Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

偉大な統治者と大衆

2005-10-14 | 文化一般
本年生誕100年を迎えたノーベル賞文学賞作家エリアス・カネッティーの「大衆と権力」に「指揮者」と云う項がある。この不思議な権力について示唆に富んで記述されている。

ザルツブルク音楽祭の後任監督候補になっていたと云う、リンツ出身の中堅指揮者ヴェルサーメスト氏をTVで観た。独墺瑞西の共同TVチャンネル3SATは、芸術家のポートレートシリーズを制作している。音楽関係は、大スターが在住する瑞西の利点を利用してチューリッヒのスイス放送SSRが担当している。先日は、地元のオペラ座音楽監督からクリーブランド交響楽団音楽監督になるこの指揮者が採り上げられていた。

そのメガネの光る風貌から冷徹で事務的な否定的なイメージが強いためか、何時かのコンサートでも若い観衆からブーイングが飛んでいたような記憶があるが、良く思い出せない。少なくとも今年聞いたロ短調ミサなどは現代楽器の上演として大変納得の行くものであった。番組でも「アーノンクールのモンテヴェルディーの明くる日には、ヴェルサーメストのルルが来るような劇場の自由度のあり方は、通常思われているよりも遥かに高い質を示している」と語っている。この辺の現場からの見識がザルツブルクに求められたのだろうが、中堅指揮者が候補に選ばれるとは人材不足を否めない。

この指揮者は、ジーンズ履きでトラムに乗り仕事場へとやって来る仕事師で、初めて訪れたクリーブランドの町にその汚さから驚愕したという現代的でシンプルな生活観を持っている。従来のマエストロと喜んで呼ばれるような人種とは違うのだろうか?

カネッティーが示すように、指揮者は個性ある楽器の其々の奏者を一つのユニットに纏めて、そのユニットを総譜と云う憲法を持って、大衆を自由自在に操る。指揮者は、彼を待つ会場に現れ、客に礼をして、独り一段と高みに立ち、背を向けて、楽員だけでなく聴衆にも注意を促す。つまり前方にだけでなく後方にも指示をだす。

そして確りと其々の顔をじっと見る。各々が見られていると感じるように、若しくは従属しているように感ずる様にである。そして、指揮者は其々の意見や思い入れの音をつぶさに聞いて、そして各々が何をするべきか、何をしていけないかを厳密に把握しなければいけない。そして仮借なく、一同を巻き込み、それを実現へと移す。曲が演奏される時には、彼が思い描く作品そのもので無ければいけないのは、彼が世界の統治者であるのと全く同じである。

掻い摘むとこのような事になるのだが、現代の指揮者は「己の才能を強調」して、この役目を演じるか、司祭のように振舞う。その憲法がより大衆の自由度や自主性が拡大するように改正されて来たので、統治者は、バランスを取りながら空中分解しないように、その才能の全力を尽くして奉仕しなければいけない。



参照:賢明で理知的なもの?! [ 歴史・時事 ] / 2005-02-25
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経済成長神話の要塞

2005-10-13 | 文化一般
IAEAのノーベル平和賞受賞に対して、早速1999年の受賞者「国境無き医師団」のベルリン支部は今回の授与の批判を表明した。ヴィーンに本部のあるIAEAの活動は、平和利用への名目で核開発を勧める事と核保有の固定化を勧めるからである。核拡散防止の活動として、現実的な政策を採っている。抑止核が存在して代替エネルギーも存在しない限り理想を標榜するだけでは事足らないのは確かである。

世界で最も有名な芸術祭ザルツブルクも、今や余り話題とならなくなったのか、監督の後任探しについて新聞紙上を賑わす事は無かった。現職のルチィカ監督が来年以降の契約延長をしない事になってから、様々な有力後任候補者へと白羽の矢が立てられて、その全てから断られたという。昨年度からの赤字をヴィーンの保守中央政府が埋め合わせするようになっているようだ。しかし、右翼ハイダー氏に攻撃されたモリティェー監督時代とは違い、総合的なコンセプトを打ち出せなかった現体制に容易に税金による補填をする事は、社会民主党のザルツブルク州政府が許さない。

