Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

経済成長神話の要塞

2005-10-13 | 文化一般
IAEAのノーベル平和賞受賞に対して、早速1999年の受賞者「国境無き医師団」のベルリン支部は今回の授与の批判を表明した。ヴィーンに本部のあるIAEAの活動は、平和利用への名目で核開発を勧める事と核保有の固定化を勧めるからである。核拡散防止の活動として、現実的な政策を採っている。抑止核が存在して代替エネルギーも存在しない限り理想を標榜するだけでは事足らないのは確かである。

世界で最も有名な芸術祭ザルツブルクも、今や余り話題とならなくなったのか、監督の後任探しについて新聞紙上を賑わす事は無かった。現職のルチィカ監督が来年以降の契約延長をしない事になってから、様々な有力後任候補者へと白羽の矢が立てられて、その全てから断られたという。昨年度からの赤字をヴィーンの保守中央政府が埋め合わせするようになっているようだ。しかし、右翼ハイダー氏に攻撃されたモリティェー監督時代とは違い、総合的なコンセプトを打ち出せなかった現体制に容易に税金による補填をする事は、社会民主党のザルツブルク州政府が許さない。

現在のような結果は、初めから分かっていた。嘗てのように、経済的に余裕があり高級車で乗りつける富裕層は健在だが、フォン・カラヤン時代のような贅沢な夢を求める鈍感な保守層は減ったといえるかもしれない。ザルツブルクのモットーであった古き良き欧州への郷愁は、先の大戦後の経済復興の夢と共に再び花が開いた。欧州文化がその経済復興と共に幾分アメリカナイズされて世界中へと伝えられた時、音楽産業も一役を担って、メディアによるスターシステムが構築された。そのようなビジネスモデルは、20年ほど前に終結している。しかし、世界に広がる市場を対象に、誤魔化しつつそのような市場形態を継続させて来た。そして最後にモルティエ監督に容赦なく現実世界を突きつけられた観衆は、今や何処にも存在しない世界に夢みる事はなくなった。

他の何処でも得られないのは、高価な入場料と云う。バロックの町の神童もミュンヘンの親爺のオペラもバイロイトのヴァーグナー際に対抗して、ここでしか観れないとなるとそれはそれで特徴なのだが、前者では何かを示して質の高い上演をする事は至難で、後者ではフェスティヴァル上演には割高の著作権料が付き纏う。2006年に作曲家の生誕250年に合わせて全オペラの上演をする事が現在の監督の所信表明に挙げられていた。「36人の唄えるモーツァルト・テノールどうやって集める事が出来るのか」と前任のディレクター・ランデスマン博士は懐疑的である。来年に迫っているのにも拘らず未だに人選すら進んでいないとすると、質の低下は避けられない。2007年以降の体制も定まらず、方針も決まらないでいる。

ヴィーンからザルツブルクへとドナウ河を上り下りした。抑止核の傘の下で、冷戦の潜在的な恐怖に慄いて刹那の快楽を貪り、経済成長の神話の下で尽きない欲望を漲らせていた時代は終焉している。そして原子力発電の推進は、石油危機以降資源を有効利用して行こうと云う風潮に並行して、それまでの神話を壊すことなく前進して行く事に要旨があったのだろう。現在でも最終的な出口は見えておらず、手探りの状態が続いている。その隅々までの洗い直しが一旦終了したところで、今更薪で暖を取る事が不可能なように、決して入り口へとは戻ることは出来ない。過去の進展がそうであったように、少しでも前進出来る事を信じて前へと進むしかない。進むしか希望はないからだ。



参照:ゆく河の流れは絶えずして [ 音 ] / 2005-08-01
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