 2023-06-24 | 文化一般
下から目立つ大きな十字架 2022-07-31 | アウトドーア・環境
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不可欠の表向け秩序

2024-09-12 | 
発注したシューズの配達が水曜日となりそうだ。少し迷っている。最後にもう一度現行の靴を履いて、そして洗いたい。然し足の裏に違和感もあって、一日でも早く新しのを履きたい気持ちもある。その一方出来れば室内で履いて、細かなところもチェックしたい。気温が下がると不調なところが顕著に出る。足の痛みは一月ほどでは元に戻らなくなる。朝も起きれなくなってきた。雨で陽射しがないと厳しい。

夏のシャツを洗濯に出した。9月には普段にもう少し袖を通そうかと思ったが、厚いのを着れるので全く必要がなくなった。次のお出かけ用のシャツを考えておけばよい。三回の演奏会の前に試飲会で、それを一着で済ませると都合がよい。その後のミラノでの服装を考えながらになる。

スカラ座への駐車場を研究した。どうもドウォーモの近辺は立体駐車場が多くて、大型車お断りがあった。まるで暴力団お断りの大阪市内のモータープールの様である。面倒なので少し離れたところに通常の地下駐車場を見つけた。問題は土曜日も19時30分まで店を開けているイタリアの買い物客でまだ賑わっていそうで、出かけるまでに交通情報等を調べておかないと大変な時間の無駄になりそうだ。

来週の床屋の為の現金は序に隣町のポストバンクで下ろしてきた。50ユーロあるので、20ユーロを床屋で落として、ミラノに行く前に少し足して50ユーロあればなんとかなるだろう。

夜中午前三時過ぎに目が覚めた。大統領選挙討論会なのは頭にあったが直ぐには観れなかった。トイレに立ったので40分前から観た。違法移民や外交問題をトラムプが語っていて、ネトウヨそのものの主張はへきへきするものでなんら反論の必要すら感じなかった。それで困った顔で憐みの表情を浮かべはぐらかすような反応をハリス副大統領がしていたので、トラムプがヒートしていって更に聞いていられなくなった。

所謂世界の中での合衆国に求められている立場の逆張りばかりなので、ガサのテロへの攻撃を賛辞して、プーティンと金主席のお友達自慢だけでなく、ハンガリーのオーバンを欧州におけるパートナーとすることで最早尋常ではなかった。更にタリバン支配への介入も自供していた。絶対再選を許すべきものではないと確信した。トラムプのあまりにも酷さを全米に全世界に曝すという戦略では大成功していた。

その後仮眠などをして、思いがけなく朝が気持ちよく起きれた。通常よりも30分ほど前に床に就いたことで大分違ったのかもしれない。副大統領はこうしたカオスは止めにしましょうと呼びかけたのは、ストンと落ちた。所謂世界でのネトウヨ傾向はこの十年ほど高まっていて、漸くこれで合衆国の空気が変われば世界も変わるに違いない。

今世紀に入ってから、NYの摩天楼の崩壊からフクシマ禍と通常ではあり得ない事ばかりが続いていた。然しこの辺りで真面な社会の骨子が確立されるべきであろう。外交には表も裏もあるが少なくとも表向きの秩序は不可欠である。



参照:
Kamala IS Bratの意味 2024-07-25 | 文化一般
今秋のミラノ旅行準備 2024-06-06 | 雑感
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