現在のような結果は、初めから分かっていた。嘗てのように、経済的に余裕があり高級車で乗りつける富裕層は健在だが、フォン・カラヤン時代のような贅沢な夢を求める鈍感な保守層は減ったといえるかもしれない。ザルツブルクのモットーであった古き良き欧州への郷愁は、先の大戦後の経済復興の夢と共に再び花が開いた。欧州文化がその経済復興と共に幾分アメリカナイズされて世界中へと伝えられた時、音楽産業も一役を担って、メディアによるスターシステムが構築された。そのようなビジネスモデルは、20年ほど前に終結している。しかし、世界に広がる市場を対象に、誤魔化しつつそのような市場形態を継続させて来た。そして最後にモルティエ監督に容赦なく現実世界を突きつけられた観衆は、今や何処にも存在しない世界に夢みる事はなくなった。

他の何処でも得られないのは、高価な入場料と云う。バロックの町の神童もミュンヘンの親爺のオペラもバイロイトのヴァーグナー際に対抗して、ここでしか観れないとなるとそれはそれで特徴なのだが、前者では何かを示して質の高い上演をする事は至難で、後者ではフェスティヴァル上演には割高の著作権料が付き纏う。2006年に作曲家の生誕250年に合わせて全オペラの上演をする事が現在の監督の所信表明に挙げられていた。「36人の唄えるモーツァルト・テノールどうやって集める事が出来るのか」と前任のディレクター・ランデスマン博士は懐疑的である。来年に迫っているのにも拘らず未だに人選すら進んでいないとすると、質の低下は避けられない。2007年以降の体制も定まらず、方針も決まらないでいる。

ヴィーンからザルツブルクへとドナウ河を上り下りした。抑止核の傘の下で、冷戦の潜在的な恐怖に慄いて刹那の快楽を貪り、経済成長の神話の下で尽きない欲望を漲らせていた時代は終焉している。そして原子力発電の推進は、石油危機以降資源を有効利用して行こうと云う風潮に並行して、それまでの神話を壊すことなく前進して行く事に要旨があったのだろう。現在でも最終的な出口は見えておらず、手探りの状態が続いている。その隅々までの洗い直しが一旦終了したところで、今更薪で暖を取る事が不可能なように、決して入り口へとは戻ることは出来ない。過去の進展がそうであったように、少しでも前進出来る事を信じて前へと進むしかない。進むしか希望はないからだ。



参照:ゆく河の流れは絶えずして [ 音 ] / 2005-08-01
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構造への全幅の信頼

2005-10-12 | 雑感
ベルリンへの旅行を予定している。同地に今までに延べ何泊ぐらいしたかは覚えていないが、未だに至所造成地の町であるので、新たな目的地が見付かる。連邦議会訪問が主目的であるけれど、それ以外の興味ある対象を探すべく徐々に関心をそちらへと向けて行っている。

先日TV番組でベルリンでのロビー活動が話題となっていた。数千の団体がベルリンに事務所を構えて、盛んに活動をしている。恐らく誰にとっても、幾つかの団体が自らの為に活動をしていることになる。それは何も仕事上の団体だけでなく、自動車クラブから趣味のクラブまで全てのロビー活動が含まれる。現在、その活動が公のものとなっていないので、米国に倣ってロービー活動自体の財政を公にして監視する法律の制定が考慮されている。

こうする事によって、女性党首に道を開けた保守本流のヴァルフガング・ショイベレローランド・コッホが嵌まった裏金作りやマネーランダリング事件の類例を幾らか避けれると考える。ドイツの政界においては、好い加減なイタリアやアジア諸国とは異なり、そのような政治腐敗が発生するとは誰も思っていなかったというのが、自らが構築したシステムを信じ過ぎるドイツ有権者の暢気さでもある。
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コマンタレヴー, Mme?

