ベルリンの森鴎外の記念館に、夜遅く大人数でお邪魔した。日本の文豪の業績を記念する唯二つその建物が国外に存在する、ロンドンの夏目漱石記念館と並ぶ、そのもう一つの記念館らしい。前者のは、ドイツ人民共和国のフンボルト大学の機関として、後者のは個人的な施設として存在するという。
非常に歓迎して頂きながら、その展示の一部を批判するのも億劫だが、研究者でもない者の横柄な態度をお許し頂いてその様式と時代の ず れ をその場でいくらか暗示させて頂いた。すると予想されていた其の儘の反応が返って来たのでなるほどと確信を深めたのである。
「行間を読め」と言われると、「そう、皆そう言うのだ」と言わざるをえない。鴎外自身、文献の落字などを逸早く見つけそれを指摘したと言うが、ここの展示で彼のドイツ日記の東独訳本の写真の下に1989年撮影などと書いてあるあるのを見つけると、なんかの冗談ではないかと思ってしまうのである。
軍医として批判されていることは、まだ展示の中に生かされていない。今後改正していかないといけないのだろうが、批判的鴎外研究などをする余裕が今のフンボルトの日本学にあるのだろうか?
中曽根首相の東独訪問時にカモフラージュまでして、日本からの訪問者を手厚く歓迎して、何十年先になるかもしれない見返りを期待した。手弁当の研究を記念館としてまで具体化して行った成果は、賞賛に値する。そこで、今旧東独の彼ら自身が考えないといけないのは、そうして日本企業などから金をせしめ、多くの人民音楽家が外貨を稼いで来た姿勢など、またそれに類するような研究姿勢に対して自己決算が出来ているかという問題である。
少なくとも、こうした批判的研究という事が出来ない限り、彼らが言うような「訳の分らない熱心な日本のホビー研究家」の姿勢とあまり変わらないのではないか?東独の姿勢と鴎外の軍医としての権威主義的な個性とは全く関係無いと言明する。徒、「学究の徒の信念が実って成果を挙げた」と言う、どこか旧ワルシャワパケットのオリンピック選手のような成功話になっている所が、最も如何わしいのである。そして、フンボルト大学が特に社会主義リアリズムとは何ら関係の無い日本の大学と特別な関係を結んでいたことに相当するような不思議が、今後日本学において研究されるべき対象である気がした。
言い換えると、学究に於いても、文化に於いても、社会に於いても、そのようなリアリズムの主義主張では一切受け入れない筈のものが、当時独善という金科玉条に輝いていたことを示している。そこで主役を演じた文化的背景こそが興味あるのだ。
東ベルリンにこれを期待したいが、古いプロイセンの行政法を踏襲して東独と文化交流して来た日本の姿勢などを批判する事以上に難しいだろう。水はけの悪い、シュプレー川の中州のようなこの町に、今までに無く湿っぽく、湿気た文化が感じられた夜であった。それにしても、フリードリッヒシュトラーセ駅の感じはなんと御茶ノ水周辺の感じに似ていて、高架を走る電車の夜景は東京の中央線を走っているかのような錯覚を覚えた。
参照:
文化政策オッペケペー [ 文化一般 ] / 2005-10-17
尻を捲くり立ち止まる [ 歴史・時事 ] / 2005-10-29
こんな物は要らない [ 生活・暦 ] / 2005-10-26
求めなさい、探しなさい [ 文化一般 ] / 2005-11-27
非常に歓迎して頂きながら、その展示の一部を批判するのも億劫だが、研究者でもない者の横柄な態度をお許し頂いてその様式と時代の ず れ をその場でいくらか暗示させて頂いた。すると予想されていた其の儘の反応が返って来たのでなるほどと確信を深めたのである。
「行間を読め」と言われると、「そう、皆そう言うのだ」と言わざるをえない。鴎外自身、文献の落字などを逸早く見つけそれを指摘したと言うが、ここの展示で彼のドイツ日記の東独訳本の写真の下に1989年撮影などと書いてあるあるのを見つけると、なんかの冗談ではないかと思ってしまうのである。
軍医として批判されていることは、まだ展示の中に生かされていない。今後改正していかないといけないのだろうが、批判的鴎外研究などをする余裕が今のフンボルトの日本学にあるのだろうか?
中曽根首相の東独訪問時にカモフラージュまでして、日本からの訪問者を手厚く歓迎して、何十年先になるかもしれない見返りを期待した。手弁当の研究を記念館としてまで具体化して行った成果は、賞賛に値する。そこで、今旧東独の彼ら自身が考えないといけないのは、そうして日本企業などから金をせしめ、多くの人民音楽家が外貨を稼いで来た姿勢など、またそれに類するような研究姿勢に対して自己決算が出来ているかという問題である。
少なくとも、こうした批判的研究という事が出来ない限り、彼らが言うような「訳の分らない熱心な日本のホビー研究家」の姿勢とあまり変わらないのではないか?東独の姿勢と鴎外の軍医としての権威主義的な個性とは全く関係無いと言明する。徒、「学究の徒の信念が実って成果を挙げた」と言う、どこか旧ワルシャワパケットのオリンピック選手のような成功話になっている所が、最も如何わしいのである。そして、フンボルト大学が特に社会主義リアリズムとは何ら関係の無い日本の大学と特別な関係を結んでいたことに相当するような不思議が、今後日本学において研究されるべき対象である気がした。
言い換えると、学究に於いても、文化に於いても、社会に於いても、そのようなリアリズムの主義主張では一切受け入れない筈のものが、当時独善という金科玉条に輝いていたことを示している。そこで主役を演じた文化的背景こそが興味あるのだ。
東ベルリンにこれを期待したいが、古いプロイセンの行政法を踏襲して東独と文化交流して来た日本の姿勢などを批判する事以上に難しいだろう。水はけの悪い、シュプレー川の中州のようなこの町に、今までに無く湿っぽく、湿気た文化が感じられた夜であった。それにしても、フリードリッヒシュトラーセ駅の感じはなんと御茶ノ水周辺の感じに似ていて、高架を走る電車の夜景は東京の中央線を走っているかのような錯覚を覚えた。
参照:
文化政策オッペケペー [ 文化一般 ] / 2005-10-17
尻を捲くり立ち止まる [ 歴史・時事 ] / 2005-10-29
こんな物は要らない [ 生活・暦 ] / 2005-10-26
求めなさい、探しなさい [ 文化一般 ] / 2005-11-27