2005-10-11 | 雑感
アメリカ人記者がメルケル党首にドイツ語で訊ねたジャーナリストらしくない質問である。シラク大統領にこのような質問をする者が居るだろうか?シュレーダー首相の就任直後の「英語はそんなに出来んからドイツ語にして呉れ」と不機嫌極まりない受け応えとは大違いである。

大連立とは余り良い響きがしない。首班指名で過半数を取れる可能性がこれで出て来た。何票取れるかは、今後の両党協議にも依るだろう。大臣の数でCDU&CSU連合対SPD、6対8で後者の勝利である。各閣僚の責任が首相と同じように規定されているので、首相が閣僚を意のままに動かすのは難しいだろう。上手く連立交渉は進むのだろうか。現政府の重要な政策は継続改正される。

EUは、人に感染する可能性が危惧される鳥インフルエンザを理由にトルコやルーマニアからの鳥類の輸入を禁止した。「アジアへの旅行時には火の良く通っていない鶏肉を食べるな。鳥に近寄るな。」若しくは再びアジアからの旅行者は何時かの様に飛行機を降りる時に消毒液を跨がなければいけなくなるかもしれないが、ウラル山地からこちら側のトルコも危険地域に指定された。渡り鳥は、東と西では交わりが無いというが、事実は違うのだろうか。欧州の衛星となるトルコは、本当にEUに加入出来るのか?

昨日は、ワイン街道でのドイツワイン女王の選考式の模様が放送されていた。水着審査は無いながらも最後まで観てしまった。結果は誰もが異論の無いパファルツのワイン農家の娘さん女王になった。外見よりも、ワインの紹介やマーケティングへの明快な回答が好意的に受け止められ、なによりも賢そうなのが良かったのだろう。肩無しドレスを着るとどの娘さんも似合わない。仕事着で居ると其々になかなか健康的なのだが、夜会服に着替えると腕の太さから腰周りも目立ち、大地にムックリと立つ足元はハイヒールが似合わない。着飾れば良いと言うものではない。

女性初首相が登場したとしても、独女性誌にすら以前よりも多くのネタを提供するという事は無いであろう。調整役に徹しなければいけない状況で、政治的に女性首相を特別扱いするのは左派党だけで、殆んどフェミニズム的な意味すら持たないのではないか。今後は人間味発揮して世論を味方につけないといけないのだが、それが諸刃の剣となりかねない。その自信の無さが有権者に嫌われた。ミス無く事を運んで来た処世の術を今更変えることはなかろう。

そう言えば、大連立で三分の二の大多数を得る事が出来るとすると、統一会派の中に主流派に対して反主流派が左右に対に出来る。また議会の中で政権会派内での反主流派の外側に野党が干渉する構造となる。量子化学的なモデルを以って、炭化水素の其々の核構造から確率論に従い、その分解反応速度を励起状態から基底状態へと試算しているのであろうか。
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新月過ぎの葡萄の精

2005-10-10 | アウトドーア・環境
金曜日に、隣町へと食事に行って、歩いて帰って来た。

餃子の中に白身の魚のすり身入れたものを注文する。ジャガイモスープの後に、料理をリースリングと合わせた。ワインを口に含むと、其れまでは感じなかった魚臭さが出て来て難しいと思う。ヴァイスブルグンダー、所謂ピノ・ブランの方が良かったかもしれないが、リースリングで通す。黒パンが口を変えてくれるので、それほど悪くは無い。

半リッターほど飲んでから、帰り道は遠回りをしてワイン畠の中を一人で歩いて帰る。途中、10時の鐘が、背後の村の教会からと自宅の方の教会の双方から聞こえてくる。本日最後の鐘の音である。数時間ぶりに時刻を意識する、いつも時計を持ち歩いていないからである。音質とタイミングが随分と違う双方の鐘が連打する中を歩いて行くと、何時の間にか前の方からの音が強くなり背後の音は聞こえなくなる。

天空は余り澄んでいなくて、霧っぽく湿気が冷たいが、幾らか星が見える。殆んど暗闇の新月から五日目である。少し坂になっている畠の中を縫う道が、暗闇の中で上下の感覚を奪い去り、空間を容易に歪曲させる。葡萄の実りの中を歩いて行くと独特な香りに気が付く。この時期摘み取ったばかりの葡萄が酵母と共に発酵する町の其れとも違う。

今しがた虫の音も聞こえていたが、暗闇の中の行進で、熟れて黴の生えだした葡萄の精がホルモンのようなものを激しく発散していることに圧倒される。三次元空間も希薄になり、植物の呼吸を一身に受けていると、視覚的なものとも、聴覚的なものとも異なる感覚が広がる。

村醒めとはならなかったが、冴えた気持ちで家に辿り着く。往復50分ほど計約7キロの道のりを、葡萄の精と共に夜の散歩をした。
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更に振り返って見ると

2005-10-09 | 歴史・時事
ドイツ連邦共和国防軍の50周年記念で、その対抗馬ドイツ民主共和国軍の服装も話題となっていた。それはナチスを想像させるそのものだったからである。民族的な特徴を意図したというが、議会でのホーネッカー書記長へのハイルの挙手など隅々に至るまでナチスそのものであった。何故あれほどにナチスに迫害された共産党員がこれにアレルギーを示さなかったのかが未だに不思議である。多くのKPD生え抜きは、世界中からモスクワに避難した共産主義者と共にスターリンに大量粛清された事も関係するのかもしれない。

ニュルンベルクのナチ党式典の記念館を紹介した、二年ほど前に制作された番組も面白かった。学習目的で訪れる生徒や軍人の団体が多いようである。そして記念館の専門家の指導の下で、「差別とは」、「軍事行動とは」が真剣に議論されるように導かれる。映像資料が整っている。党大会の御馴染の同じ場面をプライヴェートな目的で写されたフィルムは貴重と云う。何故ならば、それ以外は全て宣伝目的で演出過剰に写されているからである。現在でも新資料の発見があるという。話は違うが二週間ほど前には、シュトッツガルトの飛行場の工事で、当時そこに存在したアルザスの強制収用所の支施設跡から縛られたりして埋められている人骨が多数出て来た。厳重に警察に現場保存されて発掘が進められるという。当時の所属SSを洗い直し証言を取るという。

軍の意義と云うものを考えて行くと、コソヴォ紛争の時の決断に思い当たる。特に緑の党のヨシュカ・フィッシャー外務大臣の党大会での演説は最も印象深いものであった。そして其れは、赤インクを党員に投げつけられるという暴挙を生む事になった。

フィッシャー氏は環境問題を党是とする中では現実路線の通称レアロに属して、オペル工場争議やRAFのテロ活動時にもフランクフルトで 実 労 しており、党の基盤を支える反戦平和主義者や代議士のローテーション制を強く主張して職業政治家を否定する理想主義者層とも元々幾らかは毛色が違うのだろう。しかし、自らの手で都市を、その市民を巻き込むことになる空爆攻撃をする決断は、過激派のハイジャック事件や誘拐事件に際して強硬姿勢をとったシュミット首相の其れを遥かに上回る辛酸に満ちたものであった。

「少数民族への差別は、ありとあらゆる些細な差別でも、迫害を生む。その時点で結果は見えている」。その手口の合理や潔癖に関わらず、全てはアウシュヴィッツへと連なる。当時英国やその他の諸国が採った戦略のように、自らは傍観しておいて、その結果を裁くことは出来ないどころかその責任の一端を持たなければいけない。軍事行動しかありえなかった。少なくとも、欧州大陸の何処かで、体を張ってでも、これを許す事は断じて出来なかった。

先月辺りから流される戦後政治の歴史番組で、赤軍派RAFを弁護したのは現在の内務大臣シリーである。当時国家権力の暴力へと立ち向かっていた弁護士は、今やその権力の座に居り、フランクフルトの街頭で戦っていたアナーキストは外務大臣である。議会解散後に七年間の連立政権の成果をチェックする企画が新聞で連載されていたが、この政権はこう考えると将来とも歴史に残るオーラがあった。

リアルタイムでは、どんな目利きも理解出来なかった事象が、時間を置くと然るべき場所に位置付ける事が出来て、全体像が確認出来る事が多い。先ほど挙げたバイロイト音楽祭での、シェローの前夜祭を含む四部作「指輪」の演出や其れに抗議した多くのオーケストラ団員の翌年の公演参加への辞退やモルティエー博士時代のザルツブルク音楽祭への右翼ポピュリスト・ハイダー博士の攻撃など、様々な事象は時代を映す鏡となっている。振り返ってみるとなるほどと思い当たる。

少し振り返って見ると [ 雑感 ] / 2005-10-08 から続く



参照:
暑気の隙間に感傷旅行 [歴史・時事] / 2005-07-03
雇用が無い事が失業か [ 文学・思想 ] / 2005-09-16
ニューオリンズを聞いたボブ [ 歴史・時事 ] / 2005-09-06
鋼の如く頑丈で、革よりも [ 生活・暦 ] / 2005-01-25
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少し振り返って見ると

2005-10-08 | 雑感
今週の纏めのような感じで様々な事を挙げてみる。昨日は、日程を木曜日を金曜日と勘違いしていて、アルフレード・ブレンデルの演奏会をすっぽかしてしまった。クライスレリアーナとハイドンなどは、聴いて置くべきだった。今まで定期演奏会で、少なくとも彼のプログラムをニつほど聞き損なっている。

月曜日の統一の日のゴールデンタイムには、独第一放送で、ヒット映画「ピアニスト」が初TV放送された。この手の映画は、「シンドラースリスト」など非常に似通っているが、ここではポーランドの民兵や市民、レジスタンスなどが其れと無しに描かれていた所が面白い。それも、特に前者を責めるでもなくまた控えめに扱い、後者も共産主義者でも民族主義者でもなく描かれている。主人公のシュピールマンの原作自体がそうして故意に暈かしてあるのだろう。

ワルシャワピアノ五重奏団員として世界的成功を収めたピアニストは、アルテュール・シュナーベルにもフランツ・シュレッカーにも師事していて、後年はポーランドで娯楽音楽を多数ヒットさせている。こうして没後も、映画の成功のおかげで、その録音などが再発される。この作品のユダヤ人監督ポランスキーだけでなく、このようにポーランドを舞台に商業的に大成功している例が見られる。西側で成功するコネクションや秘訣があるようだ。

2006年バイロイト音楽祭のチケットの注文を毎年の如く郵送した。粗十年間は、毎年のように定員オーヴァーを理由に断られる為にである。毎年せっせと恋文を出さなければ、待ちリストの上位にはなれない。現監督で作曲家の孫であるヴォルフガング・ヴァーグナーの本を捲っていたら、左派党のユダヤ系ギジィー党首の父親で、当時東ドイツの文化大臣であったギジィーの名が出てきた。演出家ゲッツ・フリードリッヒを招聘するにあたり、師匠ヴァルター・フェルゼンシュタインの同意を得ながらも出国許可に制限をつけられたのである。

こうして1972年の「タンホイザー」新演出での政治的なスキャンダルへと発展するようだ。ナチスを想像させる服装や演出は、1960年代の「ミッション・イムポシブル」などのアメリカTV映画に多く見られるイメージでもある。それに重ねて合唱団の歌声に「団結しよう」と云うスローガンを読みとられる事となり、バイエルン州は助成金を打ち切ると殺気だった時代であった。

更に振り返って見ると [ 歴史・時事 ] / 2005-10-09 へと続く



参照:
ポストモダンの貸借対照表 [ 歴史・時事 ] / 2005-09-02
バイロイトの打ち水の涼しさ [生活・暦] / 2005-07-24
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ノーベルドイツ時計親方賞

2005-10-07 | 数学・自然科学
先日のノーベル賞の発表を見ると、いつもながら上手に授与しているのが分かる。物理学賞なども、一挙にレーザー光線を使った量子光学のトリオに光を当てている。トリオといっても其々が関連した研究で違う分野で成果を挙げているようで、何となく小俯瞰図を見る様になっている。

レーザ光線の黎明期から、その物の技術開発の事情があるにせよ、この分野での基礎作りをしたハーバードのロイ・グローバー教授の半分の受賞に輝く業績もさることながら、緻密な実験によって成果を出していったボールダーのジョン・ホール教授などの業績も四分の一として評価されている。

レーザー光線を使った量子力学で言う光の周波数スペクトルを、半透明の鏡を使って入射光のコピーとを一絡げにして、フェムトセカンド(1fs = 10^ -15s)間の二周期以下の光のパルスの列を見て、量子効果を伴った干渉を得る事が出来る。これを時間を横軸とする光の減衰モデルから周波数を横軸とするような色のスペクトルにフーリエ変換すると、古典的な其れやレーザー光線で得られるスペクトルとは違う不確定で鋭角な稜線が現れる。

こうして分析出来る事で、初めて三人目の同じく四分の一の名誉に輝いたミュンヘンのテオドール・ヘンツュ教授の最も正確な時間の計測が可能になった。その正確さは、原子時計の1000倍の精度になるという。それによって、1983年からは1メートルは、二億九千九百七十九万二千四百五十八分秒に光が通過する長さと定められた。

ヘンツュ教授は、ハイデルベルク大で水素の所謂、単陽子のレーザースペクトル分析からこの畠に入って、現代の時計の巨匠となったようである。それほどの精度の時計が日常の生活には必要ないといえば、間違えで、現実に車のナヴィゲーションなどはこのお陰で可能となっていると言う。ご多分に漏れず16年間ほどはスタンフォードで研究活動をしていたらしいが、ミュンヘンのマックスプランク研究所のディレクターとしてのポストに迎えらて帰国したらしい。

現在63歳の教授は、「米国では短期の研究費しか出ないので、こちらでの研究体制の方が良い」と珍しい発言をする。現在、量子学研究所には189人の研究スタッフが9つの専門分野に従事している。ここで博士号を採ったMITのヴォルフガング・ケッテレ教授は、同じくハイデルベルクからミュンヘン工科大へ移り、後にここからMIT研究スタッフとなって、若干44歳時には「ボーズ・アインシュタイン凝縮」をレーザー光線を使って導いた新説で、2001年のノーベル・物理学賞に輝いた。三分の一の受賞であった。

話題は外れたが、量子物理畠でも理論と実験の乖離が進んでいるのが確認出来て、このような分け合った授与の仕方がスタンダードになって来ている理由が分かる。
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シュペツレ好きの麺類

2005-10-06 | 料理
ヌードル好きとして、シュペツレについて何かを書くのは嬉しい。一般的につるつる麺のスパゲティが食べやすいが、卵の入った表面のぼこぼこしたこの短い麺も料理によっては掛け替えない。この乾麺は、メード・イン・ジャーマニーなので、一般的にイタリア製の乾麺の50%高である。

シュヴェビッシュ言語圏がこのヌードルのメッカである。地図で言うとシュトッツガルトを中心として半径150KM 以内だろうか。うどんぐらいに太めなので、乾燥したものでは十分程茹でる。勿論、生で捏ねた物をお湯に落とすのが一番上手い。

一般的にはチーズを掛けて糸を引かすか、ザウワークラウトとやソースのある料理に付け合せたりする。これをメインとして食べるのにレンズマメを乗せるのが、倹約の精神に満ち溢れていて、これがまた美味くて笑いが止まらない。

堅めに二分程煮たレンズマメを、ベーコンや玉葱を炒めた中に落として、スープストックを延ばした水で火に通せば出来上がりである。

これをヌードルの上に乗せて、バルサミコなどの上質のワイン酢を振掛けて、好みによって芥子をまぶして食べたい。赤ワインの食事にするには赤のバルサミコ、白ワインには白のと、幾らでも可能性がある。



参照:倹約のレンズマメ [ 料理 ] / 2005-09-26
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ヨーグルトとトッペン

2005-10-05 | 料理
クヴァークなどと云うものを昔は知らなかった。友人は、牛乳からバターを取って、チーズを取って、ヨーグルトを取った残りがこれだと言い切った。あんなものは、豆腐の卯の花といっしょでわざわざ買うものではないぞと仰った。

実際はクヴァークというのは、乳酸が発酵してきたところの浮水を取り去って残りの固まりを裏ごししたものである。友人の解釈は間違いで、チーズになるのを待てずに食べてしまうというのが正しい。チーズケーキには、フレッシュチーズとしてこれを使うようだ。

その後、気の利いたレストランなぞで付け出しに出てくる事があり、特に夏には清涼感があって良いなとは思いながらも、特別に関心を持つには至らなかった。しかし、何時ごろか小さなキュウリ入りクヴァークが急に食べたくなった。夏にも食べてみたが、今回久しぶりに食べるとやはり美味い。

トルコのヨーグルトやギリシャのチャチキなどとも近い。しかしクヴァークは、油分が50%のものまであり、栄養価も高い。

トルコと言えば、昨日EU加入が締結されたが、キプロス島での両国の紛争や人権問題などあり、実施には二十年ほど掛かるのではないかとも言われている。因みにクヴァークを、バイエルンやオーストリアではトッペンとか呼び、どちらかと言えばヨーグルトに特別な敵対心があるのではないだろうか。
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秋空にまだ青い葡萄種

2005-10-04 | 生活
10月3日の統一の日である。夏には、移動祭日にするかどうかで揉めていた。昨晩から特番なども多かったが、特に新しい物はなかったようである。ゴルバチョフとブッシュ、コールとゲンシャー、ホーネッカー、モロドフなどの決断と行動や昔話などをして語り合う物が面白かった。何よりもゴルバチョフの政治は、今後とも研究対象となるのだろう。

当時から毎日幾らか書き留めていれば面白かったのだろうが、個人的には今ほど周りを見回す余裕も無く情報源も限られていたので、断片的にしか書き綴れない。動きは1989年の春先ごろから顕著になって来ていたので注意はしていた心算だ。当時は、交換手を通そうとも東側には電話が無くて、家庭に電話が付くまでに何年も待っていたという今からでは全く考えられない状況であった。

その後典型的な何人もの移住者と付き合うことになるが、移住者がそれほど目立つというほどの印象は無かった。当時、目立ったのは東側のナンバープレートで高速道路で煙を吐いて、屋根の上に物を括り付けてのろのろと走るトラバント車であった。また、コール首相が地元にゴルバチョフ大統領やブッシュ大統領を連れて来たのが地元の話題であった。

ワインが実るような十分な収穫の無いままに15年が過ぎたと言うのが大方の見解である。写真は、咋金曜日に撮影した比較的貴腐の進んでいないリースリングの葡萄である。
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韓国の大スターと子供達

2005-10-03 | テクニック
大韓民国のスター黄禹錫教授が二日間に渡ってボンとベルリンで講演した。今年五月に世界を驚愕させて以来、大韓航空のファーストクラスのフリーパスをプレゼントされたと言うが、研究室を留守にしている時間などはさらさらないらしい。

患者のDNAを用いて胚性幹細胞(ES細胞)11株を作り、不治の病人に奇跡を起した。若い女性たちが卵子の提供を申し出て列を成すという。ソウル大学の獣医の小部屋から今では少し大きな研究室へと格上げされ、二年後には新家屋に移るという。

キリスト教徒の多い韓国でも胚性幹細胞を操作するのは決して容易くなかったようだが、動物を通して成果を示してきたようである。BSEの牛に試みた実験などはこの教授の目先が利いている事を示しているのではないだろうか。

ES細胞自体は、輸入という形でのみドイツ国内で研究用に扱われているが、冷凍されたものでは成果が出ないらしい。何時もの事ながら、ケルンのユルゲン・ヘシェラー教授などは、「彼らは、我々の技術を使っている」とぶち上げる。

同様の試みはロンドンでも失敗している事から、同僚たちの間では苛立ちが募っていると言う。報道直後に、シュレーダー首相が研究推進へのコース変更を表明したが、これは全て新組閣後の課題となる。

胎児への人の介入は欧州全体で厳しく規制されており、ES細胞すら容易には扱えないのが現状である。キリスト教の教義からすれば当然だが、新旧の宗派によっても幾らかの差異がある。人工的な避妊さえ公認しない宗教から容認はありえない。

黄教授は、研究所の職員も多くがキリスト教徒なので精神的葛藤の起こるような状況にはならないと言うが、安易に工業化の計算をしている事から典型的な楽天家のようである。お国では初の韓国人ノーベル賞受賞の誉れが高いらしい。

ミュンヘンのエックハルト・ヴォルフ教授は、黄教授の業績はこの分野の一部であって、取り扱いが上手く行っただけで、非常に大きな進歩だが想像力は全く欠如していると評価する。その研究体制からして、半導体工作のようなのだろうか、工作機械の洗練を以って工業的であるという。そして、想像力無くしては、頭打ちと断定する。それどころか、人間のクローン化の味を覚えた部下が何を仕出かすかわからないと恐れる。

MITのイェニシュ氏は、この分野は全てシナやシンガポールなどへと東へと重心が移って来ており、学術、医療、商業へと欧州の目は移って行くと予想する。しかし、米国からミュンスターのマックス・プランク研究所へと移ったハンツ・シャーラー氏のように、「我々は、現在の法の中でも我々の遣り方で十分な研究が出来る」、「治療には其々の成果を持ち寄れば良い」と基礎研究者らしい目算があるようだ。細胞核を取り出す必要も無い卵子の無い胚性幹細胞を考えているようで面白い。

日本車のTVスポットではないが、象牙の塔のよりも市場には「不可能な事は無い」となるのは、当然の帰結である。人間ほど意地汚いものは無いからである。
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涙の出るようなケーキ

2005-10-02 | 生活
ツヴィーベルクーヘンというパン生地の玉葱ケーキである。中にはバターで炒めた玉葱が千切りに沢山入っている。

各地で其々に呼び名も違うようだが、ワイン産地ではこの収穫時期の新酒濁酒と一緒に供される事が多い。仏ロートリンゲン地方のキッシュ・ロレーヌとどうしても比較してしまう。玉葱と卵の使い方が違うようである。

金曜日にお気に入りのワイン畑を一時間ほど巡回した後、毎年この組み合わせを食する店に入り注文した。ワインの方は今年は糖を抑えてあったので飲みやすかった。電子レンジで熱々にし過ぎで縁が堅くなったクーヘンを、証拠写真撮影後に食す。

味は残念ながら明日新たに焼くという具合で新鮮ではなかった。「写真を撮るならオーヴンから出した所を午前中に来て撮れ」と言われても困る。「なんなら、水曜日に玉葱を剥きの手伝いに来ないかと」言われただけで涙が出る。



参照:仏ピッザ・フラムクーヘン [ 料理 ] / 2005-09-27
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新自由主義なる似非文明

2005-10-01 | 文化一般
床屋に行って、先日のつまらなかった二回の花火の話やTVで放送された隣町のジャマイカ連立の話をした。

散切り頭で、ドイツ中に知られてしまった、隣町の政治懸案について考えてみた。懸案の歩行者天国が出来る可能性のある道は、小さな町であるので何処か判っている。

何故そこを通行止めとしようとするのかも良く分かる。商店街振興に手を打たなければいけないからである。新たな店舗が出店しても一年ももたないのである。そこの商店街自体の先が見えている。寧ろ、現在までもって来たのが不思議なぐらいである。車でしかいけない新商業地が開発されてから、結果は火を見るより明らかにだったのではないだろうか。

歩行者天国にする事で、既に存在する使用率の悪い町の駐車場を活用して、商店街に消費者を呼び戻すというものだろう。一度車に乗れば駐車場の広い郊外へ行く前に、誰が態々ここで車を止めようか。新たに駐車場を整備する投資の価値はそもそも無く、行政の失策である。

歩いて来れる人に対して、町を整備しようとするのは良いのだが、それだけでは十分な需要を見込めない。観光の町である近隣の町でもそれは到底困難のようである。つまりこのような商店街が郊外型の商業施設と競合共棲するのは所詮不可能なのである。

すると、消費者の便利や町の経済活動を市場原理から逸脱しないように保護して推し進めるために法や行政の繊細なる酌量が初めから必要である。この目的を可能とするのがバランスと云うものなのである。

こうして考えていくと、現代の芸術が目指す方向は、社会を先取りしている事に気が付く。そこに必要なのは、グロテスクな両極化や収まりの無い平行推移ではなく、制御された平衡感覚に満ち溢れた表現である。ネオリベラリズムなどは、その過激さで従来の価値観を一挙に瓦解させる否文化的思潮であることに留意すべきである。その試みの時期は過ぎ去ったのだろうか。具体例は、先取りの文化活動を注意しながら追々と見て行こう。



参照:
ワイングラスを皆で傾けて [ 歴史・時事 ] / 2005-09-24
三色スカラとベクトル合成 [ 文学・思想 ] / 2005-09-19
今年の花火は去年より [ 生活・暦 ] / 2005-09-14
三十五年前からの使者 [ 歴史・時事 ] / 2005-09-11
昔は良かったな [生活・暦] / 2005-06-18
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